野球界のレジェンド・長嶋茂雄の成績は本当に伝説級だったのか?

栄光の背番号3!巨人軍V9時代には不動の4番打者として多くのファンを熱狂させた長島茂雄。闘志あふれるプレースタイルで数々の伝説を作り出した国民的ヒーローです。勝負強さも天下一品。憎めないキャラクターと偉大な記録で人々が記憶に留める球界レジェンドの伝説に迫っていきます。

レジェンド・長嶋茂雄

出典:https://smlycdn.akamaized.net

日本野球界で最もレジェンドと言われる男、それが長島茂雄。1958年のジャイアンツ入団から現役引退、そして監督時代まで半世紀にわたり野球界と関わり続けています。抜群の野球センスが誰も真似できないプレーを生み出し、記録もさることながら記憶にも残る名プレイヤー!

また陽気で独特なキャラクター性が更なる人気を呼び込みました。大学出の選手として様々な記録を打ち立て、栄光のV9戦士としてその背番号は今なお巨人軍の永久欠番!世界的知名度を誇る王貞治とともに主軸打者を形成し、「ON砲」として他チームから恐れられていました。

試合では相手投手も緻密で繊細なバッティングをする王よりも動物的感覚でスイングする長島茂雄を警戒していたといいます。生涯ジャイアンツ一筋!17年の現役生活に勝るとも劣らない成績を残したのが15年にも及ぶ監督時代。名選手名監督を自ら証明してしまう凄い男です。

アテネオリンピック代表監督在任中には病に伏せ、オリンピック本番での勇姿を見ることは叶いませんでした。しかし回復した2017年現在では、元気な姿を球場などで見ることができますよ。ファンのみならずプロ野球関係者にとっては心の支柱!まさにレジェンドに相応しい人物です。

長嶋茂雄の成績ってそんなにすごかったの?

栄光の背番号3 #ミスター #長嶋茂雄 #ユニフォーム

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長島茂雄はレジェンドとして成績よりも、その鮮烈な記憶で語られることが多い。特に新人でスタメン出場した国鉄スワローズ戦との開幕戦は今も語り草となっています。渾身のフルスイングで4打席連続三振デビューは相手チームをも圧巻し、対戦した大投手・金田正一は「後に凄い選手になる」と断言するほど。その後の現役時代の成績は言わずもがな球史に残るものでした。

大卒としては史上初となる400本塁打と2,000本安打を達成し、東京六大学のスーパースターはプロに入ってもとどまるところを知らない活躍ぶり。新人時代には本塁打を打ったにも関わらず1塁踏み忘れで取り消されたエピソードも!この一塁踏み忘れがなければ新人にして3割、30本、30盗塁のトリプルスリーが達成されていました。ベースを踏み忘れるあたりは長島茂雄らしいところです。

シーズン中の活躍もさることながら、オールスターゲームや日本シリーズでの成績も素晴らしく、日本シリーズMVPは歴代1位となる4回獲得!勝負強いバッティングが身上の長島茂雄にとっての真骨頂とも言えます。勝負強さにおいては、天覧試合でのサヨナラホームランも記憶に残るところ。決めるべきところをしっかり決めるため、成績もしっかり!記録と記憶を両立させています。

長嶋茂雄の現役時代の成績について

2007年、巨人5000勝記念の写真です。 #巨人 #長嶋茂雄 #V9

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ミスタージャイアンツは川上哲治でも王貞治でもなく、間違いなくこの男・長島茂雄!誇り高き巨人軍にあって、ここまでスターとしての素質のある選手は後にも先にも長島一人だけです。それでいて球界トップクラスの成績を残すあたりは、まさに「神ってる」レベル。入団から引退まで17年にわたり全シーズンレギュラーで活躍し、通算2,471安打、444本塁打を記録しています。

打撃成績全般は王貞治が上回りますが、ルーキーイヤーからの6年連続最多安打は日本記録で、首位打者6回獲得はセ・リーグ記録として未だ破られることのない金字塔です。また勝負を避けられることも多々あり、敬遠が多いことも長島茂雄の特徴。あまりにも敬遠されることからバットを持たずに打席に立った伝説もあるほど。それでも長島は敬遠され、今の野球界ではとても考えられないシーンです。

