【前園真聖】マイアミの奇跡時代の立役者!サッカー人生のスタートから引退までを振り返る!

引退後お酒で酔っ払ってタクシー運転手に暴行を加えたことで一時容疑者になってしまった前園真聖。現在はテレビで少々おとぼけキャラを演じるサッカー解説者として活躍しているが、もともと日本代表のキャプテンとしてヒデの先輩であり、マイアミの奇跡の立役者でもあったヒーローだった。そんな彼の意外なサッカー人生を振り返っていく。

大注目の選手、前園真聖とは



ワイドナショーでダウンタウンのまっちゃんから「もう飲んでるんでしょ?」といじられる前園真聖。タクシー運転手に暴行を加えてまだ半年も経っていないのにこうしたツッコミができるのは松本人志ならではだろう。前園は思わず真剣な顔を崩して苦笑して見せた。

それまで事件の話題に触れられてもずっと硬い顔をしていた前園だったが、これをきっかけに妙に吹っ切れた顔をするようになった。選手時代と変わらず真面目で堅い性格の彼はこんな気の利いた芸能界の冗談にきっとかなり助けられた思いをしたのだろう。

実際に事件の後に書いた自著にその時のまっちゃんのツッコミを書いている。「あれのおかげで吹っ切れた」。マイアミの奇跡で活躍し、手に入れたスペイン移籍の話が反故になってから、彼はしばらく何かを引きずったように生きていた。あまり知られていないが前園は実に苦悩の多いサッカー選手だったのだ。

前園真聖のこれまでの活躍は?

高校時代からプロまで

名門鹿児島実業で育った前園は、昔懐かしいスパルタ方式の部活動を生きてきた人間だ。小学校時代からすでに才能を見出され、高校時代は選ばれた10人として監督の家に下宿していた前園は、毎晩先輩の靴磨きとユニーフォームを洗って夜中の2時に寝ていたという。

しかしこの禁欲的な生活のおかげで1年次からレギュラーを獲得し、高校選手権にも三回出場。そして2年の時には準優勝まで果たしている。名門高校でこれだけの成績を収めた前園はまさにサッカー界の期待の星、当然のように横浜フリューゲルスに入団した。

スパルタ高校を逃れて初めての都会横浜に戸惑いながら、ようやく試合に出れたのは一年後。1993年に彼は公式戦で初得点を決め、同年には天皇杯で先発出場し、十分貢献しチームで優勝を経験した。

日本代表選出!



のちの前園の運命を変えたと言われる1994年のU-21オリンピック日本代表に選出される。ここで前園真聖は自分の人生の指針となる海外移籍の夢を抱くようになる。同時にA代表にも選出され、選手としてノリに乗り始めてもいた。

きっかけは今大会で初めて海外選手たちと戦ったこと。すでにアルゼンチンに留学していたが行っていたのは3ヶ月の間だけで、本当に海外選手の強さを感じたのはまさにこの時だった。天才的なドリブラーと言われていた彼も内心勝てないと思ったという。

サウジアラビア戦でフリーキックを含む2得点を決めるなど勝利に貢献。続くブラジルに大健闘、ハンガリーに一点差で勝利と、気がつけば日本でもっとも期待される選手として成長して行った。

前園真聖のプレースタイルは?

前園の得意とするプレーはドリブルである。小学校の頃にマラドーナに憧れ、毎日ビデオテープを擦り切れるくらい見て練習したと言われるフェイントやスピードのあるドリブルは当時の日本代表でもほぼトップと言っていいものだった。

今の日本サッカーじゃちょっとあまり見せるプレーは望まれないが、高校時代から何人も相手を抜いていく姿に自惚れていた前園はプロになってからも天才的なドリブルで相手を抜いた。目指すはマラドーナのメキシコ大会の五人抜きだったという。

自分の培ってきたドリブルがプロでも十分通用し、トップスピードでボールを切り返しても見失わない技術、そして何より恐れないで切り込んでいき、ゴールを奪えるのは本当にすごかった。こうした選手は日本サッカーでかなり珍しいタイプなのだ。

前園真聖は「マイアミの軌跡」の立役者!



