茶聖・千利休の名言20選!茶に生きた男の言葉を味わう!

茶聖と呼ばれ、茶の湯を大成した千利休。日本の伝統に大きな影響を及ぼした彼の子孫は茶道の三千家として続いています。そんな彼の名言を20個集めてみました。そこから学ぶことも多いはず!

千利休の名言20選

それでは、茶に生きた男の名言を20個、まとめて紹介します!

一生に一度しかない、今この時の出会いを大切にしようとする「一期一会の精神」が大切なのではないでしょうか。

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一期一会」の部分だけを四字熟語として知っている人も多いのではないでしょうか。このたった四文字にこの言葉のエッセンスが詰まっているので、それだけでも十分かもしれません。

今では「他人との出会いを大切に」といった意味で知られていますが、元々はただご縁を大事にするということではなく、互いが一生に一度の出会いであることを自覚し、互いに誠意を尽くすという意味です。

また、千利休が大成したものの一つに、「露地」というものがあります。茶室までの道を単なる通路ではなく、趣のある庭として発展させたものです。これも、「一期一会」の精神から生まれたもの。

案外、互いに誠意をもって接することで茶が美味しく飲めるというだけのことかもしれません。しかしそれだけで十分に人生について深く考え、自省を促してくれる言葉ですね。

小さな出会いを大切に育てていくことで、人生の中での大きな出会いになることもあります。

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前述の「一期一会」に連なる言葉です。ビジネスマンの方でよく同じことを仰る方がいますよね。「一期一会」と違い、こちらは出会いをなぜ大切にするのか、という事を言ってくれています。

人間関係を目の前だけの小さなつながりで捉えるのではなく、人生というより大きな時間の中で捉えることで見えてくるものもあるということ。小さなご縁の大切さを教えてくれる言葉です。

まず炭火はお湯の沸く程度にしなさい。お湯は飲みやすいように熱からず、ぬるからず、夏は涼しげに、冬はいかにも暖かく、花は野の花のごとく生け、刻限は早め、早めにして、雨降らずとも雨具の用意をし、お客の心を心とするのです。

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接客の心得として引用されることの多い言葉です。来客の心地よさを第一に考え、かつ天候など不安定な部分は万全を期す。たしかに、おもてなしの極意を表しているような気がしますね。

しかし、もっと大きな意味で捉えることもできます。前述の露地のつくりでも、千利休は自然を体現することを大切にしていたといわれています。老子の「無為自然」の考えに通じるものがありますね。

この言葉は堺の商人に茶の湯の極意を聞かれて千利休が答えたものです。自然を体現し来客と共にゆったりと浸ることは、時間に追われて生活している我々現代人も生きる上で学ぶべき部分が多いかもしれません。 

当たり前のことが、いつでもどこでもできるならば、私があなた方の弟子になりましょう。

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前述の茶の極意を返答として聞いた商人が「当たり前じゃないか」と怒ったところ、千利休が返したというもの。当たり前のことをするのって、自覚的にやろうとすると難しいですよね。

逆に考えると、千利休が目標とした境地は常に自然体でいることなのでしょう。人為でなせることには限界があるといいます。彼もそういう限界を感じ取っていたのかもしれません。

自覚・無自覚に関わらずただ自然のままに身を任せること。そこには儒家的な考え方から一歩引いた彼の美学が感じられます。 

頭を下げて守れるものもあれば、頭を下げる故に守れないものもある。

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この言葉については解釈が分かれるところです。プライドの話だと考えれば、簡単に頭を下げてはプライドを守れないという意味になります。経営者の方でこれと逆のことを大事にされる方もいらっしゃいますよね。

しかし、そんな単純な話ではないのではない気がします。信長・秀吉と天下人に仕えてきた千利休ですが、晩年にはそれぞれ派手好きな秀吉に対し彼は地味好きだったといいます。

切腹を命じられたのはそのあたりの価値観の違いだとする説もあるほどです。頭を下げて守れないもの、それは美学に反することかもしれませんし、単に政治権力に屈することが嫌だったということかもしれません。

ただ、今までご紹介した言葉にあったように自然な状態を好む千利休のことです。他者の意見に全面的に従う事は自然でないと考えたか、あるいは信念と信念がぶつかり合うのも自然と考えたか…いずれにせよ、一面的には捉えきれない意味を含んだ言葉のように思えます。

その道に入らむと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ

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何事においてもそれを知ろう、学ぼうと思う心が自分の指針であり、師匠であるということでしょう。師匠とは何かを教えてくれる人の事ではなく、自分を適切な方向へと導いてくれる人の事です。

好奇心があれば自ら様々な事を知り、考え、そこから多くを学び取ることが出来ます。そうして自分で成長していくことこそ、自然に従った正しいあり方であるということかもしれません。

