松坂大輔の活躍を成績・年棒推移で辿る プロデビューから現在まで!

甲子園春夏完全連覇と決勝ノーヒットノーランで鳴り物入りでプロに入った「平成の怪物」こと、松坂大輔選手。現在は日本球界に復帰するも、リハビリ生活が続き、その雄姿を見ることはできません。しかし、以前は日本人最高額のポスティング評価でメジャー入りし、メジャーでも活躍した投手。その快速右腕の今までを振り返っていきます!!!

「平成の怪物」現る ~松坂がいた甲子園~

1998年、その選手は突如として甲子園に現れた。その年の日本野球は、その男1人の話題で始まり、その男の決断に終わったといっても過言ではない。そう、「平成の怪物」と全国の球児から恐れられ、全国の球児の代表ともされ、皆の共通のライバルであった、“松坂 大輔”である。この松坂を日本中が待っていたのだ!この松坂が歩んできた栄光と挫折の道のりをこれから紹介していく・・・。

「怪物」フィーバー、甲子園を沸かせた最強右腕

松坂大輔は、まさに甲子園に出場することを義務付けられた名前だ。大輔は1980年に「大ちゃん旋風」として、甲子園のアイドルであった早稲田実業の荒木大輔選手(ヤクルト)から取られている。

小3で野球を始め、中学時代には世界大会へ出場する。その後、横浜での女房役である小山良一(中日)に勧められ、神奈川の名門の横浜高校に入学。

松坂は練習嫌いで「サボりのマツ」という異名がつけられるほどであった。それは渡辺元智監督、小倉清一郎部長としても悩みの種であった。だが、大化けすることを見抜いた2人は松坂に厳しい課題を与える。松坂は1年からベンチに、上地雄輔ともバッテリーを組み、2年にはエースに。だが、あることをきっかけで松坂は変わる・・・。



高校2年の夏、神奈川予選の準決勝の横浜商戦に自身の暴投によるサヨナラ負けを喫し、先輩たちの夏を台無しにしてしまう。その時から松坂は変わった。練習嫌いから一転、練習の鬼になった。先輩たちのために、甲子園に行って優勝しなければならない。ここから世代公式戦44連勝と、甲子園春夏連覇を迎える1年となる。

松坂は高校3年の春、初めて甲子園の土に立つ。横浜は1回戦の報徳学園を6-2で破り、村田修一(横浜-巨人)率いる東福岡に3-0で完封快勝。準決勝のPL学園戦では上重聡(日本テレビアナウンサー)に3-2で勝利し、決勝では久保康友率(千葉ロッテ-阪神-横浜DeNA)いる関大一高に3-0で完封勝利。他校を寄せ付けない勢いで、選抜を制した。

第80回#横浜 と#PL学園 が激闘 #高校野球 #甲子園 #松坂大輔 #baseball #archives

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そして、伝説の夏を迎える。その夏の甲子園は80回記念大会、神奈川県は東西に分かれ2つの高校が甲子園に進める。横浜は東神奈川大会を危なげなく制し、甲子園へ出場。2回戦の杉内俊哉(福岡ダイエー・ソフトバンク-巨人)を率いる鹿児島実業戦では、松坂の甲子園初ホームランを含む6-0で快勝。しかし、そこで待ち受けていたのはあの春で苦戦したPL学園だった…。

準々決勝のPL学園戦は今でも伝説の名勝負と言われている。維持と維持のぶつかり合い、取ったと思ったら取り返す、これを続け延長17回。常盤のホームランで勝ち越した横浜が17回を完投した松坂が最後は抑えて、9-7と劇的な勝利。常盤選手は「絶対に点を取ってくる」と松坂に声をかけてバッターボックスに立ったそうだ。

その後、寺本史郎(千葉ロッテ)、高橋一正(ヤクルト)率いる、準決勝の明徳義塾戦では先発はしなかったもの、5点のビハインドから追いつき、9回1イニングをしっかり抑えて7-6で勝利する。

