2016.09.10.Sat. 7ヶ月前 ikkei

22歳の童貞が『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』に感動して1万字のレポートを書いてみた!

テレビアニメ『12歳。』を見て感動した22歳の童貞の筆者が感想を超書いてみた。

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1.はじめに。

◇ある童貞、22歳。駄文を書きました。



<p>前提として、まず私は<b>童貞である。</b>名前は敢えて言わない。22歳(正確には2016年9月2日現在、22歳と9ヶ月である)の童貞と認識していただけるだけで恐悦至極、十二分に十分である。童貞とは昨今、酷く一般的(ドラマで台詞に盛り込まれ、中学生も口走るようになるまでには)になった、言うなれば「人気」な言葉で、つまりそれは言葉本来の意味が希釈され浸透していくことにほかならないのだが、ここでは重要な意味を持ってくるので今一度意味を確認する必要があるだろう。</p>【童貞】・まだ異性に接していないこと。<b>そういう人。</b><br>
<p>説明がずいぶんざっくりとしていることが若干不本意だが、知の集積であるインターネットが簡略簡潔にまとめているからつまりこれで正しいだろう。かくいう私も童貞であるが、訂正箇所は無いと考える。つまりはそういう人である。そういう人なのである。……そういう人なのだ。<b>そういう人とは……?</b></p>

前提として、まず私は童貞である。名前は敢えて言わない。22歳(正確には2016年9月2日現在、22歳と9ヶ月である)の童貞と認識していただけるだけで恐悦至極、十二分に十分である。童貞とは昨今、酷く一般的(ドラマで台詞に盛り込まれ、中学生も口走るようになるまでには)になった、言うなれば「人気」な言葉で、つまりそれは言葉本来の意味が希釈され浸透していくことにほかならないのだが、ここでは重要な意味を持ってくるので今一度意味を確認する必要があるだろう。

【童貞】・まだ異性に接していないこと。そういう人。

説明がずいぶんざっくりとしていることが若干不本意だが、知の集積であるインターネットが簡略簡潔にまとめているからつまりこれで正しいだろう。かくいう私も童貞であるが、訂正箇所は無いと考える。つまりはそういう人である。そういう人なのである。……そういう人なのだ。そういう人とは……?


<p><b>思わず哲学的思索に耽ってしまうところだったが</b>(それほどまでに私は童貞を大切に感じている)、先述したように童貞がどうして本文で重要な意味を持つのかを説明する。それは童貞が私のアイデンティティーに深く根ざした言葉であるという点に起因している。個々人によってその言葉の意味するところは異なってくるだろうが、私にとって童貞とは自身を規定する言葉であり概念だ。<br></p><p></p><p><b>「22歳の童貞」=私。</b>これはもはや帰着点、「私とはつまり……」につながる言葉。——就職活動の際、エントリーシートの「ズバリ!あなたを一言で表すなら」という噛み尽くされて無味になったガムのような項目に瞬目のためらいなく「童貞」と書くほどには——。もはや帰る場所とも言い表せる概念である。自身を規定する何か。これこそが今回重要な要素であり考え方である。とりあえずこの馬糞のような駄文を垂れ流しにしている男が22歳で「童貞」と言う言葉に自分の存在を仮託しているということなのである。</p>

思わず哲学的思索に耽ってしまうところだったが(それほどまでに私は童貞を大切に感じている)、先述したように童貞がどうして本文で重要な意味を持つのかを説明する。それは童貞が私のアイデンティティーに深く根ざした言葉であるという点に起因している。個々人によってその言葉の意味するところは異なってくるだろうが、私にとって童貞とは自身を規定する言葉であり概念だ。

「22歳の童貞」=私。これはもはや帰着点、「私とはつまり……」につながる言葉。——就職活動の際、エントリーシートの「ズバリ!あなたを一言で表すなら」という噛み尽くされて無味になったガムのような項目に瞬目のためらいなく「童貞」と書くほどには——。もはや帰る場所とも言い表せる概念である。自身を規定する何か。これこそが今回重要な要素であり考え方である。とりあえずこの馬糞のような駄文を垂れ流しにしている男が22歳で「童貞」と言う言葉に自分の存在を仮託しているということなのである。

◇『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』とは?


さて、長い前置きになってしまったが、22歳、童貞の私が最近、心奪われた物語がある。

<b>『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』である。</b>
<b>『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』。</b>

非常に重要な題名なので連続表記させていただいた。

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』は、完璧だった。
童貞である私は、童貞の中でもさらに童貞濃度の高い童貞である。女性との交際経験は皆無。同年代の女性と手もつないだ事のない<b>超高濃度の童貞</b>である。

ちなみに最もよく話す女性は祖母である。そして言及し忘れたが、ここにもう一つ重要な事実を提示せねばなるまい。
<b>私は子供が好きだ。
私は幼女が好きだ。男児が好きだ。未就学児が好きだ。
幼稚園児が好きだ。小学生が好きだ。
第一次性徴まえの子供が好きだ。第一次性徴後の子供が好きだ。
第二次性徴まえの子供が好きだ。第二次性徴をほんの少し過ぎたあたりの子供が好きだ。
私は子供が大好きだ。</b>

これは決してロリコン(これも以前から非常に人気の言葉となっている)であることのカミングアウトではなく、ジャンルとしてジュブナイルを好むという童貞であると受け取って頂きたい。
自己紹介文を一読すると<b>現代の病理が人の姿をとってあらわれたような人物を想像するほかなくなってしまっている</b>ように思うが、あながち間違いではないような気もするのでここではこれでよしとさせていただく。

さて、長い前置きになってしまったが、22歳、童貞の私が最近、心奪われた物語がある。

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』である。
『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』。

非常に重要な題名なので連続表記させていただいた。

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』は、完璧だった。
童貞である私は、童貞の中でもさらに童貞濃度の高い童貞である。女性との交際経験は皆無。同年代の女性と手もつないだ事のない超高濃度の童貞である。

