【落合博満】史上最高のバッターの知られざる6つの秘密!不滅の三冠王に何が?

日本プロ野球史上最高且つ最強の右バッターと言われている落合博満。抜群の打撃センスで唯一の3度の三冠王を達成、監督してもチームを強豪へと導き日本一も獲得した落合という男には、数々のエピソードが隠されていた!

史上最高のバッター、落合博満とは

落合博満は現役当時177㎝82㎏右投右打、秋田県出身の内野手で社会人野球を経てロッテ・オリオンズからそのキャリアをスタートさせた。以降中日ドラゴンズや読売ジャイアンツ、日本ハムファイターズを渡り歩き1998年に引退している。

落合は右の強打者として名を馳せ、現役通算で打率.311、2371安打510本塁打1564打点という記録を残している。首位打者、本塁打王、打点王をそれぞれ5度達成している過去のプロ野球の歴史を代表する名打者なのだ。

筆者が野球を見だした頃はちょうど落合が中日へと移籍した頃だったと記憶している。後楽園球場(筆者は巨人ファンで当時巨人戦は全国放送されていた)で落合が打席に入ると一瞬で雰囲気が変わったのを幼心に覚えている。

独自の野球理論と独特の神主打法、さらに調整方法などについても我が道を行く落合のスタイルは”オレ流”と呼ばれ決して誰も真似のできないようなやり方を貫きながらも高い打撃技術を誇ったまま現役生活を全う。45歳までプレーした。

落合は身体を開くことでボールとの距離を取ること、それに加えて通常よりも長いバットを使用する事で、インコースからアウトコースまで真芯でとらえることができ広角にヒットもホームランも量産することができた数少ないバッターだった。

後に落合が巨人へ来た時、かつてのような成績は残せなかったがそれでも落合の現役生活を3年間追っかける事ができたのは、今考えればとても幸せなことだったと思っている。そして公約通り長嶋茂雄を胴上げした落合に美学のようなものを感じたものだ。

落合の秘密①運が悪すぎた青年時代!?

落合は体育会系の風習が嫌いで高校進学の際、甲子園常連校ではなく無名の秋田工業高校へ進学したのだが、そこでも野球部特有のしごきに耐え兼ね退部。その後も復帰と退部を繰り返していたという。

東洋大学に進学した時も体育会系の慣習に納得できずに半年で野球部を退部し大学も中退。ボウリング上でのアルバイトがきっかけでプロボウラーを志すようになったというのだから驚きである。

しかし落合はプロテスト受験に向かう際に自動車の速度違反で検挙されその場で反則金を支払たことにより、テストの受験料が支払えなくなり受験できなくなるという挫折を味わっているのだ。目指す先にある生涯を乗り越えられない挫折を落合は繰り返していたのである。

落合の秘密②落合博満が遅咲きの選手である理由は

その後、高校の恩師の勧めもあり74年に東京芝浦電気府中工場に臨時工として入社。そこで社会人野球チームの東芝府中に加わったころから落合の野球人生の針は再び動き出すのである。在籍5年で70本塁打を放つなどその才能は健在だった。

78年にはアマチュア野球世界選手権の日本代表に選ばれるなどその実力を示した落合は同年のドラフト会議でロッテに3位指名されて入団を果たすことになる。落合は紆余曲折を経て社会人選手からプロ入りしたのでスタートが他の選手に比べて遅いのである。

ちなみに78年のドラフト会議では巨人が落合を2位指名する予定で巨人の落合が誕生するはずだったが、あの”空白の1日”事件の影響で巨人はドラフト会議をボイコットし落合獲得をならなかったのだ。

こうしてロッテからプロ野球キャリアをスタートさせた落合だが入団した時にすでに25歳。しかもその独特のスイングは酷評されなかなかチャンスをつかむことすらできなかったのだ。しかし3年目には3割30本を達成しその才能は開花するのである。

そして4年目28歳のシーズンで打率.326本塁打33本打点99で見事史上最年少で三冠王獲得するところまで上り詰めるのであった。その85年と86年にも連続三冠王に輝き史上初3度の三冠王達成者となったのだ。

スタートは間違いなく遅かった落合。しかしその天性の打撃センスで一気に飛びぬけた存在まで行ってしまったのだ。その後中日に移籍した時にはすでに33歳。しかしそこから7年も中日の4番を張るのだからとんでもない選手なのである。

落合の秘密③超絶バットコントロールでカメラマンを脅迫!?

