日露戦争は“寒さ”が原因?白人帝国に打ち勝った歴史の謎に迫る

日本史としても、そして世界史という視点でもエポックメイキングな出来事となった日露戦争。ジャアントキリングとも言われたその日露戦争の原因を、私的目線で紐解いて行こうかと思います。

原因はイギリスとフランス?日露戦争の序曲とは

日露戦争といえば、日本とロシアが1904年~1905年にかけて戦った戦争のこと。それはあなたもご存じかと思います。しかし、いきなり何の前触れもなく戦争がスタートするハズもありません。

そこには当然、開戦前の“キナ臭さ”が。言わば、19世紀から顕著となった欧米の帝国主義が、回りまわって日本とロシアの利害関係に影響することになったと言えるのではないでしょうか。

特に、ヨーロッパで覇権を争っていたイギリスとフランスには間違いなく遠因が。なぜなら、19世紀後半にオスマン帝国(現トルコ)へ手を伸ばそうとしたロシアが、その勢力を警戒するイギリスとロシアに行く手を阻まれたからです。

結果的に、ロシアは地中海方面への進出を諦めることになります。ところが!これで話は終わりません。イギリスやフランスの力によってストップさせられたロシアは、とうとう極東に進出することになるのです。

日露戦争の原因はロシアの“寒さ”ってホント?

では、なぜ極東に進出することになったのか?事あるごとにトルコ方面へ出兵していたロシアが、突然極東をターゲットにするという不思議。これについては、ロシアの『寒さ』の話を避けて通るわけにはいきません。

例えば、北海道は最北でも北緯45度あたり。それに対し、国土の多くが北極海に面しているロシアは、最北エリアで北緯81度ぐらい。そうです。超寒いのです!いや、寒いどころかめちゃめちゃ凍るのです!

これは、ロシアの港が氷に埋め尽くされていることを意味しています。港の多くは北極海に面しており、北緯70~81度という極寒ライン。実は、オスマン帝国方面に触手を伸ばしたのも、これが理由と言われています。

地中海は北緯40度ライン。北海道よりやや南なのです。つまり、地中海を抑えれば、『凍らない港』を手に入れることが出来る!と。軍事的にも商業的にもロシアは常に不凍港を欲しており、それが南下政策に繋がっているんですね。

朝鮮半島にも原因?日露戦争における“国益”の影

Русско-Японская война 1904-1905 г. Конфликт за господство на северо-востоке Китая (в Манчжурии) и Корее. Когда Россия отказалась вывести свои войска из Манчжурии, японцы внезапно атаковали её военную базу Порт-Артур в Китае, осадив её и блокировав стоявшую там на якоре Тихоокеанскую эскадру. После этого русская армия потерпела ряд поражений, а пришедшие на помощь из Балтики эскадры были практически полностью уничтожены японцами в Цусимском проливе. Войну завершил Портсмутский мир. В России унизительное поражение способствовало началу революции 1905-1907 гг. #историяфакты#история#манчжурия#русскояпонскаявойна#портартур#китай#корея#япония#россия#цусимскийпролив #портсмутскиймир#портсмутскиймирныйдоговор #революция#

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あれよあれよという間に、極東方面での勢力を拡大したロシア。弱体化した清とのゴタゴタを制し、ついに凍らない港・ウラジオストックをゲット!勢いに乗ったロシアは、更に南下を進めます。

そして、日清戦争の勝者利権として日本が割譲しようとしていた遼東半島を、歴史の授業でおなじみの「三国干渉」で奪い取ります。こうなって来ると、その影響を避けられないのが朝鮮半島。

なにせ、遼東半島は朝鮮半島の目と鼻の先。事実、ロシアはその利権を朝鮮に拡大し、当時の朝鮮もロシアの力を利用しようとします。ところが、利用するどころかロシアに利用されまくる展開。そこで大変困ったのが、我が日本。

朝鮮は地理的に日本の眼前にあります。ここを欧米の列強に取られようものなら、そこを拠点として日本への攻撃が可能になります。彼らの艦隊や補給部隊もバッチリ配置出来ますし、国益上、絶対に渡せない地域だったのです。

日露戦争の原因をわかりやすく言うなら・・・?