1996年のアメリカで行われたアトランタオリンピック本大会で起こしたマイアミの奇跡は前園真聖が立役者だった。ナイジェリア、ブラジルと南米の強国を日本が追い詰め、決勝トーナメントに出場したのは、日本だけでなく、海外をも賑わせた。

勝利に貢献した前園はこの時のキャプテン。現地では日本の熱狂は知らなかったというが、帰国後の空港で初めてその大きな反響を見た時はかなり驚いたという。メディアやサポーターが押し寄せ、前園真聖は一躍日本のトップスターに上り詰めたのだ。

マイアミの奇跡で活躍したことは海外のクラブチームにも届いた。早速来たのがスペイン移籍。移籍金はなんと3億5000万という額だった。現在のトップ選手でもこの額はかなりのものである。惜しかったのはフリューゲルスの交渉が下手なために破綻してしまったことだ。海外へ行っていたら彼の人生は変わっていたはずだ。

引退後はサッカー以外でも活躍!



引退後の彼の活躍も目覚ましい。彼はサッカー選手を夢見る子供達に向けて「ZONOサッカー教室」を開いている。自分の失敗した経験から次のサッカー選手を育てたいとの熱い思いで、かなりの人気のサッカー教室だ。

コーチは元マリノスの井手口純、アルビレックス新潟の新井健二、それから早瀬良平とプロのサッカー選手が勢ぞろいしている。前園はテクニカルディレクターとして、練習の方針や練習方法を提案している。自身練習メニューを考えるのが得意であり、プロ時代も自分で作って練習していた。

開催は主に東京と埼玉だ。しかし地方へ営業で行くこともある。練習メニューはパスやドリブルなどの基礎練から、最後はミニゲームで終わるという定番の練習だ。彼は選手たちに試合で最も大事なのはパスとコントロールだと教えている。

前園真聖の名言が深い!

前園真聖の名言②

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なんどもトライして、チャンスにつなげていけばいい」そう名言を残す前園真聖の言葉には他の選手にはない力がある。それは彼がマイアミの奇跡から一転、韓国のマイナーリーグにまで自分の居場所を探し求めた人物だからである。

スペイン移籍が反故になってから前園は決してサッカーを諦めたわけではなかった。なんども引退を囁かれたが、自分ができるチームでプレーしようとヴェルディやサントスFCなど呼ばれればどこへでも行った。彼は決して過去を引きずっていたわけではなく、なんどもトライしてきたのだった。

なんども壁にぶち当たりながら、自分が納得できるまでなんどもトライしてきました。」そういう彼のサッカーへの思いは実に謙虚だ。スタートもてはやされながらも、常にチームに貢献することを考えてプレーしてきた選手である。

前園真聖の名言②

「どんなに悩んでも、自分の中に答えはきっとあります。」そういう名言を残したのはマイアミの奇跡で一躍トップスターになってから転落し、ブラジルのサントスFCやゴイヤスFCに入団し再起を見ながらも契約を取れなかった頃の教訓だ。

スペイン移籍がなくなってからの前園は自ら入団試験を受けにブラジルに渡り、期限付き3ヶ月で満期契約を取るために奮闘していたのだった。しかしすでに菅原智が入団していたので「日本人は二人もいらないと断られてしまった。

しかしあきらめなかった前園真聖は偉かった。何度もやり直しが効くと信じる彼はその後ギリシャやポルトガルへ渡り、マネージャーをつけずに一人で交渉を始めたのだった。ことごとく断られたが、最後は韓国のマイナーリーグに所属するほどチャンスを探して挑戦し続けたのだ。

前園の第二の人生は芸能界

現在テレビや雑誌、イベントなどサッカー教室外にも数多くの活動をしている前園真聖。タクシー運転手への暴行事件以来、奇跡的に芸能界への復帰を果たした前園は、今後の自分の人生を芸能界で活躍することに使おうと決断している。

彼の自著にも書いているが、芸能界でやっていこうと決めたのは暴力を振るったタクシー運転手の方の励ましや、ダウンタウンの松本人志やファンの支えだという。何度でもやり直しが効く、そう思う前園は自分の第二の人生を芸能界と決めたのだった。

現在は「ワイドナショー」や「ヒルナンデス」などのレギュラー番組を数本持ち、その人柄の良さと天然っぽいおとぼけキャラが好評になっている。サッカー選手時代の栄光に浸らない謙虚な姿が好印象なのだろう。これからも活躍する前園を応援していきたい。