落合は自在に捌くことのできるバットコントロールにの技術が非常に高い選手であった。さらにボールのミートするポイントがどのコースでもほぼ同じだったため常に同じタイミングでスイングできたというのだ。

巧みなバットコントロールのエピソードとしてファンの間で有名なのが、ロッテ在籍時代の打撃練習中に危ないからと諭したにも関わらずゲージの中に入ったカメラマンのカメラのレンズに『じゃあ、そこ、狙うから』といって1球目に打球を直撃させたというものだ。

こんなことを笑いながら、しかも一発でできてしまう落合って、とんでもない天才なんだと筆者は思っている。ちなみにそのカメラは時価1000万円相当したそうだが、カメラマンはいい映像を撮れたとの理由で社長賞を獲得、落合に礼を言いに来たらしい。

普通狙ってできるものではないことを落合はいともたやすくやってしまう、それほど彼のバットコントロールはうまかったのである。死球を当てられたピッチャーに後の打席でピッチャー返しをお見舞いしてし返すなど落合にしかできない。

そもそも落合はアウトコース低めが苦手だったと語っている。イメージ的にアウトコースをライトへ打つのが上手いイメージなのだが、実際にはインコースの球をセンターから右に打つのが得意だったというのだ。

しかし相手チームはライトによく打つのでアウトコースを避けインコースで勝負する傾向にあり、結局は落合の好きなコースに球を投げていたらしい。インコースの球をライト方向へ打つという難しくイメージもつかないようなことが”得意”だった落合。そのバットコントロールは見事としか言いようがないのである。

落合の秘密④落合の重要な決断には妻が大きく関与していた…

落合の妻である信子さん。落合が悩んだ時、そして重要な決断を下すときには必ずこの信子夫人の一言や行動が彼の背中を押している。そして彼女の支えがあったから落合は成功したのである。

93年のFA権行使についても信子夫人はこれまで年棒調停や初の1億円、2億円、3億円プレーヤーとして選手のステイタスを向上させてきた落合に、あなたが先陣を切らないでどうする!と発破をかけ半ば強引に落合にFA権を行使させたそうだ。

落合が中日監督就任要請の電話を受けた際、落合が返答を躊躇していると、何でもやってみろ!と落合を鼓舞し広告の裏に”GO”と書いて承諾するように指示。これを見て落合は監督就任を了承したらしい。信子夫人がいなければ巨人軍入団も中日監督就任もなかったのかもしれない。

落合の秘密⑤落合博満は重度のガンダムヲタク!?

落合の意外な趣味、それは息子である福嗣さんの影響もあってのガンダム好きというものだ。プロ野球ファンの間ではかなり有名な話だが、落合のガンダムに対する愛情はもしかすると野球以上かともいわれている程である。

2007年にクライマックスシリーズで巨人に3連勝し、涙した落合。しかし帰宅後の第一声は『ガンダム録ったか?』だったそうだ。一家でマツタケご飯を食べながらガンダムの新シリーズを見て『買った後のガンダムは最高だな。』とご満悦だったとか。

何気にテレビで見たガンダムにはまり、監督時代のオフには家族でガンプラの向上へ招待された時は番記者曰く『野球をやっているとき良り楽しそうだった』とのこと。意外な趣味かもしれないが落合にとってガンダムとの絆は切っても切れないものなのである。

落合の秘密⑥有名選手との数々の逸話が凄まじい!

落合は”オレ流”と言われその独自の理論で野球界を生き抜いた男である。また歯に衣着せぬ言動も同じく”オレ流”だったと思う。選手やOBに対しても全く変わらないそのスタイルは、気持ちいいほどである。

ロッテOBの金田正一が落合のバッティングフォームを酷評した。落合は社会人を経験した自分だから耐えられたが新人だったらつぶれてしまうとその姿勢を危惧、落合が2000本安打を達成し名球会入りの資格を得た際に、金田が会長を務める名球会入りを真っ向から拒否した。

また野茂英雄に対してオジン臭いピッチャーと挑発。オールスターゲームで対戦した際、野茂が真っ向勝負で投げ込んだストレートを狙い撃ちしホームランにした。言葉だけでなく、結果で物を言う姿勢もやはり“オレ流”落合なのだ。

落合博満は球界の傑物!

選手としても常に超一流。文句のない実績を積み上げた落合の才能と実行力にはやはり目を見張るものが有る。また落合の観察眼はこれも独特でかつ誰も気づかないようなところまで見抜いてしまう。指導者としての才覚にも驚かされる。

監督としても常にAクラス入りできた選手起用と采配、決してブレない姿勢と厳しくも優しい選手への接し方。そこに”オレ流”の考え方をミックスした中日ドラゴンズはとにかく強かったイメージしか残っていない。

選手としても監督としても落合ほどの野球人は今後現れないのではないかと思う程だ。秋田が生んだ遅咲きで変わり者の天才の今後の野球との関わり方に注目したい。