さすがに35歳を超えた晩年の長島茂雄は安打も本塁打も、全盛期に比べて大幅に減少。それでも通算打率は巨人生え抜きの選手としては、打撃の神様と言われた川上哲治に次ぐ成績です。普通の場面でも結果を残すが、ここぞという時にさらに結果を残す長島茂雄の功績は、3割を超える通算打率を見ても明らかです。

長島茂雄の成績で忘れてはならないものがベストナイン!入団から引退までの現役全てのシーズンで、ベストナインを受賞したのは長島茂雄が唯一の存在。この記録は常に成績を残してきたからこそなし得る快挙で、17年連続受賞は彼の成績をさらに高みに押しあげてくれています。

長嶋茂雄は監督の成績もすごかった

1974年に現役引退した長島茂雄。同じ年に勇退した川上哲治監督の後を継ぎ、読売巨人軍第10代監督に就任します。当初は現役引退後2~3年は野球の現場を離れるつもりでいましたが、球団の諸事情も重なり現役引退後すぐに監督へ。栄光の背番号3を背負った男が背番号90に身を包み新たな巨人の伝説を作ろうとしている。これが第一次巨人監督時代です。

1975年シーズンから6年間ジャイアンツの指揮を執った長島茂雄。監督初年度は球団史上初の最下位という屈辱を味わいます。前年まで川上監督が作り上げてきたスタイルを捨て、川上派のコーチ陣を一層したことから長島VS川上という構図が続くこととに。球団初の最下位に流石の長島茂雄も焦ったのか、勝つ野球へとシフトチェンジし翌年からは2年連続でセ・リーグ制覇を成し遂げています。

川上哲治前監督との確執が原因とされる1980年の監督解任。そして12年の時を経て再びジャイアンツのユニフォームに袖を通したのが1992年のオフ!巷の長島待望論に呼応するかのような監督復帰にプロ野球界が盛り上がりを見せました。第二次巨人監督時代の始まりです。翌年に開幕するJリーグを意識した監督起用で、球場に足を運ぶ人も大幅に増加!まさにミスター効果と言える現象でした。

1993年~2001年まで9年間の監督生活でリーグ優勝は3回、うち2回は日本一に輝いています。監督として特に印象深いのは2000年~2001年シーズン!永久欠番だった背番号3を復活させ、往年の長島茂雄ファンも熱狂。監督通算1034勝は歴代12位。しかしながら監督長島茂雄としてファンに与えたインパクトは他の誰よりも大きなものでした。

語り継がれる男・長嶋茂雄

2008年の長嶋さんと星野さんです。 #長嶋茂雄 #星野仙一

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アテネオリンピック日本代表監督在任中に脳梗塞で倒れたものの、驚異的な回復力で復帰した長島茂雄。オリンピック本番で指揮を執る姿は見れませんでしたが、日の丸を背負った長島茂雄に多くのファンが魅了されたのも事実です。巨人軍以外のユニフォーム姿はとても新鮮で、眩い輝きを放っていましたよ。

2001年に巨人軍監督を退任してからは、終身名誉監督にも就任。これは日本プロ野球界では長島茂雄と楽天の野村克也監督のみに与えられた栄誉です。病に伏せるまでは精力的に野球に関わる活動をこなし、当時巨人よりヤンキースに移籍していた松井秀喜には電話越しに素振りをさせ、その音を感じ取りながら打撃指導をした逸話も残っています。

現役時代より様々なエピソードで国民を歓喜させてくれる長島茂雄の野球人生において集大成となるのが、2013年の国民栄誉賞ではないだろうか?教え子の松井秀喜とともに受賞し、東京ドームでの授賞式や記念の始球式は記憶に新しいところ。原辰徳監督と安倍総理が花を添え、元気にバットを振る長島茂雄の姿に感極まるファンの姿も見られました。

期待をはるかに超えた結果を残してきた長島茂雄は、まさに野球界のスーパースター!天才でありながら努力も惜しまず数々の伝説を作り続けた正真正銘のレジェンドでもある。野球が存在する限りその一つ一つのが伝説となって未来に語り継がれていきます。