そして、伝説の決勝戦の京都成章戦では、1939年以来、海草中(現在の和歌山県立向陽高校)の嶋清一選手に次ぐ、決勝戦ノーヒットノーランで史上4校目(当時)の春夏連覇を果たした。

その後も国体での優勝、アジアAAA選手権の優勝と、その世代を代表する高校球児となり、1998年のドラフトでは3球団の競合の上、西武ライオンズが交渉権を獲得、東尾修監督の説得も功を奏して、松坂は若獅子軍団でプロの世界に入っていく。

プロの世界で「リベンジ」を実現 ~成長の西武時代~

甲子園連覇と決勝ノーヒットノーランというお土産つき、鳴り物入りでプロ入りを果たした松坂選手。世間的には当時、弱小猛虎の阪神タイガースと横浜高校を勝負させたら勝てるのでは?とも言われた実力。しかし、プロは甘くはなかった。才能を開花させながらも、プロの洗礼を浴びたルーキーイヤー。この年はある言葉が松坂を象徴していた。

1999年、驚異の大型ルーキーとして西武ライオンズに入団した松坂。春季キャンプも1軍に帯同し、連日ブルペンにはメディアが押し寄せた。3月になり、オープン戦に出場。期待の大型ルーキーを見ようと人が押し寄せた。そして、99年のパ・リーグが開幕。松坂は当初開幕投手とも噂されたが、東尾監督の方針で、4月7日の東京ドームでの日本ハム戦にプロ初登板と決まる。この1戦が伝説の始まりだった。

破格のルーキーイヤー、戦慄が走った初登板。やられたら黙っていない「リベンジ」だ。

4月7日、松坂を見ようと集まった観客は衝撃の瞬間を目にする。日ハムの井出竜也に投げた初球は149km/hにのストレートで空振りに、そして5球目で見逃し三振。そして、松坂をホンモノの怪物とプロに認めさせた、片岡篤史との対決。2球目で何と150km/hを投げ、観客はどよめく。これで終わりではない。2ストライク、2ボールで5球目は高めの真っすぐで空振り三振。スコアボードに記録された球速は何と…155km/h!!!この回2奪三振と衝撃のデビュー。

更に5回裏には、外国人選手のフランクリンに対して投げた内角胸元に迫る151km/hの速球でフランクリンをのけ反らせ一触即発!しかし、松坂は動じず、8回を投げ、5安打2失点9奪三振で勝利する。衝撃のプロデビューで飾り、伝説街道を踏み出した。

その後、2試合続けて2失点に抑えるも、援護がなく完封で敗れる。4月21日のロッテ戦で黒木知宏に完封をされると、あの名言が飛び出す。「リベンジします」。

それが体現されるのは、4月27日。奇しくも相手はロッテで、先発は黒木。お返しと言わんばかりに、3安打完封。プロ初完投が完封勝利で、ホーム西武ドームでの初勝利で、初2ケタ奪三振を記録。高卒ルーキーの完封勝利は、川崎憲次郎(ヤクルト-中日)以来10年ぶり、4月中では森安敏明(西鉄)以来、33年ぶりの快挙であった。

そして、5月16日には「平成の名勝負」と呼ばれるイチロー(当時オリックス)との対戦。天才VS怪物、どちらに軍配が上がるのかが注目された一戦。イチローの第一打席、ここでイチローは怪物に度肝を抜かれる。

#イチロー #松坂大輔 #ichiro #matsuzaka #baseball #野球 #mlb

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イチローは2球目、5球目と153km/h、151km/hのストレートをファールにするも、6球目の147km/hの外角の球で空振り三振。最初の勝負は松坂に軍配。しかしこの後も松坂は続く2打席目を、134km/hの高速スライダーで見逃し三振。3打席目も空振り三振に抑え、3奪三振とイチローをしっかり抑える。この試合後、松坂は「自信が確信に変わった」と、イチローとの勝負を振り返った。

その後、高卒新人としては江夏豊(阪神-南海-広島-日本ハム-西武)以来の10勝をマークし、シドニーオリンピックのアジア予選でも、台湾を相手に完投勝利。終わってみればこの年は16勝5敗、防御率2.60で最多勝利のタイトルと、高卒新人では堀内恒夫(巨人)以来33年ぶりの新人王を獲得した。

順風満帆の船出でプロを席巻。次なる野望は世界一!



