【アヘン(阿片)戦争】薬物ダメ。ゼッタイ。麻薬を巡る戦争の末路とは?

阿片戦争とは、その名の通り薬物の阿片が原因で起きた戦争。薬物は、人体のみならず国家さえも破滅へ追いやる道標なのだ。日本で薬物が禁止されている理由もここにある。

阿片戦争・・・の前に阿片って?


阿片とは、芥子という植物の実から精製される薬物である。医学分野において麻酔鎮痛などで利用されている一方、過剰に摂取すると心臓疾患呼吸困難などを引き起こす。加えて強い依存性があり、激しい禁断症状も出るため、あへん法を始めとする法律で厳重な取り締まりが行われているのが現状だ。栽培、所持、売買、密輸など、医療や学術研究以外で一般人が手にする事は固く禁じられている

ここまで強い規制が敷かれているのは何故なのか?それはもちろん、使用者の身を滅ぼすからに他ならない。場合によっては、国さえ蝕む禁忌であると理解してほしい。一つ例を挙げてみよう。この阿片を巡り巻き起こった歴史的事件、阿片戦争だ。

阿片戦争の序章!それぞれの貿易制度

清の場合


1575年以来では広東貿易制度が採用されていた。平たく言うと、

ヨーロッパの奴らとは広東港以外の港で貿易するな。ウチの商人たちも、北京政府の特許をもらった奴しか連中と交易しちゃダメだお(^^)」

みたいな感じである。イメージとしては、日本が鎖国をしていた時代に、長崎の出島でのみ貿易を許可していたのと似ている。

貿易に関してはもう一つ特徴があり、清はヨーロッパ諸国との貿易に対して揺るがない朝貢(ちょうこう)意識をもっていた。直接の交換に応じるのではなく、相手国に貢物を献上させ、その見返りという形で金品や土地、地位などを下賜するというものだ。収益を支出が上回る事も多かったが、「こっちの方が偉い」のだと誇示できるため、清は頑なにこの制度を貫いていたのだった。

イギリスの場合


当時のイギリスは、茶・絹・陶磁器など大衆向けの製品を清から大量に輸入していた。しかし一方で、イギリスの主な輸出製品である綿織物は清ではあまり需要がなく、かといって他に大量の輸出を見込める有力な製品もない。経過はもちろん明らかな輸出過多、要するに赤字である。

清との貿易による赤字を相殺するべくイギリスが目を付けたのが、自国の植民地だったインドと、阿片だった。

三角貿易

1797年までにベンガル阿片専売権と製造権を獲得していたイギリスは、ベンガル阿片を植民地であるインドで栽培させ、それをへと密輸入する事で超過分を取り戻そうとした。三角貿易と呼ばれるシステムの最終形態である。成果は上々で、実施から数年後にはイギリスと清とで銀の国外流出量の比率が完全に逆転した。

しかし、よく考えるとこれは三角形にはなっていない気もする。イギリスがインドを中継して清に阿片を密輸入し、自国の製品をインドに買わせる事で、最終的にはイギリスが得をしているのだから。個人的には山手線のように丸く円満に回っているのではなく、地下鉄線のように直線上を行ったり来たりしているイメージなのだが、どうだろうか?

阿片の猛威!飲み込まれる清

解き放たれた毒

インドを中継してイギリスからもたらされた阿片は、あっという間に清国内に蔓延していった。阿片吸引の習慣が広まり中毒者が飛躍的に増え、国の風紀も著しく乱れてゆく。また、輸入量が膨大だったため経済危機にまで陥る事になった。

なんとか阿片の輸入と止めさせようと、政府は必死で取り締まりにあたった。しかしそれでも被害は増えるばかり。中には、役人や高官を買収して密輸を黙認させるケースもあったようだ。「おぬしも悪よのぅ・・・」的な会話が本当にあったのかはさておき、こうして阿片は着々と人や国を壊死させていったのだった。

銀の高騰

阿片は基本、非合法な経路で清に渡っていたわけだが、一応は輸入。つまりは代金がかかる阿片取引は通貨であるで清算されていたので、輸入のたびに自国の銀が国外へ大量に流出、逆に国内の銀の流通がどんどん減退していった。すると一体何が起きるのか?答えは銀貨の高騰である。

清では当時、通貨として銀貨と銅銭が併用されていた。このうち阿片取引で運用されている銀貨のみが高騰、つまり価値が上がってしまったため、両替時に問題が発生する事に。それまでは銀1両(約37g)=銅銭700~800文で換算されていたものが、ピーク時には最大で2000文にまで跳ね上がったという。

現代の日本円にすると、1000円札1枚を入手するためには、100円玉を25枚くらい用意しなければならない計算になる。税金なんて考えたくもない。間違いなく暴動ものだ。

制海権GET!イギリスの大艦隊あらわる!

