【伊藤智仁】ガラスのエースと呼ばれた悲劇の右腕・伊藤智仁の物語に迫る!

東京ヤクルトスワローズ1軍投手コーチ、伊藤智仁はプロ野球史上最強のスライダーを投げる投手として評価をされていました。しかし積極的な首脳陣の伊藤起用もあって、伊藤智仁はわずか7年という短いプロ野球の現役生活だった。一体何があったのでしょうか伊藤智仁に迫る!

「ガラスのエース」伊藤智仁を知っていますか?



伊藤智仁は1970年10月30日生まれ、京都府京都市生出身の元プロ野球投手です。現在、伊藤智仁は東京ヤクルトスワローズの一軍投手コーチを務めています。伊藤智仁はアマチュア時代の輝かしい成績を評価され1992年ドラフト1位ヤクルトスワローズに入団しました。

伊藤智仁は花園高校を卒業後、地元の三菱自動車京都に入社、伊藤智仁は1992年のバルセロナオリンピック野球日本代表に選出され、1大会27奪三振のギネス記録を作り、日本の銅メダル獲得に大きく貢献しました。

同年のドラフト会議で伊藤智仁は、ヤクルトスワローズ、広島東洋カープ、オリックス・ブルーウェーブの3球団から1位指名、抽選の結果、ヤクルトが交渉権を獲得し、契約金1億2000万円、年俸1200万円、背番号「20」の条件でヤクルトスワローズに入団しました。

ガラスのエース!?



上記のような素晴らしい契約内容を交わした伊藤智仁ですが、プロ野球選手としてはわずか7年しかプレーしていません。その理由は伊藤智仁はガラスのエースと呼ばれ、ルーズショルダー(非外傷性肩関節不安定症)であった為と言われています。

当時のヤクルト首脳陣は伊藤智仁のルーズショルダーを知りながらも誰も打てない高速スライダーを武器に数々の打者を打ち取ってきた伊藤智仁を起用し続けたのでした。入団1年目の伊藤智仁は前半戦だけで、7勝2敗・防御率0.91の成績を上げていました。

当時の監督、野村克也氏は伊藤智仁を振り返りこのように述べています。「積極的に登板させたことによって彼の選手生命を縮めてしまった。申し訳なく思っている」と。入団初年度、伊藤智仁は7月中旬に肘痛のため戦線離脱。シーズン終了まで復帰することはなかったが、1993年の新人王に輝きました。

伊藤智仁の球種「最強のスライダー」とは?


伊藤智仁のスライダーはプロ野球史上最高と評されています。全盛期の伊藤智仁の女房役、史上最強の捕手、古田敦也氏は「あの高速スライダーは捕手だからなんとか捕球出来てるがもし自分が打者だったら絶対に打てない」と評しています。

またプロ野球評論家の青田昇氏「プロ野球史上で本当のスライダーを投げたのは、藤本英雄、稲尾和久、伊藤智仁の3人だけ」と評価しています。また古田敦也を育てた、当時の監督、野村克也氏「長いこと監督をやってきたけど、あいつがNo1だよ」と言わしめました。

伊藤智仁は150km/hを超える速球打者の手元で大きく曲がるスライダー、小さく曲がるスライダー、縦のスライダーを使い分けていました。伊藤智仁は右のオーバースロー投手でした。

伊藤智仁の投球フォームを探る


プロ野球史上最強のスライダーを投げると言われていた伊藤智仁の投球フォームはどのような感じだったのでしょうか。体全体のバネを使い切る伊藤智仁の投球フォームを解析していきます。

ノーワインドアップから始動し、左膝を抱きかかえるような位しっかりと上げ直立、重心は低くバランスも良い、上半身は鞭のようにしなる右腕から球は放たれる。印象としては超低い姿勢から前に踏み出していき、体全体を柔らかく使うゴム人間のような。

伊藤智仁の投球フォームは良い部分と悪い部分が隣り合わせの、諸刃の剣と言っても良いのかもしれません。柔らかい体全体から放たれる爆発的なエネルギーは強靭な肉体を必要とするのではないでしょうか。ですので連投・多投にはあまり向いていない投球フォームなのかもしれません。


伊藤智仁の生涯成績から見えること

20160903 智さんかっこいいです #東京ヤクルトスワローズ #伊藤智仁

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プロ通算7年127試合登板、先発70試合、15完投、7完封、37勝、27敗、25セーブ、勝率.578、奪三振548、防御率2.31という成績を残した伊藤智仁の成績から見えてくる事とはなんだろうか。