2年目の2000年、松坂はこの年も活躍します。まず、10代での開幕投手に津野浩選手(日本ハム)以来15年振りに選ばれるという快挙。その年の5月9日には、プロ初セーブを記録。7月28日には自己最速の156km/hを記録するなど、今年も大活躍。

また、DH制のパ・リーグで、8月7日のオリックス戦で代打出場。栗山聡からセンター前ヒットを放ち、2打点の活躍を見せるなど、投打(?)で活躍を見せる。この年は14勝7敗で2年連続で最多勝、そして初の最多奪三振を獲得する。

3年目の2001年、1億円プレーヤーとなった松坂は、32試合に登板して15勝15敗、防御率3.60となった。この年、投手として最高の栄誉である沢村賞を受賞したが、その際には疑問を呈する意見が選定段階でも出ている。しかし、うち5試合は味方の援護がなく負けた試合だったので、この試合を落としていなければ、文句なしでの沢村賞となっていたと思われるし、初の20勝達成であったのかと思うと非常に残念だ。

また、この年に当時シーズン最多本塁打タイ記録となった、タフィー・ローズ選手(大阪近鉄)の55本目本塁打は松坂から放っている。そして、記憶に残るホームランとして有名な、松中信彦選手(福岡ダイエー)のバット折りホームランも松坂から放っている。

ケガを克服、油ののった松坂は最高に強かった!!!

やっぱこの色が好き(*^^*) #埼玉西武ライオンズ  #伊東勤 #松坂大輔

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4年目、松坂にアクシデントが発生!開幕から6連勝と最高の滑り出しだった2002年。5月に右ひじを痛めてからは1軍と2軍を行ったり来たりとリハビリの繰り返し。

何とか、日本シリーズには間に合ったものの、清原和博選手(巨人)から初戦に大ホームランを打たれあっけなくKO。その後も3連敗で後がない西武、4戦目に登板するも大炎上で試合を壊し、敗北。逆シリーズ男という不名誉なレッテルを張られた。

5年目、前年の調子を引き摺ることなく復活を果たして、防御率2.83で初の最優秀防御率を獲得。自身最多タイの16勝7敗でシーズンを終えた。この年も味方の支援がなく負けた試合の影響で、最多勝は斉藤和巳に取られている。

  

6年目、松坂はアテネオリンピックに代表派遣され、キューバ戦ではオリンピックで日本が初勝利を収めた試合で完投した。しかし、運命のオーストラリア戦で1失点に抑えたが、味方の点が入らずに敗戦。3位となり銅メダルを獲得する。途中五輪で離脱した関係で、勝星は10だったが、2年連続の最優秀防御率を獲得。

あの忌々しい逆シリーズ男というレッテルをはがすために、新設されたプレーオフでは1stステージの日ハム戦で7失点ながら勝利投手に、その後の2ndステージでのダイエー戦では、2試合に先発して2位からの勝ち上がりを決定づけるピッチングで日本シリーズに進出。シリーズでは2戦目は負けてしまったが、王手をかけられた6戦目に8回2失点で勝利をおさめ、最終戦も救援登板で、見事日本一となった。 



7年目は、この年からセパ交流戦が始まり、5月18日に松坂はプロとして甲子園に帰ってきた。しかも、打席に入れるDHなしのオーダーで、高校時代の松坂を彷彿させた。しかし、この試合2-3と負けてしまい、甲子園15連勝記録は止まってしまった。また、この年は14勝13敗、防御率2.30と防御率の割には勝数が伸びず、打線の援護を受けない試合が多かった。