ちなみに最もよく話す女性は祖母である。そして言及し忘れたが、ここにもう一つ重要な事実を提示せねばなるまい。
私は子供が好きだ。
私は幼女が好きだ。男児が好きだ。未就学児が好きだ。
幼稚園児が好きだ。小学生が好きだ。
第一次性徴まえの子供が好きだ。第一次性徴後の子供が好きだ。
第二次性徴まえの子供が好きだ。第二次性徴をほんの少し過ぎたあたりの子供が好きだ。
私は子供が大好きだ。

これは決してロリコン(これも以前から非常に人気の言葉となっている)であることのカミングアウトではなく、ジャンルとしてジュブナイルを好むという童貞であると受け取って頂きたい。
自己紹介文を一読すると現代の病理が人の姿をとってあらわれたような人物を想像するほかなくなってしまっているように思うが、あながち間違いではないような気もするのでここではこれでよしとさせていただく。

さて、それを念頭に置いて、本文で取り上げる作品である『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』の概要を記す。<br><br>・『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』はまいた菜穂による日本の漫画作品『12歳。』を原作としたテレビアニメ。<br>2016年4月から6月までを第一期としてTOKYOMXほかにて放送された。

<br>原作『12歳。』は小学館刊行の漫画雑誌「ちゃお」にて2012年から連載している。表記としては『12歳。』が原作を指すタイトル。『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』をテレビアニメを含めたメディアミックス作品の総称とし、区別して用いている。<br>ある小学校を舞台とし、小学6年生を主人公にすえた恋愛模様を描く。

さて、それを念頭に置いて、本文で取り上げる作品である『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』の概要を記す。

・『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』はまいた菜穂による日本の漫画作品『12歳。』を原作としたテレビアニメ。
2016年4月から6月までを第一期としてTOKYOMXほかにて放送された。


原作『12歳。』は小学館刊行の漫画雑誌「ちゃお」にて2012年から連載している。表記としては『12歳。』が原作を指すタイトル。『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』をテレビアニメを含めたメディアミックス作品の総称とし、区別して用いている。
ある小学校を舞台とし、小学6年生を主人公にすえた恋愛模様を描く。

<b>・綾瀬花日(あやせ はなび)</b><br>メインキャラクターの一人。本作は彼女の視点で描かれることが多い。小学6年生。<b>
無論、12歳。</b>
ツインテールの小柄な少女。明るく前向きな性格で分け隔てなく人と接することができる優しい性格だが、反面、慌てて取り乱すことが多く、またその寛容な性格が恋愛面における鈍さにあらわれることもあり、劇中では軋轢の原因にもなる。

しかし、持ち前の明るさと誠実さによって即座に人間関係を修復し、幾度も危機から脱している。周囲と比較して自身が「子供っぽい」ことに多少の悩みを抱えている。恋愛などに疎く、年齢故に色恋の話題がたえない周囲からは若干遅れていた。
 
クラスメイトの高尾優斗と屋上でリコーダーの練習中、<b>教師同士のキスを目撃し、その際、高尾と衝動的にキスをしてしまうという衝撃の展開</b>の後、晴れて「カレカノ(彼氏と彼女)」の関係となる。</p>

・綾瀬花日(あやせ はなび)
メインキャラクターの一人。本作は彼女の視点で描かれることが多い。小学6年生。
無論、12歳。

ツインテールの小柄な少女。明るく前向きな性格で分け隔てなく人と接することができる優しい性格だが、反面、慌てて取り乱すことが多く、またその寛容な性格が恋愛面における鈍さにあらわれることもあり、劇中では軋轢の原因にもなる。

しかし、持ち前の明るさと誠実さによって即座に人間関係を修復し、幾度も危機から脱している。周囲と比較して自身が「子供っぽい」ことに多少の悩みを抱えている。恋愛などに疎く、年齢故に色恋の話題がたえない周囲からは若干遅れていた。
 
クラスメイトの高尾優斗と屋上でリコーダーの練習中、教師同士のキスを目撃し、その際、高尾と衝動的にキスをしてしまうという衝撃の展開の後、晴れて「カレカノ(彼氏と彼女)」の関係となる。

<b>・高尾優斗(たかお ゆうと)</b><br>メインキャラクターの一人であり花日の彼氏でもある少年。常に余裕を持ち、その言動は<b>小学生とは到底思えない非常にテクニカルなもの</b>となっており、ことあるごとに花日を翻弄する。また、自身の手で花日を翻弄することに<b>若干の愉悦を感じており、</b>彼女の慌てふためく様を眺めて笑みをこぼすシーンも時折見られる。

しかし根は穏やかで思いやりのある好男子であり、常に花日を支え窮地に陥った際には身を呈して救う。時には花日の素直な反応に調子を崩されることがあり、その時には年相応、では決してないがストレートな<b>殺し文句を吐き出す</b>こともある。アニメ版では多少ミステリアスな面が強調されており、より小学生らしからぬ人物として描かれている。

・高尾優斗(たかお ゆうと)
メインキャラクターの一人であり花日の彼氏でもある少年。常に余裕を持ち、その言動は小学生とは到底思えない非常にテクニカルなものとなっており、ことあるごとに花日を翻弄する。また、自身の手で花日を翻弄することに若干の愉悦を感じており、彼女の慌てふためく様を眺めて笑みをこぼすシーンも時折見られる。

しかし根は穏やかで思いやりのある好男子であり、常に花日を支え窮地に陥った際には身を呈して救う。時には花日の素直な反応に調子を崩されることがあり、その時には年相応、では決してないがストレートな殺し文句を吐き出すこともある。アニメ版では多少ミステリアスな面が強調されており、より小学生らしからぬ人物として描かれている。

<b>・蒼井結衣(あおい ゆい)</b><br>メインキャラクターの一人。ショートボブの髪型に比較的高い身長の美少女。花日のクラスメイトであり親友。花日以外では語り部として彼女の視点が採用されることもある。<b>無知蒙昧な男子生徒を断罪</b>する強靭さと理不尽を見過ごせない強い正義感の持ち主。