ポイント1 列強のアジア利権

Друзья, уже завтра, в 18:00, в нашем музее состоится лекция «РОССИЯ И ЯПОНИЯ В 1904-1905: СЛУЧАЙНО ПРОИГРАННАЯ ВОЙНА?», которую прочитает доктор исторических наук, профессор РГГУ Алексей Киличенков. Обязательно приходите! Ждем Вас 21 сентября в 18.00 в Музее современной истории России по адресу: ул. Тверская, д. 21. Вход свободный. #анонс #история #РусскоЯпонскаявойна #1905г #РоссийскаяИмперия #МузейсовременнойисторииРоссии #ГЦМСИР #Тверская21 #ТверскаяXXI #современнаяистория #музей #музейреволюции #живаяистория #sovrhistory #contemporaryhistory

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帝国主義の象徴として、アジアやアフリカで植民地の獲得競争を進める欧米の列強。その中でもイギリスは清を狙い、不凍港が欲しいロシアも極東に展開しました。特に、ロシアは清や朝鮮に居すわるようになります。

そこにドイツやフランスの思惑も入り乱れるようになり、列強が東アジア各地で利権を争うことに。必然的に、日清戦争の勝者である日本の利権も脅かすようになります。当然、各々の利害関係が対立しないはずありません。

国にとっての利害関係というのは、国益そのもの。すなわち、「東アジアにて帝国主義の国々の国益がガチンコでぶつかった!」というのが、日露戦争の背景として確実に存在するのではないでしょうか。

ポイント2 目障りな日本

そこで、列強にとって目障りになったのが日本。欧米の白人社会にしてみれば、日本なんてアジアの黄色い猿なわけです。当時の彼らは、「自分たちより劣っている」と思い込んでいます。

そんな日本が、生意気にもアジアで利権を持とうとしている・・・となると、ジャイアン的態度で日本に圧力を掛け、そこから手を引かせてしまおうなんてことに。そのひとつが三国干渉であり、これもまた戦争原因のひとつ。

実際、日露戦争の開始まで、ロシアは日本の交渉をことごとくはねつけます。訊く耳を持とうとしません。国力で大きく劣る日本は、本音では戦争したくないのですが(汗)。しかし、遂に待ったナシの状況に追い込まれてしまいます。

ポイント3 地政学的綱引き

出典:https://ja.wikipedia.org

欧米の列強が東アジアに進出するということは、それらの地域に戦闘要員や武器を配置するということでもあります。すなわち、日本を攻撃しやすいエリアで、攻撃のための準備をすることが可能になるのです。

これは、日本にとって大変な死活問題。それまで、国力で劣りながらも欧米の植民地化を避けられていた日本が、とうとうその脅威に直面することになります。ロシアを満州や朝鮮から撤退させなければ、それは現実となります。

たとえ戦争になったとしても、列強たちは自らの国土に損害はありません。アジアが戦場になるだけですから。でも、日本は違います。自らの国土が戦場となる可能性が高まり、崖っぷちとも言える状況だったのです。

原因と結果から垣間見る!日露戦争が残したものとは

戦争は単一的な理由だけで起こるのではなく、複合的な理由による合理的判断が影響することも多々。いくつかの原因についてお話して参りましたが、日露戦争もその例に漏れません。

戦争そのものには、確かに勝ちました。とはいえ、日本にとっては、明治のスタートから35年程度しか経過しておらず、まだまだ道の途中。日清戦争を凌駕するほどの戦いとなった日露戦争だけに、様々な遺物を残すことになりました。

そこで、この戦争の果てに生まれた日本とロシアの『遺物』たちを、4つほどご紹介したいと思います。短期的に見れば良いこともありますが、長期的視点ではお互いマイナスに働くものが多いのは気になるところです。