日本最終年となる2006年は、第1回のWBCの開幕から始まった。先発したすべての試合で勝利投手となり、決勝戦のキューバ戦では首を痛めながらも1失点に抑える好投。日本は第1回目の優勝国となり、松坂はMVPに選出される。ちなみにもらったトロフィーがもげてしまったことで、「アロンアルフアでくっつける」と話したことで、製造メーカーから大量に貰った逸話も残っている。

二人共戻って来いよ‼

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そんな最高なスタートを切った松坂のシーズンも最高そのものであった。投げては6月16日に、191試合目にかの昭和の怪物・江川卓選手(巨人)が持つ、最速100勝記録を更新する。打っては6月9日に、甲子園でプロ初のホームランを放ち大活躍をした1年だった。成績は17勝5敗、防御率2.13を記録するもタイトルは獲得できなかったが、ゴールデングラブ賞は故障で規定投球回に達しなかった2002年を除き、全てのシーズンで獲得する快挙となった。

そして怪物は海を渡る・・・。

最高評価でのレッドソックス入り ~波乱のメジャー時代~

日本球界最高の投手として、メジャーへ!ポスティングの入札には、ボストン・レッドソックス、ニューヨーク・ヤンキース、ニューヨーク・メッツ、テキサス・レンジャーズといったメジャーでも屈指の名球団が入札した。その結果、レッドソックスが約5200万ドル、日本円で60億円もの金額で交渉権を獲得した。破格の金額でメジャー入り、誰もが驚いた結果も、実は本人だけは普通だったのかもしれない。

なぜなら、メジャーでも最高の結果をだせると松坂は信じていたと思う。日本の怪物が、メジャーでDice-Kとして飛躍するのは絶対的な命令だった。

1年目から大活躍で世界一に!日本のエースがアメリカをかき回す

早よ試合で投げろよー #松坂大輔#ソフトバンクホークス#野球#右投げ

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2007年、松坂はメジャーのマウンドにいた。4月5日、ロイヤルズ戦に登板。またもや松坂は日本球界デビューの時と共に、最高のメジャーデビューを迎える。この日松坂は、7回を6安打1失点に抑え、10奪三振の最高のデビュー戦で勝利する。開幕前からアメリカの観客はジャイロボールを投げる、日本人が訪れると期待していたが、その期待を裏切らない最高の結果で返した。

そして、本拠地フェンウェイパークで迎えた、4月11日のシアトル・マリナーズと試合。またもや、あの進化した天才との勝負を迎える。メジャー記録を塗り替えたイチローとの対戦。イチローは日本に続いてアメリカでの勝負では負けられないと意気込むが、結果は4打数ノーヒットと松坂は完璧に抑える。

この年、1年目でクリーブランド・インディアンスを下して、ワールドシリーズを制覇。終わってみれば15勝12敗、201奪三振と大活躍となった。

翌年も、好調は続き、前半戦で10勝を記録する。初のオールスター選出か?と目されたが、右肩の張りで故障者リスト入りとなり、それは果たせなかった。その後も活躍し、18勝3敗で勝率は8割5分を超えてメジャー歴代25位にランクする。

非常に良いシーズンであった松坂、この先も大活躍かと言われたが、ここで悪魔は忍び寄ってくる…。

WBCの栄誉から一転、地獄の試練が待ち受ける…



キャリア最高の成績を上げた松坂。2009年の第2回のWBCでは3勝を上げて、2大会連続のMVPに選出された。日本も2連覇を果たして、まさに最高の状況が続く。

しかし、シーズンは最悪だった。開幕後は2試合連続で炎上。そして、今にも続く右ひじの張りで故障者リスト入り。ここから松坂のケガとの闘いが続く。この年はキャリア最低の4勝6敗で防御率5.76となる。

翌年も、開幕はメジャーに入れず故障者としてリハビリを続け、5月1日に復帰。5月22日には、8回2アウトまでノーヒットであわやノーヒットノーランという最高のピッチングを披露したもの、2ケタ勝利できず、9勝6敗で終える。

