2017.04.27.Thu. 3ヶ月前 Dave.N

【あしたのジョー】今だからこそアニオタたちに知ってもらいたいジョー伝説

ライバル・力石 徹の死後「実際に執り行われた告別式」、「まっ白に燃えつきたジョー」などなど、今や伝説になった漫画『あしたのジョー』。時代背景、世相とシンクロした孤独な“ケンカ屋・矢吹”の「あした」とは?ジョーの生き様から検証してみましょう!

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名作ボクシング漫画・あしたのジョー

高森朝雄(梶原一騎)渾身の原作を、ノってる漫画家・ちば てつやの絵で作品に

漫画『あしたのジョー』(原作・高森朝雄/画・ちば てつや)は、「少年マガジン」(講談社)で1967年から1973年まで連載されたボクシング漫画です。

'70年安保闘争に向けたデモが各地に飛び火する一方で、ファイティング原田や大場政夫、藤 猛といった世界チャンピオンが輩出され第一次ブーム(ガッツ石松や輪島功一がチャンプになるのは、もう少し後)で、ボクシングが国民に注目されていた等、混沌としていた“風のある時代”に、この作品は生まれました。

原作は当時『タイガーマスク』や『巨人の星』といった、漫画史に残る名作をほぼ同時期に連載していた梶原一騎です。「少年マガジン」には『巨人の星』も連載中で、あまりに同じ作者の名が連なるのはどうか、という理由で「あしたのジョー」は、本名である高森朝雄でいく事になったと聞きます。

作画を担当したのは『ハリスの疾風(かぜ)』で、メジャー漫画家の仲間入りを果たしたちば てつやです。このコンビだからこそ生まれた“あのラスト・カット”を想うと、何やら運命を感じてしまうのは筆者だけでしょうか?

こうして始まった連載ですから、人気が出ない訳はありません。1970年にスタートした最初のアニメ版の評判も良く、相乗効果として作用していきました。詩人・戯曲者・作家・劇団主宰者の肩書きを持ち、文化人としても名を成していた寺山修司もこの作品に入れ込んで、アニメ主題歌の作詞も手がけています。

こうして『あしたのジョー』は漫画の枠を超えて、時代を背負って行った作品であると言えるでしょう。単なるジョーのサクセス(破滅への)ストーリーではない、人間ドラマが、この一作にはあったのではないかと思います。

『あしたのジョー』のあらすじ

風のように、フラリと現れたジョー

日本が高度成長期に向けて、一直線に突き進んでいた頃、まだまだ戦後の影が色濃く残る東京・山谷(荒川区)のドヤ街に矢吹 丈(以下、ジョーと表記)は現れます。まるで散歩でもしているかのように、ブラブラとです。ここから、この物語は始まりました。

ジョーは元ボクサーの丹下段平と知り合います。ジョーに叩きのめされたものの「ボクサーにならねぇか」と誘い、自分は酒も止めて昼夜かまわずに、肉体労働をする日々に。毎日、小遣いを渡してジョーを引きとめようとしますが、ジョーにその気はありません。

ドヤ街の子分を従えて遊んでいるだけなら良かったのですが、犯罪に手を染めて警察に捕まってしまいます。そして、鑑別所で西と出会い、そのまま二人とも少年院へ送られて行きました。ここからが「あしたのジョー」の本当のスタートだったような気がします。


少年院で力石と運命の出会い

ジョーが収監された東光特等少年院には、未成年者のかなりのワルが集まっています。その院生が揃って一目置いているのが、力石 徹です。かれは既にプロボクサーとして13連続KOをしていた、ウェルター級のホープでした。観客の汚い野次にカッとなり暴行した結果、この少年院に来たというわけです。

その力石が、段平からのハガキ(通信教育していた「あしたのために2 右ストレート」)を豚舎にいるジョーに届けに来たのが初対面です(「その1 左ジャブは鑑別所に届き西で実証済み)。

そこで、短気なジョーとひと悶着あり、力石がジョーをボコボコにします。プロとストリートのケンカ屋の差を見たようでしたね。「こんなに差があって、試合できるのか?」と幼心に筆者は思いましたよ。

