多村仁志は走攻守揃ったスーパープレイヤー!苦難の現役時代とは?

多村仁志は2016年までプロ野球でプレーしていた元プロ野球選手です。17年間でセ・パ4球団を渡り歩き、ベストナイン選出や第一回WBCで主力選手として世界一に貢献するなど数々の記録を打ち立ててきました。そんな記録にも記憶にも残る、多村仁志のプロ野球人生をまとめました。

多村仁志ってどんな選手?



多村仁志は1994年ドラフト4位で横浜ベイスターズに入団しました。現役時代4球団を渡り歩いた多村仁志ですが横浜ベースターズに入団し、福岡ソフトバンクホークスで6年プレーしたのち、再びDeNAベイスターズに帰ってきたことからプロ野球ファンの方はベイスターズ多村仁志というイメージが強いのではないでしょうか?

多村仁志自身、神奈川県出身で地元球団のため愛着がある球団だということが伺えます。そして野球選手として覚醒した球団でもあり、現役終盤の時にはもう一花咲かせるべく、再起を誓った球団でもあります。

そんな多村仁志選手のプレースタイルは走攻守揃ったプレーと、特に勝負強い打撃が魅力の選手です。その結果は数字にも出ており、全盛期にあたる2010年までは通算得点打率3割越えを記録するなどチャンスでの勝負強さが今でもファンの記憶に残っている選手です。


度重なる怪我に苦しみながらも40ホーマーを放ちブレイク



名門横浜高校から横浜ベイスターズに入団した多村仁志ですが、プロの壁は高く1、2年目は1軍出場なしで終わりました。勝負の年となる3年目に、開幕1軍を掴み、4月には代打でプロ入り初打席を迎え、同月にプロ入り初安打を記録するなど、野球選手としてスタートラインに立った年となりました。

この年は18試合の出場の出場に終わりますが、翌年は87試合に出場し、7本塁打を放つなど着実にステップを踏んでいきました。クリーンナップ候補としてレギュラー獲得を期待されていましたが、5年目以降は怪我に悩まされるシーズンが続きました

多村仁志はこの時期だけではなくプロ野球人生を見返してみると130試合以上に出場したのは17年間で3シーズンだけと怪我をするというイメージが強く、毎年ファンの間ではまたかという声も・・・・・・

怪我などが重なり出場が91試合ながらも7年目には18本塁打を記録するなど、全試合出場することができたら、球界を代表する選手になるに違いないと、球界全体から注目される選手となっていました。

そしてプロ入り8年目になる2004年、ついに多村仁志が覚醒する時がきました。自身初の開幕スタメンを果たすと、球団初となる打率3割、40本塁打、100打点を記録し、球界を代表する選手へと覚醒しました。

怪我さえしなければ、結果を残せると言われていた多村仁志ですが、さすがにここまでの記録を残すとは想像してなかったので、やはり多村仁志は天才バッターだと現役を退いた今でも改めて思いました。

トレード後にチーム三冠!福岡ソフトバンクホークスでの多村仁志



2007年に寺原隼人とのトレードで福岡ソフトバンクホークスに移籍しました。先発投手が補強したいベイスターズと外野手を補強したいホークスの考えが一致したことにより実現したトレードです。

ホークスに移籍後は3番に定着し、クリーナップを任さられることになります。この年、全試合出場とはなりませんでしたが自身初となる1年間登録抹消されることなく、1軍帯同することのできた年となりました。

1年間1軍にはいましたがシーズン中には自身4度目となる肉離れを発症し、登録抹消とはなりませんでしたが、治療のため北京オリンピックは欠場することに・・・



1年間試合に出場し続けましたが、怪我への不安はホークス移籍後も変わることはありませんでした。その翌年、不安が的中し、守備で長谷川選手と交錯し、右足を骨折するなど、39試合の出場にとどまりました。

それでもホークス移籍後も、主力として実力は確かでした。その期待に応えるべく奮起した2010年、多村仁志のプロ野球人生で唯一となる140試合出場を果たし、成績もチーム三冠となる打率3割2分4厘、27本塁打、89打点の成績を残しました。

これだけの成績を残せる選手で、ここまで怪我をする選手もなかなかいないので、残念な気もしますが、その分今でもプロ野球ファンの記憶にも残る選手でもありますね。

優勝に貢献!第一回WBCでの多村仁志の大活躍!



冒頭でも紹介しましたが、多村仁志は勝負強いバッティングが魅力の選手です。魅力である勝負強さが、第一回WBCの世界の舞台でも発揮されました。多村仁志は外野手の一角として、スタメンで出場し続けました。

主に5番を任せられ、チームトップの3本塁打、9打点で優勝の立役者と言っても過言でない活躍で優勝に貢献しました。今ままで怪我が重なり、1年間試合に出続けられないという印象でしたが、当時WBCでの多村仁志の活躍をみて、大舞台での勝負強さを実感した人も多いのではないでしょうか。

国際大会で結果を残すと、シーズンとはまた違った自信につながり、ベイスターズの多村仁志から、日本の多村仁志として飛躍を遂げた大会になったと思います。

多村仁志、再び古巣へ!戦力外から再起を誓い育成契約

ホークスで日本一も経験し、チームの顔となった多村仁志ですが、再びトレードで古巣、ベイスターズに移籍することになります。同じチームをトレードで行き来するのも珍しいですね。

多村仁志が移籍したDeNAベースターズは、当時若手が台頭しており、ベテランの多村仁志には厳しい環境でした。若手とポジションを争うことになりますし、チーム事情で若手に出場機会が多く与えらることも多く、年々出場機会が激減していくことに・・・・

2015年には4試合の出場に終わり、オフには戦力外として自由契約となりました。

新たな活路を探している中、手を上げてくれたのは中日ドラゴンズでした。しかし、即戦力としてのオファーではなく、育成契約でのオファーでした。多村仁志中日ドラゴンズと育成契約を結び、支配下登録を目指すという新しい戦いが始まりました。

順当にいけば、調整の後に支配下登録される予定でした。しかしここでも怪我の影響で支配下登録が見送られて、多村仁志は引退を決意しました。これまで活躍してきた選手が、育成としてもう一度、支配下登録を目指し戦う姿は、見ていて熱くなる思いがありましたが、最後まで怪我との戦いもあり悔しいさも感じました。

指導者として!多村仁志の球界復帰に期待!

多村仁志は長い現役生活を終え、現在プロ野球の解説などをして活動しています。将来は第二の多村仁志を育成すべく、コーチとしての球界復帰が期待されます。4球団を渡り歩き、各球団で愛される選手であったため、近い将来指導者として再びユニフォームを着る日がくるのは間違いないでしょう。

現役時代にたくさんの怪我と向き合ってきたので、怪我との上手い付き合い方やケアについても選手と親身にアドバイスできる、指導者になってほしいです。今後も第二の人生を歩む、多村仁志の活躍に注目です。