真田幸村(信繁)の子孫はどこに?幸村の子供たちを救った意外な人物とは?

大阪夏の陣で徳川家康をあと一歩というところまで追い詰めたのが真田幸村。幸村は決死の突撃前に、我が子をある人物に託しました。はたして子供たちは無事だったのでしょうか。

幸村に子供は何人いた?

真田幸村(信繁)の子供というと、正室・竹林院との間にもうけた大助が有名ですね。彼は大坂の陣で大阪城で自害しましたが、幸村には大助以外にも子供がいました。幸村には竹林院以外に5人の側室がいたとされています(諸説あり)そして、4人の妻との間に4男9女の合計13人の子供がいました。

大河ドラマ真田丸では黒木華さんが演じた、家臣の堀田作兵衛の娘の梅。梅との間には長女の菊(すへ)がいます。幸村と父の昌幸は関が原の戦いに敗れた後、九度山へ配流処分にされますが、梅と菊は九度山へは行かず上田で過ごしたそうです。

きり

大河ドラマ真田丸では長澤まさみさんが演じた、家臣の高梨内記の娘のきり。きりとの間には次女の於市(おいち)がいます。しかし、於市は生まれてすぐに早世してしまったとのことです。

竹林院

大河ドラマ真田丸では松岡茉優さんが演じた、豊臣方の大谷吉継の娘の竹林院。幸村の正室で、2人の息子と5人の娘がいます。長男の大助は大阪夏の陣で自害しました。

大助の他に正室・竹林院との間には、三女のあぐり、五女の阿梅、七女のおかね、名前不明で早世した八女、次男の大八、九女の阿菖蒲がいます。

隆清院

大河ドラマ真田丸では岸井ゆきのさんが演じた、豊臣秀次の娘の隆清院。隆清院との間には、六女の御田姫(おでんひめ)と四男の幸信がいます。

他に、四女の辯(べん)と三男の之親(これちか)がいますが母親は不明です。

幸村散る…家族は大ピンチに!?

大助

1615年5月7日大阪夏の陣で幸村は戦死します。竹林院は息子の大助に、「再び生きて会いたいのは山々なれども、私達のことは案ずることなく、御父上様と生死を共になさいますように」と言って送り出しています。

この言葉通り、父幸村から秀頼の最後を見届けるよう言われていた大助は、豊臣方の敗北により秀頼の自害を見届けた後、自身も西の方角を向いて念仏を唱えて腹を切ったそう。年齢は諸説ありますが、16歳という記述が最も多いです。 

まだ若いのにさすが幸村の長男ですね。竹林院もどんな思いで息子を送り出したのでしょう。どんな形であれ生きて帰ってきてほしいはずですが・・・竹林院もまた名将を父に持つ娘、さすが、心が強いですね。

さて幸村と長男大助が亡くなった大阪夏の陣。竹林院達他の家族は無事だったのでしょうか。幸村が討死すると、家康の命で紀伊藩主・浅野長晟が幸村の妻子を探し出します。

紀伊・伊都郡で竹林院は娘のあぐりと隠れていたところを発見され家康に引き渡されますが罪は許され、その後京都で娘夫婦と暮らしています。

あぐりは京都でしばらく暮らした後、滝川一積の養女となり、その後会津の蒲生忠郷の重臣の蒲生郷喜の妻となっています。 

隆清院は(幸信を)身ごもっていたので大阪城の入城には同行せずに、娘の御田姫と京都に住む豊臣秀吉の姉・瑞龍院秀尼(豊臣秀次の母)の元へ避難し、幸村討死後に三男の幸信を産んでいます。

御田姫は出羽亀田藩主・岩城隆の側室になり御田の方と呼ばれ、2男1女を儲けた。幸信も岩城家に引き取られ出羽・亀田藩にて380石を与えられました。

家族を残し、討死した幸村ですが、幸村だって家康を討つことだけを考えていたわけではありません。

大坂夏の陣にて、豊臣軍はわずかな戦力しか残っておらず、奇襲によって命がけで家康を討つしかなくなったわけですが、城内にいる子供たちが気がかりです。

父の敗北に連座して死罪になってしまうのか・・・。よくても僧侶にされ寺に幽閉されるか・・・。そして幸村は自分の子どもを意外な人物に託すことにしました。

幸村の子供たちを救った意外な人物!

最後の突撃を前に幸村は伊達軍と交戦しています。(道明寺の戦い)そこで戦ったのが伊達家家臣の片倉小十郎重長。この戦いで幸村は重長の戦いぶりに惚れ込み、この将ならばと、重長へ「自分の子どもを保護してほしい」と手紙を書きました。

つい先程刃を交えた相手、大阪方の名将真田幸村が、自分を見込んで娘を託してきたことを、重長は名誉に思い、女籠に乗り大阪城を脱出し、片倉の陣へ送り届けられたお梅を保護しました。

片倉家へ保護されたのを見届け、幸村は最後の決戦へ。安心して。命を懸けて挑むことができました。

片倉小十郎ってどんな武将?

