マイケル・ジョーダン背番号物語 ~『23』にまつわるエピソード~

バスケットボールに興味のない人でもマイケル・ジョーダンの名前は知っているのではないだろうか。そんな世界的なスターであるジョーダンの背中にはいつも『23』が背負われていた。『23』という番号を憧れにしたジョーダンと、エピソードを紹介していく。

大好きな兄のせめて半分以上うまくなりたい…。23番誕生秘話

マイケル・ジョーダンは現役当時198㎝99㎏、NBAシカゴ・ブルズとワシントン・ウィザーズでプレイした史上最高のシューティングガードと言われている。得点王10回、生涯平均30.12得点でNBA歴代1位の記録を持つ。

6度の優勝、5度のシーズンンMVP、6度のファイナルMVPを獲得し、オリンピックでも2度の金メダリストに輝いている。NBA50周年を記念したNBA50周年オールタイムチームの一人に選出され、2009年には殿堂入りとその数々の偉業をたたえ”バスケットボールの神様”と言われているのである。

AIRと呼ばれるダンク、ダブルクラッチ、フェイドアウェイショットなどを武器に長く高い得点能力を維持し続け、またポイントガードやスモールフォワードもこなすオールラウンドぶり、ディフェンス力も相当高く、さらに無類の勝負強さを持つというバスケット選手が欲しいものすべてを持っているのがジョーダンだった。

バスケットボール、特にNBAでエースナンバーとされる数字はジョーダンが学生の頃やブルズに入団するあたりの時代において33番前後とされていた。マジック・ジョンソンの32番、ラリー・バードの33番、チャールズ・バークレーの34番などがいい例である

しかしジョーダンの背番号は『23』番。これには有名なエピソードがあるのである。ジョーダンの少年時代、彼の兄にバスケットボールを教えてもらっていた。いつも兄に挑むジョーダンだがなかなか兄に勝つことができなったそうだ。

ジョーダンはせめて兄の半分でいいから越えたいと考え、当時兄が学生時代に付けていた背番号『45』の半分を越える数字の『23』を選んだというものだ。その時から『23』番の伝説が始まっていくのである。

全米が23番を知った日。ノースカロライナ大伝説の”THE SHOT”

高校一年の時に地元高校のバスケットボールチームに入れなかったという挫折を経験した時ジョーダンだったが、見事に乗り越え1年後にはチーム入り。メキメキと成長するジョーダンは名門ノースカロライナ大学に進学するのである。

1982年ジョーダンが一年生の時、チームはカレッジバスケットボール最高峰のトーナメントであるNCAAトーナメントの決勝戦に進出。ジョージタウン大とのゲームは一進一退の攻防をとなり残り32秒でノースカロライナ大が1点を追う展開となる。

ノースカロライナ大最後の攻撃で最後のショットを任されたジョーダンは左サイドからのミドルシュートを決め逆転。最後はジョージタウン大にミスが出てノースカロライナ大の勝利、見事NCAAチャンピオンに輝くのである。

この時のチームメートに後にNBAで活躍するサム・パーキンスやジェームス・ウォージーがおり彼らが当時ジョーダンよりも注目されていたので、”THE SHOT”と呼ばれるこのショットを決めたことでジョーダンの名は全米に知れ渡ることになるのである。まだ3ポイントラインがないコートでのジョーダンのシュートはまだまだ幼い感じがするのだが、間違いなくここから伝説は始まったのだ。

ジョーダンはこの後1984年NBAドラフトにおいて全体3位でシカゴ・ブルズに指名され入団することになる。ちなみにこの時の相手チームジョージタウン大には後のライバルとなるパトリック・ユーイングがコートに立っており、ユーイングはこの2年後にジョージタウン大を優勝に導きジョーダン入団の翌年にニューヨーク・ニックスに全体1位で入団することになる。

シカゴ・ブルズの23番は世界の英雄となった

シカゴ・ブルズに入団した徐ジョーダンは得点を量産、瞬く間にリーグでも注目を集めるようになる。ジョーダンはナイキと契約し彼のシグネチャーモデルであるNIKE AIRJORDANシリーズが発売されると爆発的な人気を博し、一気にスタープレーヤーの仲間入りを果たしたのである。

従来は考えられなかったフェイドアウェイシュートやダブルクラッチなどの信じられないようなプレーを連発し、また従来のショートタイプのズボンから膝丈まであるバギータイプのズボンを履いてプレーし始めると皆が真似をするようになるほどバスケット界に革命を起こすアイコン的存在となっていくのである。

この頃のジョーダンはまさに全盛期で間違いなく誰も止められなかったし、この時のジョーダンのプレーが筆者をNBAの世界に連れてきてくれたのだ。とにかくカッコよかったし、当時レンタルビデオ屋でジョーダンの試合のビデオを借りてきては返却期限ギリギリまで見ていたものだ。

父親と約束した夢!バーミンガム・バロンズ45番の新たな挑戦!



