織田信長は理想の上司?第六天魔王のいい人すぎる素顔に驚愕!

残酷な仕打ちを多く行った人として知られている『織田信長』ですが、本当は思いやりにあふれた理解のある人だったのかも?!理想の上司と言われる所以をいろいろな視点から掘り下げていきます!

超優秀!信長の偉業をおさらい

『織田信長』というこの名前、聞いたことのない方はいらっしゃらないと思います。最近は『織田信長』が活躍した戦国時代前後の出来事を題材にして作られているテレビドラマやマンガも多く存在していますよね。

『織田信長』と言えば、本能寺の変が1番有名なのではないかと思います。信長の最期とされている出来事です。謀臣とされていた明智光秀に裏切られ、燃えさかる本能寺の中で亡くなったとされています。

しかし、明智光秀が裏切った理由が定かでないことや、信長の遺体が発見されなかったことから、いろいろな考え方を生んでいます。実際のところはどうだったのでしょうね?
さて、織田信長という名前から1番最初に思い出すことの多い本能寺の変について書かせていただきましたが、次は時代を大きく変えた、彼の行った偉業について少しお話しさせていただきます。

まずは、「楽市楽座」です。試験用に必ず『織田信長』の名前とセットで覚えさせられましたよね。これは信長の城である安土城の城下町の経済を発展させ、潤すことに大きく貢献した政策と言えます。

当時は、「座」という商人たちによる組合のようなものがあり、これらが新しく商売を始めたりするのを難しくし、市場を独占し、経済の発展を妨げていました。

悪徳な組合ですよね。信長はこの「座」を廃止し、さらには市場税を廃止しました。これを行なったことにより、新たに商売を始める人や城下に住む商人や住民が住みやすく、商売しやすくなりました。

また、商人たちには安土城下の道路を使うことと、信長の領地内に宿泊することを義務化し、経済の発展をさらに大きく進めました。かなりの英断ですね。昔は日本にもこんなリーダーがいたのです。

また、この城下町を栄えさせるため、「関所の廃止」も行いました。関所とは国のあちこちの主要な道路などに設置され、そこを通るものたちから通行料をとったり、検問をしたりする役割のある施設でした。

関所の多くは、それぞれの領地の者が勝手に設置した者が多く、その通行料を収入源とするためにかなりの搾取を行なっていたと言われています。どこかへ行くたびにお金を取られたら敵いませんよね。

これによって、他の町へ行きたい人の足を重くし、またそれによって商品の値段も上がっていました。これを廃止することによって人を多く城下町へ招き、商売もしやすくなりました。

さらに信長は、歩きづらい道を舗装したり、橋のかかっていなかった川に橋を渡すなどと、より人の往来をスムーズにするための改善策を打ち出しました。経済の発展にかなりの力を注いでいたようです。

税金が下げられ、いろいろなところに行きやすくなり、さらに商売を新たに始めやすくなれば住民の財布の紐は緩みやすくなったでしょうね。今の時代にもこんな改善方法があればいいですよね。

次は経済の発展以外での偉業として、「鉄砲の使用」を挙げさせていただきます。今では存在や使用がかなり当たり前となっていますが、昔は槍や刀で戦うのが主流の時代なので、かなり画期的であったと言えるでしょう。

信長は今の愛知に位置していた三河国長篠城をめぐり、徳川と共闘して武田勝頼と戦ったことで有名な長篠の戦いという戦では、最新兵器である鉄砲をなんと約3000丁も使用したと言われています。

さらに、三段撃ちという新戦法も駆使したと言われています。当時の火縄銃を再現した際に、この戦法は不可能だという考えも存在しているようですが、最新兵器を多く用いたことに疑問の余地はないようです。

事務的な面では、簿記の使用が挙げられています。当時は物資などの流通を把握するために簿記のようなものは使用されておらず、戦などではこの物流の面でかなりの苦戦を強いられていたそうです。

今で言う単式簿記という手法を信長は取り入れることにより、とてつもなく広かった彼の領地内の物流を把握し、戦での功績も上がったのです。何事においても、いつの時代も管理が大事なのですよね。

第六天魔王・織田信長の怖すぎエピソード

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よく『織田信長』の名前にくっついているこの「第六天魔王」ですが、これって何かご存知でしょうか?「第六天魔王」とは、仏教において6つに分けられる天界のうちの「欲天」の中で1番えらい神様のことです。

「欲天」という世界はこの6つに分けられた天界の中で1番下に位置しています。これは、その名の通り欲望を司るのですが、また「欲天」の中でも六欲天と言って、6つに分けられているのです。

その中で1番えらい「他化自在天」という神様がいらっしゃいます。簡単に書くと、「他化自在天」=欲望の神様=「第六天魔王」という感じですね。

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ではこのあだ名はなぜついたか、についてです。これは、別に信長が欲望に素直で魔王のように恐ろしかった、などなどそういう周りからのイメージでついた訳ではないです。そう思いやすいですよね。(苦笑)

実際のところは定かではありませんが、1番有力な見方としては、当時、織田に攻め込もうと兵を進めていた武田信玄の、信長に送った手紙の差出人名が「天台座主沙門信玄」となっていました。

それに対して「じゃあ俺は第六天魔王だぜ」的な感じで差出人名をこのように書いたのではないかとされています。

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魔王なんてただのジョークだったのに(いや、本当はどうか分かりませんが 笑)まるで他人がつけたかのように感じられ、より信長を恐ろしく見せるのは、信長の残虐な行為も関係があるのでしょう。

