レオナルド・ダ・ヴィンチの名言20選!すぐに使える天才の金言!

ルネッサンス期を代表する芸術家、画家、彫刻家、科学者、哲学者、解剖学者などなどその他にも沢山の広い分野で活躍し「万能の人(uomo universale:ウォモ・ウニヴェルサーレ)」と称えられるレオナルド・ダ・ビンチ。そんな世紀の天才とも言われた彼が残した名言が沢山ありますので彼の半生と共にご紹介したいと思います。彼の名言には現代にも通じるものがあります。人はなかなかすぐには変われないけれど、少しずつなら何かを変えることが出来るかもしれません。今、あなたにとってここに何か必要な言葉があるかもしれません。何か感じていただければ幸いです。

天才の代名詞 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ヴィンチ村出身のレオナルドさん?

An inspiration 💘 Leonardo da Vinci 🎨 👑 #leonardodiserpierodavinci ❤ 💜 💓 💖 💗 💝 💞 💙 💟

👄 Natali Van Tassel 👄さん(@natalivantassel)が投稿した写真 –

きっと誰もが一度は耳にしたことがあるであろうレオナルド・ダ・ビンチ。彼の本名はレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ (Leonardo di ser Piero da Vinci )といいます。 彼の名前の「Leonardo da Vinci」という意味ですが、実はとても面白い名前なのです。「da」は英語の「from」と同じ意味で、「ヴィンチ村出身の」という意味になります。

つまり、「ヴィンチ村出身のレオナルドさん」という意味なんですよ。なんだか不思議な感じですよね。彼は、絵画、彫刻、建築だけに留まらず、音楽、科学、数学、工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残した万能人 (uomo universale ウォモ・ウニヴェルサーレ)などと呼ばれている歴史上の人類史上もっとも多才な人でした。

1452年4月15日レオナルド・ダ・ビンチはイタリアのトスカーナ地方のアンキアーノ村で父「セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ」と、母「カテリーナ」の間に生まれました。そして、5歳からすぐ隣のヴィンチ村に移り住んだのです。幼少期のレオナルドは、学校へ行くなどの正当な教育を受けずにいたために同年代の友達があまりおらず、イナゴやかえるなどの生き物や自然などと触れ合って暮らしていたそうで、自由奔放な性格だったと言われる叔父からの影響がその理由だとされています。

言い方は悪いのですが、正直まともな教育を受けずにこんなにも多才だとはとても驚きです。当時、彼は水や自然に対してとても関心を持っていたそうですから、自然と共に暮らした中で培ったものというのは本来人間にはとても大切なものなのかもしれませんね。

芸術家の道に進むことになった理由

そんな彼が幼少期の時に、ある時レオナルドの父の所に近くに住む農夫がやってきて自分で使った木の盾を綺麗に装飾したいと相談しに来たのです。農夫もレオナルドの父もフィレンツェの専門の工房に装飾を依頼するつもりでいたのですが、レオナルドはその盾に悪戯描きをしてしまいます

その絵は、彼がいつも触れていたこおろぎ、こうもり、カゲロウなどといった生き物で埋め尽くされていたのです。常に動物や自然にたいして興味と洞察力を持っていた彼にとっては当たり前の絵だったのですが、その絵の質の高さに驚いたレオナルドの父親はレオナルドに自分の仕事を継がせることよりも芸術家の道に進ませようと決心しと言われています。

この父の優れた判断こそが大芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチを誕生させたのかもしれません。全てのものに対して、好きとか嫌いとかや醜いとか美しいとかに関わらず、冷静に物事を観察し、彼なりに表現するという能力は学校などの教科書で勉強を学ぶよりも本来人間が当たり前に感じ取るもの、その感性のすべてを彼は自然や動植物から培ってきたのかもしれません。

レオナルドの芸術家としての始まりは14歳頃だと言われています。その頃、彼はフィレンツェに移り住み画家の見習いとして「アンドレア・デル・ヴェロッキオ」の工房に弟子入りしてボッティチェッリらと共に学びました。レオナルドは、工房でヴェロッキオの絵画「キリストの洗礼」の天使の顔を描き、その出来に師匠ヴェロッキオを驚かせたといいます。

驚くべき彼の観察力や洞察力の探究心

そのレオナルドの絵を見た後、かの有名なヴェロッキオは一切筆をもたなくなったという逸話まであります。そうして芸術家への道を極めていったレオナルドは1482年から17年間ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)に仕えながら、自分の工房を開いて独立することになります。

