【コービー・ブライアント】ネクスト・ジョーダンからNBAレジェンドになった男!

先日惜しまれながら引退しNBAのコートを去ったコービー・ブライアント。ジョーダンがいなくなったNBAの世界を引っ張り続け、数々のスーパープレイでファンを魅了しレジェンドになったプレーヤーを紹介する。

コービーの名前の由来は神戸?グローバルな生い立ち

コービー・ブライアントは198㎝93㎏、ポジションはシューティングガード、現役生活20年を名門ロサンゼルス・レイカーズ一筋で駆け抜けたNBAを代表するプレーヤーである。アメリカ代表として北京、ロンドン両オリンピックで金メダルも獲得している。背番号は“8”と“24”

元NBA選手のジョー・ブライアント、同じく元NBA選手の妹のパミラ・コックスの間に生まれたコービー。その名前の由来はジョーがお気に入りだったレストラン『Kobe Steak House(神戸ステーキハウス)』に妻のパミラと訪れたことに始まる。

店主に『Kobe(神戸)』の名前の由来を聞いたことがきっかけで二人ともその名前を気に入り、そのまま生まれた息子にその名前を与えたのだった。コービー自身も1998年に来日した際に神戸の街を実際に訪れている。

この名前が後にNBAと世界に轟くことになろうとは誰も知る由がなかったのだが、コービーがNBA入りしてすぐくらいに、彼が注目の選手であると同時に、神戸が名前の由来であることを繰り返し紹介していたことを筆者もよく覚えている。

父のジョーは当時フィラデルフィア・76ersに所属し、その後数チームを渡り歩いた後、イタリアのリーグに参加することとなり、コービーは6歳から7年間をイタリアで過ごすことになる。

イタリアでトップ選手となった父親に影響されコービーもバスケットを志すようになったのだそうだ。そしてジョーが引退し、ラ・サール大のヘッドコーチに就任することが決まり、コービー一家はフィラデルフィアに帰ってくることになるのだ。

レイカーズに入団したい!18歳でNBA入り

幼少期をイタリアで過ごしたコービーがアメリカの文化に馴染むのに時間がかかったのだが、高校3年生になるとその培った才能がいよいよ爆発する。そのシーズンに1試合平均31.1得点10.3リバウンド5.2アシストの成績を残して州の最優秀選手に選出される。

コービーのもとに有力大学からのスカウトが殺到、彼の進路に全米が注目する存在となり、コービー4年生時にはチームを州チャンピオンにまで導いた。またプロからも熱い視線を注がれるようになっていたのだった。

この頃のコービーのプレーは完全に高校生離れしていて、まるで一人違う競技をしているかのように見えた。それほど彼の得点能力はずば抜けていて、誰も止めることができなかった印象だった。

コービーは他のバスケットボールプレーヤーと同様に大学進学を考えていた。しかし彼が卒業する前年に後に名選手となるケビン・ガーネットが高卒新人としては20年ぶりにNBAドラフトでの指名を受けたのだった。

高卒でもNBAへの道が開けたことにコービーは触発され、高校ラストシーズンが終わるとNBAドラフトへのアーリーエントリーを宣言するのである。そして彼の獲得に動いたのが時のロサンゼルス・レイカーズGMでNBAレジェンドのジェリー・ウェスだった。

当時のコービーはレイカーズに入団できなければデューク大に進学すると宣言し、ドラフト当日に全体13位でシャーロット・ホーネッツに指名を受けてもそれを全く譲ることはなかった。

そこでウェストは当時レイカーズのスターターで、マジック・ジョンソンともともにプレーしたブラデ・ディバッツをホーネッツに放出してコービーを獲得、ついにコービー・ブライアントはロサンゼルス・レイカーズに入団することになるのだ!

当時のコービーは高卒ということもあり特別評価の高い選手ではなかったが、その才能を見抜いたウェストが強引にコービーを獲得したというのは、その後のレイカーズが黄金時代を築くことを考えるとまるで何かの運命だったように感じるのである。

ちなみにこの年のNBAドラフトは豊作のとして知られ後に大スターとなるアレン・アイバーソンやレイ・アレンも指名を受けている。レイカーズは持っていた24位指名権で後の名脇役でコービーの良きパートナーとなるデレック・フィッシャーを獲得している。

マイケル・ジョーダンと比較され続けたNBAキャリア

ルーキーイヤーのNBAスラムダンクコンテストで優勝、2年目のシーズンから出場時間の増加とともに才能を発揮し始めたコービーはその人気が沸騰、その年のNBAオールスターでチームでは控えでありながら史上最年少でしかもスターターとして出場することとなるのである。

その後レイカーズに名ヘッドコーチのフィル・ジャクソンが就任し、彼の専売特許であるトライアングル・オフェンスを布くと、当時不仲と伝えられていた大黒柱のシャキール・オニールとともに破竹の快進撃が始まるのである。

その年念願のNBAファイナルに進出すると、二人の活躍もあってNBAチャンピオンに輝いたのだ!全盛期を迎えたオニールと、スコアラーとして進化したコービーがチームを引っ張り、翌年、翌々年と連覇を果たし、見事スリーピート(=三連覇)を達成、チームは黄金時代を迎えていた。

