小野伸二が天才と言われる理由!怪我後の評価が凄すぎる!

少年時代から“天才”と呼ばれ、ある試合で大怪我をして選手生命の危機を感じさせた事もある小野伸二選手。その大怪我を乗り越えてからの活躍が素晴らし過ぎるので迫ります!

小野伸二のプロフィール

小野伸二選手の簡単なプロフィール紹介します。出身はサッカー大国とも呼ばれる静岡県沼津市、1979年9月27日(37歳)現在はJリーグ北海道コンサドーレ札幌所属です。

母子家庭で裕福とは言えない家庭で育った小野伸二選手、友人と近所のサッカー少年団の見学に行った時のエピソードです。

そのサッカー少年団に入団したい気持ちを、家庭の事情で押し殺していたのをサッカー少年団の監督に見抜かれ「お金はいらないから入団してくれ」と逆に声を掛けられたのは有名な話です。以前から技術の高さを目にしていた監督に絶対に欲しい選手と思わせたんです!

小学生の時から“天才”と呼ばれ地元のサッカー関係者では、小野伸二選手を知らない人は居ない程有名なサッカー少年でした。

今の北海道コンサドーレ札幌は小野伸二選手にとって6チーム目です。Jリーグでは3チーム目、海外では3ヵ国3チームを渡り歩いてきました。

そしてこれまでの所属クラブの歴史も簡単に紹介させて下さい。

98-01浦和レッドダイヤモンズ、01-05フェイエノールト(オランダ)、06-07浦和レッドダイヤモンズ、08-09ボーフム(ドイツ)、10-12清水エスパルス、12-14ウエスタン・シドニー・ワンダラーズ(オーストラリア)、14-現在の北海道コンサドーレ札幌まで繋がります。

今回は特に98-01浦和レッドダイヤモンズ、01-05フェイエノールト時代に注目してみたいと思います。

“天才”小野伸二のプレースタイルは?

私がサッカー選手で「この選手って、利き足どっちなんだ?」と初めて思ったのは小野伸二選手でした。1番の特徴はパスの正確さ!だと思います。そのぐらい両足から出されるパスは本当に正確で、それに短長関係無く味方の足元にピッタリ過ぎる優しいパスは“エンジェルパス”とも言われます!

ポジションはミッドフィルダーならどこでも出来る選手で、トップ下、サイドハーフ、ボランチどこでも特徴の“エンジェルパス”が出せるので、どのポジションでも相手ディフェンダーからすると嫌なタイプの選手です。

海外の選手と比べても、パスとトラップの技術はトップレベルだと思います。それに世界を見ても小野伸二選手と似ているタイプの選手が居ないのも魅力のひとつではないでしょうか?

Jリーグ複数オファーの中浦和を選択した理由?

高校は静岡のサッカー名門校“キヨショウ”こと静岡県立清水商業高等学校に進学しました。

名門清商に入学すると高校1年生からレギュラーを獲得し3年生の卒業の頃3年間の活躍が認められ、なんとJリーグの13クラブからオファーが来ました。清商のOBの多いジュビロ磐田か?地元静岡の清水エスパルスか?と沢山のウワサが出ました。

その13クラブの中からなぜ浦和レッドダイヤモンズを選択したのか。理由を知っていますか?

この当時決して強豪とは言えないクラブを小野伸二選手が選択したのに驚いたのを今でも覚えています!理由のひとつに、浦和レッドダイヤモンズの経営の安定が理由と言われています。

すこし言い方を変えれば、“すぐレギュラーを取れて、給料がしっかり貰える” プロとして当たり前の話ですが、母子家庭で育ち決して裕福ではなかった家庭の支えに早くなりたいように感じました。

見事に開幕スタメンを勝ち取り、トップ下で出場するだけでなくしっかりと司令塔としての役割をこなしました。高校卒業して間もない新人選手なのに、スタメンそれも司令塔を任された小野伸二選手のポテンシャルの高さはプロでも十分通用する事を見せつけました。

Jリーグでも十分通用する選手なら次のステップと言えば?“日本代表”に繋がります!

18歳でA代表召集、試合出場も経験し、そして勢いそのままフランスW杯の日本代表に選出。小野伸二選手の選出はサプライズのひとつでした!

“左膝靭帯断裂”怪我の原因とは?