レオナルドの写実を見ても分かるように、彼は目で見て、肌で感じ、心の目でそのものを見ていたためなのか、裁判所の壁につるされた死刑囚をデッサンして人々を驚かせたこともあったそうです。近代解剖学の出発点となったレオナルドの人体解剖への執着もかなりのものでした。その洞察力、観察力、思考力は本当に長けていたのだなと関心すると同時に彼が彼なりに培ってきたものがあるからこそ名言にもちゃんと理由があるのだなと感じました。

人体図に隠された黄金比

ご存知の方も多いと思われるこの有名なデッサン「ウィトルウィウス的人体図」は、紀元前1世紀にローマ帝国で活躍した建築家ウィトルウィウスが著したヨーロッパで最も古い建築理論書「De Architectura」の第三書、第一章に書かれている文章を、レオナルドが視覚言語化したものなのですが、この比率は古代より最も美しく感じる比率とされる「黄金比」であるそうです。

レオナルドはウィトルウィウスが書いた「実に、自然は人間の身体を次のように構成した。…頭は顎から一番上の頂まで1/8。」等を忠実に絵画として再現しただけでなく、この黄金比を取り入れることで自然の英知を数学的に取り入れることに成功しているのです。この話からも彼のデッサンの美しさの秘密が分かった気がしますね。

いわゆるダ・ヴィンチ・コードでも謎解きに使われた「フィボナッチ数列」も、この「黄金比」に関連するものだそうですよ。「フィボナッチ数列」の隣り合う数字を割ると「黄金比」となると言われていて、1200年初頭にピサのレオナルド・フィボナッチという数学者が提唱したもので、ウサギのつがいが増えていく問題を考えている時に発見したとされています。

他にも花びらの数や植物の葉の付き方、ひまわりの種の数や蜜蜂の家系等にもフィボナッチ数は当てはまり、「黄金比」はオウム貝の美しい螺旋構造にも現れているそうです。こんなふうにすべてを数学的な問題として考えるとは・・・・すごいですね。

そんな様々な分野で長けていた万能の人(uomo universale:ウォモ・ウニヴェルサーレ)と称えられるレオナルド・ダ・ビンチの名言の数々をご紹介して行こうと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチの名言20選

優れた画家はふたつのものを描く。人と人の心の動きである。

画家というものは、描くモチーフやモデルだけではなく、その絵画を見る人を対象に考えているということかもしれません。普通に解釈すれば、人と人の心の動きというところを見てもわかるように人(モデルとなる人)と人(描いている画家本人)の心の動きだと思われがちですが、モデルはあくまでもモデル。画家本人がその絵を見た人に何を伝えたいのかが伝えられる画家こそが心の動きを伝えられるのだと言っているのかもしれません。

シンプルさが究極の洗練(美)である

🇮🇹🇮🇹🇮🇹 #leonardodiserpierodavinci

@maki_jp_が投稿した写真 –

よく言いますものね。デザインだってお洋服だとしたって、さんざんいろいろな形やデザインを試したとしても洗練して行けば行くほど、シンプルに近づいて行く。と・・・・・きっとなにごともシンプルに考えたり、シンプルな目で見ると見えてくるものが違って、本当に知りたいことが分かるのかもしれません。

学ぶことは決して脳を疲れさせない(嬉しく幸せなことである)。

世紀の天才と呼ばれ、1つの分野に拘らず、様々なことに興味を示し卓越した力を発揮してきたレオナルドらしい言葉です。何も教科書を開いて勉強するだけが学ぶことではありませんものね。日々の暮らしや今、ここにあるものや起こったことに対して知りたい!学びたい!と思う気持ちはそのことを知るために大切だと思いますし、知らないことを知るって嬉しいし、楽しいし、ワクワクしますからね!

