【ロベルト・バッジョ】ユベントス稀代の天才の現在とは?イタリアの至宝の生き様に迫る!

「イタリアの至宝」「イタリアの偉大なポーニーテール」とイタリア人なら誰でも知っている伝説の選手がロベルト・バッジョだ。日本での活躍を知る人はあまりいないかもしれないが、ロナウドをはじめとして、誰もが彼の功績をたたえている。そんな天才の生き様と、現在の姿を追っていく。

元イタリア代表ロベルトバッジョはイタリアの至宝と言われた天才。

ロベルト・バッジョとは一体どんな選手だったか?



ファンタジスタと言う言葉をよく聞くかもしれない。イタリアではポジションに関係なく、どのプレーがというわけでもなく、桁違いなプレーをする選手を総称してこう言う。ロベルト・バッジョはファンタジスタと呼ばれた最も有名な選手だ。

彼のイタリアでの記録は今でもまだに破られずに残っている。セリエAでは歴代ゴール五位に続き、イタリアでは3番目にゴールを決めた選手でもあった。偉大な人間が常にそうであるように、国民や仲間には愛されたが、監督には激しく嫌われた選手でもあった。

マルチェロ・リッピと言うイタリア屈指の名将はかつて彼をひがんで、バッジョに食事を与えず、試合にも出さなかった。これがファンやメディアの怒りを買ったことは想像に難くない。返って国民を敵に回し、大きなプレッシャーを受けてしまったことは、多分監督も予想だにしていなかっただろう。

イタリアのバッジョに対する特別な思いが込められた涙の引退試合とは?

涙の引退。3万4000人の観客

2004年4月28日、ジェノバの巨大なスタジアムに3万4000人の観客が沸き起こっていた。まるでロックミュージシャンのライブでも始まるのかという歓声であった。もちろんみんなロベルト・バッジョの引退試合を見に駆けつけたのだ。

2002年のワールドカップ出場のため、ブレシアで靭帯を切りながらも二か月で復帰してきたが、惜しくも不参加になったバッジョから二年後、引退試合で永久欠番になった10番を着て現れたのだ。そんな彼がボールを持つだけでどよめきが起こる。イタリア中はバッジョの引退に感傷的になっていた。

選手生活の最後の最後までチームに勝利をもたらし、ゴールを量産し続けたバッジョがやめていいわけがない。それがイタリアサポーターの本音だっただろう。バッジョが出ると勝つんだ!そんな予感がイタリア国民の誰の胸にも感じられたのだ。

神の気まぐれを受けた男

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天才ほど不平等に生きる存在はない。神に恩恵を与えながらも、同時に気まぐれの起こさせられる存在になってしまうからである。バッジョは祈願の2002FIFAワールドカップ出場を大きな怪我によって壊されてしまった。

右膝前十字靭帯、半月板損傷、膝蓋骨骨折、普通こんなに一度機に怪我するものではない。それぞれ一つづつ直しても半年ずつかかるような怪我である。それをわずか二ヶ月で直してしまったのだから、バッジョはそんな強い勇気で持って再び神の気を引こうと考えてのかもしれない。

しかし神どころか監督の気すら引くことができなかったのは残念であった。彼の足は未だやせ細り、傷跡が残り、とても完治したとは言えなかったからである。そんな中で復帰戦に二点もゴールを与えられたのは、また神の気まぐれだったのだろうか。

名言とともに振り返る世界の名選手が達が評価するバッジョの凄さとは?

選手達からもっとも愛された男

「僕の知っているドーピングはただ一つ、努力だけだ」このあまりにも有名な名言は、実はロベルト・バッジョのものである。元アルゼンチン代表のマラドーナがドーピング疑惑の時に引用したことでも有名だ。マラドーナの場合本当にドーピングをしていたわけだが。

「本田圭佑をミランの10番どころか一員でもない」と辛口したかつてミランの10番コスタクルタや、ブラジルのロナウドチェコ至上最高のネドベドなど、世界中に彼を崇拝する選手達がいる。アルゼンチンのマラドーナに対してイタリアのバッジョはどの世代にも憧れの的だった。

フランスの伝説プラティニがバッジョを「10と言うより、9.5番だ」と言ったのは彼がストライカーの9番と司令塔の10番を兼任していたからだった。グランドで彼にできないものはないとまで言ったのはジーコである。それほどのスターだったのだ。

ロベルト・バッジョはユベントスのユニフォームをまとった稀代の天才!

