宮沢賢治の作品に隠された謎!やまなしに登場するクラムボンの正体は?

小学生の頃、国語の教科書に載っていた「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」。読書感想文の題材にした人も多いでしょう。しかし、大人になってから読み返してみると、子どもに読ませていいのか?と疑問に思ってしまうほど怖い!本当は怖い宮沢賢治。興味ありませんか?

意外と知られていない宮沢賢治の生涯

童話作家のタネがまかれた

出典:https://pixabay.com

1896年8月岩手県川口村(現花巻市)に誕生した宮沢賢治。その5日後に秋田県東部を震源とした陸羽地震が発生しました。M7.2という震災被害の中、賢治は成長します。幸い、生家の古着屋兼質屋の商いは無事続けられていました。

当時の東北地方は冷害や干ばつに度々見舞われ、農民は大凶作に悩み餓死者を出すこともありました。その中で起こった大震災。周りの人々が日々の生活に困っている中、賢治の生家は皆にお金を貸すことで潤っていました。裕福な家庭で何不自由なく育てられ、ゆくゆくは生家の古着屋兼質屋を継ぐ者として育てられていきます。

小学校に入学すると成績は優秀で、特に昆虫や鉱物に興味を持ち始めます。同時期に、小学校の先生から童謡や民謡などを習い、文章能力も身に付けていきました。後に先生と再会した際には「私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです」と語っています。

やればできる子

出典:https://cdn.pixabay.com

中学校に入学前には一波乱起きています。祖父は商いを営む人間には、学問は要らない。という考えの人だったので、賢治の父が祖父を説得してやっと入学させました。しかし賢治は、そんな祖父の考えと貧しい人たちから利益を得る実家の商売に悩み、成績はどんどん落ちていくようになります。

そして、趣味の鉱石収集や、覚え始めた短歌の世界へ熱中していきました。短歌は、同じ中学の先輩・石川啄木が「一握りの砂」という短歌集を発表したことに影響を受けたといわれています。実家の商売への嫌悪感や病弱な体を心配した父は、農林学校への進学を許しました。賢治は、許されるはずがないと思っていた進学へ希望を見出し、今までとは別人のように学業に打ち込みます

その甲斐あって、なんと首席で農林学校(現・岩手大学農学部)へ進学。翌年は特待生になって授業料を免除されています。

妹のそばにいるために

出典:https://pixabay.com

農林学校卒業後も研究員として学校に残り、童話の創作活動にも身を入れようとしていた矢先、肋膜炎を患ってしまいます。この病気の原因は結核だったのではないか?と思われ、後に肺炎を何度も患うなど寿命を短くした要因と思われています

研究員を卒業した頃、宗教感の違いから父と口論が続き家出を図ります。東京へ上京後は「文信社」という印刷所へ就職。1か月に3,000枚の原稿を書き上げていたというから驚きです。小さい頃からの物を書く才能が、開花されたのでしょう。

しばらく東京で生活をしていましたが、妹の病気を知らせる電報が届き、花巻へ戻ります。その時に持っていたトランクの中には、書きかけの原稿が入っていました。同年には稗貫農学校(現:花巻農業高等学校)の教師に就任します。一度家出をした地元へ戻って来た理由は、病弱な妹を思っての行動ではないでしょうか。

最愛の妹の死

#Sakura #Koiwai #Shizukuishi #Iwate #一本桜 #小岩井 #雫石 #岩手

daisuke_fukaeさん(@daisuke_fukae)が投稿した写真 –

結核で入院をしていた、最愛の妹トシの容体が急変。1922年11月に亡くなります。トシと同じ結核を経験していた賢治は、自分の将来の姿を重ね合わせたのではないでしょうか。大きな衝撃を受け、半年間も詩作が出来なかったといいます。

その2年後、1924年詩集「心像スケッチ 春と修羅」を自費出版。妹トシの臨終を題材とした詩や、死後のトシとの交流を求める様子を描いた作品が載せられています。ほとんど売れることはありませんでしたが、中原中也富永太郎といった詩人が強い影響を受けたようです

同年暮れにイーハトヴ童話「注文の多い料理店」を出版。イーハトヴとは賢治による造語で、理想郷を指す言葉です。今では、岩手県を舞台としたお話やモチーフとした芸術作品に、使われるようになっていますね。この理想郷で、賢治とトシ兄妹が楽しく過ごしていることを願っています。

宮沢賢治作品の不思議すぎる世界観!

優しく怪しい世界

出典:https://www.pakutaso.com

宮沢賢治は数多くの童話や詩を残していますが、作品によって色々な顔を覗かせているのを感じていますか?「雨ニモマケズ」ではストイックな精神論を詠い、「銀河鉄道の夜」では切ないファンタジーの世界へ誘い、「注文の多い料理店」では恐怖を感じる世界観をかもし出しています。

来た客を材料として、材料自ら料理をさせて食べてしまう店。斬新ですよね。最後には猟犬が材料(客)を助け出すお話として締めくくっていますが、なんでも損得で考える心根の卑しい人間への罰として、一生顔がくしゃくしゃになるという苦難を与えています。
子供の頃読んだ時には「かわいいペットが死んだのに、お金のことを嘆くなんてひどい人たちだ。罰としては甘い」と思っていました。死んだはずの猟犬が、生き返ってご主人を助ける。健気ですよね。犬好きの私としては、人間への罰よりワンちゃんが生き返ってくれたことの方が嬉しいお話です。

セロ弾きのゴーシュ」では楽器の腕が未熟なゴーシュを動物たちが助ける。経験を積んだゴーシュは多くの人に認められるような演奏家へ成長していくお話です。セロは自分の腕の未熟を笑われ、大きなストレスを抱えます。そのストレスを動物たちにぶつけ、うっぷんをはらしてました。しかし、いじめられた動物たちはセロの手助けをします。

