清武弘嗣を苛む怪我の連続!起死回生を計る俊英に迫る!

セレッソ大阪時代もっとも海外で活躍する選手と言われた清武弘嗣。Jリーグにいてはもったいない、そう言われた清武はドイツ・ハノーファーからセビージャに移籍し2017年に再びセレッソ大阪に帰ってきた。2月中旬、突然怪我のために練習を回避。原因は海外で作った怪我の古傷だった。これで怪我の再発は3度目になっている。

清武弘嗣とは



幼い頃からJリーグセレッソ大阪時代まで格の違う天才と称されてきた清武広嗣。海外移籍前の2011年にはもっとも海外で活躍しそうなルーキーとされてきた。しかし満を持して望んだ海外移籍、ドイツ・ハノーファーとスペイン・セビージャで怪我を連発してしまった。

保証書付きの選手と言われ海外での評価も高く移籍金も6億と高額で契約を交わしたセビージャを半年で撤退するとは、まさか本人も思ってもみなかっただろう。失敗の原因はチーム内での序列や会話力不足もあるが、怪我の再発も大きな原因の一つだ。

もともと怪我の多い選手であり、海外でシーズン中は活躍しているか、怪我をしているかという負の状況に陥ってしまっていた。ドイツでは怪我が原因で放出されたのだから、スペインでは同じ過ちを繰り返さないで欲しかったものだ。この柔軟性のなさが清武の意外な欠点であった。

清武弘嗣の来歴をチェック!

大分トリニータ時代

小学校時代を父が監督をするサッカークラブで過ごし、15歳で大分トリニータのユースチームに入り18歳でプロに昇格した。経営難から主力の金崎夢生、森重真人の放出、西川周作の怪我が相まってレギュラーに定着した。

ユース日本代表「大分カルテット」と呼ばれたこの四人の中で唯一残っていた清武弘嗣も大分のJ2降格でセレッソ大阪に移籍。怪我の第一回目はここから始まる。連続の負傷でシーズン中はあまり試合に出なかったが、一つ年上の香川真司の穴埋めとしてレギュラーに定着し、背番号8も受け継いだ。

香川に続いて清武もこれから海外で活躍は間違いない、Jリーグにいてはもったいないと言われていた2012年、ついにドイツのブンデスリーガに移籍が決まった。移籍先ニュンベルグでもすぐにレギュラーを勝ち取り、アシスト記録も打ち出した。幸先は抜群だった。

ハノーファーからセビージャへ

ニュンベルグではすでにキヨとあだ名されてサポーターを味方につけていた。アシストだけでなくボールコントロールやパスのつなぎ方は絶賛され、早々にクラブの一員として迎えられた。J2降格と共に次の移籍先ドイツ・ハノーファーに移籍。

ドイツでは10番をつけるという本田圭佑と同様の快挙を見せた。しかしここで第2回目の怪我。ハリル日本代表のキャンプ中に骨折。その上復帰後も10番を約束してくれたコルクト監督もまさかの解任となってしまった。

チームに貢献したがハノーファー降格に伴い今度はセビージャへ移籍。惜しまれつつの移籍となったが、ここでまさかの3回目の怪我となる。怪我さえなければセビージャやその他の海外クラブでも活躍できたと思ったが、清武弘嗣は再びセレッソ大阪に帰ることを決めた。

清武弘嗣のドイツでの評価がすごい!

キヨはベストプレーヤー



やっぱりドイツのハノーファーが清武弘嗣の海外での活躍だろう。スペインの時と違ってチームに溶け込むのも、受け入れられるのも早かった。何と言ってもデビューからアシストでチームの勝利を牽引したことがよかったのだと思う。

移籍してしまった原因は移籍金を10億に設定していたからだ。惜しくも降格したハノーファーには満額支払える金はなく、代わりに全額払ったスペイン・セビージャが清武をとる形になった。移籍金だけ見るともう香川真司に追いついている。ドイツで活躍していたら香川をしのぐ存在になっていただろう。

放出した後もドイツサポーターから彼を遠く惜しむ声は多い。再びチーム昇格の力になって欲しかったからだ。日本人に対する特別な温情だけでなく、ゴールにアシストを積み重ねた清武はベストプレーヤーと叫ぶ声がとても多かったのだ。

