【中村紀洋】この男に引退の文字なし!生涯現役を貫き通す和製大砲の魅力とは!?

プロ通算404本塁打、ゴールデングラブ賞7度受賞、90年台後半から「豪打いてまえ猛牛打線」の中軸を担い、豪快なスイングと勝負強さで観客を魅了してきた。中村紀洋は2005年にはアメリカメジャーリーグに挑戦、結果は残せなかった物の、不屈の精神とキャラクターで人気を博した名選手。中村紀洋の魅力に迫る!

中村紀洋の魅力とは



中村紀洋は1973年7月24日生まれの大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区)出身のプロ野球選手である。中村紀洋は2014年に横浜DeNAを退団した今も現役と称して野球活動中である。中村紀洋は現在アマチュア野球指導者を行なっている。

中村紀洋の愛称は「ノリ」である。「ノリ」は三冠王落合博満に憧れを持っていた。1991年大阪府立渋谷高校から高校通算35本塁打の実績を提げ、また大阪府立の学校を8年ぶりに甲子園に導いた原動力として、プロ野球界の目に止まり、ドラフト4位で近鉄バファローズに指名された。

中村紀洋は高卒新人ながら、一軍公式戦でシーズン2本塁打を放ち、清原和博・田中幸雄以来6年ぶりとなる高卒新人2本塁打以上となった。中村紀洋は和製大砲としての期待が高まる高卒新人だったのである。

いてまえ打線の中核!



1994年後半辺りからレギュラーに定着してきた中村紀洋「豪打いてまえ猛牛打線」とパリーグの他チームに恐れられた中核を担う選手になっていった。中村紀洋は1995年から10年連続二桁本塁打、1998年から2002年までは5年連続で30本塁打以上を放った。

猛牛打線の中でも最強と謳われた2001年は3番タフィー・ローズ55本、4番中村紀洋46本(132打点はリーグトップ)、5番磯部公一17本、6番吉岡雄二26本など、中村紀洋は最強猛牛打線の中核をになっていた。

2002年も中村紀洋は42本塁打を放ち2年連続40本以上を記録した。中村紀洋の魅力は打撃だけではなく三塁手部門最多となる7度のゴールデングラブ賞受賞も見逃してはいけない点である。中村紀洋の守備については後ほど詳しく記述しよう。

中村紀洋の生涯成績に迫る!

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プロ通算23年(アメリカ含む)中村紀洋は選手として数字を残し続けてきた。NPB通算、打率.266、404本塁打、1348打点、2101安打を放った。通算2000本安打以上を放った中村紀洋は名球会に選ばれしプレーヤーだ。

2000年、本塁打王(39本)、打点王(110打点)2001年、打点王(132打点)、最高出塁率.434、以上が中村紀洋の獲得したタイトルだ。他に中村紀洋は数々の表彰もされた。

ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞7回三塁手部門史上最多)、月間MVP5回、JA全農Go・Go賞1回、月間サヨナラ賞1回、日本シリーズMVP1回、オールスターゲームMVP2回、などがある。

その他の記録として、通算満塁本塁打14本(歴代3位タイ)、通算サヨナラ本塁打10本(歴代3位)、通算サヨナラ安打(歴代3位)、など中村紀洋は勝負強い、まさに4番打者としての仕事を全うする働きを見せた。


中村紀洋の守備力って!?



先ほど少し触れた中村紀洋の守備力だが、中村紀洋はゴールデングラブ賞を7回獲得している。これは三塁手部門史上最多だ。中村紀洋は逆シングルやイレギュラーバウンドへの対応が上手く、そこも高評価の対象となっていたようだ。

しかしゴールデングラブを7度獲得した中村紀洋は中日時代、2年連続でゴールデングラブ賞を獲得したのにも関わらず、当時監督の落合博満氏「守備範囲が狭い」と言われ、三塁手失格の烙印を押されたことがあるのだ。三塁手にこだわりを持つ中村紀洋は翌年(2009年)から楽天でプレーをした。

中村紀洋は記憶に残る名三塁手として、様々な人々の記憶に残っているだろう。長嶋茂雄や、原辰徳掛布雅之落合博満、決して彼らに勝るとも劣らない実力ある三塁手だった。

気になる紀さんの年俸推移!



