【ジョン・ストックトン】NBA史上最高の正統派ポイントガードが歩んだ軌跡

NBAの歴史の中で正統派のポイントガードとして長く活躍したジョン・ストックトン。カール・マローンとの名コンビでアシストを量産し、ドリームチームでも活躍したストックトンのキャリアを余すことなく紹介していく!

最高のポイントガードが積み上げた努力と成績

ジョン・ストックトンは現役当時185㎝80㎏、NBAユタ・ジャズ一筋で19年間活躍したポイントガードである。NBA50周年を記念した『50人の偉大な選手』に選ばれ、またバスケットボール殿堂入りも果たしている名プレーヤーである。

大学当時無名校ゴンザガ大にてプレーし活躍したストックトンはほとんど知名度がなく、自分がNBAに行くとは想像もしていなかったという。1984年NBAドラフトで1巡目16位でユタ・ジャズに指名された時でも、ユタのファンはストックトンのことをほとんど知らず、また彼自身も自宅のテレビで指名を知ったほどだった。

当初は控えポイントガードとしての役割を与えられたが、翌年に後に名コンビの相棒となるカール・マローンが入団、4年目から正ポイントガードに定着するとマローンの得点力を支えアシストを量産し始める。このシーズンいきなりリーグトップの1試合平均13.8アシストの記録を残しアシスト王となったのである。

まるで隠されていたかのようなストックトンの才能は一気に開花し、ここから9年連続でNBAのアシスト王となるのだ!その後ストックトンが記録した通算アシスト数が15,806でこれはNBA歴代1位であり、いまだに破られていない大記録なのである。

ただストックトンの凄さはアシストだけにとどまらないところにある。185㎝と身長では劣るもののフィジカルが強く、他の選手に当たり負けしない強さを持っていた。タフなディフェンスを身上とし、実は通算スティール数(ドリブル中などの相手ボールを奪うこと)が3,265個でこれもNBA歴代1位の記録なのだ。

さらに通算FG成功率が51.5%と史上4番目の高さを誇り、毎年毎試合15~17得点を計算できる選手だった。極めつけはまた怪我が極端に少ない選手であったことだ。相棒のカール・マローンも同様に怪我が少なかったので『ストックトンとマローンが試合に出ない日はない』とまで言われたほどなのだ!まさにストックトンは小さな鉄人なのである。

ジョン・ストックトンはダンクもできた!身体の強さも鉄人級

パスを出せるチームメートがいなかったり、少しディフェンスが離れたと見るや自らカットインしてシュートを決めてしまえたストックトン。正確無比で堅実という言葉そのままのプレースタイルを貫き通し、ユタ・ジャズを支え続けた。

彼は目立ちたがることを嫌い、控えめな性格だった彼はマイケル・ジョーダンが着用し始めて、その後のバスケット界の主流となったバギースタイルのパンツ(膝丈くらいまでの長さのパンツ)を履くことなく、現役を終えるまで昔ながらのショートスタイルのパンツをはき続けるなど、まさにクラシックなプレーヤーだった。

そんなストックトン、実はダンクができたというのだ!これは相棒のカール・マローンが証言しており、練習中に披露してチームメートが驚いたとの話もある。ちなみに彼が試合中にダンクを決める映像は存在しない。ストックトンは試合で自分がダンクをする必要が無いからと考えていたらしいので、如何に自分に与えられた役割を理解していていたかがわかると思う。

ロッドマンが認めた?NBAきってのダーティープレーヤー

控えめ、実直、堅実。ストックトンらしさを形容する言葉であるが、ここに一つ加えなければならない言葉がある。それは”ずる賢い”である。あまり知られていないのだが実はストックトン、審判の観ていないところでいろいろと仕掛けるダーティープレーヤーとしての一面も持ち合わせている。

誰も恐れない口から産まれたようなトラッシュトーカーのゲイリー・ペイトンが最もタフな選手と恐れ、あの悪名高きデニス・ロッドマンがNBAで最もダーティなガードと表現したほどで、有名雑誌スポーツイラストレイテッドの最も汚いプレーヤーランキング第2位に選ばれたこともあるのだ!(ちなみに1位はやはりロッドマン)

ジャージをつかんだりは日常的で、足を引っかけたり、肘撃ちをしたり、あるいはわざと倒れてファールをアピールしたりと…。ここまでイメージと正反対なプレーをしていたかと思うと隅に置けないのだが、それでもストックトンのイメージが悪くないっていうのがずる賢さの極みなのかも…しれない。

息子がNBAデビュー!偉大な父親の背中を追って

先日NBAサクラメント・キングスがNBAの下部組織でプレーしていたデイビッド・ストックトンと契約を交わし、デイビッドは晴れてNBAデビューを果たすこととなった。実は彼、ジョン・ストックトンの三男坊である!

ジョンと同じゴンザガ大に進学、その後Dリーグで平均20得点9アシストを記録してことが評価につながったようだ。ポジションもジョンと同じポイントガード。父親の面影ありありでそっくりだと思うのは筆者だけだろうか。

残念ながらロスター(ベンチ入りできる選手)の最後の一枠の争いに敗れ、キングスを解雇されてしまったようで、身体もまだまだできていない印象だった(ジョン・ストックトンよりも小さいのだから!)。しかし魅力、素質十分なだけに今後に期待したいと思う。

小さな鉄人・ジョン・ストックトンの名言

ストックトンは例えば走るスピードがとんでもなく速いとか、ものすごいジャンプ力があるとかという、特別何が一芸に秀でている類の選手ではない。素質的にもわれわれ日本人にとても近いと、筆者は思っている。

そんなある意味”普通”の選手が努力と闘争心で偉大なる記録を達成し、ファンの記憶に残り語り続けられる選手になったからこそ、彼の言葉はより現実的というか、普段の我々にとっても響きやすい言葉であると感じる。

どんなにパスが下手でも、シュートが下手でも、ドリブルが下手でも、サイズがなくても、自分の可能性を信じてそれにかけていくことが成功の秘訣だ。

出典:http://sedoriplan.com

ストックトンには特別の才能はなかったのだろう。だからこそたくさん練習をして人より多く身につけることを繰り返してきたのだと思う。彼は朝に練習するために体育館の管理者から鍵を預かっていたらしい。とにかく頑なに努力してきた人間なのだ。

どんなにスピードがなくても、サイズがなくても自分の限界を他人に決められたくない

出典:http://sedoriplan.com

人が何を言おうと自分は自分でしかない。だから自分で努力して自分を成長させることにフォーカスしてきたのだろう。そして絶対に負けない、という強い意志を感じるし、何かすごく勇気をもらえる気がする、そんなストックトンの言葉ではないだろうか。

ジョン・ストックトンの勇姿に思いを馳せて

ストックトンはユタ・ジャズをNBA屈指の強豪へと導いたものの、ジョーダン擁するシカゴ・ブルズに苦杯を舐め、NBAチャンピオンになる夢は果たすことができなかった。この頃には30代後半に差し掛かり徐々に衰えが見え始めたころだった。

それでも確実かつ堅実なプレーは健在で41歳で現役を終えるシーズンですら82試合全試合に出場し、チームの一員として貢献を続けたのだった。185㎝の小さな鉄人はファンに称えられ、惜しまれながらコートを去ったのだ。

ストックトンは先述したように特別秀でた身体能力はないかもしれないが、彼の努力で積み重ねた成績と記録と、そして何よりプロとしてプレーヤーとしての姿勢により、彼は『特別な存在』となり得ることができたのだと思う。そしてストックトンが残してくれたことは我々に勇気を与え、背中を押してくれるに違いないと思うのである。