2016.12.21.Wed. 1年以上 通りもん

源義経=チンギス・ハン伝説の真相!義経の家紋がロシアで発見されていた?

源平合戦で劇的勝利をもたらした英雄--源義経。悲劇的な最期を迎えたとも、チンギス=ハンとして生きていたとも言われている。そして今回、義経の家紋が、ロシアで発見されたという。果たして真相は?

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源義経チンギス・ハン伝説とは

義経は、実は生きていた?

平安時代の源平合戦で劇的な勝利を収めながら、悲劇的な死を遂げた英雄として有名な源義経。歌舞伎の題材としても古くから有名で、滝沢秀明主演で大河ドラマが作られたり、パズドラのキャラクターとして登場したり、まだまだ人気は健在です。

しかし、彼は本当に悲劇的な死を遂げたのでしょうか?実は、源義経は頼朝によって追い詰められて殺されたのではなく、モンゴルに渡り、チンギスハンと名を変え生き延びていた、という説があるのです。

そもそもチンギスハンと義経って、同じくらいの年代の人なの? と疑問に思ったあなた。私もちょっとその点が気になったので、調べてみました。まず義経は、通説で1189年に平泉、衣川で没したとされています。

そして、チンギスハンが戴冠したのは、1206年。その差は17年。有り得なくもないな、という感じではないでしょうか? 言葉の壁もあって、義経と言えど十数年かけて、ようやくモンゴルの民を軍隊としてまとめあげたとすれば、辻褄は合います。

復讐に燃える天才が、世界最大の帝国を作り上げたのです。とはいえ、いくらなんでもお兄ちゃんから逃げるために帝国を作るって、行動力がやばいですよね。とんでもない兄弟喧嘩です。

源義経チンギス・ハン伝説は嘘なのか?

たんなる妄想だった?

正直、私もこの話をはじめて聞いたときは、「妄想乙wwww」と思っていました。そんなに簡単に現地の言語や文化を覚えられただけでも、都合が良すぎるわけですし、モンゴル民族も変な外国人に従うような従順な民族とは思えないんですよね。

戦前ほどの世間の関心は薄れ、生存説は俗説にされて、アカデミックな世界からは取り扱われることは無くなっている。我国ではこの様に何世代も渡って語られてきた伝説・仮説も現代では、トンデモ説、都市伝説などと評されている。

出典: ja.wikipedia.org

上記は義経=ジンギスカン説に関するウィキペディアからの引用ですが、現在はほとんど都市伝説として扱われているようです。江戸時代には有名なシーボルトもこの説を熱心に支持していたようですが、現在の学者はあまり信じていないようですね。

江戸時代には、特に義経の人気は高かったようですが、これは徳川家が、義経と同じ清和源氏の血を継いでいるため。義経がいなければ、平家が統治する世の中になっていたかもしれないのです。そうなると、義経はやっぱりヒーロー。

しかも天才的かつ奇抜な戦術で敵を倒し、悲劇的な死を迎えたとあれば、嫌が応でも人気は出ます。そして、悲劇的な死を迎えたヒーローには、何かと救いの手を差し伸べたくなるのが人情というもの。こうして、大した根拠も無いまま、希望的観測だけで義経=チンギスハン説は広まっていったのです。

ロシアで義経の家紋が発見される?

ロシアで発見された義経の家紋

小谷部は、大正14年(1925年)2月1日付の朝日新聞で、シベリア出兵当時、ニコラエフスクの近くでタタール人の芝居を見たところ、その巻狩の場面で役者が笹竜胆(ささりんどう)の紋をつけた日本流の鎧兜であらわれたことを記している。わけを尋ねたところ、昔から伝わっているもので、誰が作ったかについてはわからないという返事だったという。この笹竜胆の紋章は、ナホトカの一般住居にもつけられており、これも義経ゆかりのものではないかと小谷部は説明している。

出典: ja.wikipedia.org

だいぶ古い話ではありますが、なんと、ロシアで義経の家紋が見つかったようです。確かに、ロシアで義経の家紋が見つかったとすれば、義経が死んでおらず、大陸に渡ったという可能性も決して否定はできません。

ただ、いくらなんでも家紋がちょっと見つかったくらいでは、まだまだ都市伝説の域を出ません。しかし、ロシアには他にも様々な言い伝えがあります。義経と思われる武将が築いたと思われる墓があったり、義経の名から取ったと思われる「ハンガン」という岬があったりと、義経の生存を示唆するような証拠があるのです。

希望的観測だなんて先ほどは言ってしまいましたが、意外とそんなことはない義経=チンギスハン伝説。実は、ロシア以外にもその証拠があるようです。

源義経の伝説はほかにも!

北海道や中国にも

まず、中国で発見された、証拠と言える物から見ていきましょう。チンギスハンが滞在したと言われる熱河省には、「へいせん」という地名があります。へいせんとは、「平泉」と書くことができるのではないでしょうか?