片倉小十郎重長の父、片倉小十郎景綱

出典:http://pbs.twimg.com

片倉小十郎重長の父は置賜郡永井庄の八幡神社の神職、片倉景重の二男として生まれた、片倉小十郎景綱です。景綱は幼い頃に両親を亡くし、異父姉の多喜に養育されました。

その多喜が、伊達家の嫡男・政宗の乳母(この場合は教育係的なもの)として召し出され、その後に伊達家家臣の遠藤基信の推挙と多喜との縁もあり、景綱は政宗の近習として仕えることになりました。

景綱と政宗

景綱は政宗の重臣となり、伊達家の主な戦いには全て参戦し、時には政宗の命を救いました。政宗との間には数々のエピソードがありますが一番有名なのは政宗の右目のエピソードではないでしょうか。

幼少時に政宗は疱瘡を患い右目を失明した上に、眼球が飛び出て醜い容貌となっていました。政宗はそれをコンプレックスに感じており、内向的な少年でした。そこで、景綱ははなんと、政宗の飛び出た眼球を短刀で抉り取ったのです!

ちょっと考えられないですね^^;怖すぎます。麻酔なんてないですし。麻酔があってもこわいです・・・。しかしこの荒治療で政宗の性格は劇的に変化し、活発な少年となったのです。小十郎のお陰であの独眼竜が生まれたのですね。

また、もうひとつ驚きのエピソードです。景綱は政宗より10歳年上なので、結婚も子ができるのも早くて当然のことなのですが、景綱はそうは考えなかったようです。景綱は妻が懐妊した時には「子が男ならば殺せ」と妻に言ったそうです・・・。

それを聞いた政宗はさすがに驚き止めます。「思い止まって欲しい、子を殺したら私が恨む」などと手紙に書き連ねたそうです。景綱は思い止まり、めでたく子供は生まれました。その子が後継ぎとなる重長です。

片倉小十郎重長

まず、小十郎というのは、片倉家の党首が名乗る名で、重長もこの名を受け継ぎ、二代目小十郎と呼ばれています。

大坂の陣では、病中の父に代わり政宗に従い参陣し、敵将の後藤又兵衛を討ち取るなど名声を上げたが、父からは、一軍を預かる将として刃を交えることなどあるまじき行為として叱咤をうけた。しかし世間は父に劣らぬ智勇兼備の名将で「鬼の小十郎」と称した。

魂を震わす片倉小十郎の誠意

重長は、なぜ幸村の遺児を保護したのでしょうか。敵方の子供を匿うなんてとても危険です。徳川幕府は大坂夏の陣の後、豊臣方の残党狩りを厳しく行っているので。ばれると、伊達氏は幕府から処罰を受ける可能性すらありました。

理由ははっきりしていないですが、真田家と片倉家は、いずれも信州に先祖を持つ同郷の一族でした。そして幸村も重長も、文禄・慶長の頃に豊臣秀吉の人質として伏見で暮らしていましたが、その時期が同じで、伏見城下の真田屋敷と伊達屋敷は隣り合わせでしたので面識もあったのではないかといわれています。

梅を隠しながら奥州までの数々の関所を抜け、重長は片倉家の所領である白石に戻りました。そして白石に梅の弟妹達も呼び寄せたのです。男子は片倉の姓を名乗らせ伊達家に仕官させ、女子は輿入れ先を探してやりました。

梅は侍女として使えていましたが、重長の側室に迎えられ、正室が死去した後は継室となりました。梅を可愛がった重長の正室が、死の間際に「私の死後はどうか梅を室に入れてほしい」と遺言を遺す程だったと言いますから、よほど梅を信頼していたのでしょう。

梅と重綱との間に子はできませんでしたが、梅は83歳の天寿を全うしています。

大八は片倉久米介と名乗り、片倉家の家臣に加わりました。伊達忠宗が二代目仙台藩主になった後、真田守信と名乗り仙台藩主に列しました。幕府は真田幸村の子である武士が仙台藩にいることを知り、仙台藩に色々と問いただします。

しかし、仙台藩は真田幸村次男の大八は京都で印字打ちの見学中に石が当たり亡くなっているし、この真田守信は真田政信(架空の人物)の子だと家系図もわざわざ偽装し、釈明したそうです。

そして大八は再び片倉姓に改め、六文銭の家紋使用を控え、片倉久米之介守信と改名し、仙台藩士として扶持360石を与えられました。嫡男、片倉辰信が誕生し、1670年59歳で死去しています。家督は子の辰信が継ぎ、辰信の代の1712年から再び真田の姓を使用しています。この頃は6代将軍徳川家宣の時代で、さすがに幕府の追求も緩くなってきた頃だったのかもしれません。

ということで小十郎のお陰で幸村の血脈は現代に受け継がれていたのですね。

真田幸村の子孫は現在どうしてる?

仙台真田家はその後は養子を取りながらも存続し、現在までその家系は続いています。14代目当主の真田徹さんは、歴史研究家として全国で真田幸村に関する講演やイベントに参加しています。

幸村の血筋は、一つ間違えれば全滅の恐れがありました。しかし片倉重長や伊達家のはからいによって存続していたんですね。仙台真田家と片倉家は未だにお付き合いがあるそうですよ。

まとめ

とてもドラマチックな歴史があるんですね~びっくりです。諸説あるので細かい部分は本当はどうなのかはわかりません。400年も前の事なので真実は当時の人のみが知ることではあります。しかし現在も仙台真田家が続いているのは事実です。

武士の忠義とか敬意、誠意、仁義の心ってかっこいいですね。

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