しかし自身の間違いに関しては素直に謝罪する潔さも持ち合わせており、一面的な考えに固執せず多角的に物事に接する柔軟性も兼ね備える人格者。自己の管理のみならず周囲にも気を配る優秀な少女だが、それをある種の過剰な干渉である、と疎ましく感じられること対して密かに恐怖感を抱いている。

母を亡くしている為に父親と二人暮らしであり、その事に関して年相応に寂しさを感じている描写も多く、エピソード内では常に脆い部分を持っているキャラクターとして描かれる。身体的な成熟も早く、本作における<b>「成長に対しての戸惑い」</b>は彼女を当事者として描かれることが多い。

・蒼井結衣(あおい ゆい)
メインキャラクターの一人。ショートボブの髪型に比較的高い身長の美少女。花日のクラスメイトであり親友。花日以外では語り部として彼女の視点が採用されることもある。無知蒙昧な男子生徒を断罪する強靭さと理不尽を見過ごせない強い正義感の持ち主。

しかし自身の間違いに関しては素直に謝罪する潔さも持ち合わせており、一面的な考えに固執せず多角的に物事に接する柔軟性も兼ね備える人格者。自己の管理のみならず周囲にも気を配る優秀な少女だが、それをある種の過剰な干渉である、と疎ましく感じられること対して密かに恐怖感を抱いている。

母を亡くしている為に父親と二人暮らしであり、その事に関して年相応に寂しさを感じている描写も多く、エピソード内では常に脆い部分を持っているキャラクターとして描かれる。身体的な成熟も早く、本作における「成長に対しての戸惑い」は彼女を当事者として描かれることが多い。

<b>・桧山一翔(ひやま かずま)</b><br>メインキャラクターの一人。結衣の彼氏。結衣とは現在の関係になる前は諍いが耐えない、いわゆる「犬猿の仲」であったが、実のところそれは好意の裏返しであった。粗暴な言動が目立ち、一見すると不良少年であるが、その内面は熱意と向上心にあふれる純粋な少年。

身体能力が高くスポーツにおいて非凡な才能を発揮するが身長は結衣より低く、それが<b>コンプレックス</b>になっている。<b>自身の心情を伝えるための行動が時に結衣の誤解を招く</b>ため、花日と高尾の「カレカノ」の関係に比べるとトラブルが目立つが、それが結果的に相互理解につながるため結衣との関係が破局することはなくむしろ進展する。

これもひとえに桧山自身の実直さと結衣の思慮深さによるものであり、彼女との信頼関係が回を重ねるごとに飛躍的に構築されていく様は本作の見どころの一つであると言える。

・桧山一翔(ひやま かずま)
メインキャラクターの一人。結衣の彼氏。結衣とは現在の関係になる前は諍いが耐えない、いわゆる「犬猿の仲」であったが、実のところそれは好意の裏返しであった。粗暴な言動が目立ち、一見すると不良少年であるが、その内面は熱意と向上心にあふれる純粋な少年。

身体能力が高くスポーツにおいて非凡な才能を発揮するが身長は結衣より低く、それがコンプレックスになっている。自身の心情を伝えるための行動が時に結衣の誤解を招くため、花日と高尾の「カレカノ」の関係に比べるとトラブルが目立つが、それが結果的に相互理解につながるため結衣との関係が破局することはなくむしろ進展する。

これもひとえに桧山自身の実直さと結衣の思慮深さによるものであり、彼女との信頼関係が回を重ねるごとに飛躍的に構築されていく様は本作の見どころの一つであると言える。

2,12歳、その年齢が持つ意味。

◇大人でも子供でもない存在。


これで条件は整った。私は本作を完璧と記したが、その理由をお伝えする事が本文の主旨であり<b>レーゾンデートル</b>なのである。それでは冗長で<b>精子臭い駄文</b>を終えて、<b>『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』の魅力</b>を書き連ねていこうと思う。

<p>先ほど私は「子供が好き」と言った。だが正確には、『12歳。』は子供の物語ではない。本作は、題名が示すように12歳の小学生が主人公であることを既に記したが、作中で主人公が言うように彼らは自身を<b>「大人でも子供でもない」</b>と形容している。国連が定める<b>子どもの権利条約では18歳以下を子供とみなしているので、</b>12歳はまごうことなき子供であるが、彼らはそういった定義とは異なる領域の話をしている。

「自分が子供とは思えない。しかし大人という言葉は不適であるように思う。なので大人でも子供でもない」……そういった自己認識は本作で描かれる様々な事柄から導きだされていると考える。本作でのもっともわかりやすい部分としてあげられるのが、花火らの周囲、その環境だろう。花日らが在籍する6年2組内部における男女間の不和がまさにそれにあたる。

担任教師も頭を抱えるほどに男女間の諍いは絶えず、ことあるごとに言い争いが発声する、<b>そのトラブル発生率から教室内はある意味で紛争状態</b>と言っても過言ではない有様である。</p>

出典: tama-yura.jp

これで条件は整った。私は本作を完璧と記したが、その理由をお伝えする事が本文の主旨でありレーゾンデートルなのである。それでは冗長で精子臭い駄文を終えて、『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』の魅力を書き連ねていこうと思う。

先ほど私は「子供が好き」と言った。だが正確には、『12歳。』は子供の物語ではない。本作は、題名が示すように12歳の小学生が主人公であることを既に記したが、作中で主人公が言うように彼らは自身を「大人でも子供でもない」と形容している。国連が定める子どもの権利条約では18歳以下を子供とみなしているので、12歳はまごうことなき子供であるが、彼らはそういった定義とは異なる領域の話をしている。

「自分が子供とは思えない。しかし大人という言葉は不適であるように思う。なので大人でも子供でもない」……そういった自己認識は本作で描かれる様々な事柄から導きだされていると考える。本作でのもっともわかりやすい部分としてあげられるのが、花火らの周囲、その環境だろう。花日らが在籍する6年2組内部における男女間の不和がまさにそれにあたる。