浦和レッドダイヤモンズではデビュー2戦目早くもでプロ初得点を決めました。1年目のこのシーズンは合計9得点、そして新人王とJリーグベストイレブンを受賞。

99年にナイジェリアで開催されたFIFAワールドユースでは小野伸二選手はキャプテンとしてチームをまとめ見事に決勝まで進みました。決勝のスペイン戦は累積警告で出場停止となりましたが、準優勝に貢献し大会ベストイレブンにも選出。

ここまではサッカー選手としてかなり順調な活躍をしていました。活躍するという事は、今までより相手ディフェンダーのマークが厳しくなる事にもなります。それが“左膝靭帯断裂”とゆう大怪我に繋がっていくのです。

そして怪我の原因となったのは、シドニーオリンピックのアジア地区一次予選の対フィリピン戦の事です。

相手ディフェンスからの悪質に見えるような後方からのタックルを受け、“左膝靭帯断裂”もちろん負傷退場。この大きな怪我により長期離脱を余儀なくされ、Jリーグ戦の半分以上を欠場する事に。

懸命にリハビリを経て復帰しましたが、この怪我が原因で慢性的な痛みや他の怪我の原因になりました。この“左膝靭帯断裂”とはずっと付き合っていく事になります。

大怪我を乗り越えて、初の海外挑戦へ

懐かしい… 大好きだけど 明日は勝たせていただきます✊️ #浦和レッズ #小野伸二

はるえさん(@harue0621)がシェアした投稿 –



海外挑戦のエピソード前に少しだけ。“左膝靭帯断裂”という大怪我を乗り越え、辛いリハビリも乗り越え復帰しても以前のような100%の小野伸二選手はそこにはいませんでした。

怪我が原因でのコンディション不良が続き、不幸が続くように所属する浦和レッドダイヤモンズがJ2に降格してしまいます。

降格の際、Jリーグの多数クラブからオファーがありましたがそれを全て断りました。自身のコンディション不調のが降格した理由のひとつだと、責任を背負って残留したように感じました。

チーム残留を決断し、クラブの史上最年少キャプテンとしてチームを引っ張り見事1年でJ1復帰を決めました!

上手すぎ また惚れた #小野伸二 #天才 #ベルベットパス

yukikomuraさん(@yukikomura_18)がシェアした投稿 –

そして01シーズンからオランダの強豪フェイエノールトへ移籍します。ここからの小野伸二選手の復活は本当に素晴らしい活躍でした!

移籍するとすぐにスタメンに定着。与えられたポジションはボランチ、それも中盤でチームをコントロールする役割が小野伸二選手に任されました。そのシーズンにはUEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)優勝しプロ入り後初のビックタイトルを獲得しました。

その年には日韓W杯の日本代表にも選出され全試合に出場し初のベスト16に貢献しました。

この年の小野伸二選手は本当にハードなスケジュールで怪我の心配をしたのを覚えています。それに日韓W杯開催中は本当に夢のような時間で、サッカー少年だった私も毎日ワクワクしたのを思い出します!

オランダでの小野伸二の評価が凄い事に?



オランダでの期待は与えられた背番号14番(オランダはクライフの背番号14だった為が14番がエースナンバー扱いなんです。)からひしひしと伝わりました。

その当時のチームメイトも、オランダ代表でも活躍したアーセナル移籍前のロビン・ファンペルシー、リバプール移籍前のディルク・カイト、チェルシー移籍前のサロモン・カルーと本当に豪華なメンバーです。

それに01シーズンにデビューしたロビン・ファンペルシーは18歳で教育係が小野伸二選手だったという話もあります。プロとしてのあり方そして小野伸二選手のテクニックを学んだのだろうと思います。

今季18シーズン振りにオランダエールディビジ優勝したフェイエノールトですが、フェイエノールトサポータは嬉しい事に今でも小野伸二選手を忘れてはいません。

「14番は本当に巧なボールコントロールをしていた」 「彼のおかげで俺はフェイエノールトのファンになった。まだ彼のユニフォームを持っている」 「俺が見てきたフェイエノールトの選手の中でもベストプレーヤーの1人」

どうですか?当時ではなく今現在のフェイエノールトサポーターの声ですよ?海外でここまで評価の高い日本人選手はいないんじゃないでしょうか?

“左膝靭帯断裂”という大怪我から見事に復活した小野伸二選手のほんの一部のエピソードでした。

北海道コンサドーレ札幌の対戦相手の選手が小野伸二選手に握手を求めるシーンをよく見ます。それだけリスペクトされている選手なんだと思います。

Shinji―世界のONO!小野伸二のすべて!!
21世紀BOX
売り上げランキング: 459,364
小野伸二 天才の素顔
小野伸二 天才の素顔
posted with amazlet at 17.05.21
西川 昭策
アールズ出版
売り上げランキング: 1,206,596