イメージ崩壊?シュールなCMで学ぶ石田三成がNo.1家臣に選ばれるワケ!

豊臣秀吉の忠臣として戦国の世を生き、”嫌われ者”と評判だったという石田三成。このマイナスイメージの強い武将を起用したとあるCMがシュールすぎると話題になりました。今までの印象をガラリと変えたこのCMを見ながら、今一度三成について学んでみましょう!

石田三成は悪いやつなイメージ?

石田三成の生涯

出典:https://ja.wikipedia.org

戦国武将と言えば誰を思い浮かべるでしょうか?戦国時代、各地の武将たちが群雄割拠し多くの名前が後世に残されています。その中で武将たちの頂点に立ち天下統一を果たした豊臣秀吉。この太閤秀吉を支え、秀吉亡き後も豊臣家のために尽くした武将が石田三成です。

小姓として秀吉に出仕以降、秀吉が地位を重ねるに従い側近として台頭していった三成。しかし秀吉亡き後、天下を狙う徳川家康と対立。秀吉の嫡男・豊臣秀頼を後継に臨む三成を中心とした豊臣派と徳川派で争いが起こりました。

その争いこそ有名な関ヶ原の戦い。1600年10月に開戦したこの大戦は東軍・徳川方が勝利し徳川家康の天下に。仲間の裏切りも遭い敗北した西軍・石田三成はその後斬首となり40年の生涯に幕を下ろしたのです。

性格に難ありな嫌われ者だった!?

出典:http://mitsunari.biwako-visitors.jp

これまでの三成といえば極悪人の敵役として語り継がれていました。敗戦の将は何かと敵役として悪く語られるものですが、三成の嫌われ方は他の武将より群を抜いていたと言えます。

その要因であり悪人説を助長する所以は三成本人の性格にありました。

豊臣政権下、秀吉の政を支え己の才知を遺憾なく発揮した三成でしたが、性格は偏屈で頑固。自分にも周囲にも妥協を許さない人物だったそうです。何かと陰謀説に加担していたという説もあり、時には秀吉の意のままに冷徹な判断も下し実行することもあったとか。

身近で例えるなら優秀だけど融通が利かない学級委員長タイプというんでしょうか…。仕事を頼むには頼りになるけど出来れば距離を置きたい、ちょっと面倒な人といった印象ですね。実際三成は周囲から疎まれがちだったといいます。

友人からもお墨付きの人望のなさ

知に長けていた三成は文治派としていわば官僚のような役割で顔を利かせていました。豊臣の政の重要なポストを担う三成には諸大名たちも気を使っていたため、徐々に三成は傲慢になっていったという説もあります。

三成の性格の悪さは友人からも窘められるほどでした。まるでコミュ障ともいえる三成でしたが、ぼっちではありません。彼にも友人は居ました。関ヶ原で共に戦い散った大谷吉継です。

出典:https://ja.wikipedia.org

吉継は関ヶ原で三成が挙兵する際「三成の横柄さが徳川の味方を増やしている」「才覚はあるが決断力と勇気に欠ける」「三成では付いてくるものがいないので他の武将を大将に立てろ」といった内容を告げ、三成をこき下ろしました。

これは勝ち目の薄い三成の挙兵を留まらせる為だったとされていますが、それにしても散々な言い様ですね。友人からもこれだけ評される三成の気難しさは相当なものだったことが窺い知れます。

こういった三成の性格が各所で恨みを買い、三成悪人説をより強固なものにしていったと思われます。

石田三成のCMってなんだ?

滋賀県PRとして誕生

少々難アリな性格の三成でしたが、生涯をみれば豊臣のために命を懸けて尽力した忠臣であったことは間違いありません。昨今のゲームやメディアの影響もあり、義に厚い武将として見直され人気も高まっています。

そんな三成のイメージ転換をさらに後押しするため、滋賀県では「石田三成発信プロジェクト」が発足されました。三成は現在の滋賀県長浜町出身。三成を通して滋賀県の好感度や認知度を高めよう!という滋賀県PRの一環でCMが制作されました。そのCMがこちら
https://youtu.be/Bp_JCOWYorA

滋賀県ご乱心かよ…!これでOK出したの?県職員疲れてるの?と思わず心配になってしまいますが滋賀県は大真面目です。

昨今全国の都道府県や自治体が地元のPRを目的にCMを制作していますが、この三成CMのインパクトはトップクラスではないでしょうか。耳に残るフレーズと前時代的かつローカルな雰囲気がとにかくシュールです。