同じ眼でながめた対象があるときは大きく、あるときは小さく見える

El mas de los mases! #LeonardodiSerPieroDaVinci

GeorgeParraさん(@georgeparra)が投稿した写真 –

確かに日々過ごしていて、その日の気分や状況などによってたとえ自分の眼で見て捉えたものであったとしても、いつもとは違う時もありますよね。自分でさえ同じものを同じ目で見ても小さく見えたり大きく見えたりするのならば、同じものを見て他人が同じように見えるとは限らない。そう言いたいのかもしれません。

鉄は使わなければ錆びる。水は澱んでいれば濁り、寒空には凍ってしまう。ましてや怠惰でいれば気力さえも失われる。

この言葉、まさにその通りですね。何事もしなければ何も始まらないし思ったり、感じたりするだけでは何も変わりません。自分が行動しないと何も始まらないですもの。怠惰でいれば気力さえも失われる。って部分・・・気をつけなくちゃって思います。

悪を罰しない者は、悪をなせと命じているのだ。

なるほど・・・確かにそうなのですが、この言葉をこんなふうに伝えられる人は少ないかもしれませんね。まるでトランプ大統領が口にしそうな言葉のようにも感じられます。悪を罰してくれるはずの基準やルールが人間の尊厳というものの中で誤魔化されている。そんなふうに感じられる事件や事故もあるのは事実ですからね・・・

涙は心から来るものであり、頭(脳みそ)から来るものではない。

解剖学を学んでいたレオナルドらしい言葉ではあります。確かに涙は心で感じたモノが脳に伝達されて流すものであります。頭(脳みそ)から来るものではないのは明らかですね。脳はただ伝達するだけ。心で何を感じ、心で何を受け止め、苦しくなるような感覚を感じ・・・それが胸をも熱くして涙となって流れるのですから。

川の中ではあなたが触る水が一番最後に過ぎ去ったものであり、また、一番最初に来るものである。現在という時も同じである。

時も川の水もすべてのことは同じであって、流れていく時間の経過や速さなどの流れを体感できるものではないのかもしれませんね。理解しようと思うとそれはもはや流れや時間ではないと言っているのかもしれません。

私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ。

彼は自分の仕事のことについてこう言っていますが、すべての仕事が私は同じだと思います。もちろん最初はほかの人からの言葉で様々なことを学んでいくでしょうが、ある程度分かってきたそのあとは何事も経験だと思います。いくつも経験をこなすことによりそれはいずれ自分のモノになっていくのだと思うので・・・経験こそ立派な先生だ。と言う言葉はきっと誰にとってもそうなのかもしれませんね。

顔に人間の性格、人間の癖や性質を部分的に示す特徴が見られるというのは真実である。

これは様々な名言を唱えている人が言っている言葉ですね。自分の性格や行い、癖などは毎日の積み重ねです。その行いや言葉はその人を優しくも恐ろしくも顔つきを変えてしまいます。意地悪ばかりしていた人は年を重ねた時にそうゆう顔つきになってしまいます。年を重ねた時に自分の顔を自分で誇れる自分でありたいと思います

私は決して障害に屈しはしない。いかなる障害も、私の中に強い決意を生み出すまでだ。

おそらくですが、芸術家としての特有の考えの一つに、障害があればあるほど大きな決意に変わる人というのもいるのをご存知ですか?芸術家は自分が見て感じたままを表現します。つまり嘘を付けないということになります。つまり、芸術家からみたら、障害と言われるものがあれば、たとえどんなものであったとしても、闘志に変わるということなのかもしれません。

どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えてきて、もっと全体がよく眺められるようになります。不調和やアンバランスがもっとよく見えてきます。

日本人のように海外の人は仕事だけに重きをおきません。もしも仕事に行き詰ったり、辛いなと感じるのならば、たまには場所を変えて見る目を変えてみるのもいいのではないでしょうか?悩んでいたり、見つめていたもの以外のものがもしかしたら見えてくるかもしれませんし、悩んだり苦しんでいたことがちっぽけなものに感じる・・・コレ本当ですよ。不調和やアンバランスだった気持ちがリセットできます。現代に仕事優先している人にぜひ知ってほしい名言です。

失われうるものを富と呼んではならない。徳こそ本当のわれわれの財産で、それを所有する人の本当の褒美なのである。

失われうるもの・・・つまりモノやお金を意味するのでしょう。確かにお金は必要です。でもどんなにその富を築づいたとしても、果たしてそれが財産でしょうか?自分の中に培ってきたものは誰にも奪うことは出来ません。徳こそ本当の人の中に得られる財産なのかもしれませんね。徳はお金では買えませんものね。

