【森本貴幸】神童と言われた男の現在!成績不振の辛い理由とは?

15歳でJリーグに入った史上最年少サッカー選手森本貴幸。イタリアのカルチョ・カターニャに移籍して輝かしい海外デビューを果たしたが、後半から出場機会が減るなど不調が続いた。2016年3月のベルマーレ戦でようやくJ1で11年ぶりのゴールを決めたが、それまで不調に陥っていた訳は一体何だったのだろうか。

森本貴幸の成績低迷の理由は何?海外移籍はうまくっていたのか?

15歳でJリーグ入りした史上最年少の天才



近年わずかに半年早く久保建英くんが史上最年少Jリーグ出場記録を打ち出すまで、最年少記録を持っていたのは森本貴幸。その年齢なんと15歳の中学三年生。その後同じ年齢の対ジェフ市原戦では最年少ゴールを決めた。

10歳で読売クラブのユースに入り、その5年後には大人に混じってプロの試合に出る森本はまさに神童。彼の早熟すぎる記録はまだまだある。16歳で最優秀新人王に続き、ヤマザキナビスコカップで最年少得点を記録した。

17歳でセリエAにレンタル移籍を決め早速ゴールを量産、翌年にはなんと完全移籍まで果たした。これでまだ18歳、彼の活躍はまだまだ序の口、彼の活躍はこれからだった。

セリエA移籍からの活躍

セリエAで最年少得点記録まで打ち出したのは試合は対アトランタ戦。後半39分からの出場で、とりあえずこの日に一部リーグでも経験しとくかぐらいのつもりで出したであろうわずかな時間になんとゴール。わずか4分後の突然の得点を決めたのだった。

二十歳を前にしてセリエAで104ゲームをこなし19得点を決めた森本貴幸であったが、イタリア2年目にして早くも左膝前十字靭帯を負傷してしまった。プロサッカー選手に多い膝の怪我をするのに、彼の年齢はあまりにも早すぎた。こうした怪我は天才肌の選手には宿命と言っていいのかもしれない。

この辺りからさして大きな活躍も期待できずに、出場機会は減っていってしまった。さらに続くノベーラやアル・ナルスでも活躍はできなかった、いったい天才に何があったのか。

神童と言われた森本貴幸プレースタイルを振り返る

和製ロナウドと呼ばれた森本貴幸



風貌や髪型、そのゴールを狙う鋭い目つきのためか、わずか16歳の少年を「和製ロナウド」とあだ名した日本サッカー界にとって彼のプレーは予想外であった。なぜそう言われるようになったかは彼プレーをみればすぐにわかる。とにかく日本人選手離れしているのだ。

ドリブルで相手を抜くとき、全身を使ってフェイントをかけ、なんどもディフェンスを翻弄するスタイルはまさにロナウドさながら。横に振り切るタイミングの完璧さや重心移動の素早さ、大きさはなかなか対応できる日本人はいないだろう。

ゴールへ向かってボールを持ち続けるエゴイスムはまだ少年だったからか、彼を早く海外でやらせなければいけないと日本サッカー界は焦ったに違いない。それほど桁外れの選手だったのだ。

海外で通用する森本貴幸のプレー

怪我さえなければ森本貴幸は本当は海外で十分活躍できた選手だと思う。なぜなら他の日本人と違って海外の雰囲気に潜り込むのがうまかったからだ。巨大なビックスタジアム、過剰なメディアのお祭りに飲まれてしまう日本人選手は意外に多いのだ。

二十歳になる前に海外でプレーできたことが良かったのかもしれない。日本ユースで教えられたはずのパスサッカーを捨て、移籍一年目で既に彼はシチリア風ののびのびとした活発なストライカーに変わっていた。この転身の早さが彼がゴールを量産できた理由だと思う。

そしてゴールを決めれた理由は得意のゴール前あたりからボールをもらうことができたからだと思う。相手の裏をかいてボールをもらい、そこからドリブルなどでシュートを決めるタイプだった。似ている選手といえばインザーギのようなタイプかもしれない。

森本貴幸の海外の反応は?「あの人は今」の人に??

イタリアメディア「あの人は今」で出演?



