第二次世界大戦の終戦というものを勉強ではなく自分で感じるススメ。

第二次世界大戦は、どのように終戦していったのか、日本にとってその終戦とは何だったのか?そして戦後の国内はどう復興していったのか?勉強ではなく、終戦記念日や戦争や平和というものを自分なりに考えてみるのは思考バランス的にも意味のあることですね。

第二次世界大戦が終戦したのはいつ?

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9月2日または9月3日に制定されているそうです。各国が戦争中だったので、そこには世界規模のタイムラグがあるんでしょう。そしてそこには勝った国負けた国での違いもあります。

驚いた事に、第二次世界大戦で勝ったとされている、連合国のほとんどは、戦勝記念式典パレードや、記念銀貨コインなるものを催し、いまだ浮かれているのは大丈夫か?と思いますが

軍国である事に誇りを持つのは自由?かも知れないですが、その為に世界中の人が亡くなったというのに、国をあげて戦争を勝ち誇る式典、後の世代に何の意味があるのか?疑問です

第二次世界大戦 終戦記念日

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日本人の学校教育では、8月15日が終戦記念日で、広島・長崎の平和公園や原爆ドームなどの映像がTVに流れ、高校野球甲子園大会ですら選手も観客も一分間黙祷を捧げます。

しかし、世界的には第二次世界大戦終戦記念日というのは、アメリカなどが9月2日中国などが3日。日本と共に戦ったドイツに関しては、「国民哀悼の日」11月第3日曜日

というものがあるだけで、個人によって終戦認識はバラバラらしい。終戦1ヶ月前に連合国側に寝返った、イタリアは国のトップがグチャグチャで前線の兵すら9月3日突然終戦の知らせ

第二次世界大戦の終戦を日本人として考えてみる

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そもそも戦争という事。しかし今とは全然、時代が違いまるで別の国のような超軍国主義だった日本。あくまで例えて非なるものの、今で言う北朝鮮的だったと言う意見もあります。

一つ言えるのは、現在のように一個人が戦争について自由に語る事など、言語道断だった訳で、一個人は皆やるしか選択は無かった。そしてもう一つ現在の憲法9条と自由と認識

外国に押し付けられた憲法9条とかの議論はどうでもよく、勝っても負けても、結局は人の命を犠牲にしたビジネスでしかなく、この先の未来も戦争はやるべきじゃないと思います。

映画「私は貝になりたい」

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終戦記念日に合わせて、日本では様々な特番やドラマが反戦をテーマに作られます。世界的にも、こういう国は日本ぐらいなのを知っていましたか?私は貝になりたい」もそうです。

この話は実際の、元陸軍中尉・中村哲太郎の手記、「狂える戦犯死刑囚」の遺言部分を基に脚本化されました。すべてが事実に基ずいた訳ではないですが、苦しんだ遺言は事実です

世界的にも各国が戦後の戦争裁判には様々な見解の相違があり、アメリカ国内でも激しい論争があったのは意外です。しかし止められないのです。巨大な重い虚しさを突きつけられます。

第二次世界大戦 の終戦後、どんな復興したんだろう?

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民衆たちは、空襲による深刻な食料不足で、物々交換から闇市に発展していったそうです。焼の原だったあちらこちらの跡には、バラックが不法占拠し市場になりはじめます。

一方、国を挙げての大きな転換期としては、米中対ソ連の対立の舞台になった韓国での戦争で、米軍が使う武器の注文が日本に入ると日本の工業界は、一気に息を吹き返しました

不条理な感じがしますが、食えるレベルまで理屈は抜きだったんでしょうね。飢え死になんか誰もしたくないし、家族を食わせる為。しばらくは、どさくさな混沌とした時代でした

ヤミ市の重要性

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地震災害を経験した人は、近い経験をしていると思いますが、流通が遮断された食料不足はひどいものです。1日3食なんて到底、食えませんしかも東京は人口が圧倒的に多い

