【超不運】ナポレオンの辞書には不可能しかなかった!

フランス革命の混乱を収拾した、ナポレオン・ボナパルト皇帝。軍人としても、政治家としても名高い英雄です。ですが、傭兵から皇帝まで上り詰めたナポレオンには、皆の尊敬を集めるため伝説が必要でした。本当はどんな人物だったのでしょうか?

英雄の生涯「眼前にいるのが皇帝だ、皇帝だ!」

出典:https://ja.wikipedia.org

ナポレオンの名言に「自殺するのは卑怯である」という言葉があります。ナポレオンを知っている人なら「お前が言うか!」と突っ込むでしょう。又は、「死にきれなかったからこそ、言える言葉か」と納得するでしょうか。

そして、有名な肖像画「愛馬マレンゴに乗るナポレオン」でも、“実際に乗っていたのはロバ”とか、いつも右手をお腹に当てているのは“胃痛を和らげるため”とか、“名言を残しがち”などいろいろな逸話が残っています。

たくさんの作家が題材にしているナポレオン・ボナパルトとは、いったいどんな人物で、どんな生涯を送ったのか!意外な一面も見えてくるかもしれませんよ。

不安障害がひどい!「生きてることが辛いなら、いっそ…」

持病のデパート:現役時

長時間、馬に乗っていたことによる「いぼ痔」・常に痛みと戦った「胃痙攣」、その他にも皮膚病・淋病・めまい・肥満…と、書ききれないほど持病を持っていたと言われています。

ほとんどが、大きな病気のための副疾患だと考えられていますが、日常生活を送るのにも大変だったでしょう。当時は、薬の効き目も弱かったでしょうし、治療自体行われていたかも疑問です。

ナポレオンは、このような持病を抱えながら日々戦っていました。大体は精神力で抑えていたと言われています。「どんだけ我慢強いんだよ!」と言いたくなりますね。私なら、寝たきりの生活を送りたくなります。

持病のデパート:流刑後

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セントヘレナに流刑後は、イギリス軍の監視下に暮らしていました。相変わらず持病を抱え、亜熱帯に位置した湿気の多い島だったため、さらにデパートの商品のように病気は増えていきました

イギリス軍が最初に診断した際には、虫歯と歯周病、気管支カタルを患って両足が腫れていました。頭痛・神経痛・気管支炎・肝臓病…。相変わらず日々の激痛、吐き気、吐血を繰り返す日々。

争いを指揮することもなく敵の監視下で、ただ息をする生活に何の意味があるのでしょうか?元々精神の弱かった、本当のナポレオンの顔が現れ始めます。

特にひどかった精神疾患

小さい頃のナポレオンは、地中海の真ん中にあるコルシカ島で生まれ育ちました。貧乏貴族のことして育ったナポレオンは、エリート貴族の子供たちからのいじめを受けます。その頃から、だんだん精神を病んでいきました。

自殺を考えるようになったころ、フランス革命が勃発します。この戦いがナポレオンの意識を変えました。日本の戦国時代でも同じように「功績をあげれば、良い地位につける!」今の状態を打破できるのはとても魅力的に映ります。

ここでナポレオンは、自殺を思いとどまり戦闘を指揮する側へ向かいます。ただ、ストレスは残りました。自殺を考えるほど大きくなった心の闇を…

癇癪はチーズの形まで変えた!

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多大なストレスは、人格にも影響してきました。そう皆さんご存知の“癇癪”です。些細な事でも、怒りだす性質。部下は大変だったことでしょう。このナポレオンの癇癪で、チーズの形が変わった。という話があります。

ヴァランセという表面に灰をまぶしてある、爽やかな酸味が特徴のチーズです。もともとピラミッドのように頭頂部がとがっていた形をしていました。

ある時、エジプト遠征に失敗したナポレオンの元に、食事として運ばれてきたヴァランセチーズ。それを見たナポレオンは、突然激高しチーズの上を切り落としたといいます。今は四角推の形で作られているのは、「ナポレオンを怒らせないため」なんですね。

恋多き妻に「会いたくて会いたくて震える」

#imperatrice #josephinedebeauharnais

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ナポレオンには愛しい妻がいました。名前はジョセフィーヌ。2人の子供を持つ未亡人でしたが、可憐な仕草・洗練された身のこなし方・艶やかな美貌に、包み込むような優しさ。そのすべてに心を奪われました。

ジョセフィーヌはナポレオンと出会う前、政治家の妻でした。夫は徐々に頭角を現してきましたが、フランス革命時に処刑されてしまいます。残された2人の子供を養うために、貴族の愛人として暮らしていました

愛人になったものの愛情は抱けない相手だったため、次々とお相手を変えて暮らしました。その時に出会ったのが、政界の大物バラスです。そのバラスによって2人は出会うことになったのです。

成功したプロポーズ

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ジョセフィーヌは、没収された亡き夫の剣を引き渡されることになりました。その時に剣を預かっていたのが、バラスの部下であるナポレオンです。剣を持ち、未亡人の前に立つナポレオン。心がざわめきます。

官能的にけだるい雰囲気を漂わせ、セクシーな物腰で剣を受け取るジョセフィーヌに一目ぼれです!この時からナポレオンは、猛烈アタックを開始します。ちなみに、ジョセフィーヌの方は「背が低い、みすぼらしい青年」という印象だったそうです(笑)

その後、熱烈な口説きが成功したのか、面倒くさくなったのか(笑) とうとうジョセフィーヌは結婚を承諾しました。ナポレオンは有頂天になっていたのも束の間、すぐにイタリア遠征の命が下ります

妻のために癇癪発動!