中村紀洋は生涯最高5億円、年俸総額29億5430万円を稼ぎ出した。(全て推定金額)1991年ドラフト4位で近鉄に入団した中村紀洋は、契約金4000万円、年俸430万円で合意に達した。中村紀洋の年俸が大幅に上がったのはレギュラーに定着し始めた94年、打率.281、8本塁打、36打点を挙げ、940万円アップの1600万円で契約した。

95年は20本塁打、64打点で、1590万円アップの3190万円96年は26本塁打、67打点で、2810万円アップの6000万円、97年は20本塁打を切り、400万円下がるものの、98・99年と連続30本塁打90打点以上を挙げ、2000年には1億4000万円の年俸を手にしていた。

2000年に39本塁打、110打点を挙げた中村紀洋は、3億円プレーヤーになると、打ち続け、2001年打率.320、46本塁打、132打点を挙げ、5億円プレーヤーとなった。しかし中村紀洋ほどの選手でも2005年以降は年俸が下降線をたどった。

5億円プレーヤーが年俸400万円!?

猛牛打線の中核を担い、各投手に恐れられた中村紀洋は、2002〜2004年の間、年俸5億円を手にしていた。2003年に右膝を痛めた中村紀洋は、手術をし、2005年はメジャーリーグ挑戦を果たし年俸は約5000万円。しかしドジャースでは結果を残すことができず帰国。

2005年、中村紀洋は04年に古巣と合併した、オリックス2億円プラス出来高払い5000万円で復帰した。2006年、チームに貢献することができず、オリックス側から60%減俸の8000万円の提示、球団と中村紀洋との合意はなく退団、中村紀洋は2007年育成枠で中日に入団、年俸は400万円(推定)だった。

中日時代は2年連続20本塁打などで5000万円まで年俸を戻し、2008年は東北楽天ゴールデンイーグルス1億5000万円で、契約をした。その後中村は怪我などの影響で、横浜DeNAベイスターズへ移籍などもあり、2011年は入団時と並ぶほどの500万円という年俸となった。横浜を退団する2014年は5000万円の年俸だった。

中村紀洋は嫁・娘と仲良しさん!

数々の業績を残してきた中村紀洋には、元日立のバレーボール選手だったという浩子さんという奥さんがいる。そして中村夫妻の間には3人の娘がいる。テレビ番組でも見かけたことがあるが、とても仲のよい家族である。

中村家は両親からの影響もあってか、長女の郷香さんはプロ野球選手を目指していて、次女絵里香さん、三女寿々香さんはバレーボールの選手をやっているそうだ。特に長女の郷香さんは幼い頃から野球少女で、父親譲りかバッティングを得意とするそうだ。

中村家は父親が打席に入るとテレビの前では正座をして見るそうだ。また食事はナイターで父紀洋が帰宅する午後10時に家族揃って食卓につくそうだ。また長女20歳など年頃の娘たちと父紀洋は共に入浴をするなど、とても仲の良い家族である

中村紀洋の応援歌

中村紀洋はプロ通算23年6球団を渡り歩き2101安打、404本塁打、1348打点を叩き出した。猛牛打線の中核として、常にファンを熱狂させてきた中村紀洋の応援歌はどのようなものだったのだろうか。

中村紀洋のインスタグラムをチェックしていたら、DTM( Desk Top Music)ガレージバンドだろうかメロディーを作っている方の、投稿があったのでアップしてみた。下記に歌詞を載せておくので、カラオケをして見るのも乙かもしれない。

「我らの期待を そのバットに乗せて ミラクルアーチを 決めろ紀洋」ある人は近鉄の応援歌はゲームのラスボス感があって好きと言っている。実際のところ「ノリ」の戦闘力はラスボスクラスだったのだが。

中村紀洋に引退の文字なし!



如何だっただろうか。中村紀洋についてまとめてきたが、私は改めて物凄い選手なんだなと実感した。2014年横浜を退団したのだが、未だに「自分は現役だ」と言い切る中村紀洋は素敵だなと感じる。

中村紀洋は現在(2017年時点)43歳、オフシーズンになると、中村紀洋・電撃復帰!なんていう記事を目にしてしまいそうな雰囲気を持っている人物だ。まぁ仮に選手はないにしても監督やコーチとしてまた現場に復帰してもらいたい人ではある。

色々な意味で豪快な中村紀洋がラルフ・ブライアント辺りと組んで、現在低迷期にあるオリックスの監督なんて面白そうな気もするが、それは叶わぬ夢なのか。もう一度「豪打いてまえ猛牛打線」を拝んでみたいものだ!!

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