2017.01.11.Wed. 1ヶ月前 Dave.N

【デビューから現在】山口百恵というレジェンドアイドルの軌跡

オーディション番組からスターの座へ。「時代」が欲したアイドル・山口百恵の道筋を探ってみました。

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はじめにーレジェンドアイドル・山口百恵

デビューから8年、絶頂期での引退。アイドルは伝説になった

山口百恵という歌手がいた事はご存知でしょうか?引退して43年、その活躍をリアルに認識している人も少なくなりました。しかし、その楽曲や出演した映画、TVドラマは彼女を写し出す“鏡”のように筆者である私と、その同世代の輩達には、鮮明に記憶として残っているのです。彼女の活躍や周辺の芸能界の環境、バックボーンを知らずに育った世代には「新鮮」に写っている事でしょう。

世代を超えたアイドルは数多いですが、人気の絶頂期で21歳という若さで引退してもなおかつ、輝きを失っていないというのは稀有な例です。それも、いつもニコニコ・スマイルで愛想いっぱいではなく、ポートレートであっても、なかなか笑顔を見せない。全体的には、クールなイメージでした。

アイドルからの脱却の仕方も実に「上手かった」としか言いようがありません。そうした中、あまり笑わないイメージがあったのですが、珍しくハニかんで微笑している写真があったので、ここで紹介しておきます。「カッコイイ女」ですね。当時の彼女を形容するのは、この言葉が一番近いのかもしれません。

写真家の篠山紀信は山口百恵を指して「時代と寝た女」と言っていました。何となくですが、わかるような気がします。ひとつ言えるのは、彼女は芸能界を辞めて表舞台から綺麗に消えていった事で、伝説になったという事です。


アイドルデビューまで

横須賀での少女時代

山口百恵は小学校2年生から中学2年生のデビュー直前までを、横須賀市(神奈川県)で過ごしています。当時の横須賀は米軍基地を抱えており、そのため街の景気は良く、活気がありました。ただ、ベトナム戦争が泥沼化し、兵士らの乱痴気度は非常に高かったみたいですね。

その中心だったのが「どぶ板通り」で、今でも存在します。現在は健全なストリートに変身して、観光でも入れる店が多いこの街。そんな街の姿を少女・山口百恵はどうみていたのでしょう。気になる所ではあります。

山口百恵は、そんな横須賀の公営住宅に母と妹の3人で暮らし、自身は新聞配達をしていました。芸能界入りのきっかけは、当時、流行していたオーディション番組の「スター誕生」(日本テレビ)への応募です。同年齢の森 昌子がグランプリを獲得して、そのままデビューへと進んだ姿を見て触発されたのではないでしょうか。

彼女も本選に駒を進め、見事にプロダクション関係、レコード会社関係合わせて20社から指名を受けました。いよいよ、歌手への道が具体性を帯びてきたのです。

名曲『横須賀ストーリー』の下地は、デビュー前からできていた!?

日本の繁華街にはたいがい同じ性格を持っています。それは、メインの通りから一本裏筋に入ると、場が閑散としているという事。どぶ板周囲も例にもれず、表の喧騒・華やかさと裏に回った時の静寂さが、コントラストになっています。華やかに見える世界も、一歩裏側に廻ってみると「寂しさ」や「悲しさ」が、少女の目に映っていたのかもしれません。

ベトナム景気で沸いていた横須賀だからこそ、なおさら逆方向が見えていたのでしょう。

数々のヒットソング

歌謡曲の枠を超え、ロック調、叙情詩まで歌いこなす

デビュー曲『としごろ』から第2弾『青い果実』、そして『ひと夏の経験』とアイドル路線では成を収めました。しかし、次のステップへ向けての路線が今ひとつ定まらないでいたのも事実です。それを打ち破ったのが前項で述べた『横須賀ストーリー』(1976年)でした。作詞・阿木耀子、作曲・宇崎竜童の夫婦が山口百恵のアイドルからの脱皮に一役買った形です。

以来、このコンビで作られる曲を歌う事が多くなり「ツッパリ路線」と言われるジャンルを確立していったのです。今ではこのネーミングには、笑っちゃいますけど、当時は大人達も普通に使っていたのですから、時代の流れは時として、笑いも誘うんだと最近やっと気づきましたよ(笑)。

『プレイバックPart2』(1978年)は、この年の紅白歌合戦の紅組のトリにも選ばれました。以来、同コンビは『ロックンロール・ウィドウ』(1980年)を彼女に提供。ロック調も難なくこなす彼女の姿をファンに見せてくれたのです。

阿木・竜童コンビの情緒たっぷりの曲

こちらの作品『夢先案内人』(1977年)は、同じ阿木耀子・宇崎竜童作品でも、ミディアム・テンポのロマンス仕立てになっております。ジャケットの山口百恵も笑っています。それくらい、ホンワカとした曲なんです。系統としては『乙女座宮』(1978年)につながっていくラインの曲と考えていいでしょう。