その後ジョーダンはシカゴ・ブルズを最初の黄金期へと導きNBA三連覇、スリー・ピートを達成する。そしてシーズン後電撃的に引退を宣言、世界中に衝撃が走ったのだ!不慮の事故によって父を亡くしていたことやモチベーションの低下が原因と言われている。

そして直後に突然野球への転向を発表するのである。これは最初の優勝を果たした時の亡き父との約束であると述べ、シカゴ・ホワイトソックス傘下AAのバーミンガム・バロンズへと入団した。筆者は当時中学生だったがさすがに無理があると思ったものだ。

その時の背番号は兄が付けていた『45』だった。新たなスタートを切ったジョーダンは世界的スターだったにもかかわらず若手に交じってマイナー生活を送り野球に打ち込んでいくことになるのだ。

NBA電撃復帰!そしてジョーダンは”神”となった…。



しかしMLBでは1994年にMLBストライキが起きた。このことで球団関係者との関係がこじれ、また経営者サイドが勝手にマイナーリーグの選手をメジャーリーグで使おうと画策したことに嫌気がさしたジョーダンの心は次第にバスケットボールへと戻りつつあったのだ。

バスケットを離れているときにブルズのチームメートで一番親しくしていたB・J・アームストロングを呼び出し1on1をプレーしたジョーダンは外出着に革靴という姿でバスケットに没頭したそうである。

その翌日にナイキに電話をしスニーカーを大量に発注、そしてその翌日に『I’m back』という有名な短い声明を出してNBAに復帰を果たすことになる。背番号は45番。父親が最後に見た23番の歴史を変えたくないとの想いがそこにはあった。筆者はこのニュースに大声を出して喜んだのを覚えている。

レギュラーシーズンの残り数試合を戦ってプレイオフに進出したジョーダンは勢い十分のオーランド・マジック戦で些細なミスを連発してしまう。ジョーダンは気分転換のため、用具係の提案を受けて伝説の23番を付けて次の試合からプレーしたのだった。

23番を付けたジョーダンの活躍は凄まじく、筆者ですら野球から戻ってきたばかりで少し動きの鈍い、と思っていたジョーダンの姿はそこにはなかった。滞空時間の長い強烈なダンクを叩き込むあの頃のジョーダンが戻ってきたのである。

この年はマジックに敗退したが翌96年からは調子を取り戻し円熟味が増したプレーでチームを引っ張ったジョーダン。神がかり的な勝負強さと強力なチームメートの頑張りもあり見事NBAチャンピオンに返り咲く2度目の3連覇を達成するのである。

その後ジョーダンは2度目の引退を表明、ワシントン・ウィザーズに出資し。オーナーの一人となると同時にチームの運営部門を任されるようになった。これは選手の人事に関する責任者になったということだった。

当時低迷していたチームの再建のために奮闘するジョーダンは2001年に2度目の復帰を果たす!この頃は衰えもあり以前のようなプレーを見せることはできなかったが、それでも1試合平均20得点以上、時には40得点以上を挙げるなど健在ぶりをアピールしたのである。

マイケル・ジョーダンの本当の最後を惜しむファンに見守られながら、2003年に3度目の引退。これがプレーヤーとしてのマイケル・ジョーダンとしての最後となった。彼の駆け抜けたキャリアに敬意と賞賛の気持ちを込めて人はジョーダンを”バスケットボールの神様”と呼ぶようになったのである。

ジョーダンに憧れて…。23番を継承する男たち

サッカー界のレジェンドでスーパースターのデイビッド・ベッカムがレアル・マドリードへ移籍した時に背番号を7番から23番へ変更した。空いている数字なら何でもよかったともいわれているがその後MLSロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した際も23番の着用を続けたベッカムは『マイケル・ジョーダンを尊敬しているし、アメリカでは特別な数字だ』と報道陣に語ったことがある。

そして23番を継ぐもう一人の特別な選手と言えばレブロン・ジェームスだろう。ジョーダンに憧れて23番を着用していると公言している選手の一人である。しかしレブロンはマイアミ・ヒートへ移籍した際に23番を着用していない。

それはヒートの球団社長であるパット・ライリーが2003年にNBAを去るジョーダンに敬意を表してヒートの一員として一度もプレーしていないジョーダンの23番を永久欠番としたためなのだ。

パット・ライリーと言えばマジック・ジョンソン擁するショータイム時代のロサンゼルス・レイカーズや先述したパトリック・ユーイング率いるニューヨーク・ニックスを率いたNBA屈指の名将である。

マイアミでは6番を付け連覇を果たし、故郷で古巣のクリーブランド・キャバリアーズへ戻ったレブロンは、復帰とともに背番号を23番へ戻すと発表。新たに23番として躍動しキャブスをNBAチャンピオンへと導いたのだ。

今のレブロンの活躍に23番を付けてプレーする子供たちはきっと多いと思う。レブロンがジョーダンに憧れて23番を付けたように。そしてこれからも背番号23番は次世代のスターが継承し背負っていく番号になると筆者は確信しているのである。

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