担任教師も頭を抱えるほどに男女間の諍いは絶えず、ことあるごとに言い争いが発声する、そのトラブル発生率から教室内はある意味で紛争状態と言っても過言ではない有様である。


<p>言ってしまえばこの状況は、男女の精神的成熟の速度に決定的な差が生まれていることに起因しているのだが、そこはある<b>特定の男子が常軌を逸した行動をとる</b>ことで引き起こされているという風にフィクション的な誇張がされているためにここでは触れない。

ここで注目するのはそのような対立の空気をはらんだ空間が舞台の一つとして存在しているということについてだ。それは縮小された社会であり、そこには帰属するべき集団と読むべき空気が存在している。はっきりとした考え方の違いを持った集団が衝突をくりかえす。

それはまさに花日たちが皮膚感覚として感じるまぎれもないかれらの社会の形であり、範囲を広くすれば日本であり世界の、あるひとつの形である。そういったものを——自覚しているか無自覚かは別として——、形成していくことに子供から大人への変化の兆しがあり、それに戸惑いと違和感を覚えているからこそ「自分たちは大人ではない」と感覚的に思ってしまう。</p>

言ってしまえばこの状況は、男女の精神的成熟の速度に決定的な差が生まれていることに起因しているのだが、そこはある特定の男子が常軌を逸した行動をとることで引き起こされているという風にフィクション的な誇張がされているためにここでは触れない。

ここで注目するのはそのような対立の空気をはらんだ空間が舞台の一つとして存在しているということについてだ。それは縮小された社会であり、そこには帰属するべき集団と読むべき空気が存在している。はっきりとした考え方の違いを持った集団が衝突をくりかえす。

それはまさに花日たちが皮膚感覚として感じるまぎれもないかれらの社会の形であり、範囲を広くすれば日本であり世界の、あるひとつの形である。そういったものを——自覚しているか無自覚かは別として——、形成していくことに子供から大人への変化の兆しがあり、それに戸惑いと違和感を覚えているからこそ「自分たちは大人ではない」と感覚的に思ってしまう。


クラス内の社会の基準は「男であるか、女であるか」である。非常にシンプルで分かりやすい判断基準で、しかし非常に本質的だ。それは、作中で彼らがお互いを「いみがわからない」存在とみなしている点においてだろう。

つまり、「理解の及ばないもの」に対する衝動的反感、<b>「お互いが理解できない行動、発言をする」ために発生する争いなのである。</b>そしてそれはもっともシンプルな社会的対立の原因だ。異なる思想、宗教を行動原理としている集団が同じ空間にいれば高確率で争う、そういうことなのである。

そう考えると、本作におけるサブキャラクターの一人、エイコーは独特の価値観をもっているという点において<b>どこか未開地の秘教信奉者の雰囲気をまとっている。</b>エイコーの行動はまったくデリカシーがなく人間的に非常に未熟、かつ<b>軽薄で自重の欠片もない無粋の極み</b>だが、ある面では常人では思いつかないような自由な発想に基づいて行動することもある。

彼とその取り巻きが蒐集する「カレカノ語録」は高尾が花日に向けた言葉を勝手に記録するといった文章にすると<b>より一層理解に苦しむ行為</b>であるのだが、ある面ではユーモアのある行動とも言える。その姿はさながら新たに発生した宗教がなんらかの現象を神として記憶しあがめている構図に似ている。

本作においてその現象は高尾という「彼女持ち」の男子の言動であり、エイコーはそれを修飾し流布させる存在だ。しかし多くの人間には彼らの価値観は理解できない。<b>彼は未開地の秘教信者だからである。</b>

クラス内の社会の基準は「男であるか、女であるか」である。非常にシンプルで分かりやすい判断基準で、しかし非常に本質的だ。それは、作中で彼らがお互いを「いみがわからない」存在とみなしている点においてだろう。

つまり、「理解の及ばないもの」に対する衝動的反感、「お互いが理解できない行動、発言をする」ために発生する争いなのである。そしてそれはもっともシンプルな社会的対立の原因だ。異なる思想、宗教を行動原理としている集団が同じ空間にいれば高確率で争う、そういうことなのである。

そう考えると、本作におけるサブキャラクターの一人、エイコーは独特の価値観をもっているという点においてどこか未開地の秘教信奉者の雰囲気をまとっている。エイコーの行動はまったくデリカシーがなく人間的に非常に未熟、かつ軽薄で自重の欠片もない無粋の極みだが、ある面では常人では思いつかないような自由な発想に基づいて行動することもある。

彼とその取り巻きが蒐集する「カレカノ語録」は高尾が花日に向けた言葉を勝手に記録するといった文章にするとより一層理解に苦しむ行為であるのだが、ある面ではユーモアのある行動とも言える。その姿はさながら新たに発生した宗教がなんらかの現象を神として記憶しあがめている構図に似ている。

本作においてその現象は高尾という「彼女持ち」の男子の言動であり、エイコーはそれを修飾し流布させる存在だ。しかし多くの人間には彼らの価値観は理解できない。彼は未開地の秘教信者だからである。


社会を形成し先導する力を持ったキャラクターがもう一人存在する。花日と同じく高尾に想いを寄せる少女、<b>浜名心愛</b>である。エイコーが<b>理解不能な秘教信者</b>であるなら心愛は完璧に<b>理解可能な権謀術数主義者だ。</b>

自己の利益を最大化するべく行動し、そのためには他者を陥れることを厭わない行動力の持ち主であり、賛美されることはありえないが何より、理解可能なのだ。彼女のやりたいことは完全に理解できる。<b>自己の欲望を満たす為ならば全てを利用する。</b>目的の為に知力を尽くすという行動原理は現実的だ。

社会を形成し先導する力を持ったキャラクターがもう一人存在する。花日と同じく高尾に想いを寄せる少女、浜名心愛である。エイコーが理解不能な秘教信者であるなら心愛は完璧に理解可能な権謀術数主義者だ。