「日出る国のピッポ・インザーギこと森本貴幸を忘れた人はいないだろう」とイタリアメディアで取り上げられたいた。イタリアを去った今も彼の名を忘れるものはいない。日本では「和製ロナウド」と言われていたが、イタリアではその髪型から「アーモンド」とも呼ばれていたようだ。

この話題を取り上げたのはイタリアメディア「calciomercato.com」。日本語で移籍を表す言葉のようだが、海外選手の紹介をしているサイトである。同サイトでは森本をロナウドというよりはインザーギといって評価をしている。

いつも足のどこかに当ててゴール前でボールをもらい、ゴールを量産するスタイルからきているのだろう。マーカーから姿を消すうまさなどが確かに似ているが、最も似ているのはゴールを狙う執着心ではなかったか。初めから決められるとこにちゃんと立ってるというのが彼の戦略だ。

知られざるカターニャ完全移籍の真実を取り上げていた

同メディアではカターニャに完全移籍を決めた経緯についてそれまで知られなかった事実まで書かれている。それは左膝前十字断裂にもかかわらず森本をカターニャが欲しがったのは彼の才能を信じたからだったのだという。

イタリア人が彼に才能を感じたのはローマ、ドッピエッタ、それからユベントス相手にもゴールを奪ったことだった。格上と思われていたチームから得点を奪い勝利に導いたことが完全移籍の決断に踏み切らせた大きな理由だったのだ。

確かに彼のゴール場面でもイタリアサポーターの熱狂はすごかった。ゴールを決めて観客席に向かって両手で耳を傾ける森本に選手や監督が頭を撫でるために近寄っていく。そんな彼はチームでも弟のように可愛がられていた。カターニャは当時彼を育てたいと強く思ったに違いない。

森本貴幸の嫁はどんな人?相手は美人サッカー選手?



現在カブトムシの飼育に夢中になっていることは有名だが、森本選手は実はカターニャ時代に結婚している。お相手は幼馴染、しかも元女子サッカー選手というから意外や意外。

馴れ初めは東京vの下部組織にいる頃からというが、森本は川崎ユースにいた川崎っ子なのでお相手の幼馴染も川崎の方だろうか。お名前や写真などは公表されていないのであまり有名にならなかったが、実は同じ練習場を使用していたことから恋に発展。

長い間お付き合いしていたようなので、もしかしたら結婚した24歳までずっと付き合っていたのかもしれない。1歳年上の25歳だった彼女とは、セリエA開幕の前に婚姻届を出していたという。顔は美人と噂されているののだが、公表していないのが非常に残念だ。

現在も川崎で活躍!選手チャントはナオトインティライミ!

成績不調から復帰!その原因は一体なんだっったのか

セリエA後半から出場機会が不調に見舞われたのはいったい何が原因だったのだろうか。それは紛れもなく膝の怪我であろう。カターニュア後半から出場機会が減り、ノベーラに移籍した後も今度は半月板の損傷を経験していた。

靭帯断裂から半月板の損傷というケースはサッカー選手に非常に多い。ノベーラの低迷に伴い不調が続いている中で起きたこの怪我は彼に三週間の遅れを生じさせた。これがきっかけでキエーボへの移籍はなしになってしまったのだ。

もともと日本への復帰を考えていた時期でもあったが、次のアル・ナスルでもなかなかのプレーを見せたがジェフへの移籍を決めてしまった。怪我によって海外での活躍の場を奪われたせいで上手く軌道に乗ることができなかった、というのが森本の海外での印象だ。

川崎フロンターレで久しぶりのゴール!



日本帰国後、J2のジェフ千葉を経て移籍した川崎フロンターレで11年ぶりにJ1ゴールを決めた森本貴幸。流れた選手チャントは「爆裂森本!」と歌っている。原曲はナオトインティライミの曲だが、彼の曲にふさわしい太陽のように輝かしいゴールだった。

かつてベルディユースにいた森本を東京がオファーしたのは、あの輝かしい過去の陰影をみたかったからに違いない。ジェフではわずか5ゴールだったが、この2試合目でようやくJ1復帰後初ゴールを決めたのはいいスタートだった。

チームには中村憲剛や得点王の大久保もいる。代表を経験している巨大な先輩たちに教わることはたくさんあるだろう。森本が日本代表に選ばれるようになるかはわからないが、フロンターレでの彼の活躍は今後の日本サッカーを生きる上で大きな糧になると思うので、ぜひ頑張ってもらいたい。