織田信長は平氏の子孫?家紋に隠された意味に驚愕!

かの有名な"織田信長"は家紋を複数持っていたと言われており、ある一族の子孫であると公言していたという事実もあるとされています。この記事では信長が使用していた家紋に隠された意味などについて紹介していきます。

そもそも家紋とは何か?

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家紋から織田信長という人物を紐解いていくにあたり、「家紋とはそもそも何なのか」と疑問に思っている人も多いと思います。自分の家の家紋を知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。

家紋とは簡単に言えば、その家を表しているマークと言われています。いつから使用され始めたかについては諸説ありますが、平安時代からという説が濃厚であると考えられています。

特に1つの家に1つまでという規定はなかったとされています。近年では戦国時代の人気が高くなっており、映画・ドラマ・ゲーム・洋服などで家紋を見る機会も増えてきていますよね。

家紋の始まりは平安時代という説が濃厚で読んで字のごとく、その家を表すマークであることは間違いありません。一家に一個という決まりはなく複数個を持つ家もありました。現代ではきものやお墓が主な使用用途ですが、昔は調度品や牛車、建具、様々な小物に愛用されていました。ただここ最近の戦国ブーム後、家紋が見直されTシャツや雑貨にデザインされることも多く、見る機会が格段に増えたように感じます。

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織田信長は複数の家紋を持っていた!

家紋というと1つの家に1つまでというイメージですが、先程も紹介した通り、実はそのような決まりはないとされています。これは知らなかった人も多いのではないでしょうか?

そして、かの有名な織田信長は複数の家紋を持っていたと言われています。甲冑に使っていたモノや戦で使う旗に使っていたモノなど様々な模様があり、それぞれに意味があります。

それでは、織田信長が使用していた家紋をひとつずつ紹介していきたいと思います!

1.「五つ木瓜/織田木瓜」

この家紋は”織田家の家紋”として一番有名であるとされていますので、見たことがある人も多いと思います。甲冑や秀吉に下賜したとして有名な陣羽織にもこの家紋が付けられていますね。

この家紋は織田家の正式な家紋とされており、尾張守護の斯波氏より拝領したものと考えられています。ちなみに家紋のモチーフとなっている木瓜が使用された家紋はいくつか存在しています。

木瓜のモチーフは五瓜・六瓜・八瓜などの種類があり、このモチーフの家紋は朝倉義景や但馬氏なども使用していたとされています。

2.「揚羽蝶」



揚羽蝶がモチーフになっている家紋は、平氏の代表的な家紋として有名であると言われています。蝶が舞う様子となっており、とても可愛らしい家紋ですね!女性ファンも多いと言われています。

しかし、織田信長がなぜ平氏の家紋を使っていたか気になりますよね。そこには当時の歴史では政治の実権を源氏と平氏が交互に握っていたことが関わっているのではないかと考えられています。

源氏の流れによる室町幕府の次に政治実権を握るのが自分であると主張したかった気持ちの表れとしている専門家が多く、平信長と名乗っていたという史実もあるようです。

3.「永楽通宝」

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永楽通宝と聞くと通貨というイメージが強いですよね!この家紋はまさにその永楽通宝という通貨がモチーフであるとされています。この通貨は中国から日本に輸入されたものとされています。

「通貨が家紋…?」と感じた人もいると思いますが、この家紋は非常に織田信長らしい家紋と言われています。これは織田信長が経済に関心が深く、重点を置いていたということが関わっています。

実際に織田信長について調べていくと、楽市楽座を施工したり、物流拠点を押さえるなど経済への関心が深かったことが伺えます。

4.「二つ引両/丸に二つ引」

この家紋は”二つ引両”や”丸に二引両”と呼ばれています。平家物語にも登場する家門になるので、ご存知の人もいるのではないでしょうか?神紋にも使用されることが多いようです。