自己の利益を最大化するべく行動し、そのためには他者を陥れることを厭わない行動力の持ち主であり、賛美されることはありえないが何より、理解可能なのだ。彼女のやりたいことは完全に理解できる。自己の欲望を満たす為ならば全てを利用する。目的の為に知力を尽くすという行動原理は現実的だ。


彼ら彼女らは社会を形成していく。それぞれ形は違えど成長しているということであり、より大きな集団——それは理不尽なしがらみや凝り固まった思想、偏見によって形作られているのかもしれない——に組み込まれていくように自身を形態変化させているということでもあるのだが、花日はそれに疑問を覚えている。

<br> <br><b>どうして男子と女子は仲が悪いのか? </b><br> <br><b>以前からそうであったのか?</b><br> <br><b>いつからこうなったのか?
<br></b>
<br>多くのキャラクターが前提として受け入れている対立構造に花日は疑問を持つ。そんな彼女が自分を「大人でも、かといって子供でもない」存在と認識し、また教室内で初の「彼氏持ち」になるという展開は暗示的だ。

花日と高尾が急接近するアニメ版第1話では特にそれが全面に押し出されている。男子の中で突出したスペックを持つ高尾に序盤の花日は無頓着で、女子社会での男子番付、つまり身近な男子を異性として認識することに対して興味を示していない。この時点で花日は教室内社会で常識となっている成長に関係した男女間のルールから外れた存在であると見ることができる。

大人への成長の過程として社会を形成するクラスメイトたちに完全に同調せず、しかし「男子はデリカシーがない」と発言しつつも高尾と(第1話の時点では)友人として接している花日はある意味で異質な存在だ。

成長の過程に組み込まれず、しかし高尾を男性として意識している花日は完全に中間の存在、所属を確定しない存在としてうつる。彼女は境界に立つ存在、<b>「境界人(マージナル=マン)」</b>とも言える。

彼ら彼女らは社会を形成していく。それぞれ形は違えど成長しているということであり、より大きな集団——それは理不尽なしがらみや凝り固まった思想、偏見によって形作られているのかもしれない——に組み込まれていくように自身を形態変化させているということでもあるのだが、花日はそれに疑問を覚えている。


 
どうして男子と女子は仲が悪いのか? 
 
以前からそうであったのか?
 
いつからこうなったのか?



多くのキャラクターが前提として受け入れている対立構造に花日は疑問を持つ。そんな彼女が自分を「大人でも、かといって子供でもない」存在と認識し、また教室内で初の「彼氏持ち」になるという展開は暗示的だ。

花日と高尾が急接近するアニメ版第1話では特にそれが全面に押し出されている。男子の中で突出したスペックを持つ高尾に序盤の花日は無頓着で、女子社会での男子番付、つまり身近な男子を異性として認識することに対して興味を示していない。この時点で花日は教室内社会で常識となっている成長に関係した男女間のルールから外れた存在であると見ることができる。

大人への成長の過程として社会を形成するクラスメイトたちに完全に同調せず、しかし「男子はデリカシーがない」と発言しつつも高尾と(第1話の時点では)友人として接している花日はある意味で異質な存在だ。

成長の過程に組み込まれず、しかし高尾を男性として意識している花日は完全に中間の存在、所属を確定しない存在としてうつる。彼女は境界に立つ存在、「境界人(マージナル=マン)」とも言える。

◇12歳の境界人(マージナル=マン)

<b>マージナル=マン</b>とは、境界人、周辺人とも訳される、社会集団や文化の境界線に位置し、そのどれにも属さない人々を指す。

心理学者のクルト・レヴィン(Kurt Zadek Lewin)は大人の集団にも子供の集団にも属さない、青年期の人々を指して呼んだが、ここでは、その意味も含めつつ「特定のグループに所属しない、中間に立つ存在」としての意味を強たうえでこの言葉を使用したい。

花日はクラス内の男子社会、女子社会のいずれにも完全に属さず、つねに境界に立っている。しかし異性として高尾を意識しているという点では逆説的にクラスメイトより早く成熟の過程を歩んでいる。

マージナル=マンとは、境界人、周辺人とも訳される、社会集団や文化の境界線に位置し、そのどれにも属さない人々を指す。

心理学者のクルト・レヴィン(Kurt Zadek Lewin)は大人の集団にも子供の集団にも属さない、青年期の人々を指して呼んだが、ここでは、その意味も含めつつ「特定のグループに所属しない、中間に立つ存在」としての意味を強たうえでこの言葉を使用したい。

花日はクラス内の男子社会、女子社会のいずれにも完全に属さず、つねに境界に立っている。しかし異性として高尾を意識しているという点では逆説的にクラスメイトより早く成熟の過程を歩んでいる。


アニメ版第1話で心愛が<b>リコーダーのテストをボイコットすることで男子に打撃を与える計画を発案した際</b>にも、花日は協力を断っている。花日は心愛の計画を卑怯だと判断したうえで、自身が持つ、固有の価値観と倫理観から協力を拒否したのである。

境界に存在しているということは、ある意味では特定の考えに縛られないということでもある。しばしばマージナル=マンは創造的な存在でもあると認識されるが、それはつまり特定の思想に染まらず、自身で形成した価値観で行動するということの現れであり、第1話の花日の言動からはそのような性質が顕著に見受けられる。

そしてその発言が<b>エイコーたち秘教信者に「語録」としてアフォリズム的扱いを受けている</b>ことから、高尾もまた創造的存在として認知されており、どの集団にも属さないマージナル=マンであると言える。

花日も高尾も価値基準や行動原理を最終的に外部の思想に委ねないという共通点を持っており、それがお互いの関心を引いたのだとも考えられる。

アニメ版第1話で心愛がリコーダーのテストをボイコットすることで男子に打撃を与える計画を発案した際にも、花日は協力を断っている。花日は心愛の計画を卑怯だと判断したうえで、自身が持つ、固有の価値観と倫理観から協力を拒否したのである。