そして、2011年からの2年間は故障の影響で、3勝3敗で防御率5.30、1勝7敗で防御率8.29と最悪な成績で、6年間いたボストンを離れることとなった。

復活するための移籍、ニューヨークへ

奇抜なユニフォーム! #松坂大輔#奇抜#Mets#迷彩

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ボストンを去り、翌年はインディアンスとマイナー契約。その時の年俸は・・・1017万円。前年の10億円から一転、1億円プレーヤーでもなくなった松坂はなんとかしてこの状況を打開して、復活したいと思っていたのでしょう。

8月22日にはインディアンスに見切りをつけて、メッツに移籍します。移籍後の3試合は思うようなピッチングではなかったが、4試合目以降は3連勝を果たし、7試合の登板で3勝3敗でシーズンを終えます。

翌年は、リリーフでの起用が増えていき、先発にこだわる松坂としては煮え切らない気持ちに。日米通算2000奪三振を記録するも、34試合に登板して3勝3敗3S、防御率は3.49と納得がいかない数字。

松坂はこの年にメジャーを去り、日本球界に復帰します。8年間いたMLB、明暗がきっかりと分かれた8年間でした。

日本復帰!ケガとの闘い ~再興のソフトバンク時代~

2015年、松坂は日本球界に復帰した。復帰先は古巣のリーグである、パ・リーグの福岡ソフトバンクホークスだった。西武ファンとしては、微妙な復帰ではあったが、ソフトバンクであっても復帰は本当に嬉しかった。しかし、その時、個人的にはメジャーでもっと頑張ってほしいとも思っていた。

ソフトバンク入りは本人が先発へのこだわりを貫くためだった。当初は復帰1年目からの先発ローテーションを期待されていた。その年のキャンプでも先発復帰のメニューで復活のための練習を重ねていった。しかし、その思いとは裏腹に松坂にとっては試練の2年間がここから訪れる。

開幕直後のインフルエンザ、これが全ての元凶か・・・

2015年、松坂は日本球界に帰ってきた。その球団は福岡ソフトバンクホークス。西武時代だと盟友のライバル球団だ。松坂は3年12億円という破格の大型契約を結ぶ。復活を願うファン、期待をかける孫正義会長の粋な計らいだった。

折しも、監督は投手出身で西武ライオンズの先輩でもある、工藤公康監督。監督自身も、松坂に期待をかけ、開幕1軍先発ローテーションに入ってもらいたいと思っていた。春季キャンプではとにかく右ひじを庇うことで乱れた投球フォームを再生することを中心に練習を行っていた。後半から徐々にではあるが松坂の良いところが出る。

惚れた。 #松坂大輔 #Dice−K #ホークス #オープン戦

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そして、3月4日の阪神戦に日本で久々のオープン戦に登板。その雄姿を一目見たいと多くのファンが詰めかける。結果は3回無失点で、3回には最速146km/hのストレートを記録し、まずまずの成績を上げた。続く、3月17日の登板後、その報道が翌日に飛び込んできた。

松坂はインフルエンザに罹り、開幕は絶望。そして、5月20日、オリックスの2軍戦に登板する。その後も調子は戻らず、ついに8月には右肩へメスを入れる決断をする。よって、1年目は全く活躍することができなかった。

悪夢ともいえる復帰登板。復活をかけてのウインターリーグの結果は・・・

日本復帰後初登板。 #松坂大輔 #softbankhawks #熱男2016 #ホークス 2016.10.2撮影

Kohei Izumiさん(@izu721)がシェアした投稿 –

2016年も、故障の影響で鳴りを潜める松坂。この頃になると、Twitter上でも様々な誹謗中傷が見られた。ファンとしては心苦しく、早く復帰し、奴らの鼻を明かせてやってくれ!と祈っていた。そして、待ちわびたことがやってくる。 

10月2日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦に登板。9回1イニングだが、今後の結果いかんによっては来季へつながるかもしれない・・・と期待を抱いたが、その期待はみるみるうちに崩壊していく。

