【広島カープ】大野豊が野球殿堂入りたる4つの理由

通算148勝138セーブ、生涯防御率2.90。先発、リリーフ、抑え全てで活躍している稀な投手です。100勝100セーブというと江夏豊投手が思い浮かびますが、わたしの記憶に生で残るのはこちらの豊選手なのです。

理由① 独特すぎるフォーム

長良川球場

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わたしは愛知県名古屋市近くに生まれ、ぼんやりと中日ドラゴンズのファン。その日、この球場で行われた中日対広島戦をまたぼんやりTV観戦していました。9回裏1点差

田舎の球場のこと当時あったリリーフカーに乗ることもなく、ブルペンドアから歩いてくるようなこともなく、40歳のおじさんがベンチから歩いて登場。いまでは珍しい光景ではないですが、当時はめずらしかったです。その「ちょっと行って抑えてくる」感!当然のように強竜と言われた打線を三者三振に。

逸話の多いこの独特なフォームは優勝請負人「江夏豊」と二人三脚が生んだものです。

信用金庫の軟式野球部からテスト入団。大野選手は珍しい経歴の選手です。その選手からみたら江夏豊は神様のようなスター選手だったといいます。
ただ逆に江夏選手からは多くの共通点がみえたそうです。同じ左腕、同じ母子家庭、同じ豊という名前。江夏選手は似た大野選手のボールの10球に1球光るものをみつけました。

このことから二人三脚でフォームをつくりだします。二人はいまでも対談するような仲ですが、現在でも球界で1・2の練習量をほこる球団で鉄拳制裁を含むコーチングは耐え難いものでもあったと思います。

理由② 大野豊の球種は?

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そのフォームからは150kmのストレートを軸に、パームボール、まっすら、スラーブ、シュート、ドロップと実に多彩。それに加えて独特のフォームがその沈み込ました腰で、打者のタイミングを外すことを持ち味にしていました。実働22年カープを支えた原動力です。

「精密機械」北別府学、「巨人キラー」川口和久とともに投手王国広島の「七色の変化球」と呼ばれていました。そしてその王国のどの投手より長く投げました。北別府選手と華麗な変化球に隠れがちですが、その制球力全てを支えていたと思います。

加えて球速。引退試合で146キロ。50歳を迎えたマスターズリーグでも140キロ以上で投げています。

コントロールを備えた150キロのストレートに加えた「七色の変化球」なんです。

・理由③ 大野豊の成績に注目!

防御率135.00

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「いくら成績が悪くとも、この時の防御率を下回ることは絶対にない。スランプの時にそう考えると、精神的に大分楽になった」

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135・00 9回投げたら135点取られる投手。それが大野選手のデビューでした。同じカープの塹江選手の防御率162.00デビューが記憶にあたらしいです。

塹江選手に緒方監督がかけた言葉は「1アウト取れたじゃないか。次は2アウト取れればいい」といいますが、大野選手が選手・友人からかけれれた言葉は「自殺するなよ」でした。「自殺するなよ」を受けて大野選手はこう言っています。

3度の日本一と5度のリーグ優勝に貢献

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現代の野球でも、優勝あるいは優勝争いをする球団でクローズアップされるのはリリーバーです。最近では絶対的抑え1名+外国人投手リリーバー2名(以上)というかたちが優勝するチームの典型にみえます。

カープの黄金時代大野選手はリリーバーでした。二人三脚でフォームを作った江夏選手からは「気の弱い大野に抑えは無理」といわれていましたが、江夏選手退団後、見事にその後継者となります。加えてストッパー津田恒実 さんもいました。

負ける気がしないですね。大野選手はこの黄金期において概ね前半は先発、後半は抑えとほぼフル回転でチームを優勝に導きます。とくに津田選手とのダブルストッパー構想が、津田選手の夭折で絶たれた後の6勝26セーブ(14連続セーブは当時の記録)は悲劇もあいまって記憶に残る伝説です。

プロ野球選手の成績

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チーム在籍年数22年。通算148勝138セーブ、生涯防御率2.90。最優秀防御率2回、最優秀救援投手、当然沢村賞も獲得しています。

100勝100セーブ制球力に優れた投手しか獲得できないこの成績は史上人目。2.90の

生涯防御率は2000イニング以上の投球回数では歴代30位にあたります。加えて80年代のフル回転時代には故障もありませんでした。北別府選手選手によれば、大野選手クローザー時代にはチームに「1点差あれば勝てる」という空気があったそうです。

その後、左上腕部動脈血栓症、血行障害という持病に苦しむことになりますが、43歳まで現役というのはもっとも優秀な個人成績だと思います。中日の山本昌選手に抜かれるまで42歳開幕投手・21年連続勝利など最年長記録を更新し続けました。

・理由④ 大野豊の名エピソード

メジャーリーグ

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1993年シーズンオフ、アメリカMLBのカリフォルニア・エンゼルスから広島に、大野をチームに獲得したいという公式オファーがあったといいます。リリバーの左腕は貴重とはいえ耳を疑うエピソードです。

しかもその内容は、年俸100万ドル、専従通訳住宅付きで一年間のレンタル契約、代わりの外国人選手を広島に一人紹介するという破格っぷり、  野茂選手がアメリカで旋風を巻き起こす前であり、メジャーリーグに挑戦する日本人選手はいても、逆にメジャー球団から日本の現役選手に誘いがかかるなど異例中の異例でした。

ただ大野選手は翌年開幕時で38歳となる高齢などを理由にこれを固辞します。逆に海を渡っていたらどうなったのでしょう?黒田弘樹、コルビー・ルイス、アルフォンソ・ソリアーノ、前田健太。カープの選手はメジャーで長く活躍する選手が多いです。

松井キラー

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巨人時代の松井選手は大野選手を大の苦手にしており、「大野さんのボールは一生打てません」どころか「ベンチにいるだけで嫌だった」と発言しています。
実際、1994年には松井選手の代打に原選手ということもありました。

松井選手は大野が引退する報を聞いたときには「本当ですか!?」と驚き、敬意を表するのと同時に対戦がなくなることを喜んでいたともいいます。
この話松井選手が後にメジャーに渡ったことを考えると、前出のメジャーからのオファーは本当にどうだったのでしょうか?おさないわたしをカープファンに変えさせた長良川球場のおじさんがメジャーのマウンドに仁王立ちしているシーンを思うとなにか鳥肌がたちます。

ちなみに巨人を代表する4番打者である王貞治、松井秀喜の両方と対戦したことがある投手は大野豊、北別府学、小松辰雄の3名だけです。

・現役引退、そして現在(まとめ)

我が選んだ道に、悔いはなし!

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1998年引退のセリフです。その後は広島のコーチ。野球解説(NHKでよくみましたね)日本代表のコーチを努めています。
選手後半・コーチ時代はチームの成績にはめぐまれませんでしたが、気が弱いといわれた大野選手が日本代表の投手コーチになるなどすごいサクセスストーリーですね。

2016シーズン広島カープはセリーグ優勝をはたしました。大野選手にはこれからくるカープの次の黄金期をみまもってほしいと思います。