葛飾北斎と娘・応為は親子揃って天才絵師!受け継がれる超絶技巧!

「写楽せい、あ北斎」と洒落好きな江戸ッ子を賑わせた、2大絵師の一人が葛飾北斎。世界的にも天才絵師として評価が高いのは、カメラの無い時代に砕け散る波や水しぶきなどの、生き生きとした表現、色合い、その観察眼と様々な想像力にあります。娘も天才的な絵師でしたが、その実態とは?

意外?葛飾北斎に娘がいた!

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葛飾北斎は、実は子沢山で三女の応為(おうい)が、父の影響で画に興味を持つようになり、北斎の助手などをするかたわら腕を磨き、まさに江戸っ子という男勝りな性格だったそうです

父である北斎が「お~い、お~い」と呼んでるうちに、絵師として名乗る際は、「応為」にしたという嘘のような本当の話。その繊細な画のセンスは美人画を描かせたら北斎以上。

絵師の産みの苦しみというのを、子供時代から見ていた応為は、スランプでメソメソしている絵師なんかがその辺に居ようもんなら片っ端から、ぶった斬ったべらんめぇ口調だったそうです。

美人画と画期的な光と影の表現者・葛飾応為の心眼

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美人画を描かせたら、父・北斎があれこれ悩んでいるうちに、スラスラと筆を運び、あっという間に今にも動き出しそうな、水が滴るようないい女を描く応為はどんな人だったのでしょう?

驚く事に、酒と煙草を愛好し、精神哲学は任侠顔負けという男らしさ。「何言ってやがんだい、ばぁろぉめぃ。」と聞こえてきそうな気風と威勢のいい姐さんだったようです。

衣食の苦も平気で、金なんか無くても好きな画だけに集中できたという点も、天才的でしょう。因みに、任侠とは困っている他人の為に、自分を平気で犠牲にできる精神です。

天才・葛飾北斎の超絶技巧!

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映画の無い時代に、北斎の画のバランス感覚は、前衛未来的でした。名カメラマンのようにワンシーンにどれだけの力強さ、インパクト、ある意味ユニークさがこの画にも詰まっています

好奇心や探求心に溢れた、写実力も狂気じみた物凄い迫力がある北斎ですが、この遠近法を駆使した画風アイデアなどは、当時革新的な技法でしょう。一番手前にクッキリ見える男衆。

遠くに川の上流が雲を割って見え、ダイナミックに滝が流れこんでいきますが、この視点が斬新過ぎますよね。庶民の生活ぶりを雲の上から覗いているような感じです!

滝を表現するセンスも画期的

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なぜ、この人が描くと瀧がこうなっちゃうんでしょうか?こちらは「諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀か瀧」という作品ですが、流れ落ちる水量の壮大さがよく伝わってきますね

藍色のグラデーションも流石ですが、パッと見た時の構図が変わってますよね?風景画の北斎は、左右非対称をわざと好んでるような気がします。細部のこだわりも凄いものがあります。

北斎の作品には円形がよく登場ますが、ここでは瀧上部の岩が円形です。その中を繊細なウネリで小川を表現し、その下ではお茶会のようでお酌しあってる3人衆。ユニークですね。

北斎の波

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北斎の波といえば「富獄三十六景」の高波が有名ですが、この描写に至る影には「伊八」という妙法寺の欄間などを手がけた北斎よりも古い彫刻家の影響があったそうです。

実際、当時は超スローカメラなど無い時代ですから、北斎はきっと興味深々に惹かれたんだと思います。構図や波の力点こそ違うものの、影響されたのは頷けるような見事な彫刻です。

そして北斎は波のダイナミックな線をアレンジし、被写体を変えて様々な作品を描いています。パッと見た時の画が放つパワーを、構図そのものに実験していたような気がします。

北斎の名橋奇景集

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実際こんな橋があったであろう江戸時代の日本が、現在の私たちからすればカルチャーショックですが、画としても実にユニークです。浮世絵を見てて思うんですが、日本は綺麗でしたね。

もちろん、今には今の良さがありますし、北斎が現在の東京に生きていたら数々のユニークな視点の絵画が産まれる気がしますが、空の青さや、海の青さは当然かなわないと思います。

北斎は、変人扱いされてましたが、当時から誰よりも江戸の美しさにいち早く気付いていた人だと、現在の私たちだからこそ、冷静にわかる部分がありますよね。

世界の北斎ブルー

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もうこの辺は想像力もかなり入っているような、50パーセントくらい構図かな?と。パワーがあり、とてもユニークですらあります。ちなみに使われた「ベロ藍」という藍色はベルリン製。

ベルリンがなまってベロに。それまでの国産の濃い青では出せなかった、水で薄めれば淡さもある鮮やかなブルーの登場により、浮世絵の青の表現はさらに進化し広がりました。

北斎の波とは

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最近の研究で解ったらしいですが、スーパースローカメラで撮影した、実際の波と北斎の波は寸分違わないそうです。凄腕にびっくりする反面、当時の江戸で誰がそれを理解できたのでしょうか?

現在の我々より、動体視力が皆スーパーレベルに優れていた可能性もありますが。しかし、北斎は波を描くのが好きだったのか波作品は結構、多いです。迫力に憑りつかれたのかもしれません。

影響を受けた名匠・伊八伝説も凄く、関東に来たら波を彫るなと言わしめたそうです。北斎は画でしたが、波イコール伊八の呪縛が、実は本人すらどこかであったのでしょうか?