松坂は被安打3、四死球4、暴投1で5失点で炎上。内容は本当に悪夢としか言えなかった・・・。これがあの松坂か、日本球界には3624日振りの1軍マウンドも大きな傷になった。

その後、松坂は直訴し、オフにウィンターリーグに参加。4試合を投げ0勝3敗となったが、防御率は2.70を記録。ここからの復活を見られるのか?ファンは期待をかけて祈る。

もう後はない!決死のキャンプとオープン戦

あの悪夢の登板から、松坂は一転した。もう後はない、結果を出すことでしか評価は覆せない。契約最終年、松坂は躍動した。

春季キャンプでは往年の投げ込みで復活をアピール。連日200球近くの投げ込みで首脳陣にもアピールした。更に右肩への不安がなくなったことも幸いした。

そして訪れたオープン戦。ここで松坂は圧巻のピッチングを見せる。4試合を投げて1勝0敗、防御率は2.95を記録。3月19日には古巣西武の本拠地にも凱旋登板を果たした。そして、度肝を抜かれたのはオープン戦最終登板、3月25日の広島戦だ。

この日松坂は、7回を投げてノーヒットピッチング。三振も6を記録し、ついに怪物に復活の兆しが見える。見えてきた先発ローテーション。こんどこそ復活を期待したいんだ、ファンは!

右腕一本、松坂が稼いできた年俸の推移を見てみる

#松坂#SB松坂#福岡ソフトバンクホークス#松坂大輔

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ここまで、松坂選手の成績と伝説を追っていきましたが、こんなにも伝説を作り上げてきた選手が稼がない訳がなく、この右腕に惚れ込んだ球団がお金を出していきます。では、これからは日本で9年、メジャーで8年を過ごした松坂選手がその右腕1つでどれだけの年俸を稼いでいたかを年度別に追っていきます。

日本でも最高評価、メジャーでも最高評価を受けた右腕の懐事情に行ってみましょう!!!

① 西武ライオンズ時代(1999~2006)

西武時代の年俸を成績を追ってみていきましょう。1年目(1999年)については契約金1億円、年俸1300万円でスタート。契約金は大卒の逆指名ルーキーが貰う金額で、この時点で破格の金額です。同じ年にセ・リーグの新人王となった巨人の上原浩治選手と、契約金も年俸も同じ金額です。

16勝で新人王、最多勝利を獲得して、2年目(2000年)の年俸が7000万円と前年度比438%のアップ!20勝した上原選手は6600万円なので、それ以上の金額です。高卒の有名スター選手でも、松井秀喜さんは5年目で8000万円、イチロー選手は4年目で8000万円ですから、この時点で高卒ルーキーとしても破格の金額です。

では、ここからは主な成績やタイトル、イベント毎で年俸を追っていきます。

松坂…頑張ろ。 #松坂大輔 #松坂魂 #平成の怪物 #松坂世代 #和田と村田だけ

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1999年:年俸1300万円 25試合16勝5敗0S 防御率2.60 151奪三振

この年のタイトルは、新人王・最多勝利・ベストナイン・ゴールデングラブ賞でルーキーイヤーの大活躍。オールスターでも2回5奪三振は上出来。

2000年:年俸7000万円 27試合14勝9敗1S 防御率3.97 144奪三振

この年のタイトルは、最多勝利・最多奪三振・ベストナイン・ゴールデングラブ賞。2年連続の最多勝。面白いところでは、代打でセンター前ヒットを打ち、2打点の活躍。

2001年:年俸1億円 32試合15勝15敗0S 防御率3.60 214奪三振

この年のタイトルは沢村賞・最多勝利・最多奪三振・ベストナイン・ゴールデングラブ賞。1億円の大台突破!投手として最高の名誉である沢村賞を獲得。タフィ・ローズ(近鉄)に55号本塁打を打たれている。

