【フランス革命】様々な物語の題材となった時代の夜明けを知る

映画やミュージカルなどの作品になるフランス革命。世界の人々がフランス革命に興味を持つのはなぜなのか?その秘密を探ってみました

フランス革命は世界でもっともドラマティック

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フランス革命を題材にした作品は、世界中でとてもたくさんあります。映画やミュージカルだけでなる、バレエ、オペラなど、日本では「ベルサイユのばら」という漫画もとても人気です。

信じられないほどの豪華な宮殿や、革命に翻弄されたマリー・アントワネットという女王など、ストーリーをドラマティックにすることに事欠かない素材がたくさんあるからでしょう。

いったいフランス革命というのはどういうものなのでしょうか?

まずはフランス革命の暦を知ろう!



「フランス革命暦」というものがあるのはご存知でしょうか?1793年、フランス革命政府は一年を12か月、すべての月は30日、余った5日は年の最後に置いて休日にするという新しい暦をつくりました。

フランス国王・王妃を斬首刑にした後、ジャコバン派が独裁政権を握ります。革命思想の普及と教会の支配力をはするために、共和制樹立記念日の1972年9月22日を第1年第1日としました。

こんな中途半端な日を、元年の第1日にすると言われても困りますよね。ヨーロッパは陸続きですし、フランスだけ暦を変更しても無理がありますよね。

12年ほどで廃止されたフランス革命暦

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更に、暦だけではなく時間も変更しました。1週間は10日、1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒とすべて10進法に変えたのです。当然時計も今までのものは使えません。

今までの生活習慣を変えることは大変ですから、普及するまでに時間がかかります。国民の間で不評だったためナポレオンが皇帝となったのち、1806年に廃止されました。

今突然、時間が10進法になったら混乱するでしょうね。絶対についていけません。

バスティーユ襲撃で革命は本格的に

1789年、バスティーユ牢獄をパリ市民が襲いました。一般的に、この襲撃がフランス革命の始まりとされています。理由は、国民に人気のあった財務総監ニッケルを、罷免したことに激怒したからです。

といわれてもなんだかよくわかりませんよね。まず、この時までにフランスは財政が赤字になっていました。それを補うための方法は、税金を上げることです。今の日本とあまり変わらないような気がします

平民の生活はすでに苦しく、税を上げるなんてとんでもないと三部会を開くことを要求しました。三部会は開かれたもの、第三身分を失望させる結果となったのです。

球戯場の誓い(テニスコートの誓い)

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民衆は「国民議会」を発足させ、憲法の改定と国王が「国民議会」を認めることを要求しました。これを認めるまで解散しないと宣言したのが球戯場の誓い(テニスコートの誓い)です。

私はこの時、テニスコートがあったんだ!テニスやってたんだ!とそちらの方に関心が向きましたね(だからダメなのね~)。国王はやむ追えず「国民議会を」を認めたものの第三身分に圧力をかけるために、軍隊を集結。

更に、ニッケルを罷免して、怒りの火に油を注いでしまったんですね。貴族や王族は、自分たちの思いどおりになっていたわけですから、それ以外のことは想定できないでしょうね。

フランス人権宣言~自由・平等・博愛

バスティーユの襲撃後、革命の波は地方へ波及していきます。国民議会は封建制度の廃止を決め、フランス人権宣言を採択しました。自由・平等・博愛を基本とした人権宣言で、フランス国旗の三色はこの3つの意味を表しています。

前文と17条から成って、第1条に「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」と、うたっています。これはアメリカの独立宣言を参考に作られたもので、国民主義・基本的人権の尊重・所有権といった近代社会の根本的考え方です。

このころ日本はまだ徳川時代。このあと明治維新などいろいろ起こってから、国民主権の考えは日本に広まりますから、欧米社会はかなり前から、この考え方が浸透していたんですね。

マリー・アントワネットは悲劇の主人公か?

