北斗晶伝説 デンジャラスクイーンの現在までを振り返る

“デンジャラスクイーン”といえば、北斗晶さん!昔の彼女を知らない世代には、“鬼嫁”でしょうか!?そんな『強い』イメージの北斗さんの女子プロ時代から乳がんとの闘い、そして復帰までの軌跡を振り返ります。

デンジャラスクイーン・北斗晶

“女子プロレスラー最強”伝説の一人!!

北斗晶は、1967年7月13日生まれの元女子プロレスラーで、本名は佐々木久子(ささきひさこ)といいます。夫はご存知のとおり、元プロレスラーの佐々木健介です。

2002年に引退するまで、女子プロレスラーとして活躍し、80年代中盤~90年代にかけての「クラッシュギャルズ」旋風による女子プロレス絶頂期後の業界を支えた主要メンバーのひとりです。

しかし、彼女は当時の『全日本女子プロレス(通称「全女」)』という日本屈指の団体(2005年3月31日解散)において前代未聞の行動を起こし、それ故にデンジャラスクイーン』という異名で、いまだに“女子プロレスラー最強”伝説の一人と語られているのも事実です。そこには、どのような経緯があったのでしょうか。

高校を中退して女子プロレス界へ

埼玉県北葛飾郡吉川町で農家の3姉妹の次女として生まれ、校則の厳しい神田学園中学校から神田女学園高等学校に進学。当時私設ファンクラブを作って、週刊プロレスに「メンバー募集」の投稿をするほど、ブル中野の大ファンでした。そんな彼女は、『高校を中退して全女に入門する』と言い出します。

それを知った祖父は、「水着で女同士が髪を引っ張り合うなんて、ストリップと同じだ」と猛反対し、初めて孫に手をあげたといいます。それでも、3,500人もの受験生からたった10人の合格者に選ばれ、オーディションを突破しました。

本人の希望通り、高校中退し全女に入門。上下関係も練習も厳しい慣れない生活でしたが、茶封筒が立つくらいの給料を貰っている長与千種やダンプ松本を見て、憧れと希望を涌かせていました。

女子プロレスラーとしての活躍

宇野久子時代

プロデビューは、1985年6月12日札幌中島体育センターでの岩本久美子戦。リングネームは本名の『宇野久子(当時)』のままでした。身長170センチと恵まれたカラダに身体能力の高さから、プロテストなしでのデビューでした。

デビュー戦から同年の新人王決定トーナメントまで連戦連勝。年末の女子プロレス大賞最優秀新人賞を受賞。86年に、全日本ジュニア王座獲得。87年に、堀田祐美子とWWWA世界タッグ王座獲得と輝かしい戦績でした。

順調が災いし、執拗ないじめと無視が始まりました。全女伝統の激しい特訓の先輩の技を10個連続して10人から受ける「100発投げ」や女子特有の人間関係から、東北巡業の途中で脱走を決行します。結局は戻ってきたものの、制裁マッチが待ち受けていました

選手生命の危機―まさかの首骨折!!

張芷菱さん(@zero99122)が投稿した写真



1987年4月27日 大阪府立体育会館で、王者・宇野久子&堀田由美子VS小倉由美 & 永堀一恵の運命のWWWA世界タッグ王座初防衛戦3本勝負が組まれました。

3本勝負の2本目、永堀(1年後輩)が宇野をボディスラムのように担ぎ、コーナーのセカンドロープに立つ小倉(2年先輩)に渡し、小倉はジャンプしてそのまま宇野の頭を直角にリングに突き刺すパイルドライバーを放ち、フォールして3カウントへ。

宇野は首を押さえ倒れたまま3本目のゴングが鳴ると立ち上がり反撃に出ますが、結局ベルトは奪われ、試合後の移動バスで意識不明となり病院で緊急手術。目覚めた時、事態を全く理解できなかったそうです。頭蓋骨6ヵ所に穴をあけ、固定器具で首が動かせない状態でした。首の骨は、2本も折れていました。

北斗晶の誕生

@u_f.d.rが投稿した写真

当時は「何度も自殺を考えた」と、後に語っています。医者からの引退勧告も聞かず、1988年に北斗晶と改名して復活を果たしました。

北斗晶の名前は、ウルトラマンAの「北斗星司」から『北斗』を取り、尊敬する「前田日明」から『あきら』の音を取って、『晶』にしたものです。復帰戦のコスチュームは、骨折の原因となった小倉由美から贈られたものでした。

