夏目漱石の妻は悪女?真相を子孫が激白!

夏目漱石が亡くなって、100年以上が経ちます。没後1世紀を超えてもなお読み継がれる名著を数多く残した漱石ですが、奥様が悪女だったとか、夫婦仲が悪かったなど諸説ありますが、真相はどうだったのでしょうか!?

夏目漱石といえばこの本!

吾輩は猫である



夏目漱石の名を世に知らしめた最初の小説が「吾輩は猫である」です。この小説を機に、漱石は売れっこ作家の道を踏み出します。当時の漱石はイギリス留学から帰国後、東京帝国大学で講師として英文学を教えていました。

長年の持病である神経衰弱を和らげるためにと俳人の高山虚子に勧められ、ホトトギスに発表したのが本作です。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しで始まる本作は、漱石の自宅で飼われていた猫をモデルに、猫の目から見た人間たちの営みを綴った小説です。

当初は1回の読み切りとして発表されましたが好評を博したため、11回まで連載されました。本作の元ネタは漱石よりも100年前に生きたドイツ人作家のE・T・A・ホフマンの『牡猫ムルの人生観』と言われています。

坊ちゃん



東大予備門(のちの一高、現・東大教養学部)で出会った俳人・正岡子規は、漱石に多大な影響を与えました。漱石という名も、子規のペンネームを貰ったものです。漱石は、子規の故郷、愛媛県松山市の尋常中学校(旧制松山中学、現在の松山東高校)で英語教師をしたことがあり、その時の経験をモチーフにした小説が「坊ちゃん」です。

主人公の「坊ちゃん」は、東京の学校を卒業したての物理教師で、江戸っ子気質で血気盛んです。山嵐、マドンナ、うらなり、赤シャツ、野だいこなどユニークな人物設定で、短期間の赴任地での騒動を描いています。漱石作品の中で一番親しまれているのではないでしょうか。

忘れてはならないのが、婆やの清の存在です。東京で家族から疎まれる坊ちゃんを庇い、「あなたはまっすぐで、よいご気性だ。」と常に褒めてくれました

こゝろ

1914年(大正3年)4月 ~8月に、朝日新聞に連載されたのが「こゝろ」です。同年9月に、漱石の自費出版で岩波書店から刊行されました。発刊から100年の2014年時点の売上総数は705万500部で、日本文学誌上1位になります。

私と先生、先生の妻、先生の妻の母、Kが登場人物の長編小説です。日露戦争(1904~1905年)で、国際社会を驚かせた『まさかの日本勝利』へと導いた指揮官の一人である乃木希典が、明治天皇崩御の後を追って殉死したことをモチーフにして、本作は創作されました。

全体として暗い小説で、人間が抱える心の闇を描いていると感じます。中学や高校の国語の教科書に採用されたことがありますが、はたして彼らが理解できていたのかは甚だ疑問ですが、漱石の紡ぎ出す日本語表現の素晴らしを学ぶにはうってつけだと思います。『私は鉛のような飯を食いました』には、痺れます。

漱石の妻・鏡子は悪妻だった?

漱石の生い立ち

五男二女の末っ子として生まれ、母親が多産で高齢のため、うまれることを望まれていなかったようで、生後間もなく古道具屋(諸説あり)に里子に出されます。夜中まで店先に寝かされているのを見つけた姉が可愛そうだと実家に引き取りましたが、すぐに別の家に養子に出されます。
 
9歳で実家に戻りますが、実父と養父が揉めて、夏目姓に戻ったのは二十歳を過ぎてからでした。その養父は漱石が結婚してからもお金をせびりにたびたび現れ、漱石を悩ませました。

幼少期に周りから『無償の愛』を受けることは、人間形成に計り知れない影響を与えると思いますが、漱石の幼少期はあまりにも波乱に満ち、『人に愛された』という実感がないまま大人になったのではないかと推測します。翻って人の愛し方がわからないので、家族への接し方もわからなかったのではと。

妻・鏡子はどんな家柄の人?

