ティム・ダンカンは史上最高のパワーフォワード!常に超一流の19年間とは?

その圧倒的な実績でNBA史上最高のパワーフォワードと称されているティム・ダンカン。

セント・クロイ島という小さな島で生まれた青年は弛まぬ努力でNBAのトッププレーヤーにまで上り詰め多くの栄光を手にした。彼のバスケットキャリアをくまなく紹介する!

中学3年生から始めたバスケでNBAトッププレーヤーに!

ティム・ダンカンは現役当時211㎝113.5㎏、現役生活をサンアントニオ・スパーズで19年間全うしたプレーヤーでポジションはパワーフォワードとセンターを務めた。輝かしい数々の実績を残しNBA史上最高のパワーフォワードと称されている。

アメリカ領ヴァージン諸島のセント・クロイ島の出身で幼いころは姉の影響もあり水泳に没頭していたという。しかし巨大ハリケーンが島を襲い、島で唯一国際大会レベルの競泳が可能なプールが使用不能になってしまったことをきっかけに水泳への情熱を失ってしまうのだった。

14歳の時に義理兄弟の影響でバスケットボールを始めるのだが、これは後にバスケット選手となるものとしては大変遅いスタートであると思う。しかも最初はなかなか慣れることができず苦労したとのことである。

高校生になったダンカンはこれらを克服、大学から注目される有望選手にまで成長していた。これはダンカン自身が相当な努力を積んだと筆者は思っている。この時期をしっかり乗り越えたことでダンカンの能力は花開くことになるのだ。

ウェイク・フォレスト大に進学したダンカンは学年が進むごとに存在感を発揮する。大学最終年には一試合平均20.8得点14.7リバウンド3.2アシストFG成功率60.6%という驚異的な成績を残しNCAAリバウンド王と3年連続最優秀守備選手賞、2年連続オールアメリカファーストチーム、年間最優秀選手賞、ネイスミス賞などカレッジバスケ会の個人賞を総なめにする活躍を見せたのである!

亡き母の遺志を継ぎ大学卒業まで在学したダンカンはNCAA史上2位の481ブロックや史上初の通算1500得点1000リバウンド400ブロック200アシストを達成するなど、数々の記録を残し、満を持してNBAドラフトにエントリーしたのだった。

安定して残し続けた成績。ダンカンが超一流である理由とは?

1997年NBAドラフトでダンカンの指名権を得たのは強豪サンアントニオ・スパーズだった。前シーズンに大黒柱デイビッド・ロビンソンが怪我によりシーズンをほぼ全休してしまう不運に見舞われたが、同時にダンカン指名権という他のチームが喉から手が出るほどの幸運を手に入れたのだ。

全体1位でスパーズに入団したダンカンはデビュー戦で15得点10リバウンド2アシストを挙げいきなりダブルダブルを達成する。その後もコンスタントにダブルダブルを達成し続け1試合平均21.1得点11.9リバウンド2.7アシスト2.5ブロックの成績で新人王、新人ではラリー・バード以来のオールNBA1stチームに選出された。

つまりダンカンはデビューイヤーにしてリーグ最高の選手の一人として認められたということである。そのことを妬むベテラン選手おらず、むしろダンカンに対して称賛を惜しまない選手が多数を占めたのだ。ダンカンはたった1年でみんなを認めさせたのである。

ダンカンが超一流である理由は二つあると思う。一つはデビュー当初からとびぬけた実力を示し実績を残したことだ。たとえスーパールーキーでもいきなりオールNBA1stチームに選出されることは極めてまれなことであるし、それはあのマイケル・ジョーダンですら成し遂げられなかったことだからだ。

もう一つはこの先19年スパーズ一筋でプレーすることになるのだがその成績が現役を退くまでほぼ変わらなかったことであると思う。チームのメンバーが入れ替わるなどの変化に柔軟に対応したダンカンはスコアラーであり、チームを支えるポストプレーヤーであり、ゴール下の番人たるディフェンダーであった。

そして毎年毎晩安定して1試合にFG成功率は50%以上で20得点、10リバウンド以上を上げ続けたのだ。これはなかなかできることではないと思う。ましてや当時のNBAではパワーフォードやセンターにタレントが揃っていた時代なので並大抵のことではないのである。

寡黙で献身的。ダンカンからにじみ出る人柄の良さ

ダンカンはデイビッド・ロビンソンとツインタワーとしてリーグを席捲し、ロビンソンが年齢と主に衰えてくると変わってチーム1のスコアラーとなった。その後ロビンソンが引退するとフランス人ポイントガードのトニー・パーカー、アルゼンチン人ペネトレーターのマヌ・ジノビリが台頭し、3人は不動の中心選手となる。

パーカーとジノビリのさらなる成長がダンカンの負担を軽減し、パーカーがトップスコアラー、ジノビリがムードメーカー、そしてダンカンは攻守の要としてチームに貢献するようになり、スパーズは屈指の強豪であり続けたのだった。

もしダンカンがセルフィッシュなプレーヤーならその状況を我慢できやしなかっただろう。しかしダンカンという男は基本に忠実にかつ寡黙に、チーム内での役割を果たし続けることができる“ブルーカラー”だったのである。

