山本“KID”徳郁の現在とは?格闘技の『神の子』はどうなった?

アマチュアレスリングから総合格闘技界に転向し、鮮烈なデビューを飾った山本“KID”徳郁。小柄なカラダで、世界中の格闘技ファンを魅了した『神の子』の現在について、お伝えいたします。

『神の子』と呼ばれた男!山本“KID”徳郁

なぜ神の子と呼ばれたのか?

山本“KID”徳郁は、物心ついたころから、レスリングを始めています。父(山本郁榮)は、レスリング日本代表としてミュンヘンオリンピックに出場した日体大名誉教授。母(憲子)は、日本女子レスリングの審判第1号でした。

“KID”が「神の子」といわれたのには、諸説あります。本人が、「格闘の神様の子供、俺は。神の子」と発言したことから、山本徳郁=「神の子(KID)となったという説。「ミュンヘンオリンピックに出場した父(山本郁榮)は自分の中では神。だから俺は神の子(KID)という説。山梨学院大学(中退)レスリング部に所属していた時に、カラダが小さいことに対して先輩から、「まるで子供みたいだ」と言われていたことからKIDとなった説。

山本家の宿命~レスリングからは逃れられない!!



“KID”の3歳上の姉(美憂は15歳から全日本女子選手権を4連覇、17歳で世界選手権を史上最年少で優勝。“KID” の3歳下の妹(聖子は、19歳で世界選手権に優勝し、3階級制覇を成し遂げて、4度の世界王者に輝いています。

そんな姉妹に挟まれた“KID”は、高校を中退してレスリング修行のためアメリカへ渡り、4年余りの武者修行時代にアリゾナ州王者に3度輝き、帰国後の全日本学生レスリング選手権大会で優勝を果たしています。

“KID”の甥(アーセン/姉・美優の長男)は、ハンガリーをベースにレスリング修行中で、2020年の東京オリンピックに向けたレスリング日本協会の「ターゲット選手」に選ばれています。

オリンピックの女神は山本家を見放した!?



山本家に生まれたからには、世界レベルで戦えるレスリング選手になるのが、あたりまえのようです。しかも、オリンピック日本代表に選ばれることが、宿命のようにも感じます。

父の時代は欧州がレスリング強豪国だったため、日本は不利な判定を下されたのではないかと言われています。姉の全盛期は、女子レスリングがまだオリンピック種目になっていませんでした。妹の時は、オリンピック選考の同じ階級のライバルが吉田沙保里という憂き目をみます。

“KID”は、2000年シドニーオリンピック出場を賭けた全日本レスリング選手権大会で惜しくも準優勝となり、出場を逃しました。総合格闘家転向後、突如2008年北京オリンピックへの挑戦を表明しますが、肘の脱臼が完治せず断念山本家の悲願であるオリンピック出場は、アーセンに託された形です。

山本“KID”徳郁の現在は格闘家ではない!?

アマチュアレスリングからプロ格闘家への華麗な転向

“KID”のシドニーオリンピック出場が潰えた時、当時姉の夫だったエンセン井上(その後離婚/総合格闘家引退後の現在は日本で数珠職人のハワイ生まれの日系四世)の影響で、総合格闘技に関心を持ち、修斗界でプロデビュー。ライト級世界ランク2位まで登り詰めました。

修斗での衝撃的なデビューを経て、2005年のK-1では、優勝候補の村浜武洋を2ラウンドKOで仕留め、2006年のHERO’Sでは宮田和幸を開始4秒で左跳び膝蹴り一発の失神KOに追い込み、勝利。このかっこ良すぎる戦績に、世界中の格闘技ファンが“KID”に心を奪われました。

その後DREAM ・Dynamite!!と主戦場を移しますが、なかなか勝ちに恵まれませんでした。その頃、丁度divorceしていた時期なので、少しは影響していたのかもしれません。

UFCで活路を見出す!?

出典:http://krazybee.jp

“KID”はDREAMに参戦し初勝利を収めた後、UFCにチャレンジすると表明。UFCは、アメリカの総合格闘技団体ですが、設立当初は「金網、ルールなし」を前面に押し出したプロモーションで、格闘技ファンを惹きつけました。

UFCは、高さ1.8メートで8角形の金網フェンスのオクタゴンで試合が行われます。しかも、ショービスの本拠地であるラスベガスでも興行があるので、“KID”に合っているかもしれません。

“KID”の2011年2月UFCへの初参戦が発表されると、「“KID”の試合は見れないのか」と問合せが殺到しました。“KID”の試合は前座のため放送予定がなかったのです。世界中の格闘技ファンが“KID”を見たがっていました。UFCでは3連敗と無効試合1試合という戦績で、怪我による欠場を繰り返しています。

山本“KID”徳郁、格闘家から経営者となる!?