そこへ帰還兵や田舎からの疎開帰りなどで益々人口は増加。なのに国や米軍の配給以外の食料品売買は違法行為で、警察やMPが没収し、餓死者を出すという規制の混乱ぶり

それが昭和20年頃。当時の民衆としたら、不法占拠だろうが闇組織だろうが食料が手に入るヤミ市は、ありがたいものだったに違いありません。世界中で戦後はヤミ市が急増します。

庶民目線で解る戦後復興期物語

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例えば映画「仁義なき戦い」の冒頭にある、広島抗争の発端になる組織は、戦後のヤミ市から頭角を現した実話であり「明日のジョー」の舞台であるドヤ街(貧困層が住む地域)

も、推定さらに戦後20年後くらい時代の非行少年がプロボクサーになって、渡って来る者は居ても逆に出ていける者は居ないという「泪橋」をドヤ街初、出世して逆に出て行く物語。

浅田次郎・作の「天切り松の闇語り」なんかもそんな戦前と戦後日本の時代の匂いが、交差する物語です。いずれも、過酷な時代を生き生きとした人間描写で描く、人情味熱い傑作です。

リアルな戦後という話から

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戦後の食糧難は、地方にも波及し、農家や漁師が一番偉かった時代。農家でも漁師でもない父が幼少時代に貴重な、生卵を物々交換し、帰路で誤って割った時泣き崩れたそうです

友人のお爺さんは、孫をおんぶした時のあやし歌が、軍歌だったそうです。それを孫以外、誰も知りませんでしたお爺さんの心の奥底では戦争は終わっていなかったのですね。

このような、普通あってはいけないトラウマを、戦争というものは負けても、たとえ勝っても深い闇となり一生その人の人生に取り憑く見えない傷だという事を聞かされ理解しました。

戦争もその後も大金が動く

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戦争で勝った国は、負けた国に復興援助融資と称して金を貸し、世界銀行という連合国も、融資というビジネスを日本を相手にしました。確かにこれをフルに使い復興しました。

当時の吉田首相も内閣も外国に何をされているか解っていたと思います。それで食べられた給食を出した学校の先生も、それで開通した新幹線作業員も同じ意識だと思います。

それには、かつての日本も含めた人間世界規模のおぞましい戦争ビジネス・シナリオへの憤りも今、悔しい自分より敗戦したこの国を未来の人の為に変えるんだというを感じます。

第二次世界大戦の終戦から日本を自分なりに感じる

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何でも便利になり、裕福さと情報の奴隷になってはいけないと危機を感じます。産まれたとは言え、先人達の歴史を知る事により当たり前なんか何処にも無いという事を実感します。

やはり、大事な志や人情というものを引き続かなければいけないのは、現在生かされている日本人の義理であり、本来の魂ではないでしょうか?そう思えてなりません。

現代の放火やストーカー殺人やいじめや自殺、ワーキング・プーア、ネカフェ難民など、そんな日本では先人に失礼です。誇りを持ち、助け合い、誰かの為に生きたいものです。

戦争商売と球拾い

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戦争をやっている、またはやろうとする世界と外交がある日本人である以上他人事ではありません戦後の日本は外国に守られ戦前日本とはまた別の問題になっている現在です。

根本はなんだかんだ言っても商売話ですが。しかしその商売話で外国から金を集めミサイルは売れ、武器商人は儲け、罪の無い人の街を破壊し、怨みをかいテロリストを育ててしまいます。

そしてまた外国から金を集める商売です。兵士だけでなく一般人も沢山死にますこれは商売という戦争ですその商売の球拾いをグランドの外で金を払ってやってくれと言われています。

軍を持ちたがろうとする日本内閣の一部

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あの動きを皆さんは、どう思いますか?そういう事を言い出す政治家は皆、国際社会とか日本の立場とか言い出します儲け話にしか聞こえません。すべては国際ビジネス、金です。

金がグルグル周って、互いに食うには困らない共栄関係を築こうという話に、武器や若者を少々死んでもしょうがないから利用しろと言ってる訳です。人の命が財テクの数字です。

また繰り返しです戦犯死刑囚になる覚悟なのでしょうか?やらされているんでしょうか?前線で銃撃に震える事も、死への恐怖から発狂など絶対する機会の無い政治家達の意見です。

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