北斎漫画は漫画の先駆け

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北斎の愛される魅力の一つがやはり、よくわからないお茶目な画を真面目に描くというところでしょう。この北斎漫画は、現在も購入する事が出来ます変な顔や妖怪や魚や職人や踊り。

北斎が描きたいものをランダムに描きまくった画本で、江戸時代当時も庶民のあいだで大変話題になったそうです。今より娯楽が少ない時代の人はどんなリアクションだったんでしょう?

当初は画の勉強本だったそうですが、面白いと評判になり全15編の人気シリーズになってしまいました。真面目とおふざけが淡々と並び、シュールな感じはかなり未来派な感じもします!

北斎のユニークな妖怪

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当時の江戸では妖怪画が流行りました。いろんな絵師が、こぞって妖怪画を描きまくった時期があります。その正解の無い争い、オカルトブームが江戸でもあったのは驚きです。

当時の江戸は街灯の無い時代。夜は暗闇も多く、提灯を持たなければ真っ暗な夜道が沢山あったはずです。想像力が色々と働くでしょうし、気持ちが豊かで今より夜を怖がったでしょう。

北斎の妖怪はどこかユニークであまり怖くない茶目っ気がありますよね。

パフォーマンス・アートの先駆け

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今でこそイベントで観客の前で画を描く、パフォーマンス・アートは当たり前ですが、当時の江戸で北斎はすでに何回もやってのけていました。あっと言わせる斬新なアイデアも凄い

名古屋の寺院にて北斎は、巨大な120畳分の紙に「だるま」を担ぐような大筆で見事に描ききり、完成すると上空に吊り上げさせ初めて画がわかると、見物人をあっと言わせました。

またある時は、殿様に招かれた席で画を描けと言われ、青に塗った紙の上を、足に赤い色を塗った鶏を歩かせ紅葉に見立てると、「滝田川でございます。」と言って驚かせました。

ファッションデザイン・アーティストの先駆け

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着物や女性向けのクシやかんざし用に、コンパスの元祖のような道具「ぶんまわし」などを巧みに使い、北斎オリジナルの幾何学模様パターンを百数十種類も発明しているから驚きます

「新形小紋帳」と一冊にまとめられた書は、江戸の粋なお洒落に一役買い「北斎模様」として今の世に知られています。しかし北斎さんはやはり一味違うエピソードがあります。

現在でいう横文字職業な事をやっておきながら、普段はボロを見にまとい周囲から白い目でみられるのを、笑って楽しんでいたというのだから筋金入りの画描きです。

卓越した肉筆画

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西洋から東洋、道具を使った計算されたオリジナル模様、人物を知る為に骨格まで勉強し、様々な要素を吸収した晩年の葛飾北斎は、衰えるどころか更に磨きをかけ加速していきます。

色あい・構図・迫力、すべてにおいて圧倒的なのは余計なものを一切描かない削ぎ落し方にもあると思います。何をどう見せたいか?という北斎の気持ちは、描かれていないものかも?

そんな想像すら見ているものに訴えかける、ある種の刹那的な哀愁すら勝手に感じてしまうのです。と、同時に美しさだけじゃない本当の美しさでもあるような気がしてなりません。

晩年は画狂老人卍と名乗る

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葛飾北斎は計30回も!?作画名を変えています。驚くべき回数ですが、そこには揺れ動き続ける探究心と情熱、まだまだ、もっともっと、という決して満足しない己の現れでしょう。

生涯、数え切れない画を残した画狂老人卍(葛飾北斎)ですが、「富士越龍図」が最後ではないかと言われています。こちらでは載せられないので、ご興味ある方はお調べ下さい。

紙の色を残した白抜きと黒と滲んだ黒、淡い黒の巧みな使い分けで、見事に老いた龍を描いています。あと五年あれば本物の画描きになれたと言い残し、九十歳で臨終を迎えました

娘も天才!おんな北斎・葛飾応為

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北斎の三女であった、お栄は作画名を応為とし北斎と二人で暮らしながら、共に画を描き続けました。離縁された画描きとの破断の理由は、夫の画を笑った為という強力なエピソード。

応為は炊事洗濯より画でした。その為に部屋は、いつも荒れ放題だったといいます。この辺りも天才たる所以でしょうか?しかし画はご覧のように繊細な美に溢れています。

実はハッキリ解明されていないだけで、北斎との共作ではないか?と見られている作品が北斎名義の画側にも多数、見受けられるようですが現在、真相は誰も知る術がありません。

吉原夜景図は北斎と応為の合作?

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これも葛飾応為の代表作とも言える世界的に有名な素晴らしい作品ですが、北斎と共作かどうかはハッキリとはわかりません。ただこの夜の光と影は北斎には見られないですね。

このような西洋の技法を日本で最初に取り入れたのは、葛飾応為と言われています。この画期的な技法は、のちの日本画家達に大きく影響を与えていく事になりました。

しかし、吉原が題材だったり燈りの柔らかい独特感は、応為ブランドにしかありません。ちなみにですが、手前の男達の提灯の文字は、片方が「応」、もう一方が「為」と書かれています。

まとめ

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北斎と応為という親子でありながら二人の天才は、人々の関心を惹きつける様で、映画や小説(しかも作者はカナダ人)、研究は今でも続いています。富士越龍図が応為作説もあります。

その背景には、応為は北斎を偉大な師として崇拝しており、血の繋がった親父でもあるという独特の関係性があり、激動の世を相手に助け合い絵画に没頭した親子愛の産物とも言えます。

足場を組んで描いたであろう寺院の天井画などをはじめ、一人では成し得なかったかもしれません。この先の時代も二人の画は、日本の誇りであり何かを訴え続けるでしょう。

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