アイドルとして成功して、ツッパリ路線も歌いこなし、こうなってくると「何でもアリ」的な強みを備えてきたと言えます。「この先、どんな歌手になって行くんだろう?」と期待感は高まるばかりでしたが、まさかああいった結末を迎えるとは。予想できた人は、皆無だったと思います。

「さだ まさしの世界観」を歌う

嫁ぐ日の娘に母が向けた言葉。これが、さだ まさしが作詞・作曲した『秋桜』(1977年)の根底にあるテーマです。「縁側」「小春日和」「何げない日溜まり」等など、それっぽいフレーズが次々に出てきて、男の筆者でさえもホロリときてしまいます。

『プレイバックPart2』とは真逆な、かといって『乙女座宮』や『夢先案内人』とも違う、センチメンタルな曲調もモノにしてしまいました。さだワールドを自分に取り込む事にも成功してしまったんですね。このレコーディング時、彼女はまだ18歳だというではないですか!見た目は大人っぽいけど、歌もそれなりに大人の歌を歌うようになったんですね。

このセンチメンタル路線(勝手に名づけてみました!)は、翌年の谷村新司作詞・作曲の『いい日旅立ち』へとつながっていきました。『秋桜』から『いい日旅立ち』へ。歌の世界においても、大人の世界が見えるようになったのも、この頃でなかったかと記憶しています。

山口百恵はどうしてレジェンドアイドルと呼ばれるのか?

「映画」「TVドラマ」「被写体」…歌だけにとどまらない才能

歌手としての能力は、今さらここで述べるまでもないですが、山口百恵を語るにあたって忘れてはならないのが「映画」です。初めて銀幕に顔を出した作品『としごろ』(1973年、レコードデビュー前)は顔見せ程度の役でしかありませんでした。

しかし、それ以降の『伊豆の踊り子』(1974年)から引退作品の『古都』(1980年)までの13本は全てが主演。そのうち、12本が三浦友和との共演でした。引退作などは落ち着いたたたずまいで、和服がよく似合っていましたよね。和服といえば写真の『春琴抄』(1976年)でも、似合ってました。

そして、山口百恵の演技力・対応力も見事なんです。『伊豆の踊り子』や『潮騒』(1975年)、『絶唱』(1975年)といった文芸作品は勿論、きっちりとこなします。加えて、『泥だらけの純情』(1977年)や『ふりむけば、愛』(1978年)のような現代劇も、世相や若者文化に合わせてポップに演じ分けしているのです。歌と同様、映画でも1級のオールラウンダーの誕生です

1970年代の邦画事情は、東宝、東映などの大会社はお盆の時期や年末年始には、こぞってエース級の作品をぶつけてきました。5月の連休をゴールデン・ウィークとネーミングしたのも映画会社で、それだけレジャー産業として大いに旨味があったというわけです。

そうした理由から、三浦友和・山口百恵のゴールデンカップルには、いい作品がまわってくる事が多く、それゆえに名作が増えていったというのも、当然の成り行きでしょう。

「赤いシリーズ」の意義

映画で彼女の演技力は実証されたわけですから、テレビ界も黙って見過ごすテはないですよね。そこで、まずは『顔で笑って』(TBS、1973年)で、宇津井健と親子役で共演しました。そして、スタートしたのがシ「赤いシリーズ」(TBS)です。『赤い迷路』(1974年~),『赤い疑惑』(1975年~、写真)、『赤い運命』(1976年~)、『赤い衝撃』(1976年~)と続いた、同シリーズは視聴者の男女の壁を超えて、人気を博しました。

その要因は、伊勢湾台風や白血病など、センセーショナルで深刻な問題に対しても真摯に正面から向き合ったからではないかと思われます。サスペンス色の濃い「大映映画」特有の演出も、ここでは抑え目だったような記憶があります。

このシリーズでは、三浦友和との「ゴールデンコンビ」(当時は、そう呼んでいた)も絶好調で、映画やCMでの共演もあり、親密度は高そうでした。ただ、両人ともまっすぐにお互いを見ていたんじゃないかという予想はつきました。

このシリーズ終了以後は、TVドラマへの出演本数は減っていきましたが、いまDVDで見直しても「いいドラマ」という印象は変わりません。山口百恵の影響力は、ここでも凄いです。

被写体としての山口百恵

かって青年総合誌に『GORO』(小学館、廃刊)という雑誌がありました。アイドルや女優をアーティスティックに摂るグラビアページがメインで、若者達は心ときめかせてページをめくったモノでした。その仲でも人気だったのが、70年代当時から一線級で売れっ子カメラマンだった篠山紀信の撮るページ「激写」です。そのページの常連的存在だったのが、山口百恵です。

