野村克也ってどんな人?一周回って知りたい“ぼやくおじいさん”

今も情報番組で野球に関しての御意見番や重鎮として君臨し、その一言一言は重くまた金言として扱われている。そんな待遇のこの“ぼやくおじいさん”はどんな人だったのか。どれだけすごいのか一周回って今知りたい野村克也に注目してみよう!

野村克也って実際どれだけスゴイの??

出典:http://nomura-katsuya.com

情報番組の野球関連のニュースにおいて含蓄ある言葉を並べ立てたり説教したりぼやいたり、はたまた今度は分析したら展望を予測してみたりする御意見番であり重鎮である所の野村克也

この人は今でこそこう扱われているが、そのルーツを知らない者も多くなってきているのではないだろうか。監督として凄い所は知っているであるとか何かで聞いたことあるけど…であるとか、そういう類の不明な点をさらってみようと思うのである。

ところで、世界のホームラン王は「王」ミスタージャイアンツ長嶋は「ミスター」であるにも拘らず野村克也は「ノムさん」とあだ名でさえ敬称がつく事に不思議な感を覚えた事は無いだろうか、その疑問も晴れるかもしれない。

野村克也の言葉はなぜ重い?支えるのは衝撃の野球人生

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野村克也の語る言葉が重く受け止められ、販売する書籍での言葉は金言と扱われ座右の銘とする者もいるのではないだろうか。なぜ彼の言葉はこうも重く扱われるのだろうか。まずはそこに迫ってみよう。

これにはルーツを語らねばならないだろう。彼は母子家庭の貧しい家に育った。野球を始めるも地元の学校でどうこうなるしか無く、必死に努力を重ねるも甲子園の出場は叶わず、凡庸な選手として成長した

転機は高校卒業の折にまず訪れた。高校の恩師が手当たり次第に推薦状を送った結果、南海にテスト生としてプロ入りが叶う事となったのだ。プロになり、そのお金で母を楽にさせようと言う夢が始まったのだ。

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しかし、始まったものの捕手として肩は弱く、プロの変化球に全く対応できずすぐにクビを言い渡されてしまう。なんとか食いつこうとした野村青年は、所属球団を運営する南海電鉄に飛び込んで死ぬとまで球団職員に言い切る執念を見せて首の皮一枚を繋いでもらう事に成功するのだ。

この執念と改善のための努力が何よりも素晴らしく、頭の回転の速さがその後を大きく変化させ評価されるに繋がっていくのだ。遠投で肩を鍛え、カーブ等の変化球は相手投手を研究し、クセを見抜いて打てる球を確実に仕留めていった。

ビデオカメラを使っての相手を研究する事は当時誰も行っておらず、野村だけのアドバンテージとして活用し名を上げていくのだ。野村はこういった開発発明による克服や改善に長けており、何度もその手腕を揮うのである



貧しいながら家計を助ける合間の時間に勉強をして野球の練習も行えば、プロになる事そのものが苦労を掛けた親の為であり、その夢が潰えようとした際は死に物狂いで命を懸けてまで繋ぐ姿があった

繋いでからも出来うる限りの事を知恵を絞って乗り越えてきた。その過程でありとあらゆる発明をし、革命を起こし、野球界の発展に多大なる貢献をしてきているのだ。そうであるからこそ、知恵ある彼の言葉はそこに積み重なるモノが大きいからこそ、重くなるのだろう。

野村克也は目立たないけど凄い人!驚愕の現役時代の成績を見よ



野村克也の現役時代を知る者は中々どうしてもう多くは無いだろう。かく言う私も知らない者の一人だ。そうでありながら彼の成績を凄いものだと言えるのは確固たる証拠、永遠に残る数字があるからだ

監督として名を挙げた名将である事は有名でも、特に見届けたものの少ない現役時代が語られる事は早々無いのであるが、実は現役時代の成績も偉大であるのだ。ただ、よく言われる「陰」というその意味や自身を「月見草」だと言うそのルーツもここに見られるのである。



野村克也の通算成績をまず紹介しよう。選手として歴代2位の3017試合に出場しヒット2901本で打率は.277、本塁打数は657で打点は1988となっている。これらの数字が如何に凄いかはすぐわかって貰えることになる。