マリーアントワネットはフランス革命の中心人物です。この方が悪の代表となったことで、民衆は団結できたのではないでしょうか?はっきりした敵がいると、反感を持つ人たちは団結しやすいものです。

マリー・アントワネットは、オーストリアの女大公マリア・テレジアの娘として生まれます。この時のハプスブル家は飛ぶ鳥落とす勢いでしたから、生まれながらにしてお姫様なんですよね。

14歳の時にフランスにきて、べルサイユ宮殿で盛大な結婚式を挙げます。日本も同様ですが、昔の人は幼いのに親元を離れて、遠くへお嫁に行くのは不安でしょうね。

ブルボン王朝末期の象徴首飾り事件

混みすぎだった#マリーアントワネット展

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生粋のお姫様は、確かに浪費家でした。賭博をおこなったり、仮面舞踏会に通ったりしていたようなのですが、この時のフランスの負債はそんなことでできる額ではなく、戦争やイギリスの産業革命などで国内の経済が回らなくなってきていたことが要因です。

でも、マリーさんは人づきあいが下手だったんですね。自分の気に入った人だけを周りにおいたので、寵に加われなった貴族などに誹謗中傷されてしまうのです。

そこで起こったのが「首飾り事件」。王妃が首飾りを買ったとして高額を請求されます。しかしそれを購入したのは王妃の名をかたった別人。つまり詐欺ですね。こういうスキャンダルって事実がどうかじゃなく、その人の人格が中傷されますよね。

断頭台に消える・・・

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民衆の怒りが爆発し、国王一家はオーストリアに逃げようとしますが途中で見つかり、パリに引き戻されてしまいます。馬車にたくさんの荷物を積んでいたということですから、なによりも不快はありえなかったんでしょうね。

マリー・アントワネットの恩恵にあずかった人達は、何よりも先に王家を見捨てて国外へ逃げて行ったので、あまり人を見る目がなかったと言えます。たいていの人間は、自分の気分を良くしてくれる人って好きですから仕方ないですけど。

マリーは革命裁判で、ほとんどの罪状で無罪を主張するのですが、当然それを受け入れられるはずもなく、コンコルド広場でギロチン処刑となります。王妃になった時期が少しずれていたら、こんなに嫌われることもなかったでしょうね。

フランス革命とナポレオン



ルイ16世の処刑を機にジャコバン派が独裁政治を始めます。「人権宣言」は実際にはただの絵空事で、恐怖政治と呼ばれる、反対派の者はどんどん処刑してしまうというとんでもない政治状況になったのです。

1799年にナポレオンがブリュメールのクーデターを起こし、これを持ってフランス革命の終結といわれています。ナポレオンはフランス革命が勃発した当初、ほとんど革命に関心を示していませんでした。

ところが軍人となり数々の功績を収めることになります。フランス革命戦争が欧州各国を巻き込んでいく中、オーストリアをイタリア側からの攻撃を任され、連戦連勝します。

政治家というより生粋の軍人

パリへと帰還したナポレオンは熱狂的な歓迎をうけます。いろいろ抑圧されていた民衆ですから、勝利そのものに歓喜するのも無理はありません。ナポレオンは英雄となり信頼されるのです。

ナポレオンがエジプトに遠征しているときに、ネルソンがイギリス艦隊に大敗。そこで、ナポレオンは自軍をエジプトに残したままパリにもどります。パリ市民は待ってましたとばかりに、ナポレオンの帰りを喜びます

そしてクーデターを起こし自分が独裁権を握るのです(フランス革命終結)。民衆の人気がすごかったということですね。写真のエトワール凱旋門は、アウステルリッツの戦いの勝利を記念してナポレオンが作らせたものです。

フランス革命の省察「保守主義の父」はこう考える



エドマンド・バークの著作で、フランス革命に関して批判的な内容の本です。ところがこの本は1790年、ルイ16世がギロチンで処刑される前にかかれているんです。かなり洞察力に優れた人だったんですね。

急進的な社会の改革、つまり革命は成功しないということが書かれているので、今現在も多くの人に読まれているのです。いいものは残し、良くないものを変えていかなければならないという考え方は、正に理にかなっています。

煌びやかなベルサイユ宮殿、美しく可憐だがわがままなお姫様、英雄のナポレオンなど、”事実は小説より奇なり”という言葉とおりのフランス革命。今後もまだまだ作品が登場しそうです。

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