「公式が病気」「謎の中毒性」「頭おかしすぎる」等視聴者をざわつかせました。しかし”ウケ”はばっちりで話題性は抜群。情報番組やネット各地で取り上げられるほど注目されPRとしては成功を収めています。

石田三成がこの様な扱いを受ける日が来るとは誰が予想できただろうか…。

一流クリエイターが手掛けた一級品

動画サイトでは100万回再生を突破したこの三成CM。「武将と~いえば三成~♪」の歌が頭から離れません…。一見おふざけ100%のようですが、なんと国内の広告業界最大級のコンテスト「ACC CM FESTIVAL」金賞を受賞しました。

テレビCM部門でゴールド、WEB部門でシルバーのW受賞、まさかの展開に世間を驚かせました。この三成CMを手掛けたのは藤井亮さん。実はこの方株式会社電通に勤めるアートディレクターなのですが、これまでにも毎日広告デザイン賞やカンヌ国際広告祭など国内外の権威ある賞を受賞する実はすごい人だったんです。

40秒でこれだけのインパクトと話題性を生み、シュールな世界観で人々を魅了するなんて確かに凡人では出来ない偉業ですよね。藤井さんは三成CMの後にもぶっとんだCMを制作されているので気になった方はいろいろ調べてみるといいかもしれません。

CMで学ぶ!石田三成がNO1家臣に選ばれる理由

石田三成CMが公開された数週間後、早くも続編となる第二弾が公開されました。第二弾はまさかの6本まとめた総集編。第一弾と同じく数十年前にどこかで見たような気が…という既視感溢れる仕上がりで、三成の人柄と功績をアピールしています。
https://youtu.be/yAaNoci3_FQ

民にうるおい編

まずは一本目。白いワンピースを着て三成の兜を被った外国人女性が映ります。出オチ感がすごい。三成の兜は乱髪兜という動物の毛髪を使用したフサフサな毛が特徴なのですが、やけにサラサラになり海風になびいています。

バックコーラスと共に「守りたい健康な民、美しい民」の謳い文句が語られまるでシャンプーのCMです。言うまでもありませんが「髪」と「民」を掛けた駄洒落です。誰ですかくだらないと言ったのは!

太閤検地刀狩、当時地域によってバラバラだった米を量る枡の大きさを統一するなど三成は豊臣政権下で政策に尽力した第一人者でありました。三成の働きがあってこそ流通が安定して運営され、生活がより豊かなものへと発展していったといえます。

三成は人々の生活に大きく貢献していたんですね。人々を清らかにし潤いを与える”ミツナリ”はまさにシャンプーのように生活に欠かせない存在…という比喩表現になっています。

東軍メガネ編

「東軍メガネをかけてるみんな、ほんとの三成見えてるかい」そう歌で問いかけられるこのCM。色眼鏡をかけては三成の真の姿が見えないと訴えかけています。東軍である徳川家康が天下人となった後の江戸幕府では、徳川を中心にして、より正当化された歴史が語られました。

敗戦した西軍・石田三成を極悪人とすることで徳川をより権威ある存在に見せる効果もあったのでしょう。また、「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われるように、三成の功績に気づいていても江戸幕府の下で賊軍である三成を称賛することは難しいことであったと思われます。

皆さんは東軍メガネかけてましたか?東軍メガネをかけている方はCMの少年のようにメガネを一度外してみてください。新たな三成が見えてくるはずです。

年貢免除編

借金返済、ではなく年貢のCMです。秀吉から佐和山の所領を与えられ佐和山城主となった三成。その頭脳を生かして領内整備や法令の制定を行うなどの善政を執っていました。

その中で、凶作で領民たちが飢饉に陥った時には年貢を免除するという政策を執ったのです。

円滑な統治を行うには、民の生活を安定させるにはどうすべきかを効率よく考え手腕を振るっていた三成。東軍メガネの影響でしょうか…、年貢も容赦なく搾り取っていきそうなイメージだったのでとても意外に思えます。

レイクビュー佐和山城編

まるでレジャー施設の様に三成の居城・佐和山城を紹介しています。大迫力の石垣にレイクビューベンチ…ベンチぼろぼろやんけ!物は言い様ですね。たとえ城址であろうと田舎にはよくある山の風景ですが、なんだかとっても楽しそうな場所に思えてくるので不思議です。

