土方歳三の素顔に驚愕!鬼の副長は俳句好きでおちゃめ?

新撰組の鬼の副長として名高い"土方歳三"がどんな人物だったかご存知でしょうか?実は俳句が好きというおちゃめな部分も持ち合わせていたと言われています。そんな土方歳三について紹介していきたいと思います。

土方歳三の剣の腕前は?

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新撰組の土方歳三といえば、マンガやアニメ、ドラマなどでも「強い人!」といイメージがありますよね。みなさんがあまり知らない実際の歴史上ではどのくらいの剣の腕前だったのでしょうか?

まず土方歳三は新撰組の局長として有名な近藤勇が当主を務める”天然理心流”の門下であったと言われています。この天然理心流の中では中極意目録までの記録しか残されていません。

同じ新撰組で剣の腕前が評判の沖田総司は免許皆伝していたことを考えると、天然理心流内での強さはそこまでではなかったということになります。しかし、実践となると話が変わります。

道場剣術では実践で役に立たない

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土方歳三は道場剣術は、実践では役に立たないという考えを持っていたとされています。また天然理心流に入る前には行商をしながら、様々な剣術道場にて他流試合を行っていました。

その為、様々な流派のクセが身体に染み付いていたこと(殺人剣と呼ばれたこともある)・免許皆伝には時間を有することなどの理由があり、天然理心流内では免許皆伝には至らなかったとされています。

上記のことから、土方歳三の剣は形に囚われない自由な剣であり、相手を倒す為の殺人剣であったと考えられています。こうした現実的な考え方が後の活躍に生かされたのかもしれません。

実践では強かった!

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土方歳三は一般的に道場では竹刀を使うところを真剣を使って稽古をしていたという逸話があると言われています。それだけ実践に対する姿勢がすごかったということです。

天然理心流の門下となってからも実力をつけていったとされており、様々な流派を使う土方歳三は真剣を使う実践では、かなりの強さを誇ったようです。斬り合いをしていた時代では仲間も心強いですね!

実践では刀だけではなく、相手の首を絞めたり砂をかけるなど喧嘩に近いような戦闘を行っていた考えられています。他に実践での強さがあった隊士は近藤・沖田・永倉・斉藤が有名です。

土方歳三、敵に容赦なし!



新撰組の土方歳三と言えば、敵からも一目置かれ、恐れられていたと言われています。性格や考え方がクールであったことから、歴史上でも冷酷で情け容赦ない人物だったとされています。

鬼の副長の異名はこれだけが理由ではありませんが、こうしたことも大きく関わっていたことでしょう。また策士であったこともあり、敵をいかに殲滅できるかということを常に考えていたようです。

マンガやアニメ、映画などで描かれる土方歳三のイメージ通りですね!人斬りを許されていた新撰組自体も恐れられていましたが、副長と聞けばみんな怯えていたと言われています。

味方にも恐れられる土方歳三

会いに来た❤️ #函館 #土方歳三

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敵から恐れられていた新撰組副長・土方歳三ですが、同じ新撰組隊士からも恐れられていたと言われています。味方からも恐れられていたというのは、考えてみてもすごいことですよね。

それだけの迫力があったことはもちろん、そのほかにも様々な理由があったと考えられています。また新撰組のトップは局長である近藤勇ですが、実際に指揮を執っていたのは土方歳三とされています。

近藤勇は人望はあったもののリーダーシップという点では土方歳三の方が上だったということですね。新撰組が好きな人ならわかると思いますが、有名小説等でもそのような描写は多くあります。

近藤勇の右腕


副長という立場で近藤勇の右腕というだけでも、後から入隊した末端の隊士は恐れていたのだと思います。新撰組では職務ごとに役職があり、立場が明確に分かれていました。

これは海外の軍隊を参考にしていたという説もあります。新撰組もある種の軍隊のようなものですから、現代の会社組織とは比べ物にならない程、上下関係が相当厳しかったことでしょう。

当時は山南敬助も副長という立場だったとされていますが、この人物は温厚な性格であったと言われています。副長にこうした差があれば、余計に恐れてしまうのもわかりますね…。