一つ一つのプレーの安定感・正確さ、自己犠牲もいとわないチームを第一に考えた献身的な態度、勝者のメンタリティを持つ精神的に浮ついたところのない逞しさなど、現役選手の中では最も信頼された実力の持ち主である。ダンカンより派手で成績も上回っている選手は数多く存在するが、ダンカンより評価されている選手はほとんど存在しない。

出典:https://ja.wikipedia.org

ダンカンはメンタル面も強くブレることなどありえなかったし、また見るからにブレなさそうな雰囲気を醸し出していた。その大きな体に大きすぎる”器”を兼ね備えていたダンカンは常にチームのために最良のことを考え実行できるプレーヤーだったのだ。

99年優勝時にファイナルMVPに輝いたダンカンは動きが基本に忠実過ぎて退屈だと称され、シャキール・オニールに皮肉を込めて”Big Fundamental”とニックネームを付けられた。しかしその無駄のない基本に忠実な動きはチームに多くの栄光とダンカンに栄冠を授けたのだった。

ダンカンの足元を支え続けたバッシュはあのブランド

19年間の選手生活でダンカンはadidasと契約し長年着用してきた。ダンカンのシグネチャーモデルももちろん発表されているのだが、彼のシューズに例えばダンカンの名前であったり、背番号であったりは刻印されていない。

これはadidasがダンカンと生涯契約(デリック・ローズやジェイムス・ハーデンのように)を持ち掛けたのだが、ダンカンが首を縦に振らず契約できなかったためらしい。そんなこと必要ないよ、とダンカンが言っている姿が目に浮かぶのは筆者だけだろうか。

キャリア晩年には様々なadidas製シューズを履いて試合に出場していたダンカン。adidas Crazyquick1Futurestar Boostなどを使用していた。プレイ同様派手さのないオードソックスなモデルを好んで履いていたようだ。

ダンカンが言うからこそ心に響く名言たち

冷静に騒がず急がず、泰然自若としながらも勝利に飢え、期待に応えるべく努力を重ねてきたティム・ダンカン。彼の言葉にはまっすぐ心に届くような説得力があるように感じるのだ。そのいくつかを紹介したいと思う。

良くなる事、さらに良くなる事、最高になる事。立ち止まってはいけない。君の「Good」が「Better」になるまで、君の「Better」が「Best」になるまで

出典:http://howdoispk.com

先述した通り、ダンカンがバスケットを始めたのは14歳。周りの仲間から遅れを取っていたダンカンはバスケットに没頭して、とてつもない努力を積み重ねて成長したのだと思う。うまくなるために、前へ進むために立ち止まってはいけないのである。

ジョークを楽しんでるよ。笑って、人を笑わせて。僕は他の人と少し違うんだと思う。でも、良いことでしょ。誰も普通でいたいなんて思わないさ

出典:http://howdoispk.com

実は意外と温厚で楽しい性格の持ち主というダンカン。あまりそれを表に出さないあたりがダンカンらしいと感じる。息の抜き方もしっかりと心得ていたようだ。

まだすべての傷が癒えるときではない。もう少し、傷口をただれさせ、あの時のことを考え続けようと思う。

出典:http://number.bunshun.jp

スパーズが2012‐13シーズンのファイナルであと一歩届かず優勝を逃した後、しばらくしても敗戦の傷が癒えなかった時の言葉である。リベンジを誓ったダンカンは翌年見事NBAチャンピオンに返り咲くことになる。悔しさをバネにすることが勝利への執念を生む、ということを伝えている言葉だと感じるのである。

スパーズ一筋19年!そしてダンカンはレジェンドとなった。

安定した成績を残し続けたダンカンはキャリア晩年に数々のマイルストーン(=節目となる記録)を達成することになる。18年連続レギュラーシーズンリバウンド500以上で歴代1位、また同一チームにおけるレギュラーシーズン勝利数も歴代1位である。

2016年7月に現役引退を表明、5度のNBAチャンピオン、3度のファイナルMVP、2度のレギュラーシーズンMVP、そして10度のオールNBA1st選出など数々の輝かしい功績を残し19年のNBAキャリアにピリオドを打ったのだった。

数多くの選手、OB、関係者がコメントを出したりメッセージを発信して、ダンカンに対する賞賛と感謝と惜別の想いを表していた。それはダンカンが認められ、尊敬され、愛されていたことの証明だったと思う。

2016年12月の試合後にダンカンの背番号21番の永久欠番セレモニーが行われ、ダンカンをはじめチームメートや関係者が来場し彼の功績をたたえた。そこでヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチがスピーチした言葉が実に印象的だった。

「そして、これから話すことが人としてのティム・ダンカンを表す上で最も重要なことです。すでに亡くなった彼のご両親に心から伝えられることでもあります。彼は、NBAの世界に身を投じる以前から今に至るまで、何一つ変わらない人物であり続けたのです」

決して目立ちすぎることなく、できることの少し上を目指し続けながら、ティム・ダンカンは現役を退くまでティム・ダンカンであり続けた。その姿を見た他のすべての選手関係者達の中で彼がレジェンドであることに異を唱えるものは全くいなかったのだった。