【歴史の真相】日清戦争こそが日本のターニング・ポイントだった!

眠れる獅子・清国との戦争に突入した日本。何故戦わなければいけなかったのか?そして戦いの果てにそれぞれが手にしたもの、手放したものとは・・・?日清戦争を通じて、大きな歴史の流れを感じてみましょう!

対欧米の序章!日清戦争を解析

現在中国と我々が呼んでいる国は、過去様々な変遷を経て中華人民共和国(略して中国)となったわけですが、この地域は約100年程前まで「清(しん)」と呼ばれる王朝が存在しており、その占領範囲は現在のモンゴルまで延びていました。

1894年、そんな大国・清王朝と、方や江戸時代が終わりを告げたばかりの小国・日本が戦争をしたんです。無茶をするもんですね。

個人的な意見を言わせてもらえば、この日清戦争から日本は本格的に世界に進出したと考えています。つまりは後の日露戦争や世界大戦もこの日清戦争が大きな土台となっている、という事です。

そこら辺の出来事は「避けられない運命」と私は捉えていますので、そのきっかけとなった重要な出来事である日清戦争を、これから細かくお話しさせていただきたいと思います。

日清戦争勃発の原因とは?

では、何故日清戦争は起こったのでしょうか?一言で言ってしまえば、それは「朝鮮半島の取り合い」です。これから少し遡って見ていきましょう。

1854年に開国した日本は明治以降西洋の文化を積極的に取り入れ、軍備の近代化に成功していました。当時アジア諸国はその殆どが欧米列強国の植民地化にあり、日本としても欧米が支配する資本主義経済の渦中に佇んでいる事を認識せざるを得ませんでした。

その中で、自国に最も近い朝鮮(当時は李氏朝鮮)は依然旧体制の武力しか持っておらず、このままではいずれ朝鮮が支配されてしまい、そうなると日本は島国という地理的要素もあって完全に孤立し、もはや勝ち目はなくなってしまいます。



欧米諸国に負ける事が何を意味するのか・・・のっぴきならない事情を抱えた日本は「生命線」とも言える朝鮮の自主独立を画策し始めますが、なかなかうまくいきません。

古来より中国大陸支配国の属国的立場にあった朝鮮はそれ以外の国に耳を貸す体質ではなく、これはもう清から強制的に引き離すしかないと考えた日本は、主に朝鮮を舞台として清と戦争を繰り広げたのです。

自主防衛の目的(経済的な意味も含め)で朝鮮を手中にしたい日本と、今まで以上に朝鮮との主従関係を密にしていきたい清の戦いはこうして幕を開けました。

日清戦争直前!両国の情勢

日清戦争に至るまでの経緯は非常に重要なので、ここではもう少し細かく流れを見ていきたいと思います。

日本は清との戦争の前に、清、朝鮮とそれぞれ国交を締結しています(日清、日朝修好条規)。これによって鎖国状態であった朝鮮の開国には成功したものの、自主独立(または傀儡国)に導きたいという日本の思惑通りにまで事は運んでいませんでした。

その頃、朝鮮の中でも開国後の意見が分かれます。清の影響下で今後もやっていくべきと考える派閥・事大党と、清のやり方よりも日本の近代化に倣うべきと考える派閥・独立党が対立します。

この二つの党は1882年1884年に、それぞれ相手を打倒する為のクーデターを起こします(壬午事変と甲申政変)。しかしいずれも日清両軍が出兵した事によって鎮圧され、失敗に終わります。これは間接的に清と日本の争いでもあり、両国間の緊張は次第に増していきます。

それでも当時の総理大臣・伊藤博文は他国との外交の兼ね合いもあって戦争に慎重であり、また清の大臣で、日清戦争の代表的人物・李鴻章も日本との戦争には消極的でした。しかし、そんな両者の思惑とは裏腹に運命の歯車は着実に回っていきます。

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Takayoshi Onitakeさん(@peace_maker1989)が投稿した写真 –

1894年、東学(とうがく)という宗教の一部の信者が農民たちを巻き込んで蜂起し、役人の不正や日本の朝鮮進出に対する反乱を起こしました(甲午農民戦争)。次第に大規模なものとなっていったこの暴動になす術のない朝鮮政府は、清に出兵を要請しました。

日本も朝鮮に兵を派遣したのですが、その後朝鮮政府の提案で休戦した為に日清両軍は駐留理由がなくなってしまいました。そこで日本は清に共同で朝鮮の改革にあたる案を出しましたが、清はこれを拒否。もはや話し合いでの交渉は不可能であると両国は判断し、そのまま戦争に突入したのです。

日本勝利!日清戦争の勝因とは?

戦争は日本軍の奇襲に始まり、陸上戦、海上戦においても日本軍は戦いを有利に運んでいきます。1894年7月に始まった戦争は、9月の時点で清軍の拠点の一つであった平壌を陥落、清軍の艦艇を10隻以上大破させるなどの戦果を挙げています。

その後日本軍は清国本土に侵出し、旅順などの重要拠点を制圧していきます。更に朝鮮で再び湧き上がった東学率いる農民軍の攻勢も退け殲滅に追い込むなど、その形勢は明らかとなっていきました。



翌年の1895年4月には日清の間で講和条約が結ばれ、事実上の日本の勝利が決定しました。では、大国であった清に何故小国日本は勝利する事が出来たのでしょうか?

