【ラモス瑠偉】最年長得点記録を成した男の苦悩とは?

言わずと知れたJリーグ創世記時代から活躍してきたラモス瑠偉。最年長得点記録も樹立したドーハの悲劇後に引退し、その後はフットサルの日本代表やビーチサッカーの監督、Jリーグの監督も勤めていた。その活躍は目覚ましいが意外にも苦悩の多いサッカー人生だった。そんな彼の活躍を今一度振り返って行く。

ラモス瑠偉とは

ラモス瑠偉伝説!

2016年12月に突然脳梗塞のために入院したラモス瑠偉。翌年2017年3月に無事リハビリを果たして復帰した。復帰会見では得意のラモス節で今まで通りの熱いラモスを見せてくれたのでひとまず安心した。彼はまだまだ生きる伝説として活躍していく。

ラモスとは言わずと知れた元日本代表のサッカー選手である。一番有名なのはまだサッカーファンの胸に残っているあのドーハの悲劇。ラモスはこの時すでに36歳であり、この大会を機に引退を決めていたが、なんと最年長得点記録を決めてしまった。まだまだやれそうだなと思わせたのだが惜しくも引退してしまった。

引退後はビーチサッカーの監督や出身ヴェルディの監督、そして息子と一緒に務めたFC岐阜の監督もやった。もちろんおなじみの熱いサッカー解説者としても活躍した。80まで生きると宣言した彼はいくら年をとってもアツさは変わらない。

ラモス瑠偉の来歴をチェック!

ラモスが日本に来た理由

ラモスが日本に来たのは実は意外な理由からである。彼はもともとブラジルのリオデジャネイロで生まれ、父の死に際して引っ越したサンパウロでサッカーに本格的にのめり込んでいった。

それまでクラブチームに入団試験に受けるも不合格だった彼は、一人になった母親を助けたいとの一心でバイトとサッカーに明け暮れてほとんど学校をふいにしている。転機が訪れたのは19歳の時、日本から来たスカウトに読売クラブへの入団を誘われたのだ。

親や親戚の大反対を押し切ったラモスはまだ二十歳そこそこ。当時は外人選手が珍しかったので相当ピッチでちょっかいを出されており、時にはグランドで相手選手を追っかける騒動まで起こした。怒れれるラモスはここに誕生した。

プロでの目覚ましい活躍



今でこそサッカーをしたいという子供は日本にはたくさんいるが、ラモスが来日した20歳の頃はまだJリーグは創設されていなかった。ラモスの入ったサッカー部も読売の社会人チームみたいなものであり、サッカーの人気はまだ本格的に出ていなかった。

そんな中で初めて外人選手で有名になったのはラモス瑠偉。日本代表に選出されると初優勝にも導き、その勢いそのままクラブの批判やチームの批判、それから日本への噛みつきを見せて一気にあらぬ人気を手に入れた。Jリーグが開催されるとCMにも出演し、子供からの指示も得た。

Jリーグが生まれたのは1993年だが、読売が東京ヴェルディになったのこの時のラモスの年俸はなんと6000万。当時ではかなりの額である。JリーグカレーやバンテリンのCMに出るなど、サッカー選手以外でも日本国民に深く愛されたのだった。

ラモスといえばドーハの悲劇



ラモスが最も印象的だったのは引退間際のドーハの悲劇だったのではなかったのだろうか?ラモスやカズは未だにあのドーハの悲劇についてインタビューされているし、書籍やテレビででもたくさん取り上げられている。みんなあの時ラモスが何を思ったのかみんな知りたかったのだ。

あるドキュメンタリー番組でイラクにゴールを入れられた瞬間に何をつぶやいていたのか、ラモスの唇を読んだという話があった。ラモスは「ああ、神様」とつぶやいていたという。密かにこの大会を最後に引退を決めていいただけあって悔しい思いをしたのだろう。

代表選の翌年に京都サンガへ移籍し、その次の川崎を最後にラモスは引退した。最後まで各監督ともめたり確執があったのは面白いエピソードだ。まだまだやる、そう思わせるのがラモスのスタイルであり、彼の苦悩の人生を支えてきたスタイルだ。

ラモス瑠偉は監督としても活躍!