スペイン・セビージャでの清武の評価

リーガ・エスパニョーラでミッドフィルダーで移籍した清武弘嗣はデビュー戦から大変大きな評価を受けていた。先発でフル出場した清武は早速1ゴール1アシストを果たしてチームを6対4で勝利に導いた。これを機に同じく中盤のムド・バスケスとともにポジション争いが始まった。

この選手と比べて清武が優れていると評価されているのはコンディションと、スピード力。それから親しみやすい性格と何より海外でやっていきたいという気概を感じさせていた。チームに勝利を貢献するという一番大事な目標をデビュー戦に見せたことはそう印象付ける助けになった。

しかしスペイン・セビージャで中盤補強に勤しんでいただけあって、バスケスのように若いいい選手たちがたくさん集まっていた。清武の怪我がその選手たちにポジションを与えてしまったことは本当に悔しかった。プレーでは近年移籍日本人選手でかなり注目された選手の一人だった。

清武弘嗣を苛む怪我の連続!

セレッソ2010年代の怪我は例外としても、ドイツの怪我は大きかった。彼が9月に日本代表公式試合で起こしてしまった右足骨折はジャンプしてひねったものだったが、また11月に別の箇所に亀裂が入っていた。二つで全治6ヶ月。これはさすがにドイツサポーターを失望させた。

ドイツは怒るどころか「終わった」の一言。清武が確実にハノーファー勝利のピースであっただけにその失望は大きかった。そしてなお悪いのはその後のセビージャでの怪我。シーズン始まり早々に右足内転筋負傷でリハビリを余儀なくされる。

リアルタイムではよく伝えられてなかったが、この怪我が原因で2017年2月のセレッソ大阪での怪我を誘引したようだった。なんせ長期のリハビリですでに代役が決まってしまい、どうにも帰国するしかない状況に追い込まれたわけだから、監督も密かに懸念していたのかもしれない。

清武弘嗣に復活の兆しは?

実際にはセビージャが清武を放出した後も他の国からオファーは幾つかあった。しかし清武が2017年をめどに再び日本へ帰ってきたのは、今後のサッカー人生を想定してのことだったろう。つまり三十代もJリーグでやっていくこと。

海外で調子が上がらない、リハビリで出先を挫かれる、チーム内の序列と相まって、これからどのようにしてスペインでアピールしてけばいいかわからなかったのだ。実際に彼はそうこぼしている。この袋小路を抜ける方法を日本でつかもうとしたのである。

しかしここで再びセレッソでの怪我はなんたることだろう。左大腿四頭筋を損傷し二週間程度のロスだったが、さすがにこれほど連続で怪我をされて、今度はサポーターたちが我慢ならなくなってきている。

清武の怪我はこれからも続くのか

海外クラブの他にヴィッセウ神戸やサガン鳥栖からのオファーを受けていた清武だが、その中でもセレッソを選んだのは古巣に戻るという理由だけではないだろう。自身でも再び怪我の再発が怖いのだと思われる。

怪我の治りたてにもかかわらず、清武を取り戻すのに6億の移籍金をつんだセレッソはそうした清武の問題に面倒を見てやるつもりなのだろう。そうしたやりとりが移籍時の社長との対談であったのだと思われる。そしてもう一つは日本代表。

セレッソが清武を再び迎え入れたのは彼を代表へ選出させてやりたいから。クラブで試合に出ていないものを代表に招集しないと言い切ったハリルホジッチの懸念があったのだ。彼は怪我を完全に克服できる環境に戻り、再び代表として活躍したいと思っているに違いない。

清武弘嗣よよみがえれ!

ふむふむ。 この時は何を話してたんだろ。笑 . #ようさん #キャプテン #8番 #一緒に頑張りやしょ #cerezoosaka #宮崎キャンプ

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清武はこれからの課題はセレッソで活躍すること。怪我を克服してから再び日本代表での活躍を準備してもらいたいところだ。しかし2017年3月コンサドーレ札幌戦での復帰戦ではチームを白星に輝かせることはできなかった。

柿谷曜一郎、山口蛍に加え戻ってきた清武弘嗣と、三人とも海外移籍から帰ってきたばかりで、ともに日本代表で戦った仲のサイドアタッカーたち。チームの資質としては十分だが、三人とも似たような悔しい海外の失敗を返すような気概をみたい2017年だ。

サポーターの厳しいセレッソ大阪、清武が戻ったこともあって会場は来客数も確実に増えていくだろう。清武にはぜひ怪我を再発しないで活躍を見せて欲しい。そして狙うは代表トップ下での活躍だ。今期の命運はもっともでかい。

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