上手にはすきと器用と功積むと この三つそろふ人ぞ能くしる

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物事が上達するには数奇であること、器用であること、そして功を積むことの3つが必要である、ということです。では、一つ一つの言葉の意味を丁寧に解釈してみましょう。

「数奇」は風流・風雅に心を寄せること。そのためには、深い教養とともに、本質を見極める心が必要になります。単に流行に流されるわけではないところがポイントです。また、「好き」でないところもポイントですね。

「器用」は茶道具の扱いのことかもしれませんが、ここでは人使いにおける器用と理解する方が自然です。そして「功を積む」は努力を続けること。これは何事においても大事ですね。

何にても道具扱ふたびごとに 取る手は軽く置く手重かれ

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名人ほど道具を大事に扱うもの。それは千利休も同じです。この言葉の中では「道具」ばかりが際立って見えてしまいますが、重要なのは後半の所作の部分かもしれません。

少し考えればわかることですが、軽やかに持ち、そして丁寧に置くという一連の所作には優雅さと敬意が感じられますよね。そうして相手を丁重に扱いつつもてなすということ。ここにも彼なりの美学が感じられます。

よそにては茶を汲みて後茶杓にて 茶碗のふちを心して打て

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茶道においては、茶杓で茶を汲んで茶碗に映し、茶碗のふちで残った茶の粉を落とすという手順があります。しかし、粉が全て落ちるわけではありません。ここが難しいところです。

茶碗には修繕しながら使っているものもあり、全て落とそうとして強く叩くと茶碗が割れるかもしれません。また、茶杓の方も折れてしまうかもしれません。よそに行って他人の道具を借りたのに壊してしまっては失礼ですよね。

常識的に「他人の道具は大切に」という解釈でもいいでしょう。ただ、当たり前のことを今一度自覚的に実行し、相手への敬意を示すという意味では大切な知見を与えてくれる一言です。

なまるとは手つゞき早く又おそく所々のそろはぬをいふ

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所作に関する名言を挙げてみましたが、こんな名言もあります。「なまるというのは手つきが早かったり遅かったり、不揃いで美しくない動きであることをいう」と意味は読んで字の如くです。

早すぎても遅すぎてもいけない、というのは前述の茶の湯の心得と似ていますね。所作の速度は個々人で多少差がありますが、自分と相手の関係の間で心地いい速度というのは変わってきます。

茶を淹れる側も淹れられる側も刻一刻変化する互いの関係を敏感に感じ取り、その中で心地いい速度を保って所作を途切れず行うのはとても難しいことです。同じくらいの速度で体を動かし続けることだけでも難しいのは、少しやってみればわかります。

でもあえてそれをすることが、常にその場を楽しむ一番の方法だということでしょう。千利休にとってはそれが茶会の場だったかもしれませんが、一般論として理解しても十分に価値のある言葉です。

何にても置き付けかへる手離れは 恋しき人にわかるゝと知れ

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道具を取るにしても置くにしても、恋しい人と別れる後朝のように余情を大切にせよ、という言葉です。「後朝(きぬぎぬ)」という言葉は古い和歌などによく見られる言葉ですね。

 

一期一会の心で縁のありがたさと別れる時の切なさ、だからこそその場を大切にする心、それはきっと道具を通して客にも伝わります。だからこそきちんとその心を伝えるつもりで道具を扱え、ということです。

家は洩らぬほど、食事は飢えぬほどにて足ることなり

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家も食事も、最低限でいいということです。華美な生活を送らずとも、自然体であることが幸せである。そこまで老子に寄った考えではないでしょうが、千利休らしい考え方ですね。

茶はさびて心はあつくもてなせよ道具はいつも有合にせよ

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「さびる」は古語で趣が出る、老熟するなどの意味です。ここでは前者の意味で理解するのがいいでしょう。趣深く茶を淹れ、誠意をもって心からもてなせば道具はそこにあるもの、分相応のものでよいということです。

道具ではなく心が大切であるという千利休の理念はここまでに紹介してきた名言の中にも表れていました。華美でなく質素を好むのは、華美であることで心が失われるのを嫌ったからでしょう。

茶の湯が流行った時代には豊臣秀吉をはじめとして高価な茶器を求める大名も多かったと言います。しかし、彼からすれば本当に大切なのは見た目の華やかさではなかったのですね。

釜一つあれば茶の湯はなるものを数の道具を持つは愚な

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茶の湯には最低限の道具さえあればよく、不要なものをたくさん買い揃える必要はないということです。一つ前の言葉とあわせて考えると「茶は道具ではなく心で淹れるもの」ということなのでしょう。

質素であることを好んだ千利休らしい言葉です。しかし、いくらなんでも茶釜だけでは茶の湯は楽しむことができないのではないでしょうか。さすがに言い過ぎという感じですね。

少し深読みすると「何が重要なのかきちんと見極めて臨め」というメッセージも感じられる気がします。深読みしすぎるといけませんが、偉人の名言は深読みすることで表面的でない意味を読み取ることもできますよね。

茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし

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茶の湯の道ははただ湯を沸かして茶をたてるだけと知れ、言葉の上ではそれだけの意味です。しかし、当たり前のことをいつもすることが大事とする千利休の美学は前述の通りです。

決まった手順をそれ以上のものともそれ以下のものとも思わず、ただ質素かつ最低限必要な手順だけを毎回欠かさず行う事。それだけでも難しいですが、毎回同じような味を楽しんでもらう事はさらに難しいでしょう。

それでも毎回同じことをしようと試みることで、意識と無意識の間にある自然体を常に体現できるようになろうとしていたのでしょう。

稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一

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稽古においては簡単な事から入り、難しいことを全て習得し、そして最後にまた初めの簡単なことに戻って来ること。こうすることで、より深く理解し、身につけることが出来るのです。

これは芸事でも勉学でも同じですね。最近はやりの謎解きゲームなんかだと最初に与えられた道具なり謎なりに最後の謎を解くカギがある、なんてよくあることです。

また、初歩をおろそかにするな、という意味にもとれます。基本をきちんと理解したうえで難しい段階に進まないと結局いちいち基本に戻ってこないといけない…どこかで体験したような話ですね。

恥をすて人にもの問い習うべしこれぞ上手の基なりける

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これも稽古にまつわる名言。上達するには知らない事からくる恥を捨てて、わからないことを聞いて学ぶことが大切だということです。これは当たり前といえば当たり前ですね。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざと言っていることは同じです。その時恥ずかしいことより、一生知らないままで知ったふりをすること、あるいは困ることの方が恥ずかしいですよね。

何かを始めた頃よりも、中級者・上級者になった頃が一番他人に何かを聞きづらいものかもしれません。しかし、わからないままにするよりも自分の未熟さを受け入れ、精進する心こそが上達の何よりの助けになるのです。

人の行く 裏に道あり 花の山、 いずれを行くも 散らぬ間に行け

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文字通りの意味で解釈すれば、「誰もが行く道を一緒に行っては、ゆっくりと花を楽しめない。また、どっちの道を行くにしても花が散らないうちに観に行くのがよい」ということになります。

株をやっている人は逆張りを勧める言葉として理解している人も多いんだとか。他人と違う事をしろ、という風にも思えますね。しかし案外、単純に千利休が静かな雰囲気を好んだだけということかもしれません。

また、前半部分も裏に道があるよ、と言っているだけで実は「どちらを行くのも自由だが、きちんと道がほかにもあることを心得たうえで自分のいく道を選べ」という感じの意味かもしれません。

これも深読みしすぎるとよくわからなくなってしまいますね。この言葉も受け取り方次第でどのようにでも解釈できるので、むしろ真意を定めようとする方が無粋なことなのかもしれませんね。

規矩作法守りつくして破るとも離るゝとても本を忘るな

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きちんと作法を守り、それができるようになった後にあえて作法を破ったり離れたりする時も、基本となる作法を忘れてはならない、という意味です。守破離の概念ですね。

守破離だと、「守」は師匠からの教えをひたすら守り、基礎を身に着ける段階。師匠のまねを繰り返すことで型を自分の中に落とし込みます。ここがきちんとしていないと、我流に走ることはできません。

「破」はしっかりと基礎が固まり、独創的な発想を試行錯誤しながら練り上げる段階。そして「離」は自分の流儀を作り上げ、独自性を確立させて師匠の下から離れる段階です。

何事も奇をてらうだけではうまくいきません。きちんと基本を知り、そして覚えた作法から離れたことをできる段階になったとしても、基本を忘れずにいること。それが大事なのだと、この言葉は教えてくれます。

人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

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「じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす ひっさぐる わがえぐそくのひとたち いまこのときぞてんになげうつ」と読みます。千利休の辞世の句です。

多少難しい読みになっていて困りますね。平仮名に直すと少しわかりやすいでしょうか。この句を詠んだ後、彼は切腹します。原因は豊臣秀吉との不仲と言われていますが、切腹を命じられた直接的な原因はいまだに不明なままです。

この辞世の句に関しても様々な解釈がありますが、ざっくり言えば「人生70年いろいろあったけど、まあ、ここで終わりだなあ。」という事ではないでしょうか。詳しい解釈に関しては1人1人違う受け取り方ができますね。

三国志で知られる中国の国、蜀の禅僧「韓利休」が残した句に同様のものがあります。生きた時代の前後関係から利休が引用したものではないかと思われますが、ここに千利休の教養の深さがうかがえますね。

まとめ

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茶の道に生き、死後も茶道にとどまらず大きな影響を与えた千利休の言葉、いかがだったでしょうか。一つ一つ丁寧に解釈することで、人生について大きな気づきがあるかもしれません。