ジョゼ・モウリーニョの驚愕の事実10選!実は選手経験がなかった?

現在世界最高の監督の1人と評されるジョゼ・モウリーニョ監督。これまで4大リーグで数々の栄冠とタイトルを獲得してきて、その監督としての手腕は本物です。しかし一方では癖の強い性格から、過激で挑発的な言動も繰り返してきました。そんなジョゼ・モウリーニョ監督の驚きの事実を10選ご紹介します。型破りなカリスマであるモウリーニョ監督の真実に迫ります。

少年時代はサッカースパイとして活動していた?

You are still my litle boy….but i don't have to tie your shoelaces anymore.2/2/2000❤️🎈🎉🍾🎂HAPPY 17 th

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ジョゼ・モウリニーニョは通常のサッカーの監督とは異なる経歴を歩んできた変わった人です。1963年1月26日にポルトガルのセトゥーバルで、元ポルトガル代表ゴールキーパーだったフェリックス・モウリーニョの子として生誕します。裕福な家庭で使用人もいたようです。もちろん父親の影響でジョゼもサッカー選手を目指していました

ポルトガルのユース代表に選出されるぐらいの実力はありましたが、怪我をしてしまったこともあり15歳にして早くも、選手としてのキャリアに見切りをつけてしまいます。プロサッカー選手になれない現実を受け入れたジョゼは、世界最高のサッカーコーチを目指すことを決意します。

そんなジョゼを励ます父親は、自らが指揮を取るポルトガル2部のチームのアシスタントで働く機会を与えます。 そこでジョゼはスパイとして相手チームの弱点等の情報収集を行うようになり、サッカー監督としての基礎を学び始めます。

実はプロのサッカー選手経験がない

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前記したように、ジョゼ・モウリーニョにはプロのサッカー選手としての経験がありません。もちろんこれはかなり例外的なキャリアの歩み方ではありますが、サッカー界には他にもサッカー選手としのキャリアを歩んでいない監督は何人かいます

元鹿島アントラーズ監督のオズワルド・オリヴェイラ、元ACミラン監督のアリゴ・サッキ、元チェルシー監督のアンドレ・ビラス・ボアス、元鹿島アントラーズ監督のジョアン・カルロスもそれに当たります。日本人監督にも何人かいて、元コンサドーレ札幌監督の三浦俊也、モンテビア山形監督の佐倉ヒトシもプロのサッカー選手経験がありません。

こういった面々に比べてると、モウリーニョはサッカー選手として大成こそしなかったものの、ユース代表に選出されていたぐらいなのですから、もしプロの選手としての道を歩んでいても、それなりの成績は収められていたのではないでしょうか?

監督になる前は体育教師だった

after 10 training sessions i can say"i love to work with these guys"

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15歳から約7年ほど父親が監督を務めるポルトガル2部チームのアシスタントとして働いていたジョゼでしたが、父フェリックスがサッカー監督の仕事を失ったことにより、同時にジョゼもチームのアシスタトを辞めることになりました。この時すでに22歳。いまだサッカー監督としてのライセンスも取得していませんでした

それからジョゼは大学進学を目指すものの、数学の点数が悪かったこともあり一浪し、リスボンの上級教育大学に入学します。地元の小学校、中学校で3年間体育を教える教師として働くことになります。この時代はモウリーニョにとっての下積み時代でした

体育教師を務めながらも、地元ヴィクトリア・セトゥバルのU16のチームを担当していました。そして25歳になると学校の長期休暇を利用してスコットランドに渡り、そこでUEFAコーチングライセンスの半分の過程を取得してしまいます。これは極めて異例な事でした。



これを契機にモウリーニョは、ヴィクトリア・セトゥバルでの担当をU16からU18まで拡大します。ここでの指導が当時ヴィクトリア・セトゥバルの監督をしていた、マニュアル・フェルナンデスの目に留まります。その手腕に可能性を感じたフェルナンデスは、自身がエストレラ・ダ・アマドラに移籍する際にモウリーニョをフィジカル・コーチとして帯同させます

モウリーニョはこの時初めて、プロのサッカーチームのスタッフとしての経験をすることにります。この時すでに27歳になっていました。しかし不運なことにエストレラは、フェルナンドとモウリーニョを1年で解雇してしまいます。2人は仕事を失ってしまいました。