2002年:年俸1億4000万円 14試合6勝2敗0S 防御率3.68 78奪三振

開幕から6連勝と順調な勝ち上がりを見せるも、右ひじの違和感で登録抹消。日本シリーズに進出も、自身の登板で初戦で試合を壊す。三連敗と迎えた4戦目に炎上し、逆シリーズ男の汚名を着せられる。

2003年:年俸1億1000万円 29試合16勝7敗0S 防御率2.83 215奪三振

この年のタイトルは最優秀防御率・最多奪三振・ゴールデングラブ賞。昨年のケガから大復活。初の最優秀防御率を獲得するが、この年は斉藤和巳(ダイエー)がそれを上回る活躍で優勝も逃す。

2004年:年俸2億円 23試合10勝6敗0S 防御率2.90 127奪三振

この年のタイトルは最優秀防御率・ゴールデングラブ賞。アテネオリンピックへの代表派遣で8月はチームを抜けるも、2年連続で最優秀防御率を獲得。チームも12年ぶりの日本一。

2005年:年俸2億5000万円 28試合14勝13敗0S 防御率2.30 226奪三振

この年のタイトルは最多奪三振・ゴールデングラブ賞。防御率は2.30も、味方打線が沈黙することが多かったが、苦しみながらも14勝。甲子園ではプロ初ホームランを放つ。

2006年:年俸3億3000万円 25試合17勝5敗0S 防御率2.13 200奪三振

この年のタイトルはゴールデングラブ賞。第1回WBCでMVPを獲得し、優勝に貢献。日本最終年は、自身最高の17勝、防御率2.13を記録。この年も2003年のように岩隈(楽天)がそれを上回る活躍で投手タイトル獲得ならず。

② メジャーリーグ時代(2007~2014)

2006年、ポスティングで松坂の獲得に名乗りを上げたレッドソックスは5111万1111ドル11セント、日本円にして約60億1000万円で獲得に成功。ポスティングでは当時過去最高の入札額でメジャーに旅立つ。年俸も6年5200万ドルと、約1年あたり10億円という計算となる。

1年目は硬いマウンドとメジャー流の調整方法などに苦しみ、完全ではなかったが、日本人初、メジャーでも5人しか達成していないルーキーイヤーで15勝、200奪三振を記録し、最高評価でのメジャー入りを曇らせない活躍だった。

しかし、松坂がメジャーで華々しい活躍したをしたのは翌年を含めて2年間。その後はケガとの闘いで思うような成績を上げられず、ボストンを去る。その後も2球団を渡り歩いたが成績は芳しくかった。では、これからは栄光と波乱のメジャーでの成績と年俸を順に追っていきます。

2007年:年俸6億3333万円(633万3333ドル) 32試合15勝12敗0S 防御率4.40 201奪三振

メジャー1年目から15勝、未だに破られていない記録。また、ルーキーイヤーでワールドシリーズ制覇。日本人としても初のワールドシリーズ勝利投手に。

2008年:年俸8億3333万円(833万3333ドル) 29試合18勝3敗0S 防御率2.90 154奪三振

前半戦のみで10勝と素晴らしい記録。タイトル獲得か!?と騒がれるもの、インディアンスのクリフ・リーが22勝と4勝届かず。日本時代を含めて最高の成績で、勝率はメジャー歴代25位に入る好成績。

2009年:年俸8億3333万円(833万3333ドル) 12試合4勝6敗0S 防御率5.76 54奪三振

第2回WBCでは2回連続のMVPに選出、日本も2連覇。しかし、開幕前に痛めた股関節の影響から、シーズン史上最低の成績で1年を終える。開幕から調子が上がらず、右ひじの違和感もあり、故障者リストに入る。

2010年:年俸8億3333万円(833万3333ドル) 25試合9勝6敗0S 防御率4.69 133奪三振

開幕から故障者リスト入りで、初登板が5月1日に。5月22日にはあと1アウトでノーヒットノーランを達成かと思われる試合もあったが、結果10勝には到達せず。

2011年:年俸10億3333万円(1000万3333ドル) 8試合3勝3敗0S 防御率5.30 26奪三振

開幕は思わしくなかったが、その後は復調を見せるが、またも右ひじの違和感で故障者リスト入り。そして、ついにメスを入れることを決断し、シーズン中にトミー・ジョン手術を受ける。