この話も、動物はいじらしいですよね。賢治の作品では動物は共存できる仲間であり、虐げるものではない。と人間の謙虚さを説いている作品が多く見られます。自分の幼少期の経験から、平等に生きたいと本に込めた気持ちが伺えるのではないでしょうか。

哲学のような童話もある

出典:https://pixabay.com

蜘蛛となめくじと狸」という話を知っていますか?知らない方のために、あらすじを紹介します。

山の中に住む蜘蛛なめくじ。彼らは弱肉強食の世界で生活していました。蜘蛛は命乞いをする虫を食っていたが、腹にたくさん食料をため込んでいたため、そこから腐り雨に流されるなめくじは優しい言葉で動物を誘い込み、カタツムリやトカゲを食べ大きくなるが塩をまかれて死んでしまうは妙な宗教を開き、ウサギやオオカミをだまして食べていたが、体の中に泥水がたまり死んでします。いがみ合う三匹の動物が繰り広げる争いを、宮沢賢治は「なるほどそうしてみると三人とも地獄行きのマラソン競争をしていたのです。」と締めくくっています。

このお話は一生懸命生きる=マラソン。苦しいレースをしても、ゴールは地獄(死)だよ。と、当時の苦しい境遇(凶作や飢饉)を表現しているのかもしれません。この時期の賢治は、どのような心境だったのでしょうか?妹の死を抱え、少し鬱状態も入っていたかもしれません。宗教感や哲学の考えをもって読んでみると、奥深い話なんですよね。

宮沢賢治の思想

根底は法華経の教え

出典:https://www.pakutaso.com

人はもちろん、動物にも草木にも大地にも”いのち”があります。この”いのち”を、遥か昔から脈々と「仏のいのちを継いできたもの」と受け止め、「ありがたい」と敬いと感謝の思いを込めて手を合わせることが、「合掌する」ということです。

出典:http://www.nichiren.or.jp

賢治の人生観や思想は、法華経の教えが根底に根付いていると思われます。「自分だけが救われることを考えるのではなく、他の人々のために行動する。」というみんなが幸せになる道を探すという教えです。宗教が絡むと少々難しい話になってしまうので、ここでは簡単に紹介しましょう。

賢治は小さい頃、質屋として利益を上げる家族を見て育ちました。困っている近所の人たちから利息を取り、商売には学問は要らないと考えを押し付けつける祖父。一般的に幼少期に感じた人生観が、ここで2つの道に分かれるでしょう。祖父に倣い家業優先の考えになるか、困っている人たちと共に苦労をするか。

賢治は後者を選びました。そして自分の考えに近い法華経の教えを信仰するようになります。その教えは、作品にも表れてきていますね。そしてもう一つ、最愛の妹に先立たれたことも関係してきます。

宮沢賢治と妹

独身で通した童貞人生

出典:https://ja.wikipedia.org

結核で苦しんでいた妹・トシは治療の甲斐もなく若くして亡くなりました。賢治にとってトシは、家族の中で最も理解してくれた存在だったことでしょう。父親と口論が絶えなかったこともあり、疎外感を抱えていた賢治を支え労わってくれた同士でもありました。そんなトシを失った喪失感はとてつもなく大きかったのです。

賢治は一生を独身で通しました。病床のトシを見て「自分も短命で終わるだろう」と結婚をしない選択をした。といわれています。しかし、理由はそれだけでしょうか?賢治にとってトシは自分の分身で有り、永遠の恋人だったような気もしますよね。

ただ、体は正直でした。「一晩中牧場を歩き回り、性欲を抑えていた。」という逸話があります。性欲、頭脳、労働の3つは両立しないと考え、そのうち性欲を犠牲にしたらしいです(笑)。偉人の考える事は一味違いますね。

『やまなし』のクラムボンをめぐる解釈

クラムボンの正体を探る

出典:https://www.pakutaso.com

先に、明かしますがクラムボンは何なのかは今も解明されていません。「やまなし」とは5月と11月という2つのお話がセットになっている童話です。2匹のカニの子供が水の底で会話をしているお話ですが、その中に出てくる「クラムボンはわらったよ。」「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」と謎の物体(?)がでてきます。

仮説としてアメンボ・カニの吐く泡・プランクトンなど色々な説がありますが、「クラムボンは死んだよ」「それならなぜ殺された。」「わからない。」と会話があるので、生物であるようにも思われます。現在の教科書では「作者が作った言葉。意味はよくわからない。」と記されているそうです。

賢治はイーハトーヴに代表されるように、自分で言葉を作っていくことがあるので、クラムボンも賢治自身正体が分からない不思議なものとして書いたかもしれないですね。童話はある程度教訓を持って書かれているものだと思います。ですが、このお話は私には難解でした。結局「子供の創造する気持ちに任せよう」と託したお話であるように思います。みなさんは、正体を突き止められましたか?

まとめ

宮沢賢治が生前に出版した作品は2つしかありません。しかし生前から注目されていた作家だったので、死の直後から多数の作品が世に出されました。戦争中「雨ニモマケズ」は大々的に広まり、そこから宮沢賢治の名は広がっていきます。

今では児童書として教科書にも載っている宮沢童話。37歳という若さで急逝してしまいましたが、結核を患いながらも、これだけの作品を残せるバイタリティあふれる人物だったのでしょう。

童話作品では、オノマトペという擬声語を多用しリズム感を持った文体を大切にする特徴もあります。子どもを飽きさせないテクニックを駆使した、素晴らしい作品を残してくれた宮沢賢治。久しぶりに紅茶を飲みながら、読書なんていかがですか?

銀河鉄道の夜
銀河鉄道の夜
posted with amazlet at 16.12.30
(2016-04-19)