伊藤智仁の最大の魅力は奪三振ではないでしょうか。伊藤智仁は1993年4月20日の阪神タイガース戦でプロデビュー。高速スライダーを武器に7回2失点、10奪三振でデビュー戦を勝利で飾りました。

1年目の伊藤智仁は途中怪我に見舞われ、14試合の登板となったが、驚きはその奪三振の数です。14試合で126の奪三振は、もし怪我をせずに伊藤智仁が28試合登板したとしたら、250近くの奪三振をいや、それ以上だったかもしれません。

もう一つ注目すべき点は伊藤智仁の防御率の良さではないでしょうか。通算防御率は2.31、1年目に至っては14試合だが0.91と異常なまでの数字を残しています。打線も3点を取れば伊藤智仁先発試合は確実にチームが勝つ計算になります。

伊藤智仁の年俸を調べてみた!

成績が全てを左右するプロ野球の世界。契約金1億2000万円でヤクルトスワローズに入団した、伊藤智仁の年俸を調べて見ました。1年目アマチュア最強の伊藤智仁投手は1200万円で契約を果たします。(金額は全て推定)

1993年シーズン14試合に登板し、7勝2敗、防御率0.91奪三振126を上げ新人王に輝いた伊藤智仁は1800万円アップの3000万円で1994年に契約を果たしました。しかしガラスの肘により長期離脱を余儀なくされた伊藤智仁は、その後2年間一軍での登板はなく1996年オフで1900万円と落ち込みました。

1997年はストッパーとして復帰した伊藤智仁は7勝2敗19セーブにてカムバック賞を受賞、3860万円アップの5760万円でサインしました。1998年の伊藤智仁は6勝11敗と負け越すも、防御率リーグ3位の2.72を残し3040万円アップの8800万円でサイン。

伊藤智仁は1999年に8勝3敗、防御率2.28を残し、昨年より1500万円アップの9300万円です。これは伊藤智仁の最高年俸となります。その後幾度となく手術をしてきた伊藤智仁は、2002年、ヤクルト本社への入社を進められるも現役を貫き、過去最大の88%減1000万円で2003年を契約しました。伊藤智仁は現役合計6億4160万円の年俸を手にしました。

伊藤智仁が篠塚にまさかの被弾!?



1993年ドラフト1位で入団したバルセロナ五輪で奪三振ギネス記録を達成した伊藤智仁は、やはり並みの新人ではなかった。同年4月20日の対阪神タイガース戦で10奪三振で初勝利を飾る。

6月9日の石川県立野球場で巨人戦に先発した伊藤智仁は、前評判通り、150km/hを超える直球と自慢の高速スライダーを武器に巨人打線を8回まで無失点と封じます。このままいけばスワローズ優勢かと思われました。

伊藤智仁は9回裏2死までに、日本記録タイに並ぶ16奪三振を奪い、完璧なピッチングでしたが、ここで悲劇が起きます。迎えるバッターはシュアな打撃が売りの巨人、篠塚和典に「コツンと当てられ」その打球がスタンドイン。伊藤智仁は16奪三振を奪いながらも一球に泣き敗戦投手となってしまいました。

マウンドで崩れる伊藤智仁、ベンチに帰る際、悔しさのあまりグローブを叩きつけました。完璧なピッチングをしていただけに味方からの援護をもらえずに悔しさがこみ上げたのでしょうか。球史に残る試合です。

伊藤智仁のコーチとしての現在



2016年シーズンの東京ヤクルトスワローズの投手陣は崩壊した、チーム防御率は4.73優勝し2015年の3.31と比べても1.42の差が開いてしまいました。エース小川、石川も8勝止まりと二桁勝利者もなく、苦戦をしいられました。

2016年ドラフトでは高校BIG3左腕寺島尚成輝が入団しました。投手コーチ伊藤智仁の手腕次第ではこの投手がとんでもない投手に成るのかもしれません。伊藤智仁がもし、ガラスのエースじゃなく、強靭なエースだったら、一体どれくらい勝ち、どれくらい三振を奪っていたのでしょうか。

この世界に「たら、れば」は現実的にはありません。しかし夢の続きなら現実に存在します。伊藤智仁の夢の続きは未来を背負う若者に託されていきます。将来スワローズには伊藤智仁を超えるスライダーを投げる投手が現れ、飛んでみないことをやってくれるかもしれません!

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