列強国としての世界的認知

ЛЕКЦИЯ «РОССИЯ И ЯПОНИЯ В 1904-1905: СЛУЧАЙНО ПРОИГРАННАЯ ВОЙНА?» 21 СЕНТЯБРЯ В 18:00 21 сентября 2016 г. в Музее современной истории России состоится лекция доктора исторических наук, профессора РГГУ Алексея Киличенкова на тему «Россия и Япония в 1904-1905 гг.: случайно проигранная война?» В ходе лекции будут освещены проблемы взаимосвязи Русско-японской войны с революцией 1905-1907 гг., причины фатального невезения русского флота и другие вопросы. Ждем Вас 21 сентября в 18.00 в Музее современной истории России по адресу: ул. Тверская, д. 21. Вход свободный. #анонс #история #РусскоЯпонскаявойна #1905г #РоссийскаяИмперия #МузейсовременнойисторииРоссии #ГЦМСИР #Тверская21 #ТверскаяXXI #современнаяистория #музей #музейреволюции #живаяистория #sovrhistory #contemporaryhistory

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対白人社会となった日露戦争に勝ったことで、明らかに世界中が日本を見る目を変えました。イギリスやフランス、そしてドイツやアメリカまでもが恐れていたロシアをやっつけてしまったわけですから。

彼らは、日本がアジアの黄色い猿どころか、自分たち列強を脅かす勢力になったことを痛感することになります。ここで日本は不平等条約を改正し、列強国の仲間入りを知らしめることに成功するんです。

そして、その列強に植民地扱いされていた弱小国たちの希望の光になったとも言われています。それほどまでに衝撃的なニュースだったということでしょうね。もう、「たかがアジア」ではなくなったのですから。

ロシア帝国の没落

それとは逆に、国内の混乱に拍車が掛かったのがロシア。日露戦争の戦況が思わしくないことから、それまで抑え付けられていた民衆の不満がヒートアップ。それに対し、発砲して排除するという力業を敢行。

それを発端に革命が起こり、全土を巻き込む大混乱。しかも、それを収束し切ったとは言えないまま、今度はヨーロッパ戦線に首を突っ込むことに。これが原因で、今度は第一次世界大戦に突入という悪夢に・・・(汗)

その第一次世界大戦は、ロシアにとって芳しくない方向で長丁場になるという最悪の展開。それに端を発する経済の低迷など、国内状況の悪化も重なり、ついに社会主義が台頭。ロシアは終焉を迎えることになります。

日米関係の悪化

日本の列強国入りに、心中穏やかじゃなかったのは、このアメリカでしょう。日露戦争中はそれなりにバックアップを口約束していたようですが、それもまた戦後利権を意識してのもの。

実際のところは、日露戦争の講和であるポーツマス条約において、賠償金を取れなかったのは日本の国力UPを恐れたアメリカの仕掛けだった!なーんて説もあるぐらいですからね。

真実はどうであるにせよ、アメリカが日本を「国益を脅かす危険な存在」として見るようになったのは確か。日露戦争後、満州利権の一部をアメリカに開放する約束を翻したりしたのも、悪化した原因のひとつでしょう。

莫大な借金

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この日露戦争は、日清戦争なんかとは比べ物にならないぐらい、大規模な戦争となりました。それは当時の日本の国力を完全にオーバーしており、資金の調達規模も大変なものに(汗)。

それは20億円に迫るとも言われており、現在の価値ですと2兆を軽く超える数字。当時の日本にそんなものを用意出来る力などありません。だって、当時の歳入は3~4億円がいいとこですからね。

国内の増税だけでは到底ムリ。なのでそのほとんどを、アメリカやイギリスのバンカー相手の外債でまかなったため、その後はずっと借金返済生活。返済し終わったのはなんと1986年!まあまあ最近だったりするんですよコレが。

日露戦争は両者にって歴史的転換点だった

#日露戦争記念碑#鶴谷八幡宮

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この日露戦争を境に、日本は傷つきながらも列強国として幅を利かせるように。それとは逆に、ロシアは混乱と衰退が露わになり、直後の第一次世界大戦後に崩壊。まったく好対照の歩みとなりました。

お互いに、良くも悪くも歴史的な転換点になりましたよね。歴史にタラレバなんて野暮ですが、もし当時ロシアの圧力に屈していたら、今の日本はどうなっていたんだろう?なーんて思うのは私だけでしょうか。

原因があるから、結果がある。ということは、原因をつくらなければ戦争にならない・・・ 無論、それが簡単でないことは百も承知。ですが、今後の日本が平和でいるための、重要なカギであることも確かではないでしょうか。

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