鑑別所で左ジャブ(力石にプロ級とまで言わせた)を、少年院で右ストレートを、段平からの通信教育で身につけたジョー。次のパンチは力石を目当てに慰問に来る白木財閥の令嬢・葉子の劇団に混ざり、段平も来院して“実地”で教え込んだ必殺の「クロスカウンター」です(その前にディフェンスも教える)。

このパンチで院内で力石とジョーは初対決し、クロスカウンターでダブル・ノックダウンのドローとなりました。このパンチの存在こそが、後のプロでのウルフ金串戦と力石戦でのキーにもなっています。

この頃になってくると、小学生だった筆者は「少年マガジン」で『巨人の星』と『あしたのジョー』、少し時期は遅れますが「少年サンデー」では『柔道賛歌』(アニメも)と、まさに“梶原一騎な毎日”を送っていました。プチ至福感で、いっぱいでしたね。

力石、そしてジョー出院。プロのリングへ

少年院での対決をドローで終え、力石、ジョー(西も)はそれぞれ新しい場所へと巣立っていきます。力石は白木葉子の祖父・白木幹之介(財界の大物)が経営する白木ジムへ。そして、ジョーは段平と西の待つ泪橋(山谷)下の丹下拳闘クラブへ。

ジョー(バンタム級)はフェザー級で復帰した力石の活躍を尻目に、やっとプロライセンスを取得して、こちらも両手ぶらりんのノー・ガード戦法とクロスカウンターで頭角を現します。このノー・ガード戦法でパンチをもらい続けた事が、物語終盤で大きな意味を持ってきますが、ここではひとつの戦法としての意味しかありませんでした。

筆者の私見ではありますが、この頃から“キャラ”がひとり歩きして行ったのではないかと思われます。少年院だけの登場予定だった力石を、再びリングへ上げたのは梶原一騎の強い希望らしいですよ。

東日本新人王のウルフ金串(アジア拳)を、カウンター合戦の末に破ったジョーに、いよいよ力石が照準を定めます。ただ、当然ですがボクシングは同じウェイト同士で闘い、技術を競い合うスポーツです。

力石は「プロでは先輩だから、俺がヤツに合わせる」と言い放ち、苛酷な減量に入りました(詳細は次章で)。そうして迎えた試合で、力石は勝利するものの、直後にリング下で倒れて、そのまま還らぬ人となりました。無理な減量と試合中のジョーが放ったテンプルへの強打が原因です。

「ボクシングの苛酷さと運命」を思い、筆者はこの作品の大ファンだった叔父とともに涙ぐんだのを覚えています。この試合以降、ジョーが顔面へのパンチを打てないのをいい事に、各ジムがジョー潰しに共闘し、ついにジョーは東京を離れて、ドサ回りへと転じて行きます。

カーロスの出現でカムバック!再び闘いの荒野へ!

ジョーがドサ回りをしている間、新しく白木ジムの会長に就いた葉子は世界ランカーのカーロス・リベラを招聘します。そして、ジョーの追い落としに加担したボクサーたちをラッキー・パンチ(反則パンチも)を装い倒していきます。ただし、ジョーがどこかで試合を見ていると確信していた葉子は、日本チャンプのタイガー尾崎戦に限り、全力で倒すよう指示を出しました。

この試合を地方巡業中のジョーは見て、眠っていた闘争心に火がついて、カムバックを決心をします。それは、力石戦で頂点に達したストーリーの再始動でもありました。力石との決着に区切りがついたとはいえ、物語は終わっていないという事です。

ジョーの「あした」が、まだ見えていないのです。再始動はジョーのカムバックではありましたが、物語のリスタートでもあったというわけです。

死闘の先にあるものとは……

カーロスとは白木ジムでのスパーリングを経て、後楽園球場(ドームじゃないよ)で相対する事になります。終盤は肘打ち、頭突きなどの反則技も乱れ飛び、結局、“壮絶なドロ試合”の末にノーコンテストのまま、カーロスは帰国していきます。

その後のジョーは金 竜飛(韓国)と東洋タイトルマッチ、葉子がマッチ・メイクしたハリマオ(マレーシア)との死闘を経て、いよいよ世界チャンプのホセ・メンドーサとの対決が決まります。しかし、度重なる頭部へのパンチのダメージでジョーの体にも異変がおきます。