スポーツジム経営にアパレルブランド立上げも!



“KID”は、東京都大田区中馬込で、『YAMAMOTO SPORTS ACADEMY(YSA)』というスポーツジムを経しています。白金からより広いスペースを求めて、都営浅草線「馬込」駅から徒歩3分の現在の場所に移転しました。

YSAでは、格闘技だけではなく、ヨガやピラティスの講座も開催し、男性はもちろん女性や子ども、お年寄りにも門戸を広げています。”KID”が直接教える講座もあり、プロの格闘家を目指す人もいれば、ちょっとカラダを動かしたいという人も受け入れています。

YSA内では、“KID”自身も所属し主宰している格闘家集団「KRAZY BEE」の運営と、同じ名前をブランド名にしたスポーツウエアをYSA内とECで販売しています。また、ストリートファッションブランド「HARD HIT」も展開しています。

カラダにいいカレー屋『Curry Shower』をプロデュース

“KID”は、2014年に東京都品川区大井で、薬膳カレー屋Curry Showerをプロデュースしました。インドのアーユルヴェーダと中国の薬膳学を融合した17種類のスパイスと漢方を独自にブレンドし、動物性たんぱく質を一切使わないヘルシーなカレーを提供しました。

米は食物繊維、鉄分、ビタミンB1を含み、ポリフェノール豊富な黒米を炊き込むこだわりでしたが、S650円、M750円、L850円に季節のトッピングのみで、カレーが1種類だけ。敢え無く1年余りで閉店しました。

カウンター7席で素材へのこだわりは原価率を高めたのではないでしょうか。2015年7月16日OAのアウトデラックスにゲスト出演した”KID”は、マツコ・デラックスとヤベッチに、ビーカンのアンテナ立ってる人がいない」と嘆いていました。

結婚と離婚…父としての山本“KID”徳郁の姿とは?

初めの結婚はモデルとできちゃった婚!?

“KID”は、2004年8月にモデルのMALIA..と結婚し、2005年1月に男の子がうまれています。あれ、5ヶ月?できちゃった婚ですかね。MALIA.は、パキスタン人の父と日本人の母との間に生まれたハーフのモデルです。

2002年、19歳で当時横浜F・マリノスの田中隼磨と結婚し、男の子を出産しますが2年で離婚。2005年に”KID”と再婚し、男の子を出産し翌年に女の子を授かりますが、2009年に離婚。離婚原因は、MALIA.曰く「金銭感覚の違い」だったそうです。

その後、MALIA.は、2015年に7歳年下の横浜F・マリノス(当時)の佐藤優平と3度目の結婚を果たし、2017年に離婚しています。離婚後”KID”は、MALIA.への未練タラララでしたが、その後一般女性と再婚。お互いに新しい出会いがあって、よかったです。失恋は時間が解決してくれますから、静かに待ちましょう。

再婚後に娘誕生で人生右肩上がり!?

2014年11月に千ちゃんという娘が生まれていたことを、自身のTwitterで告白した”KID”ですが、再婚していたことが発表されていなかったので、世間は騒然となりました。おそらく再婚していたであろう2013年くらいから、“KID”の運気が上がってきているように感じます。

UFCとの契約が成立したのも、再婚相手の方とお付き合いしていた頃なのではないしょうか!?最近は、Twitterでもよく、愛娘・千ちゃんのことをアップしています。男ってやつは、守るべきものができると頑張れる生き物なんですね!!

山本”KID”徳郁に今後期待することとは?

山本家の最強DNAを次世代へ!

いかがだったでしょうか。山本“KID”徳郁を漢字一文字で表現すると「」ではないかと思います。「細」は、ほそい、こまかい、かよわいという意味です。“KID”には、KO狙いのアグレッシブなファイトスタイルに反して、神経質な一面もあるようです。

“KID”は、元々お腹が弱く、見かけによらず繊細なたちらしいのです。それで、自分の体調に合う食生活を探し求めて、肉食ではなくVegan(ビーガン/ベジタリアンのこと)にたどり着いて、薬膳カレー屋まで開業したようなのです。

“KID”と同世代の男性たちは、ベルトにお腹が乗っかるような人もぼちぼち出てくる年代かと思いますが、そんな人たちに羨ましい肉体を大いに見せつけ、出来るだけ長く現役格闘家でいて欲しいと思います。また、“KID”が主宰する「KRAZY BEE」から、世界に通用する無敵の選手を育てる指導者にもなっても欲しいです。

山本“KID”徳郁パーソナルDVD『KID』
ポニーキャニオン (2005-03-16)
売り上げランキング: 64,530
「神の子」―父が語る山本“KID”徳郁の半生
山本 郁榮
マキノ出版
売り上げランキング: 667,118