佐和山城は軍事や政治、物流における要所。当時の落首に「三成に過ぎたるものがふたつあり。島の左近と佐和山の城」と優れた家臣である島左近と並べられる程でした。

佐和山城は三成によって改修されており、外観は天守が高くそびえる立派な城郭だったと言われていました。しかし実際城内は質素な作りだったと言います。三成は戦時の対策や家臣を召し抱える際などここぞという時には惜しみなく金を使うものの、贅沢や無駄な浪費はしない”金の使い方”を心得ている武将だった様です。

会計ソフト風算術編

出典:http://mitsunari.biwako-visitors.jp

三成が算術に長けた人物であったことをこれでもかと押してきます。そろばんとドヤ顔に若干の腹立たしさを覚えますね。豊臣政権で行われた政治・経済対策は三成が手腕を振るっていました。

その主だった功績が「兵糧管理」「太閤検地」「石高管理」です。三成は戦よりも算術に優れ行政能力に長けた武将。他の武将と比べ戦場での目立った武功はないものの、必要な兵糧や運搬計画を緻密に計算し戦を支えていたといいます。

検地の際も不正の無いよう田畑に赴き測量、石高をより厳密に定めることで大名の所領や農民による生産量や生活を確かなものにしました。

Possible!MITSUNARI編

回るミラーボール…「Possible!」の声と共に三成と秀吉が踊りだす…。これまた中毒性を孕んだ歌が離れませんね。「石田三成ならできます」との歌詞通り、三成が遂げた成果を紹介しています。

「9万もの兵を二か月で!?」これは三成が関ヶ原の合戦で招集した兵の数です。徳川の兵力8万に対し、三成には6千の兵しかいませんでした。そこで家康の非を書状にしたため、各地の諸大名に豊臣の為の挙兵を促したのです。結果三成は筆一本で9万もの兵を集めてみせました。

「たった5日で28㎞の堤防!?」秀吉による関東平定の一環で行われた忍城の戦いにおいて、水攻めの為に忍城の周囲に総延長28kmの堤防を築きました。その間わずか5日。水攻め自体は増水により失敗に終わったものの、現在も「石田提」と名づけられ約250mが残っています。

石田三成の本当の人柄とは

旗印に込めた思い

出典:http://mitsunari.biwako-visitors.jp

横柄、堅物、傲慢、冷酷…これまで悪人と評されてきた三成。しかし三成の逸話や功績からはそんな評価を覆す深い忠義心や熱い信念を垣間見ることができます。実際の三成がどんな人物であったか真相を知る余地はありませんが、非情な悪人ではなかったということは間違いないでしょう。

三成が掲げた旗印には「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」との意味が込められています。それを表すように善政を執る三成治下の佐和山の民達は三成を慕っていたといいます。

三成はいわばツンデレ属性とでもいうのでしょうか、懐に入れたものに対し誠意を尽くすけれど、反面にその他に対する扱いがぞんざいになってしまう不器用な人だったのかもしれません。

ファンが望む三成像

2016年の大河ドラマ『真田丸』はご覧になりましたか?主人公・真田信繁が人質として大阪城入りした際、今でいう上司の立場で登場したのが山本耕史さん演じる石田三成でした。

冷淡なようでありながら豊臣の為に奔走し、時に涙し、時に裸体も披露する熱い男を好演してましたね!過去幾度も悪人のように描かれてきた三成が、『真田丸』ではクールながら義に厚い男として描かれ「これこそが本当の石田三成の姿だ」と石田三成ファンの人々を湧かせました。

2017年夏、岡田准一さん主演の映画『関ヶ原』が公開となります。三成が主人公って珍しいですよね…!この映画ではどんな三成が見られるかぜひご覧になってみてください。

まとめ

https://youtu.be/JclghsbAOHYシュールで一見「色々と大丈夫か」と心配になってしまう石田三成CM。しかし楽しみながらも三成のエピソードを知れる優れたCMとなっています。このCMは三成のイメージを覆す大きなきっかけになったのではないでしょうか?

生涯を豊臣に尽くした三成は忠義心No.1であり、「配下にするなら三成~♪」と歌われるに相応しい武将であると納得できます。斬新な表現で新たな三成像を世に送り出した滋賀県とクリエイター藤井さんに拍手を送りたいと思います。

これから先、戦国モノの様々な物語で石田三成を目にすることがあることでしょう。その物語の三成は悪役か、それとも義の忠臣か、どんな風に描かれているか注目してみてくださいね。

義に生きたもう一人の武将 石田三成
三池 純正
宮帯出版社
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