同じ二つ引でも”揃い二つ引・足利二つ引・七つ割り丸に二つ引”などの種類があります。大きなカテゴリだと「引両紋」と呼ばれ、二つ引のほかにも三つ引・食い違い七つ引・大中黒などがあります。

織田信長はこの二つ引両の家紋を足利義昭より拝領したと考えられています。

5.「桐紋/五三桐」

桐紋というモチーフの中には”五三桐・丸に五三桐・太閤桐・土佐桐・五三鬼桐・桐揚羽蝶”などの種類があり、この中でも織田信長は五三桐というモチーフを使っていたと言われています。

元は皇室の家紋として桐紋が使用されており、それを足利氏が拝領したとされています。そして、織田信長が足利義昭より先程紹介した二引両とともに拝領したと言われています。

上記の流れから、非常に名誉ある家紋と言えるでしょう。様々な政権が使用していた理由としても、この流れが大きく関係しているのかもしれません。

6.「菊花紋章/十六葉菊」

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菊花紋章である十六葉菊の家紋も使用していたとされています。この十六葉菊は後鳥羽上皇が使用していたことが始まりであるとされ、皇室の家紋として定着したと言われています。

その家紋を織田信長が拝領したということですね。ちなみに皇室の菊花紋章は正確には”十六八重表菊”という形をしており、模様が重ねられているかどうかという違いがあります。

菊花紋章の中にも”十菊・十六裏菊・菊水・菊に一文字”などの種類があり、武士・武家の家紋として使用されたり、店舗のロゴとして昔から様々な種類が使用されています。

7.「無の字の紋/無文字」

この家紋は”無文字”や”無の字の紋”と呼ばれています。文字そのものがモチーフになっているというのは、みなさんがイメージする家紋の形とは少し違った印象なのではないでしょうか?

この無の字は仏教である禅が発祥であると考えられています。仏教など神の存在を信じておらず、あまり好まなかったと言われていることが有名な織田信長とはかけ離れた家紋ですよね。

しかし、フロイスが執筆した”日本史”の中では「禅宗の見解に従う」というような記述があることから、織田信長は実は仏教を信じていたのでは?という見方もあるようです!

織田信長はあの一族の子孫?

家紋の紹介の部分でも紹介しましたが、織田信長は平氏を名乗っていたことから「平氏の子孫?」という疑問が多く挙がると言われています。しかし、これについては明確な証拠はないとされています。

織田氏側の系図の多くには平氏の子孫(平資盛の落胤)であるというような記述がありますが、平氏の系図では織田氏に繫がる部分は一切記述がないと言われています。

また信長よりも前や信長の初期の頃は藤原氏と名乗っていたことからも、源平交代思想により事実を曲げて平氏の子孫であるということにしたとしている専門家が多いようです。

織田信長の子孫は現在どうしてる?

織田信長の子孫の現在というと、フィギュアスケートで有名になった織田信成さんを思い浮かべる人が多いと思います。しかし、織田信長の子孫である証拠がなく、実際のところは不明とされているのは驚きです。

他には高齢になるまで織田家の末裔であることを知らなかったという子孫もいるようです。現在の織田宗家の末裔で第18代織田家当主の織田信孝氏は群馬県甘楽町にいるとされています。

他の戦国武将の末裔の人も著名人となり活躍しているのを見かけますが、織田家の血も現在も絶えることなく続いているということですね。

まとめ

いかがでしたか?織田信長がこれだけ多くの家紋を用いていたことにも驚きですが、家紋の意味などを知るとさらに驚いたという人もいるでしょう。歴史背景などがわかるひとつの資料だと思います。

織田信長の思想などが強く反映されていたり、名誉ある家紋を拝領していたりと家紋はかなり奥が深い世界のようです。自分の家系の家紋を調べてみたくなってしまいます。

他の武将や歴史的偉人と呼ばれる人々が、どのような家紋を使っていたかを調べてみるのも面白いかもしれませんね!

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