陣中法度・局中法度・軍中法度・禁令など

#新撰組 #壬生寺 #八木邸

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新撰組には局内や戦場における様々な決まりがあったとされています。一番有名なのは、裏切り者・はみ出し者・奔走した者は斬り捨てるというものではないでしょうか?これは池田屋事件のあとに制定されました。

この事件の後は新撰組を抜けていく者が多く、それを防ぐ為に制定したと言われています。これは正当な理由があれば回避できたという説もあり、実際にどうであったかは定かではありません。

ほかにも隊長が討ち死にした場合は配下の隊士も死を選ぶというような決まりもありました。土方歳三はこうした決まりを冷徹に守っていたことが、鬼の副長と呼ばれる大きな理由であったと言われています。

鬼の副長の逸話

天気と季節がビミョーすぎたよね、、、 #五稜郭 #函館

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土方歳三が鬼の副長と恐れられていたという話になると、よく登場する逸話があります。それは函館での戦闘中に戦闘から退こうとした隊士を馬の上から切り捨てたという話です。

これは新撰組で戦闘中に退いてはならないという決まりがあり、土方歳三がその決まりを冷徹に守っている良い例だと思います。しかし、仲間を決まりによって斬り捨てるというのは驚きですね。

歴史で伝えられているとはいっても、本当かどうかはわかりません。しかし、土方歳三本人も副長が決まりを守らなければ、隊士をまとめられないという苦しい思いもしていたのではないかと思います。

鬼の副長は俳句好き?

日野出身なのか #高幡不動 #高幡不動尊金剛寺 #土方歳三

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ここまで土方歳三が恐れられていたという部分について紹介してきました。しかし、実は俳句を嗜むお茶目な一面を持っていたとされています。鬼の副長には似合わず、風流人だったということですね!

新撰組は血気盛んな若者を集めた集団だったので、その中でも異色とも言える趣味だと思います。ちなみに俳号(俳句を詠む時の名前)は豊玉宗匠という名を使っていたと言われています。

土方歳三(豊玉宗匠)は詠んだ俳句41句を実家に残しており、現在では句集として東京都日野市の土方歳三資料館に収められています。ちなみに祖父は三月亭石巴という俳人で実力もあったようです。

隊士からは気味悪がられていた

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土方歳三は一人で部屋に籠もり、俳句を作るという習慣があったと言われています。隊士のほとんどは俳句が趣味であることを知らなかった為、粛清や襲撃計画などを考えていると思われていました。

隊士達は土方歳三が部屋に籠もっている時には”副長の穴籠り“と気味悪がっていたと言われています。 隊士も私達と同じで鬼の副長が俳句を嗜んでいるとは思いもしなかったのでしょう。

こうした土方歳三のお茶目な一面は、昔から同じ道場仲間であった近藤勇と沖田総司は知っていたと言われています。腕前はアマチュア程度であったとされ、小説などでは沖田総司にからかわれていたりします。

土方歳三の魅力

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なんといってもその生き様がカッコイイと感じる人が多いと言われています。鬼の副長と恐れられる強さと迫力、常に冷静沈着である中で晩年では温かさや優しさもあったとされています。

当時は舶来物などは偏見を持つ人が多かった中で舶来時計を持っていたり、西洋軍学を学んだりと新しく便利なものであれば柔軟に取り入れるという現実的な思考を持っていたことも魅力のひとつです。

また愛刀”和泉守兼定”は一般的な刀よりも長いという特徴的かつ、有名な刀を使用していたことも人気の所以となっています。ほかにも人それぞれ数多くの魅力を感じていると思います。

まとめ



土方歳三は数多くの魅力があり、歴史人物の中でも人気と言われています。鬼の副長というのはみなさん知っていますが、俳句を嗜むというお茶目な部分があることは知らない人も多いと思います。

さらに幼少期では、いかにも人間らしい部分も多くあったと考えられています。こうしたイメージとかけ離れた部分を知ると、鬼の副長・土方歳三の魅力がさらに増していくのではないでしょうか?

自らの死の直前には、小姓の市村鉄之助に遺髪と写真を託し、日野の実家に向かわせることで戦死しないようにしたという話もあります。土方歳三の人気には、しっかりとした理由があるということですね!