まず、ヒット数だがこれは張本勲に次ぐ2位だ。他にも本塁打は王貞治に次いで2位、打点も王貞治に次いで2位となっている。トップは多くないにせよ、あらゆる部門あらゆる数字で歴代トップクラスであると言うのは間違いなく捕手と言う点も考えれば遥かに偉大で伝説なのだ。

自分をこれまで支えてきたのは、王や長嶋がいてくれたからだと思う。彼らは常に、人の目の前で華々しい野球をやり、こっちは人の目のふれない場所で寂しくやってきた。悔しい思いもしたが、花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある

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ただ、悲しいのは負けた相手が悉く王貞治である事などが挙げられるだろう。どんなに偉大で戦後初の三冠王とまでなる程であろうとも、誰かに次いだ二番手なのである。同時期に輝いた者の常に影としていれば、それは嘆きたくもなるだろう。

またこれは所属が、件の王など擁する巨人の所属するセ・リーグではなく、殆ど中継の無いパ・リーグであった事もあるだろう。どんなに活躍しても記録を立てても話題は人気のセ、すなわち王・長嶋にもっていかれてしまうのだ

そんな二人の人気に反骨心を見せ、持ち前の皮肉の利いたある意味毒ある名言がかの有名な「月見草」だ。

高校大学のスターでありプロでも人気球団のスターである二人と無名で凡庸ながら努力を積み重ね活躍して見せる自身を並べ、しっかりと誇示したのだ。そんな彼を偉大な選手と言わずして誰をそう呼ぶのだろうか。それだけ凄いのである。

野村克也は監督としても超一流!再生工場とも呼ばれたその手腕

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野村克也が凄い凄いと言われるのは、何としてもその監督としての手腕やその功績成績の凄まじさからだろう。近年はすぐに監督の交代が成されるがそうであるにも拘らず長期政権を担えると言うのは偏に名将であるからだ。

まずは監督としての成績を挙げよう。3206試合を監督としてチームを率いその勝率は約5割で、Aクラスは12度、優勝は南海で1度ヤクルトで4度、プレーオフでも日本シリーズで3度勝利するなど、抜群の成績である。

しかし、目を付けるべきはその輝かしいばかりの成績では無いのである。野村が監督をした球団のその後や深く関わった選手達への影響なのだ。それらは大きく成長し、普通なら考えられない程に強く強く影響を与えているのである。



野村克也が監督をすれば、その後何年も球団を支える程の選手に成長させたり獲得したりする事があるからである。彼の言葉によって獲得・成長した選手は数多い。フロントに嫌われ上手くいかなかった事もあるが、影響ある選手は数多いと言ってこれは間違いない。

ヤクルトでは宮本に稲葉何よりも古田が挙げられる。阪神では赤星など足の速い名選手がいればまたもや名捕手矢野がいる。楽天でも名捕手嶋を育て上げ今も選手会長として引っ張り続けている。

ここに挙げた選手らは多くが獲得は厳しいとスカウトを悩ませた面々である事は知る人ぞ知る事だろう。守備が上手いだけで打てると思わなかったと言われる稲葉や宮本がいれば、古田は眼鏡を理由に取りやめになりかけたとも言うのだ。

阪神では壊滅的なチーム状況から不変である足と守りを重視した戦略でドラフトにかかったのが赤星で、結果を出せばその後を支える名選手になった。

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獲得だけではない。優勝する程の強豪には必ず名捕手がいると何度も口にするだけあって監督時には厳しくも強く強く名捕手の育成に力を注いでおり、その結果は知っての通り当時の球界を代表する名捕手を必ず送り出している

それだけではなく、自身の持つ考えやこれまでの経験からくるノウハウを知る事で考えが変わり再度花を咲かせる選手も少なくないのだ。近年で上げるならば、山崎武司だろう。晩年でありながら野村の考えを受け、打撃観が変わった事に際し再度ホームラン王に輝いて見せた



他にもクビになった選手の特色を見抜いてピンポイントに適した場所へ当てはめる事で再び輝かせたり、新しく武器を持たせてもう一度戦えるようにしたりした。それは「野村再生工場」とも呼ばれる程で名将野村を表す言葉の一つだ。

また、現役時と同じくこれまでなかった様な事を発明し革命も起こしてきた。技術や文化の進んだ今では古かったり適していなかったりしていようとも偉大な貢献である事には違いない。

野村の後を継いで優勝に導いた例が二度存在する。阪神と楽天で優勝を経験した星野仙一が率いた年だ。前者の優勝に際し、星野が優勝の大きな要因に野村の貢献があった事を認める発言は有名で、成績は最下位でありながら遺したモノは大きかったわけである。

流石知将野村克也!イチローを完璧に封じたその知略とは?



