陽耀勲がメジャーに挑戦!打者転向のその後とは?

陽耀勲選手は、現在台湾のプロ野球球団に所属している野球選手です。かつては福岡ソフトバンクホークスに所属していて、現在ジャイアンツに所属する陽岱鋼の兄でもあります。日本、アメリカ、台湾と3カ国を渡り歩いた陽耀勲選手のこれまでの野球人生をまとめました。

陽耀勲ってどんな選手??

陽耀勲選手は2006年に福岡ソフトバンクホークスに入団しました。陽耀勲選手は150キロを超える速球が武器の投手でした。日本球界にサウスポーで150キロのボールを投げれるピッチャーはなかなかいないので将来のエースとしてと同時に、即戦力としても期待されるピッチャーとして注目されます。

期待通り1年目から1軍登板のチャンスが巡ってきます。しかし1年目は、5試合に登板し勝ち負けなしで打ち込まれるなど、思うように結果を残すことができませんでした。

陽耀勲選手は当時、速球は魅力の投手でしたがコントロールが定まらず荒削りなピッチャーと見ていて感じました。この年のオフ台湾代表に選出されはじめて弟である陽岱鋼選手と同じチームでプレーしたということで話題となります。


2年目の陽耀勲選手は左足の故障で登板なしでシーズンを終える事になります。即戦力として期待されただけに、悔しいシーズンとなりましたが3年目はプロ初勝利をあげはじめて、1軍で先発登板を果たします。

しかし結局勝利を挙げたのは1試合のみで、先発登板も試合を崩しアピールできた年とは言えませんでした。その後も毎年ローテーション候補として挙げられていましたが、結果を残せない日々が続きまます。そんな陽耀勲選手に転機が訪れたのは2012年のことです。

開幕こそ2軍で迎えましたが2軍で好投を続け8月に1軍昇格を果たすとオリックス相手に完封勝利を収めました。この試合初の2桁奪三振や無四球での完封勝利など、課題であるコントロールを克服したように見えるピッチング内容でした。

球威やスピードボールは、入団時から球界でもトップクラスと定評がありコントロール意識して、試合を作ることができれば、通用すると証明できたシーズンになったと思います。


その後もホークスからメジャー、台湾へと拠点を移しプレーしましたが思うような結果を残すことができずに現在に至ります。やはり、陽耀勲選手ののポイントとなるのがコントロールです。

日本でも、調子が良く、コントロースさえ定まれば、十分通用投手していました。陽耀勲選手は速球が魅力ですがコントロールが課題というピッチャーでした。ピッチャーとてしは思うように結果を残せませんでしたが、150キロを超えるボールはプロのピッチャーでも数少ない選手しか投げられないため、ファン目線から見れば魅力的な選手であり陽岱鋼選手との兄弟コンビなど、記録より記憶に残る選手だったと思います。

また、ホークス時代は外国人登録であることから、外国人選手枠の関係もあり、出場が制限されるのと絶対的な結果を残さないと1軍に残れない状況が続いたため、ホークス首脳陣がもう少し将来を見据えて、育成にも力を入れることができていれば、もう少し結果を残せたのではないかと残念な気持ちですね……。

陽耀勲と陽岱鋼との兄弟対決が話題に!



陽耀勲選手は、実の弟が同じく日本プロ野球で活躍する陽岱鋼選手ということでも話題を集めました。2人はWBCをはじめ、世界大会では台湾代表の常連選手、日本での活躍は台湾でも大きく注目されましたね!

また、同じリーグに所属していることから兄弟対決の実現を待ちわびるファンは多くいました。先にブレイクを果たしたのは弟の陽岱鋼選手で、俊足とパンチ力のある打撃が魅力で2010年にレギュラーに定着しました。

待ちわびた兄弟対決が実現したのは2012年のこと。陽岱鋼選手の名前がコールされると、マウンドの陽耀勲選手は、少し表情が和らぎ、真剣勝負の中にも対戦を楽しんでいる様子が伺えました。

注目の兄弟対決は初級のストレートを陽岱鋼選手がセンターにはじき返し、弟の陽岱鋼選手に軍配が上がりました。わずか1球での勝負となりましたが、この1球は152キロを記録していて、兄弟対決を待ちわびていたファンの記憶に残る対決となりました!


