中田英寿が日本歴代最高のプレーヤーである8つの理由

1993年にJリーグがスタートして以降、日本サッカー史上において最高のプレーヤーであろうと言われる中田英寿。では、なぜ歴代最高なのか?その理由を検証して参りたいと思います。

日本を代表する世界的名プレーヤー「中田英寿」

1990年代後半、彗星の如く日本サッカー界に登場した中田英寿。国際大会に縁が無かった当時の日本代表を国際舞台に引っ張り上げ、更にヨーロッパでの活躍で日本人プレーヤーの評価を大きく高めてくれたパイオニアと言える彼。まさに、日本サッカーの夜明けに大きく貢献したひとりと言えるのではないでしょうか。

技術に勝る古典的なゲームメーカーが多い日本人の中で、フィジカルと瞬間的な状況判断力に優れたモダンタイプの司令塔として君臨。そんな中田が、世界中で「日本人サッカー選手と言えばナカタ」という突出した存在感を放っていたのは紛れもない事実。そこで!中田英寿が、なぜ日本人史上最高の評価を得るに至ったのか?その8つの理由を検証してみたいと思います。

理由1.Jリーグ11チームからオファーが来るほどの潜在能力

小学3年生の時に兄の影響でサッカーを始めた中田少年。そこでメキメキと頭角を現し、ユース世代の日本代表に名を連ねる存在になります。高校は、山梨県でも有名な進学校である韮崎高校に進学し、その韮崎を全国大会に導く大活躍!そんな逸材を、Jリーグのスカウトたちが見逃すハズもありませんよね。

なんと、リーグ12チーム中、ヴェルディ川崎を除くすべてのチームからオファーが来るというモテモテぶり。ぬああ~大変です!異性への告白でも、相手に振られるより振る方がひと苦労だってのに、10チームも振らなきゃならないなんて…(汗)その中で彼が選んだのはベルマーレ平塚。海外志向のあった中田少年に、どうやら海外への留学を約束したのが決め手だったようですよ。

理由2.「マイアミの奇跡」・「ジョホールバルの歓喜」の立役者に

中田英寿と言えば忘れられないのが、マイアミでのブラジル撃破と、ジョホールバルでのワールドカップ出場決定戦ですよね!前者は、1996年のアトランタオリンピック予選リーグの第一戦。城・前園・中田という攻撃陣が話題を集めていたものの、相手があのブラジルとあって、試合中は守備一辺倒。そんな中、中田は唯一と言っていいほどブラジルに通用していた選手でした。

そして後者は、日本が世界への扉をこじ開けた歴史的な一戦。当時のアジア予選は3.5枠の狭き門。戦況はこじれにこじれ、遂に日本はアジア第3代表決定戦へという崖っぷち。中田英寿がここでやってくれるのです!強豪イラン相手に勝負を決める3つのアシスト!この時点で中田は、既にアジアのレベルを凌駕していたと言えるでしょう。

理由3.当時、世界最高峰のセリエAで主力として活躍

そこで出場したのが、1998年のフランスワールドカップ。日本代表はグループリーグで敗退となりましたが、それでも中田は大車輪の活躍。結果、海外のクラブから12ものオファーが舞い込んじゃうのです。これはスゴイですよね!サッカー後進国と言われた日本から、先進国であるヨーロッパでプレーする選手が出ちゃうわけです。ファンの期待だって、否が応でも急上昇なのであります。

そこで本人が選んだのが、イタリアのいち地方クラブだったペルージャ。やはり“試合に出られる環境”が決断に影響したのでしょう。ビッグクラブからもオファーがありましたが、日本人がいきなりそんなチームに行ったところで無理無理。中田らしい現実的な選択だったと思いますよ。しかも、そのセリエA開幕戦でいきなり2ゴールという快挙!

1990年代のセリエAは言わずと知れた世界最高峰リーグ。しかも、相手はあの超強豪・ユベントスだってんですから、そりゃもう大騒ぎ。私もリアルタイムで視聴しておりまして、テレビの前で小躍りしちゃう始末。ところが、スゴイのは開幕戦だけじゃなかったのです!その後も快進撃を続け、年間10ゴールも挙げちゃうステキな展開。すなわち、中田はイタリアで通用しちゃったんです。

中田は、ペルージャに欠かせない不動の中心選手として確固たる地位を築くことに成功。これはとても誇らしいことで、日本人が初めてサッカー先進国で認められたと言っていい出来事。日本向けのマーケティング目的という側面もあったであろう中田英寿の獲得。そんなセリエBから昇格したばかりのペルージャが、セリエAにおける台風の目となったのですからね。

理由4.日本人初のセリエA優勝メンバーに

@juventus vs @officialasroma #edgardavids #hidetoshinakata

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そんな“ペルージャの王様”となった中田英寿に、強豪チームからのオファーが届くのはもはや当たり前。1999‐2000シーズンには、セリエAどころか世界的に屈指のビッグクラブであるASローマに移籍する運びに。そこでも中田はやってくれちゃうのです。移籍翌年の終盤、優勝争いのライバルであったユベントス相手に1ゴールを含む鬼神のごとき大活躍!