その後オニールとフィル・ジャクソンがチームを去り、レイカーズはまさにコービーのチームとなるが苦戦する日々が続く。そして不振のチームにフィル・ジャクソンが再度ヘッドコーチとして就任した2005-06シーズンからコービーが自分のNBAキャリアをさらなる高みへと持っていく活躍を見せ始めるのである。

この頃はリーグでは有数のスコアラーとしてすでに認知されていたコービー。そして頻繁にマイケル・ジョーダンと比較され、まだコービーはジョーダンに届かないなどの評価を受けていた。得点力、華麗なダンク、体躯などが似通っていたからこその比較であったと思うが、確かにまだジョーダンには及ばない感じは否めなかったと思う。

しかし、このシーズンでは27試合で40得点以上を挙げ、1月には1試合81得点というとんでもない記録を残すなど大活躍、1試合平均35.4得点という極めて高い記録を残し初の得点王に輝いたのだ。

翌年もコービーの勢いは止まらず1シーズンに50得点以上挙げた試合が10試合を超え、2年連続で得点王を獲得。このからついに『得点力に関してはジョーダンを超えているのでは』との評価も上がり始めるほどになっていたのだ。

その後さらに2度のNBAチャンピオンを経験し合計5度のNBAチャンピオン、1度のシーズンMVP、2度のファイナルMVP、2度の得点王に輝いたコービーは単純に比較することはできないが『マイケル・ジョーダンに一番近づいた男』だと筆者は思っている。

マイケル・ジョーダンが引退し、しばらく時がたってから『自分の引退後のプレーヤーの中で、自分と比較されるにふさわしい選手はコービーだけだ。』と語ったようにジョーダンもコービーを認めている。コービーの歩んだ道のりはそれ程の高みであったのだった。

女癖はイタリア仕込み?セレブカップルの離婚と復縁

コービーは2001年に当時交際していたヴァネッサ・コーネジョ・ウブリエタ・ラインという女性と結婚し現在3人の娘がいる。このヴァネッサは一部では玉の輿を狙ってコービーに近づいたとされており、コービーの父親のジョーも結婚には反対したそうだ。

そしてコービーの浮気が発覚し、ヴァネッサがしりつたんていを雇って調査した結果、100人を超える女性との関係が明らかになり二人は離婚、3つの豪邸と7500万ドル(約57億円)を受け取ったとされている。

スポーツセレブともなるとモテることも近づいてくる異性もまた慰謝料も桁違いすぎるのだが、何とコービーはヴァネッサとの復縁をSNS上で公表!どうやらヴァネッサがコービーを嫌いになれないらしいのだが…なんともスケールがでかい話で、まあ、さすがはスター・コービーなのである。

本当に引退試合かよ!コービーNBA最後の日

2015年11月29日、コービーは『親愛なるバスケットボールへ』と題したメッセージを寄せそのシーズン限りでの引退を表明する。身体が別れの時が来たと言い、それを受け入れたとのことだった。

実際彼は膝の軟骨がほとんどない状態まで酷使し、手首の靱帯断裂、左アキレス腱の完全断裂、右肩回旋筋腱板の断裂、脛骨プラトー骨折など多くの大怪我と戦ってきたのだ。そのたびに復活をしてきたコービーも当時37歳になっていた。

コービーの引退発表にNBAのコミッショナー、マイケル・ジョーダン、リオネル・メッシがコメントを発表し、時の大統領バラク・オバマにはホワイトハウスへ招待されるなど、ある種『事件』として各方面に影響を及ぼしたのだ。そして2016年4月13日ついにその日が訪れる。
https://youtu.be/BdGeXcJ-hfo現役引退試合となったコービーは最後の瞬間まで今まで通りの真剣勝負を挑み、10点差で負けでいたチームの勝利のためにまさに孤軍奮闘する。そしてなんとコービーは60得点を挙げチームを逆転勝利に導き、有終の美を飾ったのだった!

37歳の引退試合で60点取れる選手は後にも先にもコービーだけなのではないかと、筆者は思っている。そもそも高い得点能力に、いわゆる”ゾーン”に入ると手が付けられない、NBAファンが長く見てきた”コービー・ブライアント”そのままの姿であった。

多くの記録を更新し続けてきたコービーは37歳で60得点というNBA最年長記録を更新し輝かしい経歴と到達不可能とも思える記録と、多くのファンに強烈な記憶を残して20年の現役生活にピリオドを打ったのだった。

NBAを引っ張り続けた男はレジェンドとなった

ジョーダンがいなくなった後のNBAを支え続けたコービー・ブライアント。高卒ルーキー都市でデビューし38歳というNBAでは高齢の部類まで輝き続けた彼は多くの最年少記録、最多記録、そして最年長記録を更新した。

無類の負けず嫌いでストイック過ぎるバスケットへの姿勢にシャキール・オニールがドン引きしていたという有名なエピソードがあるほどコービーはそのすべてをバスケットボールへ捧げてきたのだろうと思う。

ネクスト・ジョーダンと呼ばれた男はいつの間にか、“コービー・ブライアント“とジョーダンの名前など必要のない唯一無二のプレーヤーとして人々に記憶され、この先もレジェンドとして語り継がれていくことは間違いないのだ。コービーと同じ時代を生きられた筆者はNBAファンとして大変な幸せを感じている。