歌姫 中森明菜のデビューから現在!少女Aが伝説のアイドルになるまで

デビューから35年!復活の兆しを見せる中森明菜の、生い立ちから現在の活動に至るまでの歌姫の軌跡を追う。中森明菜はなぜ『歌姫』としてファンの心を魅了し続けるのか?

絶対的歌姫 中森明菜

現代のJ-POPシーンではちょっと歌が上手ければ、女性歌手はすぐに『歌姫』と褒め称えられる傾向にあるように思います。では『歌姫』の元祖は誰かと問われれば、わたしは中森明菜と即答したい。ちょうど7年前の2010年の夏に、宇多田ヒカルが「人間活動に専念したい」と一時期歌手活動を休止したことがありましたが、この真逆を行くのが中森明菜なのです。

兄弟姉妹の多い家庭に生まれ、若い頃から結婚願望も強かった明菜は、料理や掃除など家事全般もちゃんと出来る人なのですが、どこか明菜には「歌の世界以外では生きていけない。命の火を燃やすように歌っている」そんな歌うたいの深遠さを感じてしまいます。

それこそ、中森明菜が絶対的歌姫であると感じざるを得ない圧倒的なオーラなのです。

そんな明菜に『歌姫』というとうぴったりの敬称を与えた切っ掛けがありました。それがその後のカバーシリーズに繋がる1994年リリースの「歌姫」です。この歌姫シリーズでは男歌、演歌、フォークソング、ムード歌謡などにもチャレンジし、ベスト盤も含めて全13枚もリリースされています。

明菜は「カラオケのお手本」ではなく飽くまでも原曲のイメージを壊さないことを大切にしながら、自分の歌に昇華させてカバーというジャンルでも聴く者を切々と魅了し続けました。

そして「歌姫」リリースから20年以上経った今でも、数々のアーティストが今でもカバーアルバムを作り続けています。その火付け役こそ中森明菜だったのです。

中森明菜がデビューするまで

中森明菜は1965年7月13日に6人兄弟姉妹の5番目(3女)として生まれ、東京都の清瀬市で育ちました。兄弟姉妹6人全員が父から「明」の一字をもらっているのは有名な話ですね。

明菜は4歳からバレエを習っていました。パフォーマンスで見せるしなやかなダンスや腰ののけぞりは、きっとバレエの基礎があったから出来たのでしょうね。そして歌の好きだった母の影響で明菜も歌手になりたいという夢を抱くようになりました

明菜がスター誕生のオーディションの応募ハガキを送ったのは、中学に入学してすぐのことです。当時のスター誕生は森昌子、山口百恵、桜田淳子の中三トリオ、岩崎宏美、ピンク・レディーなどを排出し、お茶の間でも注目のテレビ番組になっていました。

審査員も阿久悠、中村泰士、都倉俊一など名だたる顔ぶれ。スター誕生の人気は凄いものがありました。オーディション日時の通知の返事が届いたのは、なんと明菜がハガキを送ってから1年後のことだったそうです。

それだけ当時スター誕生のオーディションを受けようとする少年少女が多かったという証拠でしょう。そんなスター誕生のオーディションに明菜もチャレンジしますが、決して順風満帆なものではありませんでした。何度も何度も予選で落とされました。



中でも審査員の松田トシは明菜に厳しかったようです。やっとたどりついた本戦大会でも明菜は2回も手厳しい批判をされました。最初の挑戦では岩崎宏美の「夏に抱かれて」、2度目の挑戦で松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌い抜群の歌唱力を見せつけましたが「見た目の幼さと選曲が合っていない」と指摘されてしまったのです。

明菜は3回目の挑戦で「今回が3度目の挑戦です。私はもう大人です」と深くお辞儀をして山口百恵の「夢前案内人」を歌いました。

この明菜の所作と歌唱に感銘を受けた中村泰士は、本当なら100点を付けたかったけど、電光掲示板が2桁しかないから99点になってしまったと回想しています。そして明菜はスター誕生史上最高得点の392点を獲得! 1ヶ月後の決戦大会では11人ものスカウトマンが明菜に一斉にプラカードを掲げ、見事デビューを勝ち取りスターへの階段を上り始めるのです。当時はまだ小さなプロダクションだった研音に所属することになった明菜。普通の女の子(=少女A)がアイドルへ変わった瞬間でした。

デビュー、そして「少女A」

明菜の本当のライバルは?

二人とも若いなあ!

tachikoma_02さん(@togusanomateba)が投稿した写真 –

よく明菜のライバルとして松田聖子の名前が挙がりますが、実はこの2人は微妙にデビュー時期が違っています。松田聖子が80年デビューで明菜よりも2年先輩。年は3つも上です。デビュー当時の明菜にとって聖子はむしろライバルではなく、憧れのお姉さん的な存在だたとベストテンで語っていました

明菜が全盛期のころ、聖子はすでに神田正輝と結婚し出産をしてます。確かに世代的には同時期ではありますが、若干ピークがズレているのです。

明菜のデビューした1982年はアイドル豊作の年で、花の82年組とまで呼ばれていました。シブがき隊、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、松本伊代、石川秀美などが同期に顔を連ね、さらに翌年にはチェッカーズがメジャーデビューを果たしており、大変な群雄割拠ぶりだったのです。

何かと聖子vs明菜と取り沙汰されますが、当時の状況を考えると、明菜本人は同期もみんなライバルだったでしょうから、松田聖子だけを特別ライバル視するような余裕はなかったのではないでしょうか?