ノーガード戦法の弊害が出てきたというわけです。ボクシングを始また頃からの伏線が生きてきたという事ですね。悲しい運命ですけども、梶原一騎はやはり凄いです。

あの“無冠の帝王”と呼ばれたカーロスは、ホセのコークスクリュー・ブローを喰らいパンチドランカーになってしまいました。もし、そのパンチをジョーももらってしまったら、パンチドランカーどころか生命の危険するあるのです。ジョーに対する葉子の想いが明確になっていく中で、その気持ちを伝えてもジョーは試合を止めません。

勝負は15Rフルに闘っても勝敗はつかず、判定でホセの防衛が決まります。そのコールを聞きながら、ジョーは燃え尽きたのでした……。

個性派揃いのキャラクターたち

好敵手というより、前半のW主役のひとり…力石 徹

ウェルター級6回戦13連続KOのホープ。観客の汚い野次にカッとなり暴行して少年院送りになり、そこでジョーと出会う事になります。復帰後はフェザー級に一回級さげ、さらにジョーと闘うためにバンタム級へ。編集者、梶原一騎、ちば てつやが専門家への取材で「2回級、13kgの減量は、命を落とす事にもなりかねない」と言われたエピソードがあります。

力石の死は、荒唐無稽なストーリーではなく、こうした専門家の意見の上に成り立っていたんですね。減量中に白木会長、葉子に夕食を招待されますが、美味しそうな料理(多分、フランス料理と思われる)を前にしながら「これ、ひとつ…」とリンゴにむしゃぶりつく姿には、感動しました。

こうして上がったジョーとの決戦のリング。力石はジョーのお株を奪うかのようにノーガード戦法に出ます(画・上)。待ちきれないジョーは、みずから左ストレートを放ち、それで力石のクロスカウンターを弾いて右のダブルクロスで勝利を掴みかけます。

しかし、ジョーの右ストレートは空を切り、そこにカウンターを喰らうはずの力石はいません。力石は低姿勢から左アッパーを狙っていたのでした。「終わったな」(力石)、ジョーは10カウントでも起き上がれません。

しかし、この後にジョーと握手しようとして、そのまま倒れてしまいます。苛酷な減量と試合中のテンプルへの強打が原因の死です。ファンの要望で実際に葬儀が執り行われたのが、凄いところですね。主役を食ったストイックでニヒルな男。それが、力石 徹なのではないでしょうか。

“死”をも背負う男たちに揺れる…白木葉子

白木財閥創設者・幹之助の直系の孫娘が葉子です。祖父が力石のバックアップのために作った、白木ジムに出入りしているうちにボクシング通になったという異例の“お嬢様”です。力石の死後、ボクシング業界から離れる事を葉子に告げますが、逆に彼女が以後のジム経営を仕切り、プロモーターとしても敏腕ぶりを見せます。

ホセ・メンドーサの日本招聘や、部下に命じてハリマオをマレーシアから探し出してこさせたりと、なかなかのヤリ手です。そうした行動が、実はジョーのためであると気づいた時の葛藤も、ひとつの見せ場となっていますね。

パンチドランカーである事が判明しても、試合しようとするジョー。そんな彼に、世界戦の控え室で想いを告白するシーンがあるのですが、それを読んでしまったら筆者ならずも葉子にメロメロになる可能性大です。

スジを通す義理堅いアウトロー…ゴロマキ権藤

全国系列の広域暴力団を渡り歩く“ゴロマキ屋”の権藤の通り名。「ゴロマキ」とはケンカの略称で「ゴロをまく」とかに使用する。ジョーとの出会いは、ある大箱の喫茶店で敵対する組織のゴロマキになっていたかってのライバル・ウルフ金串の顎を砕いて、叩きのめした現場に居合わせた時です。

そのウルフ金串に対して侮辱的な言葉で罵ったためにジョーが怒り、今度はジョーが権藤にボディブローを放ちました。ジョーのボクシングのファンらしく、ハリマオ戦前には、野性を取り戻す特訓にも協力しています。ジョーを作中、「矢吹さん」と呼ぶ数少ない登場人物のひとりでもあります(ジムの後輩は除く)。

