サッカーの神様!ジーコという天才を6つのポイントから解明する

ジーコと言えば、天性のサッカーセンスで、華麗なゴールを決める、派手なプレイスタイルだ。自らをドリブル、フェイントの達人と言い切ってしまう。未だ破られていない超人的な記録結果を出したスーパースター選手だからだ。今現在も、誰もジーコのドリブル人生は止められない!!

ジーコとサッカー王国ブラジル

出典:http://zico.cocolog-nifty.com

奴隷制の歴史があり貧冨の差が激しいブラジルへ、ポルトガルからの移民の家庭に生まれたジーコ(本名アルトゥール)は、13歳にして往年のプレースタイルをほぼ確立していた天才。

男の出世の近道はサッカーと言われるブラジルでは、幼いうちからサッカーボールに親しみ、ボール・コントロールセンス勝つ為の使える手段のいろはを磨き、身体に叩き込んでいる

その為、10歳くらいの子供でもフェイントの達人など通りには山ほど居る。そんな選手層の厚いブラジルでも、ジーコは天才。ジーコとは何だったのか?6つのポイントに分けて解明!

ポイント① ジーコのあだ名は「痩せっぽち」?!

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幼い頃から近所であだ名をつけられる程のサッカー小僧で、抜群のサッカーセンスはありながら、ジーコの身長は1m50cmと決して高い方ではない。おまけに体重も30kgと華奢だった。

プロテストに合格するも、ガキの頃から小柄であだ名はziko(痩せっぽち)だった。写真は1970年だが、胸板も確かにまだ薄いし、首もかなり細い。そして何と言ってもサッカー選手は脚。

脚力バランスが良くないと簡単にグラウンドでは蹴り転ばせられてしまうし体当たりにも弱い。写真の頃の下半身の筋肉では、世界トップレベル選手相手には当たり負けしてしまっただろう。

ポイント② ジーコの肉体改造計画

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ジーコは14歳の時にリオデジャネイロのフラメンゴのユースチーム・テストに合格した。テクニックを買われて入団したが、やはり問題は体格がプロとして致命的で改善が必要だった。

フラメンゴは、ジーコの肉体改造計画チームを結成し、完全な管理下でプロジェクトを開始した。効率的な筋トレと、ホルモン注射、プロ選手の兄の助言もあり、ジーコの体は変わった。

痩せっぽちどころか、サイボーグとあだ名を付けられる程、強靭になり当たり負けする事は無くなった。高い得点力で、ユースからトップチームに昇格、快心撃がはじまるのだった!

ポイント③ 元ブラジルの大スター選手!

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フラメンゴではクラブ史上最多ゴール得点。10年間の在籍中にチームを4度の優勝へ導いた中心選手。プロ5年目でワールドカップ・ブラジル代表選手に初選抜され、計3回出場。

残念ながら優勝は一回も出来なかったが、2回目のワールドカップ、対イタリア戦は、「ブラジルサッカー史上最も魅了したチーム」と伝説になっているメンバーにジーコが居るのだ。

多くのスター選手がそうであるようにジーコは母国を離れ、イタリアの名門クラブチーム・ウディネーゼと契約。約2年間プレーしたった1年で19得点!という華々しい功績を残した!

白いペレと称されるジーコ

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ブラジルの人気クラブチーム・フラメンゴでの史上最多ゴール数508得点という活躍は、同チームに10年間所属するスタイルも現在では珍しい事もあり、未だ破られていない。

あのペレに、得点につながる素早い判断と、徹底したマークも切り抜けるボディバランスとフェイント技術、(捨て)パス・センスなど、史上最も自分に近ずいた男はジーコだと言わせた。

ジーコはグラウンドでの運動量も激しい。体力的にも超人的にタフでなければ得点王にはなり得ない。ブラジルでの引退試合をし、Jリーグ設立で来日した時には全身筋肉ムキムキだったのだ!

ジーコが鹿島アントラーズに来た!