また、義経が大陸に渡る前に向かったとされる北海道には、「義経神社」という神社があります。義経がアイヌの人々と交流を行い、農業を教えたと言われているようです。なぜ農業を教えたのかというと、農作物を大量に収穫させることで、兵糧を確保し、最終的には鎌倉幕府を攻めるつもりだったと伝承されています。

義経はどんだけ沢山の人を巻き込んでまで、頼朝に復讐したかったんでしょうね……。ちなみに義経はけっこう命令無視が多かったようで、それが仲たがいの一因のようです。まあ、こんなバイタリティのある弟に自由度の高い命令を下すわけにはいかなかった、頼朝お兄ちゃんの苦労も察してあげたいところです。

生存させたくなってしまう源義経の魅力

政治に翻弄された悲劇の英雄

義経の伝説は、主に「戦いの天才」という光の部分に当てられています。そのため、義経は戦いに勝つために頑張ったのに、頼朝は「平和になって、弟は用済みになったから殺してしまおう」と考えるような、悪役と捉えれることが多いようですね。

しかし、実はそう単純な話ではありません。史実の詳細を見てみると、義経も相当やらかしているのです。義経は単に可哀想な英雄だと思っていていた、そこのあなた! ちょっと目を覚まして下さい。これだけの功績を残すような天才が、普通の人と同じような思考だったり、良い人だったりする訳ないじゃないですか!

義経が頼朝の怒りを買った原因は、『吾妻鏡』によると許可なく官位を受けたことのほか、平氏追討にあたって軍監として頼朝に使わされていた梶原景時の意見を聞かず、独断専行で事を進めたこと、壇ノ浦の合戦後に義経が範頼の管轄である九州へ越権行為をして仕事を奪い、配下の東国武士達に対してもわずかな過ちでも見逃さずこれを咎め立てするばかりか、頼朝を通さず勝手に成敗し武士達の恨みを買うなど、自専の振る舞いが目立ったことによるとしている。主に西国武士を率いて平氏を滅亡させた義経の多大な戦功は、恩賞を求めて頼朝に従っている東国武士達の戦功の機会を奪う結果になり、鎌倉政権の基盤となる東国御家人達の不満を噴出させた。

出典: ja.wikipedia.org

どっかのジャイ〇ン並みにやりたい放題です。この文章だけ見れば、義経はとにかく戦争が好きだったという印象です。そして、自分の理想というか、ビジョンというか、やりたい戦略を行うためには邪魔する奴は粛清する。そんな、ちょっと恐ろしい人柄が見え隠れしています。

とはいえ、東西の武士がどうとか、官位の有無がどうとか、そんな理由で兄弟の仲が引き裂かれるのは悲しいですよね。実際、義経も頼朝が激おこだということに気付き、「別に敵意を持っていないよ!」と手紙を送っています。

弟のお陰で勝てたものの、政治の場であるため、頼朝は身内にだけ甘い顔をする訳にはいかなかったのでしょう。政治と戦争に振り回された兄に対し、天賦の才能が災いした弟。悲劇的な展開に、義経を救ってあげたいと思うのは決して不自然な感情ではないはずです。

結論

やっぱり義経は生き延びていたのでは?

結論として、私は義経は生き延びていたんじゃないかな、と思います。まず、義経の首は平泉から40日ほど掛けて鎌倉に届けられたため、かなり腐敗が進み、義経本人かどうか正確に断定できなかった、ということ。

さらに、『吾妻鏡』という歴史書では、なぜか平泉とは違う場所で、もう一度義経を殺したと書いてあるということ。最後に、前述したように北海道や中国、ロシアで義経らしき人物の痕跡が残っていること。これらを辿ってみて、私は一つのストーリーが見えました。

頼朝は政治的立場上、他の武士たちのメンツを立てる為に、義経の横暴を許すわけにはいかなかった。殺すしかなかったのです。しかし、実は頼朝は弟を殺したくはなかった。そのため、殺したと「見せかけた」のです

真実は兄弟愛にあり!?

義経を殺したことにすれば、確かに部下のメンツも保てます。しかも、「頼朝さん、自分の弟であろうと容赦ねえな……」と、横暴な振る舞いを行うことへの恐怖を多くの人へ与えることに繋がり、秩序を維持することができるのです。

2回も殺したと書いたのは、義経を確実に殺したことを強調したかったのでしょう。義経を殺したのかどうか不透明であればあるほど、「なーんだ。結局、身内には甘いんだな(笑)」と思われてしまいますから。

つまり、頼朝が取った策は「秩序も維持しなきゃならないけど、弟を死なせたくもない」という考えから出た、苦し紛れの、しかしとても家族思いに溢れた策だったのです。まあ、真実は歴史の闇の中ですが、私はこのように、兄の愛情によって、義経は見逃がされ、チンギスハンとして生き延びたと思っています


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まったく歴史には詳しくないのですけど義経さんが運が良ければいくつか逃れるルートはあったので海外沖縄東北北海道でも中国に渡ることは可能です。中国には九と楼の文字が入る名称寺院があるし、楼閣という九と楼の発音が入る宮殿もあるから運が良ければチンギス・ハンになることも可能性はあったでしょう。そして九郎義経の九郎はフランス王様にクローという人もいます。しかし私は義経さんが例えチンギス・ハンになる才能あったとしても現実には二回も殺された説が正しいのではないかと思います。

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