2012年:年俸10億3333万円(1000万3333ドル) 11試合1勝7敗0S 防御率8.28 44奪三振

6月にメジャーに復帰するも全く思わしくなく、シーズンで10回以上の先発登板も、1勝のみ。オフにFAとなり、インディアンスとマイナー契約を結ぶ。

松坂大輔の日本球界復帰の可能性が出てきたみたいですね!! 最近は不調で色々と言われてますが、小学生時に松坂大輔みてこんな選手になりたいと思って野球がんばったんで日本にかえってきてくれるのはめちゃくちゃうれしいです!! 獲得に動いてんのは王者ソフトバンク!! 4年契約16億円やったかな。。 結構破格ですね。。 そんな感じで今日はちょっとテンション高めですw 単純に今日はあげるネタがないんですw でもまあいつも通りナイビレ20時オープンですのでよろしくどうぞです(*^^*) #ナイビレ #おでん #心斎橋 #bar #松坂大輔

片岡靖博 やっさむんさん(@yassamun19881111)がシェアした投稿 –

2013年:年俸1017万円(10万1748ドル) 7試合3勝3敗0S 防御率4.42 33奪三振

史上最低年俸で、インディアンスでは3Aでプレー。8月20日にニューヨーク・メッツとメジャー契約を結び、7試合先発して3勝。翌年もメッツでプレーする。

2014年:年俸1億5000万円(1500万ドル) 34試合3勝3敗3S 防御率3.89 78奪三振

メッツでは主にリリーフとして起用され、先発登板は9試合。右ひじの炎症で消炎剤を打ちながらのリリーフ起用。この年が最後のメジャーシーズンで、翌年からは3年12億円でソフトバンクに入る。

ファンは祈る、松坂の再生で200勝を…

おかえりなさい!#松坂大輔 #西武プリンスドーム #西武ライオンズ #ソフトバンクホークス 2016-3-16

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2017年4月、その情報は突然流れた。松坂選手が1軍のマウンドで先発すると…。一ファンとしては願ってもないことだった。4月15日の当日、その場所で観戦することも、その日は用事がありCSでの観戦も難しかった。だが、とにかく松坂大輔が1軍で先発しているところを見たい。せめてスポーツニュースで投げているシーンを…しかし、その願いは叶わなかった。

「右肩不調で白紙」、4月13日の新聞記事を見てショックを受けた。何でこんな時に…楽しみにしていた日本凱旋先発、しかもこの後にリハビリメンバー入りと、今後の状況は闇、本当に残念というか、何故…。

冒頭に上げた表紙の「Number」は買った。読んでいくと、松坂選手の悔しさはわかる。本当に再生を信じて疑わず、ここまで来たのに…。



最後のインタビューには、「願いが叶うなら仙豆がほしい」とあり、切実な松坂選手の思いが綴られていた。早く、そしてすぐにでも投げたい。最高のプレーをしたい、野球人として「このままでは終われない」という気持ちがひしひしと伝わる。

まだ、再生を信じていているのであろう。だが、信じているのは松坂選手だけではない、ファンもまた信じている。復活し、最高のプレーを見せてくれる姿を期待している。本当に信じている人は多い。憧れであった存在、あの衝撃の夏から私たちは松坂選手のファンであるのだ。

そして、松坂を引き当てた名将も信じている。東尾修元監督も、入団の際に自身の200勝のボールを渡して、「お前が200勝したら、そのボールを返してくれよな」と言い。信じている。

世間や野球ファン、野球関係者はもう松坂は終わった、昔の人と思っている。しかし、それをあきらめきれない人はいる。私は信じている、再生を果たして200勝をするその姿が見たいと…。

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