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あの頃ジーコはブラジル政府にスポーツ担当大臣に任命されていたが、自ら辞職を選ぶ。ゼロからサッカークラブを築く事が昔からの夢だったからだ!Jリーグ鹿島設立と重なり合意した。

当初はジェフ市原(千葉)に行く予定だったが、最終的に鹿島アントラーズに決定した。しかしジーコが奮闘すべく「プロサッカーが無い国の育成」は想像以上の困難さがあった。

それは日本サッカー界全体の意識改革を意味したからだ。ジーコが最も偉大な点はそこだろう。何も知らない子供に教える父親のように、第二の故郷としてサッカー愛を体現してくれたのだ。

アルシンドをブラジルから呼び寄せた采配

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ジーコは来日すると当然、連日VIP待遇されたが、ジーコ本人そんな事はどうでもいいと言った感じで、電車通勤で近所の商店街に、普通に買い物に出る生活で十分だった。

それよりも鹿島アントラーズを、どうにか形にし結果を残す事に集中し、フラメンゴから一緒にプレーしこれからの才能に伸びしろがある若きスピードFW・アルシンドを呼んだのである。

結果、ジーコとアルシンドというスピードも華麗な技術もあるゴールデンタッグが、鹿島アントラーズを準優勝という快挙に導いた。この二人により日本サッカー界が何年ワープしたか!

ジーコがJリーグに残した功績は……

鹿島スタジアムにはジーコの銅像がある

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今から24年前の1993年Jリーグ開幕。あの当時に、ジーコ以外にあのプレイやグラウンド外での指導的動きを出来た日本人は誰も居ない。現場にいた選手が一番感じているだろう。

それだけでも凄い事だが、あれから時間が経過してくると、もっと偉大な事が解ってくる。それをTV中継で見ていたあの頃の子供達が、今の選手達で、底上げにもなっている。

Jリーグはすっかり日本に根づき、2部リーグでもサポーターが熱いところは大盛況だ。日本全体のサッカー界が明らかに意識改革された。ジーコの功績はあまりにも大きい!

ポイント⑥ ジーコ監督ジャパンの失敗を活かせているか?

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ジーコ監督ジャパンを評価する時、皆さんはどう思うだろうか?まだまだ選手達が色んな意味で育っていなかった時代であるその限られた条件でよく健闘したという見方もあるだろう。

いやいや勝敗こそ全てという厳しい見方もあるだろう。ジーコジャパンは徹底した管理サッカーでは無く、選手達の自主性を重視した。天才スタープレイヤーが本領発揮できるスタイルだ。

試合本番での閃きや、センス、アイデアが活かされる、ジーコ達がやってきた個人がハイレベルなブラジルサッカー理論だ。果たしてこれをジーコ監督だけの失敗と呼べるのか?

天才ジーコゆえの苦悩

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ジーコ日本代表サッカーも、思うような成績は残せなかったが、監督が変わっても日本代表レベルは、世界的には結果が物語っている通り、残念ながら世界の壁はまだまだ厚いようだ。

その後もジーコは監督として、トルコやウズベキスタン、ロシア、ギリシャなどで指導している。しかし、結果は優勝するチームもあれば、ワースト記録を塗り替えてしまうチームもある。

これはジーコのやってきたブラジル流サッカーが、万国には当てはまらない事を意味している。簡単に言えば天才がいるチームとだけは相性バッチリの天才監督ジーコの特性なのだ。

ジーコが我々に伝えたスピリットとは何か?(まとめ)

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ジーコは、監督では無く選手として来日したその奇跡的な現役の動きを見れた我々は、ラッキーな国民だろう。ゴールすれば子供の様に喜び、失敗すれば身体全体で悔しがる。

伝説にもなってしまうチャーミングさだ。華麗な名ゴールシーンもあれば、PKでボールに唾を吐いたのは呪いの願掛けだ。そんな事までしても勝ちたい執念の表れなのだ。

サッカーを死ぬほど愛しているのは誰が見ても解っただろう。ジーコの背中に何を見るのか?小さい頃からスターのプレイに憧れ誰にもボールを奪わせない少年。それがジーコだ。

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