小沢健二の華麗過ぎる遍歴!渋谷系のレジェンドを徹底追跡!

近年、再評価が起こっている渋谷系ですが、その渋谷系のアイコンだったアーティストに小沢健二がいます。この記事では、アーティスト・小沢健二の過去の実績と今について語りたいと思います。

小沢健二はセレブ過ぎるアーティスト?

小沢健二を語る際に外せない話題に、東大卒と小澤征爾の甥という定番ネタがあります。小澤征爾に関しては、2016年にはグラミー賞の最優秀オペラ録音賞を受賞したことでも記憶に新しい、日本クラシック界の超大物指揮者です。

小沢健二の両親に関しては、ドイツ文学者である小澤俊夫と臨床心理学者である小沢牧子となります。小澤俊夫は、日本女子大学や筑波大学で教授を務めた後、筑波大学の副学長にまで上り詰めています。

ハイソな両親と叔父を持つ小沢健二ですが、父親の仕事の都合でドイツで暮らしていた時期まであるため、これに帰国子女属性までつくという無敵ぶりです。少女漫画の王子様キャラレベルのセレブさ加減だったため、1990年代中盤に絶大な女性人気を誇ることとなりました。

小沢健二のデビューは伝説のフリッパーズ・ギター

小沢健二にとって、音楽業界にその名を轟かすきっかけとなったのは、フリッパーズ・ギターです。1989年にメジャーデビューを果たした5人組バンドであり、渋谷系の元祖としても知られています。

バンドメンバーには、後にコーネリアスとして有名になる小山田圭吾も含まれています。しかし、メジャーデビュー直後に、小山田圭吾以外の3人のメンバーが脱退し、2人組のユニットとなりました。

原因は、小山田圭吾曰く「小沢と他のバンドメンバーとの人間関係トラブル」です。小沢健二は、インテリ家系の出の上に本人も東大卒、オマケに音楽の才能まである完璧超人だっため、当時は人当たりがかなりきついタイプであり、そのことが原因でバントが瓦解してしまったことになりますね。

解散原因はトホホな理由だったりする?

フリッパーズ・ギターが音楽ファンの間でブレイクを果たしたのは、1990年にリリースされたシングル「恋とマシンガン」からとなります。しかし、続く1991年には、フリッパーズ・ギターはあっさりと解散をしてしまいます。

音楽ファンの間で解散の原因として定説となっているのが、女性関係のもつれです。要するに、小沢健二と小山田圭吾が同じ女性を好きになり、恋人の座を争ったせいで解散をしたという説となります。

フリッパーズ・ギターの2人が恋人の座を争った女性に関しては、渡辺満里奈と言われています。後に、お笑い界の人気者であるネプチューンの名倉潤と結婚された方ですから、魅力的な女性であることには間違いないですよね。

小沢健二、ソロデビュー後は王子様路線で成功?



フリッパーズ・ギター解散後の小沢健二ですが、1993年に音楽活動を再開します。フリッパーズ・ギター時代はギター担当だったんですが、他人と組んでの音楽活動に嫌気がさしたのが、ソロで自ら歌うスタイルとなります。

音楽ファンに対しては既に高い知名度を誇っていたため、1stアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」は、オリコン週間チャートでTOP10入りを果たします。1994年には、アルバム「LIFE」が80万枚近いヒットとなり、商業面でもメジャーなアーティストまで上り詰めます。

一方で、ソロデビュー後の小沢健二は、恋人を「仔猫ちゃん」と呼ぶ独特の王子様キャラで有名となります。サブカル好きの女子の間では、一種のアイドル的存在となり、マニアックな音楽性とは裏腹に、女性ファンが非常に多いアーティストとなりました。

小沢健二の全盛期はまるでアイドル?



小沢健二の全盛期に関してですが、タモリに詩の美しさを絶賛されるなど、音楽面でも素晴らしいクオリティだったのは確かです。一方で、世間に向けては、ナルシストな王子様キャラのイメージが先行して浸透して行きました。

雑誌などでも、「アンテナが高い女子に人気な旬の芸能人」といった特集記事を書かれて、ライブでも黄色い声援ばかりとなります。その他にも、CMに出演してみたり、深津絵里との熱愛報道で世間を騒がせてみたりと、当時の小沢健二は、芸能界のメインストリームを突っ走る勢いでした。

1995年には紅白歌合戦にも出場し、日本に知らぬ者なしという状態となり、小沢健二は芸能人として天下を取ったと言える状況になります。この当時の小沢健二を今に例えると、役者業をやっていない星野源がぴったりといった感じですね。

活動に行き詰まり渡米?

1996年になると、小室系のブームが起こり、小沢健二は新たなムーブメントの波に呑み込まれて行きます。カラオケ音楽全盛期となる流れの中で、洋楽をベースにした聴く音楽である小沢健二の楽曲は、時流から外れて行くことになりました。

音楽に対して良心的だった小沢健二は、カラオケ音楽ブームの勢いが強まる1996年に、あえてジャズテイストの楽曲に挑戦をします。けれど、同年にリリースされたアルバム「球体の奏でる音楽」は、前作の「LIFE」よりセールスが半減していまいます。

1997年以降は一段とセールスが低迷し、小沢健二は、人生において初めて挫折と言える状況に陥ります。音楽性を軽視したカラオケ音楽化が進むJ-POPシーンとは、相容れぬ存在となった小沢健二は、音楽活動を休止した1998年にアメリカへ移住します。

沈黙期間中にいつの間にかパパに?

渡米後の小沢健二ですが、2002年にアルバム「Eclectic」をリリースするなど、本人の気が向いた時に音楽活動自体は続けていました。けれども、日本でのプロモーション活動には消極的であり、あくまで趣味的活動の範疇だったと言えます。

小沢健二の話題が日本で再燃することになったのは、2010年となります。2009年に、エリザベス・コールというアメリカ人女性と結婚していたことを週刊誌がすっぱ抜いたためです。

その後、2013年に長男・凛音が誕生し、2016年には次男・天縫が誕生するなど、小沢健二の周囲は一気に賑やかとなります。「渋谷系の王子様」なんて言われていた小沢健二も、今や二児の立派なパパになったわけですね。

完全復活?小沢健二の現在の活動は?

長くアーティスト活動を沈黙していた小沢健二ですが、結婚後の2010年からは日本でのライブ活動を再開しています。一方で、全国ツアーは、2010年と2016年のみなため、往年のファンにとってはまだまだ物足りない復活具合ではありますが。

2017年2月には、スタジオ音源としては19年ぶりのシングル「流動体について」がリリースされ、オリコン週間チャートで初登場2位を記録するヒットとなりました。この結果は、近年の渋谷系再評価の流れとは無縁ではないでしょうね。

現在の音楽シーンといえば、アイドルがチャートを席巻する「アーティスト冬の時代」だと言えます。J-POP黄金期のレジェンドである小沢健二の復活により、その流れを変えることが出来るかどうか、今後の流れに注目したいところですね。

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