西岡剛が背番号7と決別!2017年完全復活への熱すぎる思いとは?

度重なる怪我で思うような活躍が出来ずに苦しんでいるタイガースの背番号7!2017年シーズンは、その背番号を5に改め、新たなスタートを切ることになります。野球人生を懸けた最終ステージへ!どこまでも熱い男、西岡剛の2017年シーズンはいかに?

西岡剛は何をやっても目立ちすぎる男?

あの男の復活劇は?



第4回WBCも幕を閉じ、侍たちもぞれぞれの所属チームに帰ってペナントを戦います。日本のプロ野球界に目を向けて見ると、2年連続でリーグ優勝を逃し大型補強に踏みきったジャイアンツや、昨シーズン大逆転勝利を収めた日本ハムが2017年シーズンはどんなスタートを切るのか・・、他にも注目ポイントがわんさかあって野球ファンである筆者のワクワクは止まりません。

そんな中でも、2016年シーズンを4位で終え、4年ぶりにBクラスに甘んじた金本監督率いる阪神タイガースの動向が気になるんですよね~。2017年からはFAでオリックスから獲得した糸井嘉男が加わり、新人王を獲得した高山などの若い力も伸びてきていますからね!

そんな中でも筆者が注目しているのは、メジャーから阪神でNPBに復帰し、最初の2013年こそ活躍したものの、その後は苦しいシーズンが続いているあの人、そう西岡剛選手です。

熱すぎる男のエピソード!

2006年には日本代表も務めた西岡、今見ると細いですね~、そしてちょっとチャラいです。(笑)ロッテ時代はイケメン選手として女性ファンに人気がありましたが、何をやっても目立つので、アンチも多い選手でしたね。

大阪府大東市出身の西岡は、とにかく熱い人なんです。中学校時代、PL学園高校で野球することを目標にしていた彼は、PLのセレクションに落選すると、ライバルである大阪桐蔭高校に入学。目標はただ一つ!PL学園高校を倒すコト!西岡は高校時代の3年間、一度もPLには負けませんでした。

ロッテ時代の2009年には、ボビー・バレンタイン監督の解任を巡り、フロント批判をする一部のファンに対して、ヒーローインタビューの中で意見したことで行き違いが生じ、西岡を中傷する内容の横断幕が掲げられ、応援歌の演奏をボイコットされた事がありました。



それに対して、西岡選手は自身のブログで自分の思いを綴っています。以下はその一部抜粋です。

今日はせっかく勝ったのに球場の空気を壊すようなコメントをしてしまいすいませんでした。

俺は本当にロッテファンの応援に感動してロッテに入って正解だったなって思えました!

打てなかったり負けが続いてもファンの方々が最後まで応援してくれて僕自身、助けられた事も何度もあります。

今日も言おうか言うまいか、正直に迷ったし批判されることも覚悟したうえで言わせて頂きました。

まだまだ人間としてできてない僕が生意気に言うことじゃないと思いましたが良いチームを造りたいんです!!

出典:http://ameblo.jp

西岡剛の熱い思いが伝わってきますね。ファンとのいざこざ騒ぎは、人気商売のプロ野球選手にとってはマイナス面の方が大きいのは本人が一番わかっていたはずです。でも、黙っていられなかった。

彼はそれだけ千葉ロッテマリーンズを愛していたのでしょう。2010年からはキャプテンに就任し、社会貢献運動として山田邦子が代表理事を務める「リボン運動・がんの薬を普及する会」に賛同、ヒット1本につき1万円を寄付する活動も始めています。

ロッテ時代の華々しい活躍を経てメジャー挑戦へ!