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ナポレオンは「赴任地のイタリアに着いてきて欲しい」と、ジョセフィーヌに懇願します。ジョセフィーヌは「うーん。そのうちね」と、曖昧な言葉ではぐらかしました。一緒に暮らしたいナポレオンは、何度も何度も手紙を出します。移動中、赴任地到着、兵士を指揮しながら「こっちへ来て」と…。

その頃ジョセフィーヌは、浮気相手のイポリットとお楽しみの最中です。「なんで、あのチビのために戦場で暮らさなければいけないの?」「冗談じゃないわ!」と、誰にも邪魔されない生活を楽しんでいました。

一方、ナポレオンは「なぜ来ない?手紙が届いていないのか?」と、不安になりながら1人で戦場に居続ける毎日。とうとう「もう嫌だ!妻が来ないなら帰る!」「戦場なんて知るもんか!」と癇癪を起し始めました

鬼嫁、キレる!

慌てたのが上司のバラスです。実は、この時もまだジョセフィーヌとの仲は続いていました。「すっごい困ることになるから、ちょっとだけイタリアへ行ってくれないか?」と、ジョセフィーヌを説得します。

しぶしぶイタリアへ向かうジョセフィーヌ。しばらく夫婦で一緒に暮らしていましたが、今度はナポレオンにエジプト遠征の命が下ります。そーと、妻の顔を伺うナポレオン「一緒に来てくれるよね?」弱々しくお伺いを立てます。「さすがに、もう行かないわよ!」と一喝されてしまいました

鬼嫁ですね(笑) ナポレオンの好みは強い女性だったのでしょうか?最初は母のような包容力があるジョセフィーヌでしたが、ナポレオンの駄々っ子のような要求や、常にどこか体を悪くしている状態にキレてしまったのかもしれません

鬼嫁、キレられる!

パリに戻ったジョセフィーヌは、またイポリットとのお楽しみ生活に戻ります。これをナポレオンの兄が目撃!戦地で戦っているナポレオンに密告します。激怒したナポレオンは、連絡もせずにエジプトからパリへ戻ります。

ここで怒りは大爆発!!この怒り方をみたジョセフィーヌは怖さもありましたが、いかに自分が愛されていたかを知ります初めてナポレオンを“夫”として見た瞬間でしょう。号泣して謝り、「離婚して欲しくない」と訴えます。連れ子の2人も「どうか母を許してやって」と縋りつきました。

怒りを爆発させたことでスッキリしたのか、まだ恋心が残っていたのでしょうか? 今回はジョセフィーヌを許します。そして、ジョセフィーヌもナポレオンを愛し始め、浮気をきっぱりと辞めました

離婚後の生活「だってもう自由よ なんでもできる」

#TheKingofRome #NapoleonII #Franz born on March 20 of 1811

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家庭のいざこざが決着を付いたので、ナポレオンは戦場で奮闘します。その姿をみて「革命の申し子」と言われるようにまでなりました。

そしてついに皇帝まで登りついたその時!なんと、ジョセフィーヌをきっぱりと捨てます。あんなに恋しかった、愛しかった妻に離婚を言い渡したのです。なんなんでしょうか?(笑) 自分のものになった者に、興味がなくなったのでしょうか?

その後、今度はナポレオンが数々の女性に手を出します。この中で好感が持てる女性は、マリア・ヴァレフスカですね。一途にナポレオンを愛し続けた女性です。夫公認の、ナポレオンの愛人という奇妙な立場でしたが、ナポレオンの子供を産んでいます。

その後は、政略結婚でマリー・ルイーズと結婚この女性はとても評判が良くありません。マリー・ルイーズ自身が、この結婚を「人質」に取られたと思い込んでいたのも一つの要因ですね。ナポレオン2世の母でもあります。

死の真相は?「ahh 謎がとけてゆく」?

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セントヘレナに流されてからは、持病を抱えながらも単調な日々を送っていました。馬に乗って散歩をし、雑談・読書・口述筆記、眠くなるとベッドに入る。しかし、ナポレオンは寝つきが悪かったようで、2か所の寝室をウロウロしながら眠りに入っていました。

こんな害の無い生活をしているナポレオンに、毒殺疑惑があるのは有名な話ですね。イギリス軍が持て余したのでしょうか?今、一番の容疑者は、シャルル・ド・モントロン将軍です。

ナポレオンと一緒に、セントヘレナで暮らして5年。なんの刺激も無い、平穏すぎる日々。将軍はふと気付いてしまいます。「ナポレオンがいなくなれば、パリに帰れるんじゃないか?」この考えは、愛妻へ宛てた手紙にも書かれています。

緑に囲まれていたナポレオン

今では“胃がん説”が有力ですが、遺髪からヒ素が検出されたことも事実です。このヒ素も、故意に摂取させられたのか、日常生活で体内に入ってしまったのか、意見が分かれるところです。

ナポレオンは緑色が好きで、セントヘレナでも壁・ベッド・カーテン・籐椅子も緑色に塗られていました。これらの塗料は「亜ヒ酸第二銅」で、カビの菌糸と反応すると揮発性のヒ素が発生するそうです。

セントヘレナ島は湿気が多い土地です。記述にも「壁は湿気と緑のカビに覆われていた」と、残されています。後に壁の一部とカーテンが検査に回され、確かにヒ素が検出されています。

さて、この結果をどう見るか?が問題です。ナポレオンは毒殺されたのでしょうか?それとも病死だったのでしょうか?今なお解けない謎に、ぶち当たってしまいましたね。

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