【鈴木啓示】昭和の大投手は草魂込めて先発完投!その実績と現在に迫る

ミスターバッファローズとしてその名を轟かす鈴木啓示。近鉄バッファローズ一筋で積み重ねた勝ち星は300を数え、数々の記録を残した類い希な左腕です。先発と直球勝負にこだわり、どんな打者とも真っ向勝負でファンを喜ばせた大投手の野球人生に迫っていきます。

近鉄バッファローズ一筋20年!鈴木啓示とは?

出典:http://special.buffaloes.co.jp

1965年の入団より引退するまでの20年、近鉄バッファローズのエースピッチャーとして活躍した鈴木啓示。身上とする直球勝負を最後まで貫き通した根性と男気の大投手です。往年の近鉄ファンにとっては伝説に近い存在の選手で、300を数える勝ち星は現在のプロ野球では到達不可能な数字と言われるほど。球史に一時代を築いた功績は70歳間近となった現在でも色褪せることはありません。

同時期に活躍した阪急の山田久志とは終生のライバルで、近鉄対阪急でのエース対決は、関西私鉄の雄を決するが如きの真剣勝負でした。どんな強打者でも逃げることなく勝負する姿は、多くの野球ファンを魅了!それゆえ奪三振も多いが被本塁打も多い一面を持ち合わせています。当時は鈴木啓示をはじめとしたエース級の投手は、皆が真っ向勝負の時代。観客もさぞや楽しかったことでしょう。

小細工なしの本格派として数々の記録を打ち立てた鈴木啓示。名球会はもちろん、野球殿堂にもその名を連ねるレジェンドとして抜群の存在感は、今も現役当時のまま。技術職人タイプの鈴木啓示は知れば知るほど味のある選手です。

雑草の魂が信条!こだわりは直球での堂々勝負

入団後すぐに頭角を現し、長年エースとして活躍した鈴木啓示。全盛期であっても下半身強化を怠ることは無かったと言います。先発登板翌日でもチームに帯同しランニングで調整するほどでした。長いペナントレースで、バテずに伸びのあるストレートを投げ込むには大投手といえども基礎強化は重要。それを実践し続けることで偉大な記録が生まれたと言っても過言ではありません。

人一倍基礎トレーニングをしていた鈴木啓示のストレートは、まさに魂がこもったかのような球!強打者であってもそう簡単に打てるものでもなく、ノーヒットノーランも2回達成しています。絶好調時の球速は150km/hをはるかに超えていたとも言われ、奪三振ショーは「セの江夏、パの鈴木」と並び称されたほど。

直球を主体にした強気の勝負をする鈴木啓示のベースとなっているのが座右の銘でもある「草魂」です。どれだけ踏まれても立ち上がる雑草のようにしぶとく根性ある姿は、多くのファンからも共感!ホームランを打たれても信念を曲げることなく再び立ち向かうところは本格派の投手ならではです。

名将西本監督を男にした悲願の初優勝

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鈴木啓示が入団した近鉄バッファローズは、パ・リーグの中でも弱小球団として知られ、優勝はおろか上位の成績を狙うにも役不足でした。そんな近鉄球団が転機を迎えたのが1974年の西本監督就任で、ベテランの域に達した鈴木自身にとっても西本監督との出会いが転機となります。弱小球団を一から鍛え直した西本監督の手腕は後の語り草で、鈴木啓示にもある変化が。

名将として知られる西本監督の指導を受け入れた鈴木啓示は、直球主体のピッチングから制球や配球を主体とした頭脳的な投手へと変貌。1978年には常勝阪急と優勝争いするところまでチーム力もアップしていました。鈴木啓示を中心にまとまったチームは快進撃を続け、1979年には悲願のパ・リーグ制覇!翌1980年も連続優勝と西本監督の恩に報いています。

パ・リーグ制覇とは縁遠かったチームを常勝に育て上げた1981年に退任した西本監督。鈴木啓示からの信頼は揺ぎないものとなり、1985年に現役引退を考えた際には真っ先に相談しています。西本監督が居たから鈴木啓示は300勝投手として野球人生を全うできたのも事実です。