ぬああんと、優勝から脱落寸前だったASローマが、中田の活躍でそのあと優勝しちゃうという、まさかのビフォーアフター的大逆転劇(汗)。とうとう、日本人が世界最高峰リーグの優勝メンバーになってしまったんですよね。最高の選手が集まったセリエAにおいて、中田もそのクオリティにあることを図らずも世界中知らしめた、“事件”とさえ言っていい優勝だったように思います。

理由5.バロンドール候補に3度も選出

ベッカムのCG感。 #ベッカム #中田英寿 #CG感

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バロンドールとは、ヨーロッパ年間最優秀選手賞のこと。その名の通り、その年ヨーロッパで最も活躍した選手に贈られます。当然、ヨーロッパでプレーする選手すべてが対象ではあるのですが、そもそもノミネートされること自体が難しい!なにせヨーロッパには多くのクラブチームがあり、そこでたくさんの選手がプレーしていますからね(汗)。

そんな、ノミネートすらハードル激高のバロンドール。しかし、我らが中田英寿がやってくれました。1998年・1999年・2001年の3度に亘ってノミネート!無理ゲーとさえ言われるバロンドール候補。それに3度も選出されるということは、世界中のサッカー関係者が、中田を「明らかにワールドクラスの選手だ」と認めていることに他なりません。

理由6.圧倒的なフィジカルとボディバランス

そのヨーロッパでの活躍を支えたのが、中田のフィジカル。私が中田のことを『モダンタイプの司令塔』と呼ぶ理由のひとつがコレ。体の大きい外国人選手に対し、全く当たり負けしないどころか、逆に相手を吹っ飛ばすシーンをよく見かけました。ハードコンタクトが当たり前となった現代サッカーにおいて、これは非常に大きな武器となります。

どうやら、少年時代からフィジカルが強かったらしく、素地として既に持っていた様子。更に重要なのが、そのコンタクトで崩れないバランス。彼を見ていると、体幹の異様な強さを感じずにはいられません。これらは当時の日本人選手にとって、明らかに足りなかった要素。やはり技術だけでなく、肉体も日本レベルを超越していたということでしょう。

理由7.針の糸を通すような超絶キラーパス



これはもう、中田英寿の代名詞みたいなものです。高い技術に裏打ちされたそのパステクニックは、単なるセンスという言葉だけでは説明のつかないレベル。その狙った場所にズバッと届ける鋭い放物線は、少年時代からプロ入りへの過程で培ったもの。当時の中田少年は、技術的に突出した存在では無く、どちらかというとフィジカルと気迫の選手だったとのこと。

それだけに、ボールの蹴り方や飛ばし方に特化したトレーニングを自分で考案し、実践していたという、知る人ぞ知るエピソードも。ワールドカップやヨーロッパで見せていたキラーパスの数々は、そんなたゆまぬ努力によって醸成されたものなのです。先天的な才能だけで、世界の舞台に辿り着いたわけではないということですよね。

理由8.名だたる名監督・名プレーヤーが中田を賞賛

中田英寿と言うプレーヤーを語る上で、避けて通れないのが同じ時代を生きたサッカー人たちの証言。先ほどお話した、ASローマがユベントスの優勝を阻止しての優勝を果たした時だって、あの世界最高MFと言われたジダンが「中田さえ居なければユベントスの優勝だったのに・・」と発言したのは有名な話。

同じくユベントスに在籍していたデル・ピエーロも、後日談で「中田は欠点の少ない選手だと思います。テクニックがあるし、 プレーのタイミングを理解する感覚もあるし、フィジカル的にも強い。 これがヨーロッパサッカーで成功できた大きな秘密でしょう。」と賞賛していたのは印象的でしたね。

2000/01, numero 8, Hidetoshi Nakata. Roma-Milan 1-1. #matchworn #asroma #hidetoshinakata #scudetto #ultimalegioneromana

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中田の能力を認め、彼の現役引退時には「サッカーがしたくなったらいつでも戻って来い。私の獲得リストには常に残しておく。」と最大級の賛辞を送った。

出典:https://ja.wikipedia.org

更に!2004年に行われたバルセロナと世界選抜のチャリティーマッチでは、世界一のコンダクターとも評されるイニエスタが「中田はすばらしい攻撃センスとパスの持ち主」と絶賛。中田が所属したローマやペルージャで監督を務めたカルロ・マッツォーネは、その中田が引退する際にこんな発言も。

しかもマッツォーネは、自身の教え子ベストイレブンに中田を選び、「彼はクオリティと闘争心のあるミッドフィルダーだ。ポジションを後ろへずらした理由は、良い選手を主役にさせるには真ん中でやらせるべきだからだ」とまで語る次第。他にも、たくさんのビッグネームたちから賞賛されて来た中田。その能力の高さは、確実にワールドクラスだったということでしょう。

世界と互角に戦った初の日本人選手!それが中田英寿

日本代表としてはもちろんのこと、一流のプレーヤーたちが集結するヨーロッパで活躍を続けた中田。今でこそ、ヨーロッパでプレーする日本は何人もおります。が、チームの絶対的な中心軸となり、且つ欧州の4大リーグでの優勝経験まであるのは中田ぐらい。客観的評価も含め、間違いなく『世界で通用した初の日本人選手であり、未だ超えられない存在』と言えるのでは。

思えば、あの衝撃的な引退も、彼の持つカリスマ性を感じさせる眩いエピソード。まさに歴代最高。いや、歴代最強とも言えるプレーヤー、それが中田英寿。偉大な日本人として世界中の人々の脳裏に焼き付けられたそのプレーの数々は、決して色褪せることなく語り継がれて行くこととなるでしょう。

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