開戦の狼煙

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阿片の蔓延を食い止めるべく、清政府阿片の取り締まり体制を強化していった。最終的には、

「阿片を持ち込んだ奴、売った奴、買った奴、使った奴、全員死刑な。これから取引する分も全部没収するからヨロシク(*´з`)」

という通告を出し、阿片取引に関わった人間を片っ端から処断。さらには、没収した1400tを超える阿片の一斉処分を敢行する。焼却では燃え残りが出る恐れがあるので、海水に浸し、塩と石灰を投下して化学反応を起こす事で完全に無毒化した。

この行為に対し、イギリス側は

「これでもウチの国の財産なんですけど。すげぇ金かかってんのに何してくれてんすか?(゜-゜)」

と逆ギレ。両国間の亀裂が確固たるものとなり、小競り合いを繰り返した末、ついには戦端を開く結果となったのだった。

イギリスの大艦隊


1840年阿片戦争が開幕。先に結果を言ってしまうと、イギリス側の完勝だった。軍艦16隻輸送船27隻武装汽船4隻という圧倒的な戦力を海上に並べ、清の沿岸にある防衛拠点を次々に攻め落としていったのだ。

開戦当初、は自国の南側にある広州に兵力を集中させていたが、対するイギリスは兵力が手薄な北方の沿岸地域を占領しながら進み、首都である北京に近い天津沖へ侵攻した。

清「広州で迎え撃つ!かかって来い!」

英「いや、そんな兵力ガチガチに固めてある所に突っ込むわけないっしょww」

・・・当然の結果だったのかもしれない。

英「こんにちはー。北京土産くださーい」

清「ファッ!?」

イギリス艦隊が天津沖に現れた事に動揺したは、イギリスとの交渉を試みる。一時はイギリス軍も撤収に応じたが、結局交渉は決裂。再び侵攻が始まった。もともと火力で負けていた上に制海権までも奪取され、清は劣勢に立たされる。陸上戦での奮闘もあったが、戦況を覆すには至らなかった。

イギリス艦隊は着々と清の沿岸地域を攻略してゆき、1842年7月には鎮江を制圧。鎮江には清の補給路の要である京杭(けいこう)大運河と長江との交差地点がある。そこを抑える事で清の補給路を断ったのだ。

これを受けて、清は戦意を喪失。2年に渡った阿片戦争は、イギリスの勝利で幕を閉じた。清の死傷者が18,000人を超えたのに対し、イギリス側の戦死者はわずか69人程度だったという。

阿片戦争の終幕!戦いは次の舞台へ・・・

南京条約、その後

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終戦後、イギリスと清の間で南京条約が締結される。内容は、

5つの港で自由貿易をできるようにする事、賠償金を払う事、あとは香港も欲しいな♪」

という、イギリス優位のもの。さらに翌年には、追加条約として治外法権(清国内で問題が起きても清の法律が適用されない)、関税自主権の放棄(貿易の際に自由に税金をかけられない)、最恵国待遇条項の承認(イギリスを常に優遇しなければならない)などの不平等条約も加わった。やりたい放題である。

イギリスが阿片戦争に踏み切った理由は2つ。中国を中心とする朝貢体制の打破と、貿易制限の撤廃にあった。要は自国の製品をもっと中国に買わせたかったのだ。今回の事で前者の目的は達成されたものの、後者にはあまり成果がみられなかった。清では相変わらずイギリス製品の需要がなかったのである。

それが不満だったイギリスによって、第二次阿片戦争とも呼ばれるアロー戦争が引き起こされる事となる。阿片を巡る争いが、さらなる戦火を呼んだのだ。

薬物乱用ダメ。ゼッタイ。

お分かりいただけただろうか。薬物によって引き起こされた争いの歴史があった事を。この戦争を教訓に、世界中で薬物の禁止を訴えている現代の国際社会があるのだ。人も、国も、全てを壊す。それが薬物である。

ニュースや新聞などで、薬物に関する報道を見かけた事があると思う。形を変え、名前を変え、多種多様な形態で薬物が世に蔓延っている証拠だ。今後それらを見かけたら、躊躇なく嫌悪感を示してほしい。「薬物に対して抵抗がある」。それが正常な思考なのだと理解し、自分の周りにいる大切な人たちにも伝えよう。薬物の蔓延を防止する一番確実な方法は「理解する事」だと、私は信じて疑わない。

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