境界に存在しているということは、ある意味では特定の考えに縛られないということでもある。しばしばマージナル=マンは創造的な存在でもあると認識されるが、それはつまり特定の思想に染まらず、自身で形成した価値観で行動するということの現れであり、第1話の花日の言動からはそのような性質が顕著に見受けられる。

そしてその発言がエイコーたち秘教信者に「語録」としてアフォリズム的扱いを受けていることから、高尾もまた創造的存在として認知されており、どの集団にも属さないマージナル=マンであると言える。

花日も高尾も価値基準や行動原理を最終的に外部の思想に委ねないという共通点を持っており、それがお互いの関心を引いたのだとも考えられる。

少々本筋からそれるが、創作において<b>マージナル=マン的特性を持つ存在が主人公に据えられることは多々ある。</b>本文の1で述べたように私はジュブナイル作品を好んでおり、そういった作品の主人公の多くは集団と集団の中間地点に存在するマージナル=マンだった。

多くの場合、最も判断しやすいマージナル=マン的主人公は「半◯◯」とい属性を持っている。ある二つの存在の主要な面を併せ持ち、しかしそれ故にどの存在とも定義できない彼らは作品のジャンルにもよるが孤立していることが多い。

マージナル=マンは成長の過程であると先述したように、「半◯◯」の主人公は成熟を望まれており、現状の存在からの脱却を成熟と置き換え、最終目的とした<b>ビルドゥングス・ロマン</b>(成長物語)を歩まされる。マージナル=マンからの脱却の例を挙げるなら、ある集団を代表する敵の打倒、父殺し的な成熟方法と、孤立状態からの脱却、つまり共通する価値観を持つ存在と新たな集団を形成するというものがある。

少々本筋からそれるが、創作においてマージナル=マン的特性を持つ存在が主人公に据えられることは多々ある。本文の1で述べたように私はジュブナイル作品を好んでおり、そういった作品の主人公の多くは集団と集団の中間地点に存在するマージナル=マンだった。

多くの場合、最も判断しやすいマージナル=マン的主人公は「半◯◯」とい属性を持っている。ある二つの存在の主要な面を併せ持ち、しかしそれ故にどの存在とも定義できない彼らは作品のジャンルにもよるが孤立していることが多い。

マージナル=マンは成長の過程であると先述したように、「半◯◯」の主人公は成熟を望まれており、現状の存在からの脱却を成熟と置き換え、最終目的としたビルドゥングス・ロマン(成長物語)を歩まされる。マージナル=マンからの脱却の例を挙げるなら、ある集団を代表する敵の打倒、父殺し的な成熟方法と、孤立状態からの脱却、つまり共通する価値観を持つ存在と新たな集団を形成するというものがある。

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』はその成熟という到達点を「カレカノ」、彼氏と彼女の関係という言葉で示している。共通する価値観を持った存在を発見し、新しい集団を形成するという部分は高尾との恋愛、また親友の結衣とその彼氏である桧山との交流に置き換えられている。<br><br>『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』作中においても花日が自己の価値観に従い行動した際に孤立する結果を招いても、<b>以心伝心のごとき理解力</b>で高尾や結衣が助け舟を出す。『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』が如何に優れているのかを問われればそういった成長物語的要素を恋愛を主題とした作品の核として組み込んでいる点にあると即答できる。<br><br>恋愛要素と成長要素の親和性は高く、もはや同質のものであるといっても良い。周囲の情報を手探りで収集しつつも最終的に自身の価値観を信じる花日や結衣は<b>ビルドゥングス・ロマンの主人公としてもラブストーリーの主役としても最適な存在であると言える。</b>

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』はその成熟という到達点を「カレカノ」、彼氏と彼女の関係という言葉で示している。共通する価値観を持った存在を発見し、新しい集団を形成するという部分は高尾との恋愛、また親友の結衣とその彼氏である桧山との交流に置き換えられている。

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』作中においても花日が自己の価値観に従い行動した際に孤立する結果を招いても、以心伝心のごとき理解力で高尾や結衣が助け舟を出す。『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』が如何に優れているのかを問われればそういった成長物語的要素を恋愛を主題とした作品の核として組み込んでいる点にあると即答できる。

恋愛要素と成長要素の親和性は高く、もはや同質のものであるといっても良い。周囲の情報を手探りで収集しつつも最終的に自身の価値観を信じる花日や結衣はビルドゥングス・ロマンの主人公としてもラブストーリーの主役としても最適な存在であると言える。

◇その血の意味は。

ここまでは花日のキャラクターとしての言動を中心に『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』に内包されたマージナル=マン的要素とビルドゥングスロマン的要素を取り上げたが、ここではもうひとりの主役、結衣を中心にもう一つの視点から『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』をに込められた成熟について見ていこうと思う。

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』には2人の女性主人公が登場する。ここで考えていきたいのが、その必要性についてである。なぜ、2人の主役が必要であるのか。エピソード展開の幅を広げる、人気の受けを広くとるなど理由は多く考えられるが、最も注力して意識したい理由は「視点を増やすための複数主役体制」だ。

物語の語り部としての役割もこなす主役キャラクターの視点を複数もうけることによって、物語の本質をより読者に伝えやすくなる。カメラでそれぞれ違う視点から被写体をとれば、それは被写体としての同一性を維持しつつも若干、ないし全くことなった印象の存在として写真を見る者に認識されるだろう。

では、もう一つの視点としての結衣は、『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』の印象にどのような変容をもたらすのだろうか。<br>端的に言うと、それは「性」についての変容だろう。<b>結衣は本作において——また、成熟を描いた物語において——、避けては通れない「性」を描くキャラクターとして配置されている。</b>

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』には2人の女性主人公が登場する。ここで考えていきたいのが、その必要性についてである。なぜ、2人の主役が必要であるのか。エピソード展開の幅を広げる、人気の受けを広くとるなど理由は多く考えられるが、最も注力して意識したい理由は「視点を増やすための複数主役体制」だ。