同年に再び兄弟対決が実現しました。陽耀勲選手が先発登板して、1番バッターとしてスタメン出場した陽岱鋼選手との対決が再び実現します。その試合のスタンドには、両親の姿が……。

陽耀勲選手が招待し、兄弟対決を生で見てもらう機会を設けたようです。終始和んだ様子で観戦していて、2人でホークス日本ハムのユニフォームを1着ずつ身にまとまった姿がとても印象的でした。

勝負の結果は陽耀勲選手が打ち取り2度目の兄弟対決は陽耀勲選手に軍配が上がりました!兄弟対決はホークスファンや日本ハムファンだけでなくプロ野球ファンの記憶に強く残るものとなりました。

当時、陽岱鋼選手との対決の時は他の選手に比べより一層、力が入っていたように見えたのでやはり、特別な思いがあったのだと思います。

キャンプを突然ボイコット?陽耀勲メジャー挑戦へ


兄弟対決が話題となった翌年、2月1日ホークスがキャンプをおこなう宮崎に陽耀勲選手の姿はありませんでした。2012年オフに陽耀勲選手が契約を未更改のまま帰国して、メジャー挑戦を表明したことで契約がまとまらずキャンプをボイコットしたようでその行動が問題視されることになります。

その後ホークスと再び契約する形でキャンプに合流しましたが前代未聞の出来事として取り上げらました。そしてこのシーズンは1軍での登板はなく、オフに自由契約となり、再びメジャー挑戦を表明しメジャーに移籍します。

当時素質は十分にあったものの、まだ日本での十分な実績もなくメジャーで通用しないのではないのかと思われていました。念願のメジャーリーグ挑戦が実現しパイレーツとマイナー契約を結びます。

マイナー契約のため、実践で結果を残すことが求められます。しかし、思うような結果が残せずメジャーのマウンドを踏むことができないまま、台湾に帰国することに……。

台湾で打者転向!実力と成績は?


台湾帰国を機に陽耀勲選手は野手への転向を決意します。台湾で再びピッチャーとしてやりたいという思いもありましたが、帰国後入団した社会人リーグでもイップスの影響で課題の制球が定まらず、野球選手として生き残りをかけて野手に挑戦することになりました。

陽耀勲選手はもともとバッティングの評価も高く、ホークス時代にも2軍戦でホームランを放つなど、野手転向を持ちかけたというエピソードもあります。陽耀勲選手は大学時代、肘の故障から野手で出場していた経歴があり、野手としてもプロから注目されていましたが、怪我が治り再びピッチャーに挑戦!

野手として台湾のプロ野球チームに入団すると、バッターとしての才能が開花し昨年は打率2割8分1厘、ホームラン17本という超成績を残すことに!


過去にも、野手として台湾代表に選出せれたこともあるほどのバッティングセンスで見事、野手転向を成し遂げ野球選手として復活を遂げます。シーズンの結果が評価され現在開催中のWBCに台湾代表として選出され1番ライトとして出場しています。

メジャーに行ってからの陽耀勲選手の情報はほとんど日本に入ってきてなかったので台湾に戻っていたのも、そして野手に転向していたのも聞いた時は衝撃で、投手として再起が見込めなくても新たな活路を見出そうとしている様子は頼もしく、WBCで日本で再び姿を見れた時は感慨深い気持ちがありました……。

陽耀勲が打者として日本球界復帰はあるのか?



陽耀勲選手は野手として見事復活を遂げます。現在出場しているWBCで見る限り、日本でも活躍できるのではないかという意見も出ています。では、陽耀勲選手の今後、日本球界復帰の可能性はあるのでしょうか。

現在台湾のプロ野球は打高投低の時代です。昨年はシーズン打率4割を成し遂げた選手がいるほどバッターに勢いがある時代となっています。台湾の成績をそのまま日本で残せるかというと、難しいのではないかという見解になってきます。

しかし陽耀勲選手はホークス時代に2軍とはいえホームランを打った実績もあり、日本の野球も知っているので対応できる可能性は十分にあります。またネックとなる部分では、今年34歳となる年齢の問題と守備にあると思います。

バッティングセンスは十分通用する可能性がありますが、長年ピッチャーとしてやってきた陽耀勲選手には外野手としての経験がないためその面が懸念されます。


しかし、ピッチャーとして150キロを投げていた強肩が武器になるのは確かです。また昨年は盗塁19個を記録するほど走塁の評価も高く、持ち前の身体能力で今後経験を積めば守備もトップクラスになる可能性があります。

今後の日本球界復帰は、台湾でどのくらい結果を残せるかがポイントとなってきます。野手に転向して結果を残し、今シーズンはさらなる活躍が期待されます。野球ファンとしては、台湾で結果を残し、再び日本のプロ野球のユニフォームに袖を通す陽耀勲選手を見たいですね……。

今後のバッター陽耀勲選手に注目です!!