浜崎あゆみの全盛期がかわいすぎる!最もイケてた頃の活躍や年収を調査した

女子中高生のカリスマ的存在として輝きを放ち、歌姫として日本のトップを走り続けてきた浜崎あゆみさん。彼女の全盛期がどれほど凄いものだったのか、最もイケてた頃の活躍や年収を徹底調査!

浜崎あゆみのプロフィール

日本が誇る歌姫、浜崎あゆみさん。彼女は常に日本のトップを走り続けてきました。そんな彼女のプロフィールをご覧ください。
浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、1978年10月2日 – )は、日本の女性歌手。かつては女優、モデルとしても活動していた。本名は濱﨑 歩(読み同じ)。愛称はあゆ、ayu。公式の英語表記はayumi hamasakiであり作詞のクレジットとしてオリジナル曲の多くに用いられている。ロゴマークのAは本人のイニシャルを組み合わせたもの。福岡県福岡市早良区出身。エイベックス・マネジメント所属。レコードレーベルはavex trax。

出典:https://ja.wikipedia.org

実は浜崎さんは「浜崎くるみ」として、モデルで芸能界デビューした事をご存知だったでしょうか?主にポスターや広告などのモデルとして活動していたようです。その後サンミュージックに所属し、女優として活動するようになった直後に現在の名前「浜崎あゆみ」に改名。数々のドラマ、映画、Vシネマ等に出演しながら名を広げていきます。
そして、この後が人生の転機でした。エイベックスグループの創立者である松浦勝人と出会い、1998年、彼女は女優から歌手へ転身します。特にその高い声を武器に、歌手として知名度を上げていきました。そして早くもデビュー翌年に発売された1枚目のアルバム「A Song for xx」で自身初のオリコンチャート1位を獲得。まさにそこから彼女の歌姫伝説が始まるのです。
では、ここからは彼女の全盛期の活躍がいかに凄いものだったのかをご覧ください。

浜崎あゆみ全盛期の活躍

カリスマ的存在として絶大な支持!

なぜ浜崎あゆみさんが若い世代のカリスマ的存在と呼ばれていたのか?ひとつは彼女独自のセンスではないでしょうか。他の人の真似をするでもなく、常に真新しい事を取り入れていく彼女に対して、次第に彼女と同じ事をしたい、同じものが欲しいという人が増えていき、気づけば彼女は若い世代のカリスマ的存在へと昇りつめました。彼女が流行らせた「ヒョウ柄」や「しっぽ」などは当時の若者の誰もが彼女を真似るように身につけていたのではないでしょうか。

もうひとつは、自分を強く持っているという事かと思います。人気になれば比例するように批判をする人が出てきます。心無い事を言われることもあったのではないでしょうか。有名人の宿命といえば宿命なのですが、彼女はそのような批判を受け流すかのように、ただただ自分の信じたことだけを、やりたいことだけをやる彼女の姿には、カリスマ性を感じざるを得ません。

数々のミリオンを記録!

ここまでのレベルの歌手になるには、ミリオンの実績は欠かせません。では、ミリオンを突破した作品を紹介します。CDシングルでは「Boys&Girls」「A」「SEASONS」「M」「H」の計5作品がミリオンを達成しました。また「evolution」はミリオン手前の95万枚を記錄しました。ミリオン5作品の記録は、現時点では女性ソロアーティストで歴代1位タイとなっています。
また、アルバムでは「A song for xx」「LOVEppears」「Duty」「A BEST」「I am…」「RAINBOW」「Memorial address」「MY STORY」の計8作品がミリオンを達成しました。現時点では女性アーティストで歴代2位になります。数多くのミリオン作品を世に送り出した彼女は、間違いなく歌姫のトップだと言えますね。

大規模なドームツアーで人気を証明!

浜崎あゆみさんといえば、やはりライブの話題は欠かせません。彼女のライブといえば、大きな会場で大勢のファンとともに一体感を感じることのできるライブが定番です。また、毎年恒例となっていた国立代々木競技場第一体育館でのカウントダウンライブは2000年から2017年までの17年間続けられ、毎年ファンを楽しませてくれました。
そんな彼女の自身最大級のライブといえば、2001年に開催された「ayumi hamasaki DOME TOUR 2001 A」で東京ドーム、名古屋ドーム、大阪ドーム、福岡ドームにて行われた4大ドームツアーだと言われています。最大級の規模である4大ドームを超満員にしたのですから、当時の人気が相当なものであったことが伺えます。


実はこのドームツアーの舞台裏では浜崎さんの相当な苦悩があり、このツアー初日の2時間前に足の怪我をしてしまいますが、足をかばいながらも浜崎さんはライブをやりきりました。さらに、このツアーが行われる前年に内耳性突発難聴を発症し、左耳が聞こえにくくなってしまいます。このツアー中も酷い耳鳴りを抑えながら挑んでいたそうです。
その後、2007年に完全に左耳の聴力を失ったことが発表されました。彼女の絶大な人気の裏には相当な苦悩や努力があったということを私たちに証明してくれたような気がします。

レコード大賞など様々な賞を受賞!

数多くの名曲を生み出してきた彼女は、もちろん数多くの賞も受賞してきました。まず、日本レコード大賞の大賞を2001年「Dearest」、2002年「Voyage」、2003年「No way to say」と3年連続で受賞。日本有線大賞の大賞を2001年、2002年に受賞。日本ゴールドディスク大賞のアーティスト・オブ・ザイヤーを2001年、2002年、2004年に受賞。
その他にも全日本有線放送大賞やワールド・ミュージック・アワードなどでも受賞しており、当時の大賞を総ナメにしました。この数々の大賞の受賞歴が彼女の凄さを物語ってくれていますね。まさに向かう所敵なしだった浜崎さんは真の歌姫だったのだと思います。

浜崎あゆみの全盛期の頃の年収は?

さて、ここまで浜崎さんの全盛期がどのくらい凄かったのかということを綴ってきたわけですが、誰しもが気になるのが、彼女の全盛期の頃の年収はいくらだったのか?という事なのではないかと思います。もちろん、そんなことが公にされるわけはないですし、あくまでも噂程度の話であるということを踏まえて見ていただけたらと思います。
浜崎あゆみさんの全盛期の頃の推定年収、なんと、約12億円だとか!これは2001〜2002年の時の推定年収です。まさに全盛期ですね。しかし当時はどこに行っても浜崎さんの曲が流れていて、テレビでも見ない日は無いというくらい出ていましたから、そこを考えれば12億円という金額も納得です。あくまでも推定ですから、想像の範囲内ですが、浜崎さんは年収も間違いなく凄かったのだと予想されます。

浜崎あゆみの全盛期は驚異的だった!

様々な意見を集計してみた結果、浜崎あゆみさんの全盛期は2000年前後から2003年前後までという見方が強いようです。ルックス、歌声、才能、人気などの全てを兼ね備え、ミリオンヒットを連発し、多くの大賞を獲得、テレビをつければそこにはいつも彼女が居て、若者の誰もが彼女の真似をしていた時代。まさに彼女の全盛期は誰しもの想像をはるかに超える凄いものだったと言えるでしょう。
今となってはかつてのような人気は見られませんが、今現在も歌手として精力的に活動されています。彼女の自分を貫き通すところは何ひとつ変わっていないですね。歌手としてまだまだ輝き続けていく浜崎あゆみさんの事をこれからも応援していきましょう!