権田修一は病気と戦っていた!一人のGKが歩んだ苦難と涙の道のり

早くから日本代表のGKとして活躍していた権田修一選手、FC東京での15年間、海外でプレーの理由やそこからJリーグ復帰、気になる試合後のアノ涙について!

権田修一のプロフィール



権田修一選手の簡単なプロフィールを紹介します。出身は東京都で1989年3月3日産まれ(28歳)ポジションはGK。出身は東京ですが、小学生時は川崎市のサッカークラブに所属していた為に神奈川県選抜に選ばれる程の実力者です。

その実力を認められ中学に進学するタイミングで、Jリーグのユースチームへの道に進みます。横浜F・マリノスと川崎フロンターレのユースチームのテストに合格し、湘南ベルマーレとFC東京からは誘いを受けました。

その中のJリーグの4クラブチームから、GKコーチが好印象だったFC東京のユースチームを選択する事になりました。それに、FC東京のコーチは入団テストの時、1度も時権田修一選手の事を褒めなかったそうです。

権田修一これまでの移籍と年棒は?

ユースチームからそのままFC東京でプロデビューする事になります。それに“FC東京初の平成産まれ選手”です。

2007年に国士舘大学に在学しながらFC東京のトップチームに正式に昇格。セカンドGKとしてベンチが多かったのですが、2009年からはスタメンでの出場機会が多くなりました。シュートへの反応が特徴の権田修一選手は、その特徴とキックの精度を上げディフェンスラインからのフィードでもチームに貢献しました。

FC東京での年棒は推定ですが。07-09シーズンは350万円。10-11シーズンは500万円。12-16シーズンは2800万円。日本代表にも選出されるようになった11シーズンから年棒はかなり増えています!やはり代表選手は高い(笑)



本田圭佑選手がオーナーのオーストリア・SVホルンへ16年1月から期限付き移籍。

権田修一選手は以前から海外のクラブチームの練習に参加したり、海外でのプレーに興味があったと思うのでこの移籍は色んな意味でいい機会でした。

移籍の時はオーバートレーニング症候群で、移籍してすぐに右脛骨を骨折と怪我に悩まされる事になりSVホルンでは約1年で17試合と試合出場は決して多いとは言えません。

ですが、SVホルンはその当時日本人監督で、オーストリア選手と監督の間に入りチーム作りに積極的に協力していると感じました。これも推定ですが、SVホルン在籍時は3000万円と言われています。

そして現在、今シーズンからJリーグ復帰しサガン鳥栖に在籍する事になりました。

SVホルンでの期限付き移籍が終了するとFC東京に戻ったのですが、海外でのプレーを権田修一選手が望んだ為にFC東京との契約解除を申し出ました。FC東京側は、権田修一選手の意思を尊重しての契約解除と異例の合意での契約解除になりました。

海外での移籍先が見つからず、無所属を覚悟していた中でサガン鳥栖から熱烈オファーがあり加入する事に。それに、以前指導を受けていたフィッカデンティ監督だったのも理由のひとつだと感じます。

フィッカデンティ監督のサッカーにすんなり馴染めた権田修一選手は、スタメンとして活躍中です!そして年棒は3500万円!(あくまでも推定です)

戦っていたその病気とは?

14年7月にオーバートレーニング症候群を発症し、3ヵ月程度での復帰のめどは着いたがそのまま戦線離脱する事になります。

オーバートレーニング症候群とは、過度の疲労感、運動能力の低下、競技成績の低下、動悸や息切れ、睡眠障害、食欲不振や体重の減少、運動後の疲労回復が遅れる、下痢、うつ症状、集中力の欠如と色々な症状があります。

オーバートレーニング症候群になる原因としては、過重なトレーニングや、試合や練習の過密なスケジュール、休養不足や睡眠不足、栄養やエネルギー不足、プレーや日常生活での精神的なストレスなど、スポーツ選手なら誰でもなる可能性のある“病気”なのです。

最初はビックリしましたが、最近ではストレスや、不眠など専門の人が居るクラブチームもあるそうです。


その真面目で責任感の強い性格の権田修一選手は、いつの間にか自分自身を追い込むような形になったんだと感じました。

自分の思うようやプレーが出来ないと、練習を重ね。試合の為の練習では無く、練習の為の練習になり。コンディション調整がいつの間にか上手くいかず、それでも無理をした結果“不のスパイラル”にハマってしまったと思います。

もうそれは心の病気で、権田修一選手の為に“お休み”が必要だったのです。

権田修一の支えになった嫁はどんな人?