90年代に入り北斗と2年後輩の豊田真奈美らとの世代抗争が展開され、ジャパン・グランプリ’90の初戦では、北斗の場外プランチャを豊田がよけたため右膝をフェンスにぶつけ、骨が見えるほどの傷でも試合を続け、ドクターストップにより敗退しましたが、北斗、豊田らの高度なテクニックの試合見たさに、新たな男性ファンが会場に押しかけるという現象が起こりました。

『デンジャラスクイーン』と呼ばれるまで

必殺技は伝家の宝刀『ノーザンライトボム』

北斗晶の代名詞である『ノーザンライトボム』は、ボディスラムのように相手を持ち上げ、頭から真っ逆さまに落とすという危険な技で、北斗自身が考案した最強技です。

ボディスラムを失敗し、相手を脳天から落としてしまったところ相手が失神したという経験から、改良して『ノーザンライトボム』が完成しました。まさに、失敗から生まれた最強のフィニッシュホールドです!!

結婚後、得意技が地味でインパクトに欠けると悩んでいた健介に、誕生日プレゼントとしてこの技を伝授するという粋なことをしています。健介のノーザンライトボムはブレーンバスターの体勢から落とすところが、北斗との違いです。

マイクパフォーマンスで観客を魅了!!

はら!さん(@harachandayoo)が投稿した動画

プロレスラー時代の北斗晶は、マイクパフォーマンスでも観客を魅了し、次の試合を心待ちにさせるだけの力がありました。

団体対抗戦時代に、LLPWの紅夜叉との試合をノーザンライトボム一発かつ1分で仕留た挙句、「挨拶が遅れたけど、あたしが北斗晶だ!」と、場内を涌かせました。まさに、プロレスの神髄「相手を受けて、光らせる」を体現していると感じます。この一戦で紅夜叉はブレイクし 、専門誌の表紙まで飾っています。

そして、女子プロレスという枠を超えてプロレス史に残る『北斗晶VS神取忍』という伝説の試合も、北斗晶のマイクパフォーマンスで実現しました。全女の観戦に来た神取に、「何で見に来てんだよ!お前、本当はやりてぇ~んじゃねぇのかぁ?」と挑発し、神取を引っ張り出しました。

神取忍との抗争

@mymmsrが投稿した写真

神取忍との初戦は、93年4月2日横浜アリーナ「全女イズ夢☆爆発!」でのセミファイナル、『デンジャラスクイーン決定戦-横浜極限-』と冠された試合でした。初めに仕掛けたのは北斗。いきなり、神取の顔面を拳で打ち抜き、半失神へ。これが神取の闘争本能に火をつけ、北斗は肩を脱臼させられます。痛さのあまり「さわるな~!!」と絶叫する北斗をリング下におろし、セコンドが肩を入れます。

試合続行後は場外乱闘で、両者顔面血だらけです。最後は、2人とも伸びた中、北斗が神取に覆いかぶさり3カウント。勝ったはずの北斗も「憶えていない」というほど、凄惨な30分37秒で、まさにデンジャラスクイーンとなりました。

その後、結婚しフリーに転向、WCWを経て日本初のママレスラーとなり、2002年4月7日に引退しました。

「鬼嫁」北斗晶

健介との出会い

北斗晶と佐々木健介の出会いは、健介が当時所属していた新日本プロレスリングの創立者であるアントニオ猪木主導で、95年4月に北朝鮮で行われた『スポーツと平和の祭典』に、2人が選手として参加したことでした。

その時、健介が北斗に一目惚れし、帰国後に告白し交際スタート、付き合って2ヶ月のスピード婚でした。結婚式がジューンブライドで、北斗の夢が「アンダルシアのひまわりに囲まれて結婚したい」だったのは、意外と乙女ですね!?

ちなみに、健介は、北斗がデンジャラスクイーンであることを全く知らなかったそうです。『デンジャラスクイーン』という女子プロレスラーがいることは知っていたけれと、それが北斗だとは思っていなかったそうで、知らぬが仏ということでしょうか!?