最初はただの通訳だった?6ヶ国語をペラペラに話せる

"Every top performance needs a top coach" @guyritchie

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失業してしまったモウリーニョでしたが、ここで恩師フェルナンドに助けられます。フェルナンドはかつて所属していた、名門スポルティングのアシスタントコーチに就任することになり、その時の監督が元イングランド代表監督の名将ボビーー・ロブソンでした。ポルトガル語が離せないボビーの通訳として、フェルナンドはモウリーニョをクラブに強く推薦し採用されます。

この時30歳。ここからモウリーニョの通訳としての道がスタートしますポルトガル語、イタリア語、スペイン語、カタルーニャ語、英語、フランス語の6か国語を話すことができ、さらには相手チームの分析レポート等も作成し、そのサッカーセンスも含めた有能さで、モウリーニョはボビーにとても重宝がられました。

ボビーがその後FCポルトに移籍した際も、通訳としてモウリーニョも一緒に移籍。その次にボビーがFCバルセロナに移籍した際も、通訳として一緒に移籍します。この時は「モウリーニョを通訳として採用する」ことを監督就任の唯一の条件としたほどでした。

バルセロナでファンハールのアシスタントをしていた



FCバルセロナでは初めのうちこそ通訳として仕事をしていましたが、その活躍は次第に通訳の範疇を超えていき、ボビーがバルセロナを去り後任にルイス・ファン・ハールが就任すると、アシスタントコーへと就任しました。なおバルセロナ時代は通訳と思われがちですが、カタルーニャサッカー協会には助監督として登録されています

ファン・ハールといえばサッカー界屈指の戦術家として知られています。選手個々の能力よりもシステムを重視したサッカーをする印象がありますよね。モウリーニョも確実にこういった戦術家としてのファン・ハールからの影響を受けています「トレーニングの哲学や方法論は私は彼とともに学んだ」というコメントを本人がしています。

35歳から38歳までの3年間、モウリーニョはファン・ハール政権のバルセロナでアシスタントコーチを務めました。

【過去に4人のみ】異なる2チームでCL制覇



モウリーニョの偉業の1つ目は、異なる2チームでCLを制覇したことでしょう。 1度目はFCポルト監督時代の2003‐2004シーズンに、決勝でASモナコを破り、17年ぶり2回目のCL優勝へと導いたこと。そして2度目はインテル監督時代の2009‐2010シーズンに、バイエルン・ミュンヘンを決勝で破り、45年ぶり3回目のCL優勝へと導いたことです。

しかもこの時の決勝の相手だったバイエルン・ミュンヘンの指揮官は、かつての自らの師であるルイス・ファン・ハールだったのですから、運命というのは本当に数奇なものです。ちなみに異なる2チームでCLを制覇した監督の他3人は、オットマール・ヒッツフェルトエルンスト・ハッぺルユップ・ハイケンスで、同様の快挙を達成しています。



2つの異なるクラブをUCL優勝へと導いた監督の、正確な順番としてはモウリーニョは、ハッぺル、フッツフェルトに続く史上3人目の指揮官です。ここにハイケンスが2012‐2013シーズンに、バイエルン・ミュンヘンをCLで優勝させたことにより、4人ということになりました。

それにしてもモウリーニョの偉業は、他の3人よりも凄いものだと言えます。どういうことかというと、チーム力が他の3人が率いて優勝したクラブより劣る、中堅クラスのチームで2回もCL制覇をしたからなんです。ハイケンスはレアル・マドリードとバイエルン・ミュンヘンで、どちらも強豪クラブでしたし、ヒッツフェルトもドルトムントとバイエルン・ミュンヘンで、やはりどちらも強豪です。

ハッぺルはフェイエノールトとハンブルガーSVを率いて優勝しましたが、これは時代が全然違うのでチームとしての比較が難しいですが、やはりモウリーニョの方に分があるでしょう。

【史上2人目】4カ国のリーグ戦を制覇



モウリーニョの偉業の2つ目は、4ヵ国のリーグ戦を制覇したことでしょう。その内訳はポルト(2002‐2003、2003‐2004)、チェルシー(2004‐2005、2005‐2006、2014‐2015)、インテル(2008‐2009、2009‐2010)、レアル・マドリード(2011‐2012)となっています。

どこの国のリーグのサッカーにも適応できる戦術眼の鋭さは、彼の監督としての実力がある証拠です。モウリーニョは対戦相手のプレースタイル、中心選手の長所や短所を事前に調べて、試合前の練習で試合を想定したプレイを選手に覚えさせます。こうすることで選手が様々な状況に柔軟に対応できるようになり、戦術的な選択肢も増えるからなんです。