物語の語り部としての役割もこなす主役キャラクターの視点を複数もうけることによって、物語の本質をより読者に伝えやすくなる。カメラでそれぞれ違う視点から被写体をとれば、それは被写体としての同一性を維持しつつも若干、ないし全くことなった印象の存在として写真を見る者に認識されるだろう。

では、もう一つの視点としての結衣は、『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』の印象にどのような変容をもたらすのだろうか。
端的に言うと、それは「性」についての変容だろう。結衣は本作において——また、成熟を描いた物語において——、避けては通れない「性」を描くキャラクターとして配置されている。


キャラクター紹介でも記したように、結衣は花日に比べて身体的な成長が早い。アニメ版第1話の時点で初潮を迎えており、<b>花日とともに女性用生理用品を買いに行くシーンも存在する。</b>

この結衣の存在こそが『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』における主題的強度を高めているといってもいい。結衣が直面する成長に際しての身体的変化に対する戸惑い、そしてそれに関連したエピソードは昨今の少女を描いた作品の中でも群を抜いて見る者に逼迫感を与える。逼迫感、それは自身の身体の変化に対する自己の内面、そして周囲との折合いに由来するものだ。

アニメ版、原作ともに生理に関するエピソードの緊張感は特筆すべきものがある。生理に悩む結衣に、花日は一念発起して共に女性用生理用品を買いにいくことをすすめる。商品を手にしたところまできたものの、レジにたどり着くまでに中年女性の大群に行く手を阻まれ……というシーンなのだが、ここには深淵な成熟へのメタファーが用いられている。

出典: img.vc

キャラクター紹介でも記したように、結衣は花日に比べて身体的な成長が早い。アニメ版第1話の時点で初潮を迎えており、花日とともに女性用生理用品を買いに行くシーンも存在する。

この結衣の存在こそが『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』における主題的強度を高めているといってもいい。結衣が直面する成長に際しての身体的変化に対する戸惑い、そしてそれに関連したエピソードは昨今の少女を描いた作品の中でも群を抜いて見る者に逼迫感を与える。逼迫感、それは自身の身体の変化に対する自己の内面、そして周囲との折合いに由来するものだ。

アニメ版、原作ともに生理に関するエピソードの緊張感は特筆すべきものがある。生理に悩む結衣に、花日は一念発起して共に女性用生理用品を買いにいくことをすすめる。商品を手にしたところまできたものの、レジにたどり着くまでに中年女性の大群に行く手を阻まれ……というシーンなのだが、ここには深淵な成熟へのメタファーが用いられている。


<b>通過儀礼</b>、という言葉があるが、これは昔話や神話において多く用いられる形式だ。シンプルに表現すると、「主人公が、現在の未成熟な状態から脱却するための儀式として、特定の行動を成功させる」という物語だ。

もう少し詳しく言うと、この物語の形式には3つの順番がある。まず<b>「親元から離れる(離別する)」</b>こと、次に「親元から離れて向かった先で<b>試練を達成する</b>」こと、そして最後に<b>「帰還する」</b>という順序だ。つまり、<b>「行って帰ってくることで成長して大人になる(大人として認められる)」</b>形式になるのだが、これは多くの物語に当てはまる。

例えば桃太郎ならば自分を育ててくれた老人の元から旅立ち、鬼を倒して帰ってくる。海外のものならばミノタウロスを退治した英雄テセウスの物語が有名だろう。親から離れ多くの怪物を退治した彼は帰還して王に認められた。スティーブン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』などもこれにあたるだろう。死体探しの旅に出た少年たちはそれぞれ脱却したい状態にあった。そして「死体を見つける」という試練に旅立つと解釈できる。

通過儀礼、という言葉があるが、これは昔話や神話において多く用いられる形式だ。シンプルに表現すると、「主人公が、現在の未成熟な状態から脱却するための儀式として、特定の行動を成功させる」という物語だ。

もう少し詳しく言うと、この物語の形式には3つの順番がある。まず「親元から離れる(離別する)」こと、次に「親元から離れて向かった先で試練を達成する」こと、そして最後に「帰還する」という順序だ。つまり、「行って帰ってくることで成長して大人になる(大人として認められる)」形式になるのだが、これは多くの物語に当てはまる。

例えば桃太郎ならば自分を育ててくれた老人の元から旅立ち、鬼を倒して帰ってくる。海外のものならばミノタウロスを退治した英雄テセウスの物語が有名だろう。親から離れ多くの怪物を退治した彼は帰還して王に認められた。スティーブン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』などもこれにあたるだろう。死体探しの旅に出た少年たちはそれぞれ脱却したい状態にあった。そして「死体を見つける」という試練に旅立つと解釈できる。


さて、ずいぶんと話題が逸れてしまったが、この「通過儀礼」の物語形式を『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』に当てはめてみる。まず親元から離れるシークエンスだが、すでにここで非常に凝った仕掛けが組み込まれていることに気づく。<br><br>キャラクター紹介でも記したが、結衣は母親を亡くして父親と二人で暮らしている。したがって<b>結衣には真っ先に生理について相談する相手がいない</b>のだ。これは巧妙に設定された別離の段階と見ることができる。母親の不在によって結衣は自分から花日と生理用品を買いにいかなくてはならなくなったのである。<br><br>次の「試練」は実際に生理用品を購入するシーンだ。意を決して商品を手に取る結衣だったが、この場面が「試練」である理由はその直後の<b>「明らかに理性を失った中年女性の大群に押し流される」</b>場面にこそある。ここで邪魔をするのが、結衣よりも年長者であり、また同じ立場にある(そして同じ経験をした)女性だという点が非常に暗示的である。<br><br>結衣を邪魔する彼女らは言い換えれば「大人の女性」であり、つまり「大人の世界からの圧力」であり「結衣の成熟を阻害する試練」ということでもある。「試練」には倒すべき怪物が登場することがあるが、まさに<b>「中年女性の大群」こそがその怪物にあたる。</b>成熟の為に越えるべき存在なのである。<br><br>ここで疑問が残る。母を亡くしている結衣にとってその「帰還」を見届け、成熟を認めるのは誰なのか。<br>その存在こそ、共に旅立った<b>花日その人</b>である。<br>「結衣ちゃんは大人の階段をのぼってるけど」という台詞がそれを証明している。結衣の奮戦を間近で見ていた花日が親の代わりとして結衣の成熟を認知する存在になりかわっているのである。<br><br>そして先に触れた、主人公が2人であるもう一つの重要な理由として、結衣と花日がお互いを補完しあう間柄にあることがここで確認できる。結衣を見て、花日は自身の成長、いまだ生理が来ていない自分の身体について考える。結衣の成長は花日の協力によってなされ、また花日は結衣の成熟を通して自身の成熟について考える。<b>緊密で不可分な相互関係が女性主人公2人によってはっきりと形成されている。</b>