20世紀最後の300勝投手!鈴木啓示の輝かしい成績

近鉄入団から現役引退まで、鈴木啓示の活躍は昭和の大投手に相応しいもので記憶にも残るものでした。日本プロ野球史上4位となる317勝は堂々たる記録ですが、その中身がまた凄い!317勝のうち288勝が先発勝利で歴代トップの数字です。これは先発完投にこだわり続けた鈴木啓示ならではの勲章で、この先も破れない記録と言われていますよ。

ルーキーイヤーから15年連続の二桁勝利!途中5年連続20勝以上という大車輪の活躍は、走り込みで下半身を徹底的に鍛えあげたトレーニングの賜物です。野球解説者の張本勲も言っていますが、基礎トレーニングの大切さは今も昔も全く変わっていないんですね。草魂の男は自分をとことん追い込むことにもストイックでした。

また全盛期の鈴木啓示は、とことん直球勝負!2回のノーヒットノーランはその勲章でもありますが、反対に被本塁打の多さも群を抜いた数字です。現役を通して打たれたホームランは560本にのぼり、これは日本記録どころかメジャーをも上回る世界記録!どんな打者にも闘士むき出しで立ち向かっていった姿が目に浮かびます。球威の落ちた晩年は、ベテランらしい頭脳派の投球で被本塁打も減少しました。

野茂英雄メジャー移籍の原因を作った?近鉄監督時代

1985年の現役引退後、NHK野球解説者として活躍していた鈴木啓示に、古巣より監督要請がきたのは1992年シーズン後のこと。あの名将仰木監督の後釜として1993年より3シーズンの間、近鉄バッファローズを率いています。監督就任当時の近鉄は、野茂や吉井といった投手陣に猛牛と例えられた強力打線を擁し優勝候補の常連にまで成長していました。

すぐにでも優勝できる体制での指揮官バトンタッチ!ここには功労者への球団の粋な計らいも見え隠れしていますよ。しかし自他ともに認めるわがままな性格の鈴木啓示は、現役時代に培った雑草の魂と徹底的に走り込む自己の概念を選手に押し付けてしまいます。しかも相手は超マイペースで知られるエース野茂英雄!周囲のやきもき感は半端なものではなかったはずです。

この野球に対する考え方のすれ違いが、後に野茂英雄をメジャー挑戦へと駆り立て、柱の一人であった吉井理人投手の移籍へと発展!結果、監督時代に優勝することは出来ませんでしたが、鈴木監督と野茂投手の確執があったことで、日本人選手がメジャーへ移籍する扉が開かれたことも事実です。

優勝はなかったものの監督時代にはしっかり選手も育てています。中村紀洋や水口栄二など新進気鋭の若手を積極的にレギュラーに抜擢!この時の選手たちが2001年近鉄のリーグ制覇に貢献したことは言うまでもありません。鈴木啓示は投手出身ながら野手を見る目が素晴らしかった。中村紀洋いとってはある意味恩人になるのかも知れませんよ。

野球解説も職人肌!球界の重鎮は新人育成もこなす日々

「人生、投げたらあかん」ACのコマーシャルで流行語大賞にもなった鈴木啓示の草魂の信念。その信念や考え方は解説の場でもよく耳にします。監督退任後はNHK野球解説者として、素人にも分かりやすい話しぶりが好評。時には技術職人と称された経験に基づいた知識を聞くことができ、関西ではトップクラスの解説者として活躍中です。

また300勝投手として名球会での存在感も抜群!2002年にはライバルに先駆け野球殿堂入りし名実ともにレジェンドとなっています。69歳になった現在でも野球を通して豊かな社会を実現する活動に奔走。終生のライバル山田久志をはじめ、名球会のメンバーとともに全国各地を巡っていますよ。

日本野球機構が主催する新人選手の研修会には講師として登壇。自身の経験談を踏まえてプロ野球選手としての心構えや、気持ちの持ち方などを若い選手たちに伝え続けています。鈴木啓示は昭和の大投手として野球の発展には欠かせない存在!解説から講演まで日々奮闘していくことでしょう。

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