ミスタープロレス・天龍源一郎の一言で!!

夫の健介は、2002年11月に新日本プロレスを退団し、長州力が立ち上げたWJプロレスへ移籍しましたが、放漫経営から給料未払いとなり1年足らずで崩壊。健介も所属先を失う予期せぬ事態が起こりました。

健介は長州力に憧れてプロレスラーになり、北斗との結婚では仲人をお願いしたほど信頼していた人でしたが、WJ解散時には長州力との間で金銭問題もあり、経済的に厳しい状況に追い込まれました。

2人の幼い息子(当時5歳と0歳)を抱え、これからどうしようと思っていた矢先、ミスタープロレスこと天龍源一郎から「かぁちゃんがいるじゃないか!!」と言われ、引退後は専業主婦をしていた北斗が健介のマネージャーをする形で現役に復帰し、健介の復活を支えることになりました。

鬼嫁キャラ誕生

2004年に埼玉県吉川市の自宅で健介オフィスを立上げ、妻の北斗がマネージャー兼プロデューサーの「鬼嫁」として、WJ崩壊後に健介が預かることになった中嶋勝彦を「息子」として、健介と3人で「健介ファミリー」と名乗ることにしました。その設定の中では、北斗はカカア天下キャラの『鬼嫁』を演じ、そのキャラクターが全国区で知られることとなりました。

健介オフィス立上げ後、健介の試合(2014年2月13日引退)には、鬼嫁Tシャツを着て木刀を振り回しセコンドに立ちましたが、北斗が振り回す木刀の袋は北斗のお手製でした。

2005年11月15日に健介オフィスを株式会社化した際には、北斗が代表取締役社長を務め、プロレス興行とタレントマネジメント等を兼ねた会社として運営しています。

闘病生活について

乳がん発症の経緯

2015年9月23日、乳がんのため入院中で右胸全摘手術をすると手術前日に公表、また5日後の29日に脇のリンパに転移したがんを取り除く手術で、脇の神経も取ったことも告白。

同年初頭に右胸に痛みを感じたものの、毎年検査を受けていることを過信。春旅行のサイパンで、鏡に映った右胸の乳頭が引きつって見えたが、加齢によるたるみだとそのままにしていたところ、右胸が痛み出したので病院で検査し、7月7日に「癌の陽性反応が出た」と審査結果を告げられたと。

医者から「右乳房全摘」を勧められ北斗は何とか避けられないかと抵抗したが「5年後、10年後も生きることを考えましょう」と言われたことで、今の自分は命さえも危ないということを受入れ、全摘手術の覚悟を決めたといいます。

闘病から復帰へ

術後2ヶ月の11月からは、がんの転移を抑えるために抗がん剤治療も行い、副作用で髪が抜けるため、髪を剃って坊主にしました。

1年以上仕事を休み闘病していた北斗でしたが、2016年11月10日に「転移がみられない」との検査結果を受け、11月29日にはTOKYO_MX 『5時に夢中!』、翌30日にはTBSの『あさチャン!』と立て続けに、休んでいたレギュラー番組への復帰を無事果たしました。

北斗が発症した時は、健介が現役を引退しプロレス道場を閉めた後だったので、もしも健介が現役で道場を続けていたら、つきっきりで看病することは無理だったのではないかと思えて、災い転じて福となすということかなと、思ったりもします。

デンジャラス・クイーンの戦いはまだまだ続く!

kazushiさん(@reinbotouchan)が投稿した写真



いかがだったでしょうか。北斗晶を漢字一文字で表現すると「創」ではないかと思います。「創」は刃物で材木を切って「倉」を建てる様子を表現し、「倉を立てる=つくる」ところから新たに何かを「始める」の意味があります。

高校を中退してまでもプロレスラーになろうと思う強い情熱や日本初のママレスラーになったこと、自己プロデュース力が最初に発揮された神取忍との抗争、その延長線上の鬼嫁キャラでのブレイクなど、「創」のエネルギーに他ならないのではないでしょうか。

また、北斗晶は佐々木健介というパートナーと一緒に「鬼嫁」というキャラクターを演出しましたが、プロレスラーを引退しタレントとして活躍する数少ない成功者ではないかと思います。

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