ちなみに、ジョーを呼び捨てにしないのは、この権藤と「矢吹君」と“君付け”で呼ぶ、白木葉子と林 紀子(後述)だけです。

林家商店の看板娘は「下町の太陽」…林 紀子

コンビニやスーパーなど影もない頃、街の食材やちょっとした生活用品全般を扱っていたのが乾物屋さんです。その乾物屋「林家商店」の看板娘が紀子です。

当初はセーラー服の女学生でしたが、時がたって店に出るようになるとテキパキと働き、明るく笑う姿はまさに「下町の太陽」(賠償千恵子の主演した映画です)でした。ジョーに淡い恋心を抱きますが「まっ白に燃えつきるんだ。そして、あとはまっ白な灰だけが残る~」と、彼の人生哲学を聞かされます。

二人でいる時に、そう聞かされた紀子は「ついていけない……」とジョーを諦めるんです。世界戦を前に、ジョーもセンチになっていたのか、それとも紀子だから話したのかは分かりません。ジョーの孤独さを浮かび上がらせる、いいシーンではありました。公演でブランコに乗るシーンも、今だに好きです。

「無冠の帝王」もホセには通用せず…カーロス・リベラ

カーロス・リベラ(ベネぜエラ)が日本に初来日したのは、ジョーが力石に負けた後、日本ランカーたちに立て続けて敗れて、ドサ回りに転じていた時です。ジョーを再び中央のリングに復活させようとした、白木ジム会長の葉子の作戦です。

当時、カーロスは類まれなボクシングセンスを持ち「無冠の帝王」「南海の黒豹」等と呼ばれていたんです。“各団体のチャンピオンがタイトルマッチを避けている”というウワサもあったくらいです。

性格は明るく陽気で、ジョー曰く「伊達男だった」という程のオシャレ。しかし、そのカーロスも念願の世界戦ではホセ・メンドーサ(メキシコ)に一発のコークスクリュー・ブローでKOされます。そのパンチが原因でパンチドランカーになってしまいました。陰と陽がハッキリしているだけに、この表現に筆者は無情を感じました。

「キング・オブ・キングス」…ホセ・メンドーサ

王者の中の王者、「キング・オブ・キングス」の異名を持つのがメキシコの英雄・ホセ・メンドーサです。WBC世界バンタム級のチャンピオンであり、ヒットアンドアウェーを得意としますが、打ち合いもするという厄介な選手です。

ジョーとの対戦では、コークスクリューが何度ヒットしても立ち上がってくる姿に恐怖を感じ、実は“打たれ弱い”面も見抜かれてしまいます。自身もクロスカウンターを喰らったり、ジョーのパンチを何発も受けたりと(ジョーはパンチで目もやられて、距離感が掴めず逆にパンチが当たりだした)、血みどろの打ち合いが展開されました。

結局、勝敗は判定に委ねられて辛勝しましたがホセの頭髪は真っ白に、そして全身からは精気が抜けて一気に老け込んでしまったようでした。ホセもまた、“ボクシングに殉じたひとり”だったようです。

テレビアニメ版も高視聴率を叩き出す!

30%超えの視聴率を再放送で

テレビアニメ『あしたのジョー』(フジテレビ)のスタートは、1970年です。ちば てつやの病気療養があったりして、連載がテレビに追いつかれてしまい旧作は一旦最終回を迎えます。そして、8年の月日を経て劇場版アニメ(『あしたのジョー2』)として復活を遂げました。

そして、テレビ版も『あしたのジョー2』としてスタートします。視聴率に目を向けると歴代アニメ16位に旧作の再放送(1980年3月13日、31.6%)、22位に旧作の本放送時(1970年10月14日、29.2%)と、高視聴率をマークしています。

『あしたのジョー2』は、1980年10月13日、16.3%で100位圏外ではありますが、数字は取っています。

その時代によって視聴率の平均値は推移して行く“ナマモノ”ですから、『あしたのジョー』は『~2』も併せて、高水準だったと言えるでしょう。 そこには、旧作から劇場版、2と全作品に携わってきた出崎 統監督の力も大きく作用していたと思いますよ。