プロ入りからメジャー挑戦まで

西岡は2002年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団背番号は7番でした。プロ入り2年目にスイッチヒッターに転向してから頭角を現し、2005年には盗塁王を獲得ベストナインを遊撃手部門、ゴールデングラブ賞を二塁手部門でそれぞれ受賞しチームのリーグ優勝と日本一に貢献します。

2006年にはWBC日本代表にも選出され、その後も小さい怪我には悩まされながらも順調にプロとしての実績を重ねていきます。特に2010年の活躍は目覚ましく、NPB新記録となる27回の猛打賞、日本人のスイッチヒッターおよび内野手としては初となるシーズン200本安打を達成、首位打者と最多安打のタイトルも獲得したのです。

シーズン中の7月27日にはモデルの徳澤直子さんと結婚、シーズン終了後にポスティングシステムによりメジャーリーグ移籍を申請し、12月17日にミネソタ・ツインズと総額925万ドルの3年契約を結び、同球団初の日本人野手となったのです。

ツインズ時代

また動物園(。-_-。) いってきまーす! #目当ては猿山 #parenting #休みの日ほど体力消耗

徳澤 直子 Tokuzawa Naokoさん(@tokuzawa.naoko)がシェアした投稿 –


ツインズでの背番号は「1」、2011年のスプリング・トレーニングで13試合連続安打を記録し打率.345の成績を残すと、4月1日のトロント・ブルージェイズとの開幕戦でメジャーデビューを果たします。

8月には第一子の女の子が誕生、筆者はモデル徳澤直子さんのファンでしたので、彼女の事はずっと見てきましたが、とにかく可愛らしい方で、美男美女の間に生れたお嬢さんも、さぞ可愛らしいだろうと想像しています。

そんな中、メジャーでのスタートこそ好調に見えた西岡でしたが、怪我をし、復帰しては不振に陥り、また怪我をするという悪循環に陥りCBSスポーツからアメリカンリーグ最低殊勲選手候補の一人に挙げられるほどでした。

プライベートの方でも、翌2012年2月には離婚協議中であることが報じられると、3月19日にAAA級ロチェスターへ降格、その後一度メジャーへ昇格するもチャンスを活かせず、シーズン終了後に翌年の契約解除を球団に申し出、9月28日に自由契約となったのです。

阪神の背番号7で再出発も待ち受ける試練の日々…

阪神の西岡となり再スタート!

2012年11月20日、西岡は阪神と2年総額4億円プラス出来高で契約し日本球界へ復帰背番号もロッテ時代と同じ「7」に決まると、会見では「すごく伝統のあるチームで思う存分、暴れたい」と語り意欲を見せます。

2013年は1番・セカンドとしてレギュラーに定着すると、前年リーグ5位だった阪神を2位に押し上げる原動力となる活躍を見せるのです。5月4日の対ヤクルト戦ではNPB/MLB通算1,000本安打を達成、7月16日の対巨人戦で日本通算1,000本安打を達成します。

このシーズン終了後、二塁手としては初のベストナインを受賞。ロッテ時代に遊撃手部門で3回選出されていたため、セ・パ両リーグでのベストナイン受賞を達成したのです。

野球の神に課せられた試練の始まりは・・・

日本球界に復帰し、順調に思えた西岡の野球人生の試練の始まりは、2014年3月30日、東京ドームでの巨人戦での事でした。2回の裏、巨人の大竹投手が放った打球はふらふらとセカンド後方に上がり、ライトを守っていた福留孝介と激しく交錯、西岡は頭から東京ドームの人工芝に叩きつけられるように倒れ込んだのです。

人工芝のすぐ下は堅いコンクリートです。倒れ込んだ福留はやがて起き上がりましたが、西岡はまったく動きません。その日、筆者も現地に居たのですが、異様な雰囲気に包まれたドームの中で、西岡選手が動くのを、ただじっと待っていました。

阪神ファンも、巨人ファンも「にーしおかー、にーしおかー」と大声で呼びかける中で、担架に乗せられた西岡は懸命に手を挙げてファンの声援に応えましたが、検査の結果、鼻骨の骨折・胸部の打撲・軽度の左肩鎖関節の脱臼・左右の第1肋骨骨折という大怪我を負っていたのです。

更なる試練が襲いかかり

この大怪我から復帰後も、古くから抱えていた右肘痛や、激突の影響からの背中の痛みで思うような活躍が出来ないうえに、プライベートの方でも正式に離婚することとなりました

さらに翌2015年にも肘屈筋挫傷で長期にわたって戦線を離脱してしまいます。2016年も怪我続きで、左太もも裏痛、右肩の違和感などで、常に怪我に付きまとわれるようになってしまうのです。

極めつけは7月20日の対巨人戦で、2回裏に2死3塁から同点となる適時打を放つのですが、1塁に向かう途中に足を痛め転倒、起き上がることすらできずに途中交代します。その後病院で検査を受けた結果、「左アキレス腱断裂」と診断され、年内復帰は絶望的となってしまったのです。

西岡剛の人生を変えた「あの人」とは?