漱石の妻の鏡子は、貴族院書記官長(今の参議院事務総長)を務めた中根重一の長女として生まれ、中根家が隆盛を極めた一番いい時に娘時代を過ごしました。尋常小学校卒業後は上の学校には行かず、家庭教師について家で勉強し、「蝶よ、花よ」と育てられたタイプです。

そのため、父・重一は、「よく言えば大切に、悪く言えばわがままに育てた」と、嫁いだ後々まで、鏡子のことを心配していたと言われます。

2人の馴れ初めは?

漱石と鏡子の出会いは、お見合いでした。鏡子が笑う時に、口元を隠さずに大きな口を開けて笑うのを見て、「表裏がない」と漱石は好感を持ったようです。お見合い写真の漱石は、なかなかの男前なので、鏡子は会う前からまんざらでもなかったと思いますが、実際に会ってみて、その穏やかなところに惹かれたようです。

父・重一は、「娘は帝大出以外には嫁に出さない」と普段から公言していたこともあり、まず学歴の面で漱石を気に入り、鏡子も「父がそんなに薦めるのなら」と、無事結婚が決まりました。

悪妻はウソ?鏡子の知られざる人柄

お嬢様ゆえの誤解されやすい数々

新婚生活は、漱石が熊本の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師を務めていたため、熊本で始まりました。お嬢様育ちで気ままに暮らしていた鏡子に、家事ができる訳もなく、しかも朝寝坊のため「朝ごはん抜き」で漱石が出勤することもたびたびでした。

これでは、元々神経衰弱の持病のある漱石もヘトヘトで、イライラが募ります。まぁ、これまでまったく違った環境で育った2人が共同生活を始めるのですから、多かれ少なかれ新婚生活とは、こんなものでしょう。

結婚3年目で、鏡子は新婚生活と熊本暮らしという慣れない環境に流産が重なり、川に身投げをするほど追い詰められました。お嬢様なりに一生懸命だったのでしょうが、漱石もそれに気づくほど、他人のことが判りませんから。なんといっても、幼少期に人から愛されたことがないのですから。

病気のデパートだった漱石!?

漱石の修善寺大患の際、最初に見舞いに駆けつけた安倍能成を見て「あんばいよくなる」さんが来てくれたからもう大丈夫、とユーモアで応じたのは鏡子であるという。

出典:https://ja.wikipedia.org

漱石は、3歳で天然痘にかかります。肖像が右側を見せないのは、鼻の頭の痕を隠すためです。19歳で腹膜炎、20歳で急性トラホーム、肺結核。そして20代から神経衰弱を発症し、20年以上一進一退の繰り返し。

40歳で胃痛に苦しみながら次々と作品を発表し、43歳で初めての胃潰瘍入院。その後毎年のように病院のお世話になり、49歳で亡くなる死因も胃潰瘍でした。神経衰弱と胃潰瘍をベースに、44歳で痔の手術。死の直前にもリウマチの温泉治療、挙句の果てには糖尿病と診断されます。

結婚当初からほぼ病気と闘っていることになりますが、いつも鏡子が寄り添っていたハズです。こんなエピソードがあります。
漱石が入院すれば、鏡子は頻繁に病院に通い、漱石に「何しに来たんだ!」と、怒鳴りつけられながらも、ハイハイとスルーして、看病していたのではないかと。ホントは嬉しいくせに、素直になれないんですよね、漱石(男)ってやつは。

ハラハラ?ほっこり?衝撃の夫婦エピソード

夫婦のことは夫婦にしかわからぬ

漱石に神経衰弱の持病があったせいか、鏡子や子どもたちに暴力をふるうことがよくあり、見かねた人から離婚を勧められたようですが、「私の事が嫌で暴力を振るって離婚するというのなら離婚しますけど、今のあの人は病気だから私達に暴力を振るうのです。病気なら治る甲斐もあるのですから、別れるつもりはありません」と、離婚を拒否したそうです。

漱石は、今でいう『DV夫』だったようですね。古い映画やテレビドラマを観ていると、昭和の時代にもまだそういうお父さんはいたようですが、今の時代だったら鏡子のような発言はすぐに、「マインドコントロールされている」となってしまうのでしょうか。

それでも、鏡子の発言には、「漱石のことを理解してあげられる人は私しかいない」という漱石への深い愛情と母性本能というか、献身的なものを感じます。

ホントは仲良しだった!?