特に『2』なんかは、時代背景が違っているので金 竜飛の年齢やオリジナル・キャラの輩出にも苦労された事でしょう。筆者が印象に残っているのは旧作で力石はロータス7に乗り、『2』では葉子が丹下ジムに行った時にはロータス・ヨーロッパに乗っていた事です。

「確か原作では、そこまでのデティールにこだわってはいなかったはず。監督の好みなのかな?」と、クルマ好きの筆者はニヤリとしたものでした。そうした、小さな“こだわり”って、妙に応えるんですよ。

実写映画化もされている!

時代を超えて2度目の実写化

2011年2月11日、『あしたのジョー』の実写版映画が公開されました。1960年代後半から1970年代の始めが時代背景で、力石との対決までが描かれています。つまり、原作と同じという事ですね。ジョーを演じた山下久智と力石役の伊勢谷友介ともに、撮影前にはトレーニングを行っていたと聞いています。

山下は10kgの減量と10%以上の体脂肪率を落とし、伊勢谷は力石が水を求めるシーンのために、実際に数日前から飲まず食わずで撮影に臨みました。そのかいあってか、なかなかの迫力でオールドファンの筆者でも、楽しんで観る事ができましたよ。

1970年に映画化された、石橋正次(当時は青春モノのドラマや歌手としても人気だった)版も、最後の力石のアッパーカットのシーン等、よく描かれていました。さすが長谷部安春監督です。

最終回でジョーは死んだのか?それとも……

「燃えかすなんか残りはしない……」

『あしたのジョー』最終回の原作原稿がちば てつやに届けられてすぐ、ちばは梶原一騎に電話したそうです。「あんな終わり方でいいのか!納得がいかない」という内容でした。中身はというと、判定がくだりホセの勝利が宣告された後に段平が「ジョーよ、おめぇは試合にはまけたがケンカには勝ったんだ」というセリフだったと、ちばはメディアで発言しています。

しかし、それでは腑に落ちずに梶原の承諾を得て、ラストを変える事にしたのです。スタッフたちと思案に暮れましたが、なかなか良いセリフは出てこなかったそうです。その時にスタッフのひとりがジョーと紀子の会話を指して、「これなんか…」といって出来上がったのが、あのラストだったのです。

「そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶり(中略)~、燃えかすなんか残りゃしない。まっ白な灰だけだ」

「まっ白な灰」「燃えつきた」……。このフレーズ、ちば作品の中においても秀逸です。医学的な見地では、“死者は腕を膝には乗せない”とか“目と眉は、あの角度にはならない”とかの説もあるようです。けれども誤解を恐れずに言うならば、筆者や大方のファンは生死を問題にしているのではない、という事です。単に「燃えつきた」でいいのではないか、と

それでいいのではないでしょうか?もしかしたら、口笛でも吹きながら「あした」を目指してブラブラと歩いているのかもしれませんし…(追記:梶原一騎の死後、実弟・真樹日佐夫が別のラストがあった事を発表しています)。

ジョーが目指した「あした」とは?

逃避では決してない、次なる道標を見据えて

ジョーが目指していた「あした」とは、何だったのでしょうか?“力石との決着”“チャンピオンベルト”等々、具体的にはこんな所でしょうか。“東光特等少年院から豚に乗っての脱走”もあったかもしれません(笑)。しかし、こういった具体例を超えて「今日よりも、いい事がありそうな明日」を見据えて、常に目指していたような場所だと筆者は考えます。

時代は学生運動が盛んなデモの季節を経て、ヒッピー文化やシラケなど、先の見えない不安を消すかのような一時の楽しさを求めて行きました。そんな中にあって「あしたのジョー」(特に後半)は、その目標がどんなモノであれ、そこを目指す事の尊さを教えてくれたような気がします。

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1 ゲスト 3ヶ月前

興味があるけど全編見たこと無い作品でしたが記事を読んで読破することを決めました(・∀・)ナイス記事

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2 ゲスト 2ヶ月前

>>1

感想ありがとうございました。二読、三読すると、もっと味わい深いですよ。(筆者:Dave.N)

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