引退後のラモスがすぐにビーチサッカーの監督になったところも面白いところだ。多くのサッカー選手は自分の選手時代を忘れられずにタレントになったりしがちだが、ラモスはまたサッカーに携わってくれた。彼のサッカー愛は本物だ。

沖縄を拠点にするビーチサッカーはあまり知られていないかもしれないが、前園など引退したJリーグ選手などたくさん参加している面白い競技である。ラモスは早速第1回FIFAビーチサッカーワールドカップでベスト8まで進出した。惜しくも準々決勝のブラジルに負けてしまったが大健闘だった。

またJ2のFC岐阜の監督にも就任。惜しくも成績はあまり振るわなかったがマイナーだったチームの知名度を一気に向上させた。息子が同チームの下部組織で監督をしていたこともあり、親子で岐阜を支えたと県民からも愛された。

評論家としても活躍!しかし…



ラモスといえば激しいサッカー解説。日本代表選手が活躍できなければ日本の恥だと言わんばかりに怒るのが有名で、例の1988年フランス大会のラモスの城への解説はラモスを解説者から追放した事件だったとも言われている。

フランス大会では予選の頃からちょっとイライラしていたご様子で、城に「ヘラヘラするなよ」とつぶやくシーンもあった。しかしこうした解説が原因で城が空港で水をかけられたのかと言われれば、きっとラモスのせいではないだろう。ラモスは特定の選手というより、日本への解説者なのだ。

道理がとおっていればその人はまともな人間だと思うが、ラモスは一貫して日本のサッカー選手としての精神性について指摘しいている。日の丸を背負って戦う志を見たいと願うのが彼のテーマであった。なのでそんな姿勢が逆に日本への批判と取られてしまったりするのである。

批判の理由は強すぎる日本愛



最近では日本代表のザッケローニがカバンにわさびを持ち歩くほどの日本ファンだということが話題になっていた。デヴィッド・ベッカムも恐妻ヴィクトリアと同様に日本好きと知られているが、もっとも日本を愛しているのは多分ラモス瑠偉だろう。

ラモスは自著『ラモスの黙示録』にあのドーハ以来強く抱き続けている日本への特別な感情を綴っている。「日の丸、最高だよ、こんないい国ないよ」。日本と真逆の国ブラジルから来たラモスがこれほど日本を強く思っていることは、多分あまり知られていないだろう。

熱いサッカー解説で有名だが、実はラモスの「フザッケンナヨ!」には意外にも多くのサポーターの支持を得ている。ラモス引退直後の日本代表のうだつの上がらなさには確かに日本サポーターも同感していたので、ラモスの怒りには同調する声が多かったのだ。

ラモス瑠偉の家族関係が複雑…?

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ラモスは実は再婚しているということをご存知だろうか?もともと日本人妻の初音さんという方と結婚していた。彼女はラモスが有名になる前からずっと付き添ってきた人で、二人はサッカー界一のおしどり夫婦と呼ばれていたのだ。

しかしラモスが現役引退後のフットサルチームで監督をしていた時、初音さんは病気でなくなってしまった。テレビではもう結婚はしないと言っていたが、その四年後に20歳年下の日本人女性と再婚している。ちょうど三回忌を過ぎてから真剣に交際を始めたんだとか。

ちなみに先ほど紹介したFC岐阜の監督は初音さんとの息子であり、歌手の娘さんのラモス・ファビアナさんもいる。ネットではラモスが一時浮気をしていたと囁かれているものもあるが、おそらく事実ではないと思われる。ラモスは意外と真面目なタイプだ。

ラモスの病気の再発の恐れはある?



脳梗塞から復帰したばかりのラモスだが、今後彼の病気が再発してしまう恐れはあるのだろうか。ラモスは退院後、味覚と聴覚の障害を訴えコーヒーを吐き出してしまい、運動機能にも後遺症を残してしまっている。

復帰の記者会見ではリフティングをするなど元気な姿を見せたが、それは一種のパフォーマンスでもある。入院中全国のファンやサッカー関係者から手紙をもらったというラモスは元気な姿を見せたいと頑張ってくれたのだろう。

入院やリハビリはすでに60を超えたラモスには相当なストレスだったようだ。またカッとなれば病気を悪化させる可能性もなくもない。本人は「あいつ大丈夫かな?」と言われるよりも「うるさい奴が帰ってきた」と思われたいらしい。現在またサッカー解説もやっているラモスをもっと応援していきたい。

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