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@alisonyayoiが投稿した写真 –



漱石と鏡子は二男五女の子だくさんで、鏡子が何人目かの妊娠でお腹が大きい時に家に訪ねてきた客人に、漱石が「本当に女は妊娠ばかりしやがって、どうしようもない」と愚痴をこぼしたところ、その客人が「そりゃ奥さんも悪いかもしれないが、妊娠させる君も悪い」と言ったというエピソードがあります。

客人のまさかのつっこみに、さすがの漱石も「一本取られた」感じです。鏡子ひとりで子づくりできる訳じゃなし、「漱石さん、あなたもお心当たりはありますよね!?」と言われた感じで、赤面してグーの根も出ない漱石を想像すると、笑ってしまいます。そして、漱石と鏡子がそんなに仲が悪いようには思えないのです。

坊ちゃんの婆や『キヨ』のモデルは、鏡子ではないかという説があります。漱石のことを誰よりも理解し、温かく見守る姿が鏡子と重なります。

漱石の子孫はどんな人?

夏目姓を名乗る有名人

漱石と鏡子の二男五女のうち、2人の男子が夏目姓を名乗っています。長男の純一は、ヴァイオリニストとして戦後、東京交響楽団(後の東京フィルハーモニー交響楽団)で第1ヴァイオリン奏者まで務めました。小学生で漱石を亡くしましたが、漱石作品の印税で戦前に欧州へヴァイオリン留学を果たしています。

その息子で漱石の孫にあたる房之介は、イラストレーター、漫画批評家、エッセイストとして有名です。週刊朝日の「デキゴトロジー」のイラスト担当がきっかけで、漫画コラムニストという新境地を拓き、名を知られるようになりました。

漱石の次男・伸六は、随筆家です。欧州留学を経て、戦後は編集者として文藝春秋社に勤務しました。伸六の交友関係は幅広く、漱石門下の内田百閒、吉川英治、石原慎太郎など文壇にとどまらず、岡本太郎や政財界にも及びます。

漱石の娘たちの流れ

漱石五女のうち、長女・筆子と漱石門下生の松岡譲の間にうまれた四女の半藤茉利子は、エッセイストとして、夏目家にかかわる作品を発表しています。『漱石の長襦袢』(文芸春秋)では、鏡子の悪妻説を全否定する文章が興味深いです。

 

漱石亡き後に残された門下生のことを、物心ともに面倒を見た鏡子に対して都市伝説(?)となっている「鏡子悪妻説」を流布した輩として切って捨て、彼らへの悪口が容赦ありません(笑)。

 

夫の半藤一利は、『文藝春秋』編集長を経て、作家へ転身しました。近現代史、特に昭和史に関する大家と目される人物です。1992年、『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞を受賞、1998年、『ノモンハンの夏』で山本七平賞を受賞しています。

まとめ

いかがだったでしょうか。夏目鏡子を漢字一文字で表現すると『快』ではないかと思います。豪快、愉快、爽快、明快、快のつく言葉どれもが、心地よく鏡子と重なります。気難しい夏目漱石のことを、誰よりも理解し、見守り続け、また漱石に愛されたよき妻、よき母だったのではないでしょうか。

漱石と鏡子のDNAは、子どもたちからその孫、そして曾孫へと、文筆家、音楽家、クリエーターなど創作を生業にする形で、綿々と受け継がれているように感じます。

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