そんな野村克也の知将振りを大きく知らしめる話として、かのイチローをほぼ完璧に封じて見せたと言う話がある。プロ入り後忽ちその実力を表しトップ選手に駆け上がったイチロー、当時は彼を打ち取れないと負けるとまで言われていた。

そうであるからこそ、ヤクルト監督時代にオリックスと日本シリーズで対する際にあらゆる対策を入念に話しあったと言う。その結果は何も無い、という衝撃的なものだった。そこで安易な所へ走らないのが知将なのだろう。



名将として既に名を馳せていた野村にイチロー対策に関してメディアが殺到する事は本人も知る所なのだろう。それを利用して見せたのだ。野村は、対策があり抑えられると明言した上で、内角を攻めると明かして見せたのである。

作戦をバラしたのだから勿論イチローだって躍起になって対策するのは違いなく、内角を打てる様に修正し、フォームまでそれに合わせてきたのだ。ところがこれこそ罠だったのである。

何も対策が無いのは変わりなく代わりに現役時代の代名詞囁き戦術で困惑させたのだ。内角を気にしてフォームまで変えたイチローに内角でカウントを取って意識させた上で勝負は外角で行うと言う厭らしさで封じ込めたのだった。

野村克也も見通せず!大谷のポテンシャルは人智を超える!



そんな野村だが、人によってはもう時代遅れであり、先入観は悪、固定観念は罪と語る割に自身の主な時代のそれに侵されていると語る者も少なくは無いだろう。しかしそれでも自身の語りや意見を中々曲げることは無く自身を持っている野村は今も金言を放っている

そんな野村が以前の言を取り下げ謝るような事態と言うのは早々なく、間違いを認める事は珍しいにも程があるわけだが、それを認めさせた若者がいる。大谷翔平だ。彼には流石の知将も脱帽だった。



話は大谷のプロ入りにまで遡る。彼が二刀流としてプロでやっていき投手でも野手でも成長し活躍できるよう育成していくとその方針を発表した際に数多くの評論家が意見を述べてきた。

投手野手に分かれはしたものの、その多くは二刀流など無理で絞るべきだというものだった。野村もその例には漏れず、自分なら投手で育てると強く語っていた。しかしである、大谷の残してきた成績は規定に達しないものの二刀流として成功と言っていいだろう。

それも未だ成長しているのだから手が付けられない。それに対し、二刀流など無理だと活躍できないと言った事を野村が誤りと認め謝ったのである。一度人智を超えた大谷はどこまで伸びるのだろうか、大変期待である。

野村克也の語り所はまだまだこんなもんじゃない!



さて、野村克也が如何に凄いかという事がさわりではあるかもしれないがそれでも十分にわかって貰えたと思う。これまで、何故かよく知らないけど尊敬されてる偉そうだけど物知りななんか凄いっぽい“ぼやくおじいさん”だった人への見る目が変わってくれた事だろう。

そんな彼は未だに自身の経験から生まれる金言をまとめた出版物を刊行し続けている。それが内容の被りが多くなぜこんなにも…と言われはするが、出版社が違い時代が変わってその本に求められるテーマも変われば同じエピソードでも見方や語りは変わってくる

そうであるだけにもっと彼の事を知りたいと思った方は気になった野村の書籍を買って読んでみて欲しい。詳しく彼の数多のエピソードを知れる事は間違いない訳であるが、野球選手に拘らず多くの人々に当てはまり受け入れられる金言が詰まっている



下手な書籍以上に自身に響き考え方や生き方人生そのものを新たに見つめ直す切っ掛けとさえなりうるかもしれない。一読の価値はあるだろう。野球ファンとして野村が再びユニフォームに袖を通す姿はもう見られないかもしれないが、彼の教え子が今度は指導者として今後を引っ張っていくかと思えば楽しみは尽きないものである。

数多くの教え子が今後球界をどう引っ張っていくのか楽しみである。それではそろそろ締めようと思う、情報番組で野村が今度はどんな分析をし誰にどうぼやくのか楽しみにしながら。

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