さて、ずいぶんと話題が逸れてしまったが、この「通過儀礼」の物語形式を『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』に当てはめてみる。まず親元から離れるシークエンスだが、すでにここで非常に凝った仕掛けが組み込まれていることに気づく。

キャラクター紹介でも記したが、結衣は母親を亡くして父親と二人で暮らしている。したがって結衣には真っ先に生理について相談する相手がいないのだ。これは巧妙に設定された別離の段階と見ることができる。母親の不在によって結衣は自分から花日と生理用品を買いにいかなくてはならなくなったのである。

次の「試練」は実際に生理用品を購入するシーンだ。意を決して商品を手に取る結衣だったが、この場面が「試練」である理由はその直後の「明らかに理性を失った中年女性の大群に押し流される」場面にこそある。ここで邪魔をするのが、結衣よりも年長者であり、また同じ立場にある(そして同じ経験をした)女性だという点が非常に暗示的である。

結衣を邪魔する彼女らは言い換えれば「大人の女性」であり、つまり「大人の世界からの圧力」であり「結衣の成熟を阻害する試練」ということでもある。「試練」には倒すべき怪物が登場することがあるが、まさに「中年女性の大群」こそがその怪物にあたる。成熟の為に越えるべき存在なのである。

ここで疑問が残る。母を亡くしている結衣にとってその「帰還」を見届け、成熟を認めるのは誰なのか。
その存在こそ、共に旅立った花日その人である。
「結衣ちゃんは大人の階段をのぼってるけど」という台詞がそれを証明している。結衣の奮戦を間近で見ていた花日が親の代わりとして結衣の成熟を認知する存在になりかわっているのである。

そして先に触れた、主人公が2人であるもう一つの重要な理由として、結衣と花日がお互いを補完しあう間柄にあることがここで確認できる。結衣を見て、花日は自身の成長、いまだ生理が来ていない自分の身体について考える。結衣の成長は花日の協力によってなされ、また花日は結衣の成熟を通して自身の成熟について考える。緊密で不可分な相互関係が女性主人公2人によってはっきりと形成されている。

3,総括。童貞はなにが言いたかったのか。


<b>つまり『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』は素晴らしい。
</b>
<br><b>なんだそんなオチか。

</b><br><br>っていうか<b>童貞カミングアウトって意味あったのか……。
</b>
<br><br>意味はある。

<br>最初に「22歳童貞という事実が重要な意味を持つ」とたしかに私は言った。<br>私は22歳の童貞として自分を規定している。これまで多くの苦難があった上で存在しているのがこの<b>「22歳の童貞男」</b>なのである。
自分を<b>「22歳の童貞男」</b>として「見つけた」私が、成長し変容していく自分を「見つけていく」物語、『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』に出会ったという事実。そしてその魅力をつたないながら文章化することによって、<b>私の味わった感動を知ってもらいたい</b>……といういわば、

<br><br><b>公開自慰行為</b>だ……。<br><br>

いけない、<b>最低のオチがついてしまった</b>……。

しかしこれだけは言わせていただきたいのだが、私は『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』に敬意を払っている。アニメ作品という虚構の世界でリアルな成長の描写を入れたことは英断であり、またその勇気と姿勢をこそ本作のすばらしさとして主張したい。

そしてそのようなリアルな描写、それに伴う心情表現の先に、男と女とはなにか、成長とはなにか、大人と子供とはなにか……自分とはなにか、といった深淵なテーマがある。

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』は現在第1シリーズを終え、<b>10月から第2シリーズがスタート予定だ。</b>秋から再び始まる、花日たちの成長に注目してもらいたい。<b>
22歳童貞の切なる願いである。</b>

出典: s2.dmcdn.net

つまり『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』は素晴らしい。


なんだそんなオチか。



っていうか童貞カミングアウトって意味あったのか……。



意味はある。


最初に「22歳童貞という事実が重要な意味を持つ」とたしかに私は言った。
私は22歳の童貞として自分を規定している。これまで多くの苦難があった上で存在しているのがこの「22歳の童貞男」なのである。
自分を「22歳の童貞男」として「見つけた」私が、成長し変容していく自分を「見つけていく」物語、『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』に出会ったという事実。そしてその魅力をつたないながら文章化することによって、私の味わった感動を知ってもらいたい……といういわば、



公開自慰行為だ……。

いけない、最低のオチがついてしまった……。

しかしこれだけは言わせていただきたいのだが、私は『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』に敬意を払っている。アニメ作品という虚構の世界でリアルな成長の描写を入れたことは英断であり、またその勇気と姿勢をこそ本作のすばらしさとして主張したい。

そしてそのようなリアルな描写、それに伴う心情表現の先に、男と女とはなにか、成長とはなにか、大人と子供とはなにか……自分とはなにか、といった深淵なテーマがある。

『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』は現在第1シリーズを終え、10月から第2シリーズがスタート予定だ。秋から再び始まる、花日たちの成長に注目してもらいたい。
22歳童貞の切なる願いである。

1 ゲスト 7ヶ月前

なんだかすごいものを読んでしまった…

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2 ゲスト 7ヶ月前

うわぁ..

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3 ゲスト 6ヶ月前

これは…

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4 ゲスト 6ヶ月前

おう……

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