比叡山の焼き討ちでの大虐殺は『織田信長』という人物を非情な人物として描くのに欠かせない事件ですよね。比叡山延暦寺にいた僧や小童、高僧と共にいた女子供みな首をはねられています。

また、長島攻め、越前一揆掃討戦など、一揆勢を決して許さず殺しています。他にも、荒木一党惨殺など、1度にかなり多くの人を刑に処することで人々に恐れられていました。

ですが、比叡山の焼き討ちに関しては、延暦寺には仏教の道を歩むために修行することも忘れ、酒や女に溺れた僧で溢れかえっており、信長から武装の解除を求められても応じなかったために起きた事件です。

また、権威・権力共に持ち、資金も潤沢で、この時代では1番の独立した勢力と言える延暦寺はかなり好き勝手にやっていたようです。なので、私は信長の残虐さにばかり注目するのは如何なものかと思いますね。

一揆に対してもそうです。簡単に許せばまた次が起こります。人数が多かったので目立ちますが、その時代にあった対処法だったのではないかと私は思います。

理想の上司?織田信長の意外な素顔

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一揆勢への制裁など、決して妥協を許さず冷酷な判断を下すイメージのある信長ですが、実は町民とともに踊っては汗を拭ってやったり、工事の時は率先して現場監督を務めたこともあったとか。

また、信長はなんと!家臣である豊臣秀吉の正室・寧々に対してとても思いやりのある手紙を送ったそうで、実際に今もその手紙が残っています。

秀吉の他の女性との関わり方に不満のあった寧々は信長にぼやいたそうです。それに対して信長は寧々の容姿を褒めたり嫉妬をしないようたしなめたりと、とても思いやりのある手紙を送っています。

また、その手紙を秀吉にも見せるようにと伝えたという点で、信長の人の心を掴む才能が見えますね。また、自身が認めた家臣にはよく目をかけ、できの悪い家臣にはかなり当たりがキツかったようです。

そういうところが家臣たちの意欲や忠誠心、統率を高めたのではないでしょうか?また、信長はそこまで見込んで取った行動の数々であるのでは、と思ったりもします。

織田信長の名言がいちいち泣ける…

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器用というのは他人の思惑の逆をする者だ。

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次は彼の48年の人生の中で数多く生まれた名言たちの中から、泣けるかどうかは分かりませんが、私個人の胸に響いたものをいくつか抜粋してご紹介させてください。

いつの時代も変わり者が世の中を変える。異端者を受け入れる器量が武将には必要である。

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これらの名言から、信長が新しいものやこと、知識を嫌わずに取り入れていく柔軟な頭と、自身とは違うやり方や考え方をする人間を受け入れられる大らかな心を持っていたことが伺えます。

こんな考えの人が多くいたら、もっと生きやすい世の中になるのではと思います。

人を用ふるの者は、能否を択ぶべし、何ぞ新故を論ぜん。

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これは、人の上に立つものは能力で選ぶべきであり、勤務年数や年齢を判断基準にするべきではないという意味の言葉です。どうですか?沁みませんか?(笑) かなり時代を先取りしている感じがしますよね。

この時代、血筋や家柄、領地の大きさなどで立場の強さや位が決まるのが世の習わしでしたので、信長がいかに能力主義者であったかも窺えますよね。

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人城を頼らば、城人を捨てん

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せっかく領地を広げたのにも関わらず、現状に固執して城の位置を変えようとしなければ、急に城からは遠い地点から攻め込まれた場合、どうしたって対応するのが遅れますよね。

領地を広げても、現状や城に固執したせいで領地は取られます。まさに言葉の通りですね。これは、何か物に固執したり頼ってばかりいると、かえってその物によって滅ぼされることになるということです。

つまり、何事も自分の力で成し遂げろという意味なのではと思います。信長自身も領地を広げるたびに、その新しい土地も含んだ領地全体の中心に居ることが出来るように次々と城を変えていったと言われています。

俺が見事な弓矢をとることができたのは、皆、平出政秀が諌死(かんし)したからだ。

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この言葉の中に出てくる「平手政秀」とは、信長の父・織田信秀の頃から仕えていた家臣で、信長の頃には次席家老として信長を支えていた人です。つまり、信長の教育係のような立場ですね。

幼い頃から変わり者で、着物も着崩して羽織ったりなど、今はファッショナブルですが当時は奇抜な格好とされ、また奇怪な行動もよくしていた信長は「尾張の大うつけ」と呼ばれていました。

そんな信長に、自身の行動や言動など、周りからの見方などを理解させ戒めるために切腹・自害をした人物です。

信長は、あれだけ時代を変え、大きく進ませ、また大勢の処罰も辞さない、そんな人物でありながら昔から自身に使えていた者が命を投げ打って大事なことを伝えたことに感謝をする人物だったのです。

私はそのことに感動しました。これまで何作か『織田信長』の出ている時代劇などを観てきましたが、信長のこういった一面が描かれたものは観たことがありませんでした。なんだか新鮮ですよね。

少し、同じ人間なんだと認めやすくなりました。(笑)

まとめ

今回は、誰もが知っている冷徹で戦上手な歴史上の人物『織田信長』の一般的に知られているのとはまた少し違った面についてお話しさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか?

意外と人間味あふれる人物であったのだなあというのが私個人の感想です。優しくて温かい面を知ってからは、ドラマなどで信長を見かけても、これまでとは少し違った視点から観れるかもしれませんね。