ちなみにもう1人目の4か国のリーグ戦を制覇した人物は、ジョバンニ・トラッパトーニというイタリア人の監督です。彼の場合はモウリーニョをも凌駕する成績を収めていて、イタリア、ドイツ、オーストリアの異なる4か国でリーグ制覇を成し遂げた上に、UEFA主催の3大タイトル及びトヨタカップも制覇している世界で唯一の人物です。

トラッパトーニはイタリア人のサッカー監督らしく、守備を最重要視する監督として有名です。その源流はもちろん1950~60年代にイタリアで流行した、サッカーの戦術である「カテナチオ」からきています。モウリーニョとの大きな共通点は、守備的な組織を作り上げるということでしょう。

観る者をエキサイトさせるサッカーは、もちろん攻撃的でスピード感のあるサッカーですが、長いリーグ戦を戦っていく上ではやはり失点数を抑えて、確実に勝ち点を積み上げていくというのは言わずもがなやはりとても重要なことなのです。守備さえしっかりと組織で構築することができれば、どこの国のリーグでも通用するということを彼らは証明したんですね。

【史上初】セリエAで三冠(リーグ・カップ・CL制覇)を達成

モウリーニョの偉業の3つ目は、セリエAで三冠(リーグ・カップ・CL制覇)を達成したことでしょう。現在までに三冠というのは史上7クラブしか成し得ていません。近年ではペップ・グアルディオラ監督時代のバルセロナ、ルイス・エンリケ時代のバルセロナ、そしてユップ・ハイケンス時代のバイエルンがそれに当たります。

もちろんそれら3人の監督の達成した三冠も、それぞれ違った意味合いで素晴らしい記録ではあります。ですがチーム力ということを考えた時に、やはりバルセロナやバイエルンにはやや劣る、インテルの監督としてモウリーニョが三冠を達成してしまったことは、やはり規格外の信じられないような出来事だったんです。



当時のインテルはまさに黄金時代の絶頂期を迎えていました。2005‐2006シーズンにセリエА1位チームだったユベントスが、カルチョポリで優勝を剥奪されてセリエBに降格し、2位のACミランも30ポイント減点されると、最終的に3位のインテルが17季ぶりに優勝を果たします。

ここから快進撃が続くこととなり、モウリーニョが監督を務めた09‐10シーズンにはセリエA5連覇を達成しました。そうなのです。モウリーニョは三冠と同時にセリエA5連覇も達成してしまったのです。そして何よりも衝撃的だったのは、史上最強と言われていたペップ監督の当時のバルサをCLで沈めたことでしょう。

当時のインテルは11人全員の献身的なハードワーク、そして前線からのプレッシングとピッチをワイドに使う攻撃をするコレクティブなチームでした。ディエゴ・ミリートヴァスレイ・スナイデルが覚醒して全盛期を迎えていたということもあって、三冠を達成するのには最高のタイミングであったことは間違いないです。

ホームのリーグ戦で9年間150試合連続無敗記録を達成

Always working

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モウリーニョはリーグ戦で9年間ホーム無敗だった時期があります。FCポルトに途中就任した2001‐2002シーズンに行われた、SCベイラ・マルとの試合で敗れたのを最後に、レアル・マドリードの監督をしていた2010-2011シーズンのスポルティング・デ・ヒホン戦で敗れるまで、9年間にわたってリーグ戦ホーム無敗記録を続けました

150試合の内訳は、勝敗別では125勝25分。クラブ別ではFCポルトで38試合チェルシーで60試合インテルで38試合レアル・マドリーで14試合となっています。モウリーニョが過去に監督を務めたクラブからは今だにどのクラブからも復帰説が出たりしますが、ホームで負けないからこそファンに愛される監督として信頼されるんですよね

大のテニスファン!錦織圭に写真撮影を求めた!?

モウリーニョはテニスファンとしても有名です。アンディ・マレーラファエル・ナダルとも友人のようで、シーズンオフには彼らの試合を観戦しにコートに出没しています。また昨年の11月には、テニスの年間王者を決めるATPツアー・ファイナルも現地で観戦していました。

一緒に居合わせたバルセロナDFジェラール・ピケらと、 ノバク・ジョコビッチドミニク・ティエムの一戦を観戦し、つかの間の休息を過ごしたようです。さらに試合を観戦後には、スタン・ワウリンカとの試合を控えていた錦織圭選手と会場で遭遇。2ショット写真を撮ってもらうことができ、その写真が上の画像です。

一ファンとしてリラックスし、嬉しそうな表情をしているモウリーニョ。サッカーの試合中にはなかなか見られない表情ですね。テニスへのリスペクトがある写真ですよね。