食欲がないのに食べても健康に悪いように、やる気がないのに勉強しても記憶力が損なわれ、記憶したことは保存されない。

何事もやる気がなくて凹んでいたりするとやること全てがうまくいかなかったりしますよね。人間ですから、気分が落ち込む日だってあります。スランプの時に何をやったとしても、上手くいかないということと同じかもしれません。そんな時はもう諦めて、何かストレスにならない楽しいことでもするか、早々とベッドに入ってリセットするしかないかもしれませんね。レオナルドでさえこんなことを思うくらいですもの。きっと誰もがそうなはずです。

五感は魂に仕える従僕だ。

これは私も同じように感じます。五感、つまり人や動物が外界を感じ取るために様々な体の感覚機能としてあるのが、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。この5つがなかったら何も感じません。五感で感じ取ったものは生涯忘れません。としたら、五感を鍛えることは自分自身を育てることなのかもしれませんね。

私を軽蔑するな、私は貧乏ではないからな、やたらに沢山のものを欲しがる者こそ貧乏なのだ。

この言葉は、まるでウルグアイの大統領だった元ムヒカ大統領の名言と同じに感じます。本当の貧乏とは、欲深い人間のことであり、貧しい人というのは、ものをもっていない人のことではない。真に貧しい人というのは、際限なくものを欲しがり永遠に満たされない人のことであると彼も言っています。何を持っていないから貧乏とかではなく、心が貧乏ということが一番可哀想なことだということですね。

解剖して分かったことだが、人間は死ぬように出来ているのだ。

彼の解剖学のデッサンを見てもお分かりになる通り、彼の観察力はかなりのものです。医者だったわけでもないのに、この人間の内蔵や脳、そして妊婦や赤ちゃんまでのデッサンには驚かされるくらい細かく分析して書いています。彼が解剖学の図書の元になるものをこの時代に書いていたとは本当に驚きですし、彼が自身の目で遺体を見て、直接調べて書いたからこそ言える言葉なのかもしれませんね。

苦労せざるものは幸運に値せず。

これは、本当にそうだと思います。もちろん世の中には苦労をせずとも幸せな人もいると思います。ただ、多くの人は、待っていただけでは何も変わらないし、幸せにはなれません。苦労したり、悩んだり、苦しんだりと・・・人が生きていくには様々なことがあります。なんの努力や苦労もしていない人間には、決して真の意味での幸運はやって来ないよという意味なのでしょうね

誰も他人のやり方を真似すべきではない。なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。

この言葉については、きっと二通りの意見があるかと思います。誰だって初めてのことに関しては、上手くこなせないでしょう。ある程度のことがわかるまでは、誰かの真似をしたりしてそのことを身につけます。もちろんそれだけで終わってしまっては意味がないのですが、そこから、先に進むためには真似して手に入れたもの自分の力で自分色のものにしていくことが大切かもしれません。そうなると真似することがすべて悪いとも言えないのかな・・・と私は感じます。

知ることが少なければ愛することも少ない。

実はレオナルドは父の後妻の女性のことをとても気に入っていたのです。年齢もレオナルドに近く継母とは言っても姉のような存在だったのです。きっとそんな彼女のことを思っての言葉なのかもしれません。

好きになったお相手を知れば知るほど、愛することができるものが増えていく・・・・まさにお相手のことを本当に大切に思わないと言えない言葉かもしれませんね。生涯特定の女性と親しい関係になることはなく、独身だった彼の唯一の恋だったのかもしれません。

時代はいつ、この天才に追いつけるのか…

世紀の天才と言われたレオナルド・ダ・ビンチ。彼のことを知れば知るほど1つのことに拘らず、様々な視点から色々なことを考えられるとても柔軟性を持った人なんだと感じますし、彼のデッサンの素晴らしさには驚かされます。名言の数々はいかがだったでしょうか。何か現代にも通じる何かがあったように感じます。あくまでも著者自身の解釈ですので、ご了承くださいませ。

最後に1つ皆様にご紹介したいレオナルド・ダ・ヴィンチの恋の名言があります。「男というのは。偉大であればあるほど、深いあいをもっているものだ。」。生涯独身だった彼が本当にこう思っていたのなら、レオナルド・ダ・ヴィンチという男性はとても素敵な男性だったんだなと思います。どうぞ皆様も彼を見習って深い愛で女性を包んであげてくださいね!

ダ・ヴィンチ・コード (字幕版)
(2013-11-26)
売り上げランキング: 7,315
ノブナガ・ザ・フール I [Blu-ray]
KADOKAWA メディアファクトリー (2014-04-25)
売り上げランキング: 46,290