90年代ユベントスは黄金期!

ロベルト・バッジョがユベントスにいたのは90〜95年。この時期はまさにユベントスの黄金期であった。フランスのジタンやアントニオ・コンテもいた。そんな中150億リラという至上最高額の移籍を果たした時は地元や現地サポーターからはさすがに大きな批判を買った。

しかし監督を裏切り、ファンや相手選手への気遣いを大切にする選手マンシップを認められ、またユベントスをゴール量産で優勝に導いたことでサポーター達は態度を一変。ここに国民に愛されるスターは誕生したのだった。その頭角はもっとも、あの初出場ゴールのおかげだっただろう。

ナポリの王ことマラドーナの前でユーベ初得点を決めたことが彼を偉大にさせたのである。若干20歳。このゴールがマラドーナをよそに多くのサッカー少年の心を掴んだのだった。ポニーテールのイタリア少年は巷に溢れかえった。

次世代エースの争い!ユベントスで若きデルピエロとの出会いは衝撃だった?

時代の流れを生きた奇跡の二人

ユベントスがもっとも面白かったのは93年。なぜなら若きアレクサンドロ・デルピエロが台頭してきたからだ。ロベルト・バッジョとアレクサンドロ・デルピエロが同じユニフォームを着るのを見れた最高のシーズンの始まりだった。

セリエB時代から二代目バッジョと呼ばれていたデルピエロは、ついに本当にバッジョと同じチームで戦うことになった。しかし時代に影響され、お互いに強く影響を受けたのはユーベでの二人の宿命だった。二人はわずか3年間の間にそれまでの評価と、自らのプレースタイルまでをも変えていったのである。

バッジョは動かない選手になり、デルピエロはバランスをとる選手へと変貌していった。そんな姿に時代はバッジョをファンタジスタと呼び、デルピエロをアスリートとあだ名した。アスリートを求めていたユベントスはやがてデルピエロに10番を渡すことになったのだった。

デルピエロとバッジョどっちがいい?

デルピエロとバッジョ、どっちがいい」イタリアではおなじみの質問ではないだろうか?テクニック、フリークキックなどの技術力はもちろんどちらも上手い。しかし戦術を理解し、チームを牽引していく力はデルピエロが上だという人は多いだろう。ユベントスでの活躍を知っているからだ。

しかし戦術を理解し、チームのリーダーになることがサッカー選手に求められている力ではない。会社でみんながそんな風に立ち回ったら途端に上手くいかなくなってしまう。バッジョは自由に走らせてやると生きる選手であった。選手もサポーターもそれを望んでいた。一人監督を除いては。

優秀なデルピエロはチームにとって精神的主柱だった。一方バッジョは自由に飛び回る鳥であり、皆の憧れだった。どちらが好きか、といえばバッジョをあげる人が多く、どちらが上手いか、という質問にはデルピエロをあげる人が多いのではないだろうか。

ロベルトバッジョは現在何をしている?代表の監督として戻って来る?

バッジョの現在は何をしているのか?

筆者はサッカーをやっていたので、首からスパイクをぶら下げる姿をよく真似していた子供を昔はよく見た。バッジョもマラドーナのように試合に出た後の立ち姿が印象的である。94年アメリカワールドカップ、決勝ブラジル戦ではPKを外したときも腰に手をやって俯いていた。

ロベルト・バッジョは現在何をしているのだろうか?実は2016年イタリア代表監督に候補として上がってたようだ。イタリアサッカー界では次の監督をカリスマ性のある人物にやらせたかったからだ。確かにロベルト・バッジョを監督にするのは面白い発想かもしれない。

実際に監督になったのはヴェントゥーラ監督だったが、もしかしたら今後彼が監督に就任する日が来るかもしれない。日本のJリーグなどで監督をするのを見てみたい気もする。現在はアルゼンチンで趣味のハンティングに打ち込んでいるようである。