元祖ツンデレ?!しっとり系とツッパリ路線を繰り返したセールス戦略

明菜も最初は同期のみんなや、憧れていた聖子のようなフリフリの明るい衣装を着た王道アイドルに憧れていたたそうです。デビュー曲「スローモーション」は来生たかおのミディアムバラードでしたが、セカンドシングル「少女A」で不良っぽい歌を笑顔を見せずに歌い、明菜は一躍ブレイクを果たしました

当時は山口百恵が引退して、大人っぽく背伸びをしたような陰りのあるアイドルがいなくなってしっていました。そのポジションに、明菜を置こうという売り手側の戦略があったと言われています。当初は明菜自身も「少女A」には少しハマりきれない気持ちを持ちながら歌っていたようです。

しかしながらこの「少女A」で明菜は「スローモーション」では叶えられなかった夜のヒットスタジオにも初出演を果たします。

その後も「セカンド・ラブ」→「1/2の神話」→「トワイライト〜夕暮れ便り〜」→「禁句」……と“しっとり系”“ツッパリ路線”を交互にリリースしていきました。

どの曲でも明菜はアイドルスマイルは封印で、どちらかというと“しっとり系”では哀しく切なげな表情、“ツッパリ路線”ではガンを飛ばしで歌うのですが、歌い終わった瞬間からコマーシャルに入る直前の一瞬に、緊張が解けたせいか「ふふっ」っとはにかんだような笑みを見せるのがとっても可愛らしかった記憶があります。

中森明菜 歌姫伝説

2年連続レコード大賞受賞で天下を取った明菜!



明菜が初めてセルフプロデュースに取り組んた切っ掛けとなった曲が「十戒(1984)」です。明菜はこの「十戒(1984)」で衣装や振り付け、髪型などを自分で考えるようになり、以降のシングルでは選曲や歌詞にもどんどん自分の意見を出すようになっていきます

特に有名なのが「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」の歌詞です。この曲には実は違う元の歌詞がありました。しかし、明菜は「これではインパクトが足りない。書き直して欲しい」と作家陣に注文を出すのです

そのお蔵入りになった元の歌詞はその後12インチシングルで「赤い鳥逃げた」という同曲異歌詞の曲としてリリースされています。

そして1985年「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と、1986年「DESIRE -情熱-」で、女性ソロ歌手としてレコード大賞を2年連続で獲得。いよいよ天下を取った明菜の『歌姫伝説』が動き出します。

アイドルからアーティストへ



また、明菜は実験的なレコーディングも行っていました。アルバム「不思議」です。歌詞も聴き取れないくらいエフェクトをかけまくったこのアルバムを聴いた人から、レコードが壊れているのではないか?と苦情が来るほどのものでした。

その後「不思議」のに収録した曲の中から5曲を、エフェクトをなしバージョンの「Wonder」というタイトルでCD化して発売をしています。もう、中森明菜はアイドルではなく、完全にアーティストに成長していたのです

夜のヒットスタジオではアルバム「不思議」から「Back door night」と「マリオネット」の2曲を披露しているのですが、そのパフォーマンスは実に圧巻です。

明菜の名曲のひとつ「難破船」もぜひ映像で見てもらいたいパフォーマンスのひとつです。明菜は歌の世界にハマり込むあまり、美しい涙をスーッと流して歌うのです。華奢なデコルテを露わにしたドレスとスタジオの演出も、何回も披露しているのにひとつとして同じものがなく秀逸なのです。

このように歌の世界を映画のように映し出す劇場型の歌手として、明菜はちあきなおみに通じるものがあるとわたしは思っているのです。

その後も「BLOND」では全身をエルメスのスカーフで仕立てた衣装を着たり、自分のイメージに合わない演出をテレビ局側が用意すると、細かく明菜自らチェックを入れていたようでした。そんなところから「生意気」「性格が悪い」などという誹謗中傷も生まれましたが、明菜にとってはアーティストとして譲れないところがあったのでしょう

現在の活動は

明菜は2010年の7月に自らのキャラクターを起用したパチンコ台のPRイベントに出席したのを最後に、体調不良のため芸能活動を無期限休止することを発表。しかしその間も夜のヒットスタジオやベストテンの映像をまとめたDVDボックスなどの発売もあり、復帰が待ち望まれていた。2014年11月放送のNHK「SONGS」で明菜は久しぶりに元気な姿を見せてくれてファンを喜ばせ、さらにはNHK紅白歌合戦にもサプライズゲストとしてNYから新曲「Rojo -Tierra-」を披露。少し緊張の面持ちながら、その力強い歌声と、明菜らしいパフォーマンスを見せつけてくれました。

中森明菜はこれからも歌姫として輝き続ける

明菜は「Rojo -Tierra-」以降も精力的にレコーディングを重ね、2015年1月には「歌姫4 -My Eggs Benedict-」、9月には「unfixable」と続けてリリース。12月には6年ぶりのオリジナルアルバム「FIXER」を発表しました。

そして2016年の年末にはカバーアルバム「Belie + Vampire」をリリース。

さらに明菜はオーディエンスの前にも戻ってきたのです。ディナーショーのチケット販売が開始されると、高額にもかかわらず瞬く間に完売。当初7日間の予定でしたが、急遽3日間追加公演が開催されることになりました。明菜の完全復活です!中森明菜の変わることのない人気を世間に知らしめました。この明菜の復活に喜んだファンは本当にたくさんいたでしょうね。

不死鳥のように蘇り輝きを取り戻した『歌姫』中森明菜。これからも歌い続ける限り大きな喝采を浴びることでしょう。

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