掛布雅之の言葉に・・・

西岡が左アキレス腱断絶という大怪我を負ったその瞬間をTVで見ていた人物がいました。その人は掛布雅之2軍監督ミスタータイガースと言われ長きに渡り阪神を支えてきた人物です。

西岡が怪我で倒れ込み悔し涙を流す姿を見た掛布は、その日の夜中、西岡に電話をかけ言いました。「おい!お前辞める気だろ?自分の為にも球団の為にも復活しなきゃダメだ!」掛布は涙する西岡の姿に、かつての自分を見たのでしょう。

掛布が引退したのは彼が33歳の1988年、故障続きでかつての打撃が戻らないという理由で9月14日に現役引退を表明しました。その若さから、引退を惜しみ他球団からのオファーもありましたが、掛布に阪神以外のユニフォームを着る意思はありませんでした。

しかし、そんな掛布も辞めてからはやはり後悔の連続だったのです。西岡には同じ後悔をさせたくない!掛布の熱い思いを知った西岡は現役続行を決意するのです。

「オカン」藤山直美さんの言葉に・・・

もう一人、西岡がアキレス腱を切った時に励ましてくれた人がいました。普段から西岡が「オカン」と呼んで慕っていた女優の藤山直美さんです。藤山さんは西岡の怪我を知るとすぐに電話で「ツヨシ!死ぬ以外はかすり傷や!頑張れとは言わん!やれ!」と言ったのです。

いかにも彼女らしいまっすぐな言葉はスッと西岡の心に入ってきました。そんな藤山さんが2017年2月17日、自らが乳癌であることを公表したのです。藤山さんは、その発表前日に西岡に電話をかけ「オカンな、ガンになってもうたわ」と告げたそうです。

突然の事にショックを受けた西岡でしたが、いつも自分を励まし続けてくれたオカンを今度は自分が励ましたい!彼が復活への気持ちを更に強くしたことは言うまでもありません。

背番号を7から5へ~野球人生を懸けた戦い!



2016年11月22日、阪神から西岡の背番号を「7」から「5」に変更することが発表されました。そして、オリックスからFAで加入する糸井嘉男外野手が、新たに「7」をつけることも。

背番号「7」は、西岡にとって思い入れのある番号でした。野球選手にとって背番号は共に戦う相棒のようなものです。愛車のナンバーに背番号を使う選手が多くいるように、長く背負っていればいるほど思い入れは強くなるものです。

しかし、西岡は「糸井さんとは仲良くさせてもらっていましたし、本人とも連絡を取り『7番にするなら気分よく来てください』と伝えました」と言ったのです。そんな西岡自身も阪神入団にあたり、俊介が付けていた「7」を譲ってもらっています。

俊介の分も「7」番で暴れ回りたい・・、その思いが果たせずに苦しんだ数年間、ついに「7」番と言う相棒との別れを決めたのです。

西岡はこうも言っています。「この世界は自分より実績のある人がよそから入ってくると、こういう状況になることがあります」と・・・。自分より実績のある糸井に「7」を譲るということ。

でもそれは決して敗北宣言ではありません。新しい背番号「5」を背負い、一から再スタートを切る覚悟なのです。負けん気が強く、目立ちたがり屋の男は、これまでも様々な逆境を乗り越えてきました。

そんな西岡が自分自身に負けてユニフォームを脱ぐなど、出来るはずもありません。2017年シーズン、完全復活を果たし暴れ回る西岡剛が見れる事を、今シーズンの楽しみの一つにしたいと思っているのです。

でも、筆者はジャイアンツファンなので、ほどほどにお願いしますね!(笑)

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