そんな権田修一選手の支えになってた奥様の権田裕美さん。ビックリするぐらい凄く美人じゃないですか?

それもそのはず、「美人百花」とゆう雑誌のモデルをしていたようです。サッカー選手の美人奥さんランキングでもかなり上位だと思います!(個人的に、笑)

2人は高校の先輩、後輩の関係で5年間のお付き合いを経て2010年10月に結婚。年齢は奥様が1つ下になります。2013年に男の子が1人産まれています。

オーバートレーニング症候群で心身共に疲労していた権田修一選手の回復を手伝い、1度戦線から離れると戻るのが難しいプロの世界にカムバック出来たのも、奥様の理解と家族の支えがあったからだと思います。

こうやって、息子さんと観戦する姿も素敵ですねー!

現在でもママモデルや、ネイリストとして人気のある権田裕美さんと権田修一選手のSNSのフォロワー数が違い過ぎて少し笑っちゃいました。(笑)

instagramでは裕美さんは15千人!権田修一選手は、なんと2718人!比べたらダメと分かっていますが、あまりにも差がありすぎて、(笑)

権田修一選手の投稿回数が少ないのも理由のひとつだと思いますが、皆さん!“shuichi33g”権田修一選手をフォローしましょう!

涙を流しながらサポーターにした“ケジメ”

それは4月1日の事でした。サガン鳥栖VSFC東京それもかつてのホームスタジアムでの試合。

言い方はキツイですが、“不義理”をFC東京にしたと思われてもしかたない権田修一選手。入場の時にFC東京サポーターから大ブーイング!もちろん本人も覚悟していた事だと思います。

そのブーイングが影響したのか、かつての権田修一選手と思えないミスでの失点を重ねてしまいます。サガン鳥栖のチームメイトに助けられ、どうにか試合は3対3のドローで終わる事が出来ました。

「ちゃんと謝らないといけないと思っていた。」



試合後に、FC東京のスタンド権田修一選手はひとりで向かいました。そして、号泣したままその場に座り込んで、手と手を合わせたのです。

もの凄く勇気の必要な事ですよね?ですが、本当に真面目な権田修一選手らしいと感じます。こうした形でFC東京へのこれまでの感謝の気持ちと謝罪の“ケジメ”だったのです!

権田修一選手は最初から、どれだけブーイングされようが、挨拶に行くというのは決めていたようです。

「僕はこのスタジアムで育ち、このスタジアムで嬉しい思いも、悔しい思いもいっぱいしてきた。」

このコメントからFC東京への愛を感じますし、その“ケジメ”を受け止めてくれるFC東京サポーターの素晴らしい行動に感激しました。

権田修一、サッカー選手として

インスタ始めてみました!

Shuichi Gonda/権田修一さん(@shuichi33g)がシェアした投稿 –

ここまで、権田修一選手の色々なエピソードはどうでしたか?

本当に真面目で、真面目過ぎて自分を追い込んでしまったのですが、家族や周りの支えがあり、またサッカー選手として活躍している姿を見られて素直に嬉しく思います。

まだ、28歳の権田修一選手はポジションがGKなのもあり、サッカー選手でGKは選手生命の長い方なのであと10年はその活躍を見る事が出来るでしょう。

そして、過去の辛かったりしんどかったりを乗り越えた事を活かして、これからも楽しいサッカー人生を過ごして欲しいです。