氏の撮る写真は、被写体の持つありのままの美をストレートに表現。そこに、被写体本人の持つ色香や健康美を引き出す力も兼ね備えていたのです。クールさがウリの山口百恵が「ふと見せる素の表情」、そこには優しさや暖かささえ感じたものです。

同雑誌で一番多く山口百恵を撮影した篠山紀信は、日々変わって行く彼女をレンズ越しに見据え、その進化を目の当たりにしていました。そうした中で、彼女を指して「時代と寝た女」と表現したのでしょう。カメラの前(特に篠山氏の前)で彼女は、常に自然であり、ウソをつけなかったのです。氏は「時代の証言者」であるとも言えます。

氏の写真だけではなく、多数残る彼女の写真には「その時代の一瞬」が反映されて、作品としての評価も高いです。被写体としても、一級だったという証であります。

これまで、ここでは歌以外の突き出た面について述べてきました。でも、やっぱり山口百恵は「歌」なんだと思います。ただ、歌だけにとどまらないファクターが多いというのも特徴です。それらが渾然一体となり、彼女は単なるアイドルから伝説へ、レジェンドアイドルへと進化していったのです。

山口百恵が残した業績

好きな人と結婚→引退という道筋

山口百恵はセールス的には、引退まで31枚のシングルのセールスが1360万枚。45枚のアルバムでセールス434万枚を記録しました。これは、引退までの数字ですから、引退後も含めると、さらに伸びる事でしょう。これに付随した権利モノも含めると、この数字は「さらにさらに」伸びていく事と思われます。

しかし、これだけがレジェンド・山口百恵の業績でしょうか?筆者は少し違った考えも持っています。それは、「芸能界において新しい引退の道筋を作ったパイオニア」であるという事です。

確かに、この結婚以前も後もスター同士の結婚はあります。ただ、彼女の場合は堂々と交際宣言をして婚約、そして結婚と、オープンにしてきました。そして、“結婚後は芸能界を引退して一切の表舞台には出ない”という点を徹底しています。それがイイか悪いかは誰にも何も言えません。彼女が悩んだ末に決断して、結婚後37年を経てもなおそれを守っているというのが、潔いじゃありませんか!

彼女が結婚して以降、芸能界における男女交際の在り方が、変わってきたように思えます。結婚に限らず、辞め方が変わってきたと指摘する人もいます。山口百恵は、そうした中のひとつの道を示したのです。それらの道筋を作った事が、大きな業績だったと思います。

8年間のみの活動で、あのセールスの業績は素晴らしいものがあります。それとは別に、交際宣言から婚約、結婚と彼女は家庭を持つ大事さを教えてくれたような気がします。

まとめー「さよならの向こう側」へ

1980年10月5日、日本武道館のファイナルコンサートで山口百恵は事実上引退しました(実際は、あと数本の生番組を残していた)。最後の曲『さよならの向こう側』の時は、観客は涙ながらの大熱唱です。筆者は当時、武道館にほど近い高校に通っていたので、この熱気を外から感じていました。「この中で百恵ちゃん、泣いてるんだろうなぁ」なんて考えながら、武道館のまわりを一周したのを覚えています。

観に行った友人やスポーツ紙によると、最後の曲を終えた山口百恵はマイクを舞台に置いて去っていったとの事でした。カッコ良すぎですよね。あれから37年、彼女にとってあの武道館での「さよなら」のあとは、どんな人生を歩んだのでしょう

我々には知るよしもないですが、平坦ではないかもしれないけど「家庭」っていうのを、存分に楽しんでいるんだと思います。編み物関係の出版社(現在は倒産)のエディターだった知人が言うには、パッチワークが趣味で「いいお母さん」っていう感じだとか。幸せのようで、良かったです。

東京都渋谷区に生まれる。幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区(当時は戸塚区)、小学2年生から中学生でデビューするまで横須賀市で過ごした。横須賀市立鶴久保小学校卒業。横須賀市立不入斗中学校時代に、スター誕生!に出場した。 日出女子学園高等学校卒業。

出典: ja.wikipedia.org

ベトナム景気に沸く横須賀市で育った事が、少なからず彼女の人格形成に影響を与えたと思われます。「光と影」のバランスというか、危うさというか……。それは、芸能界にも言える事だったのでしょう。

時おり見せるクールな目線は、横須賀の街を見て人間の悲哀を見ていたから。それを、「売れなきゃ終わり」の世界に置き換えていたからかも知れません。『横須賀ストーリー』の詞の意味を、彼女は五感で理解していたと思わせます。そして、その歌いっぷりは、実に堂々としていたものでした。

蛇足ですが、この作品以降、横須賀をモチーフにした曲で「イイな」と思わせてくれたのは『タイガー&ドラゴン』(クレイジー・ケン・バンド)だけです。

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1 ゲスト 12日前

は?「山口百恵は菩薩である」や「蒼い時」は?
センチメンタル路線?語彙も貧相なら内容も貧相なブログや〜wwwwwwww

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