日本と清はどちらも近い時期に軍備の近代化を図っています。日本は社会、政治なども含めた西洋の技術を学ぶ事で根本から国家を再建していたのに対し、清は軍備のみの近代化に留まっていたのです。

つまり清は中身のないまま外側だけを改善していった為に、統一性に優れた日本にそこを突かれ、後は総崩れにならざるを得なかったのだと推察できます。

日清戦争終結・・・交わされた「下関条約」

日清戦争の終結を意味する日清講和条約は別名「下関条約」と言います。この名称は、清の全権大使(外交の最高責任者)・李鴻章が日本の山口県下関(当時・赤間関)にて条約を締結した事に由来しています。

戦争自体はほぼ日本の完勝であった為、この条約の内容は当然ながら日本に有利なものとなります。ここで一つ言っておきたいのですが、今回でも分かる通り、戦争とは話し合いによる外交の延長であって、平和の対義語にはなり得ません。

なので、平和を訴えれば即ち戦争がなくなるわけではない事を我々は理解する必要があると思います。

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謝政霖 ALinさん(@macanalin0610)が投稿した写真 –

さて、下関条約の内容は大まかに次の様になっています。【清は朝鮮を独立国として認める】【清は日本に国の一部を永遠に譲渡する】【清は日本に2億両分の銀を支払う】【清は日本を最恵国待遇扱いにする】

因みに、朝鮮はこの条約をきっかけに「大韓帝国」と国名を変更しています。こうして日清朝(韓)の関係は以前とは異なるバランスとなり、次の運命へと動き出すのです。

日清戦争雑学で一休み

なるべく簡略に書いているつもりですが、やはり小難しい話という事もあるので、ここらで一旦休憩の意味を込めて日清戦争にまつわる、本当になんてことない話を二つ程させていただこうかなと思います(笑)。

先ずは、上に貼り付けた画をご覧になった事はありませんか?これはフランスの画家(漫画家)ジョルジュ・ビゴーの作品で、日清戦争当時の状況を風刺したものです。タイトルは「魚釣り会」。

左が日本、右が清、奥の中央にいるのがロシアで、池の中には「Coree(朝鮮の事)」と書かれた魚が泳いでいます。日本が当時最も警戒していたのがロシアの南下政策で、もし朝鮮をロシアに獲られたら日本は存続の危機に瀕してしまうとまで言われていました。

ジョルジュは日清戦争の前後日本に滞在していたこともあり、リアルに緊迫した情勢を感じていたのでこの様な画が描けたのだと思います。

今天(8/1)是甲午戰爭開戰滿121年 圖為日軍正在攻擊清軍 #sinojapanesewar #121

長谷川赤彦 Ħ₳Şℰ₲ᎯᏔ₳ Ã₭ÅℋⅈЌѻさん(@kevin.19991023)が投稿した写真 –

それでは二つ目です。世界中が見守っていた日清戦争ですが、英語ではこの戦争を何と呼ぶのでしょうか?正解は「the Sino-Japanese War」で、Sino-はサイノーと発音し、「中国と~との」という意味です。

因みに日露戦争は「the Russo-Japanese War」と言い、Russo-はラソーと発音します(何故か日本が後にくるんですね)。英語圏の人に知り合いがいたら是非試してみてください。以上でちょっとした雑学を終了します。

日清戦争が運命の歯車を回した?日露戦争突入へ



日清戦争がもたらしたものは、日本の勝利、清の敗北だけではありません。欧米列強国以外で台頭した初めての国・日本に対し、欧米各国は警戒感を抱く様になったのです。そして下関条約締結から僅か6日後、ロシア・フランス・ドイツの三国が日本に圧力をかけてきます(三国干渉)。

目的は下関条約の一つである清の国土の一部譲渡を白紙にさせる事で、その場所とは遼東半島の事を指します。当時、白色人種と争ったって万に一つも勝ち目がない時代という事もあり、日本はこの条件を飲まざるを得ませんでした。

清に恩を売った三国は、その報酬として清の国土の一部を租借地として獲得していき、ロシアは日本が返却した遼東半島の一部を獲得しています。

この影響は計り知れず、簡単に言うと日本は嘗められてしまいます。その証拠に朝鮮は日清戦争後、親日派が実権を握っていたにも拘らず、三国干渉の後には親露派が勢力を増大していきました。

親露派の代表・閔妃(びんひ)はロシアに様々な利権を手に入れさせ、排日的な活動にも力を注ぎます。このままだと朝鮮はロシアに乗っ取られてしまうと危機感を募らせた日本はとうとう閔妃を暗殺してしまいます。

これが更にロシアとの対立を激化する事になり、日露戦争へと流れていくのですが、つまりは暗殺しようとしまいと日露の対立は防ぐ事が出来ない、結局は日露戦争へと導かれる運命にあったのだと私は考えます。

現代に生きる我々が思う事

いかがだったでしょうか?私はこの後の第一次世界大戦、第二次世界大戦も日露戦争が大きな発端と考えています。そうすると、日清戦争はその後の日本を決定付けた戦いと言っても決して暴論ではないと思います。

ただ、「あの時こうしていれば避けられたのに」とか「ああすれば日本はもっと栄えていたのに」などという無意味な妄想をするわけではありません。その時、その場所にいた人間にしか分からない判断というものは必ずありますしね。

我々現代に生きる者は、その昔母国を守る為に戦った誇るべき先祖たちがいたのだ、と心の中で讃えていればそれでいいのではないかと思っています。

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